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転載:生活保護制度に関する冷静な報道と議論を求める緊急声明(生活保護問題対策全国会議)

2012年05月28日 22時28分15秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
前回記事の参考資料としてブログにアップします。

生活保護制度に関する冷静な報道と議論を求める緊急声明

生活保護問題対策全国会議 代表幹事 弁護士 尾藤廣喜
全国生活保護裁判連絡会  代表委員  小 川 政 亮


1 人気お笑いタレントの母親が生活保護を受給していることを女性週刊誌が報じたことを契機に生活保護に対する異常なバッシングが続いている。
 今回の一連の報道は、あまりに感情的で、実態を十分に踏まえることなく、浮足立った便乗報道合戦になっている。「不正受給が横行している」、「働くより生活保護をもらった方が楽で得」「不良外国人が日本の制度を壊す」、果ては視聴者から自分の知っている生活保護受給者の行状についての「通報」を募る番組まである。一連の報道の特徴は、なぜ扶養が生活保護制度上保護の要件とされていないのかという点についての正確な理解(注1)を欠いたまま、極めてレアケースである高額所得の息子としての道義的問題をすりかえ、あたかも制度全般や制度利用者全般に問題があるかのごとき報道がなされている点にある。
 つまり、①本来、生活保護法上、扶養義務者の扶養は、保護利用の要件とはされていないこと、②成人に達した子どもの親に対する扶養義務は、「その者の社会的地位にふさわしい生活を成り立たせた上で、余裕があれば援助する義務」にすぎないこと、③しかも、その場合の扶養の程度、内容は、あくまでも話し合い合意をもととするものであること、④もし、扶養の程度、内容が、扶養義務の「社会的地位にふさわしい生活を成り立たせ」ることを前提としても、なお著しく少ないと判断される場合には、福祉事務所が、家庭裁判所に扶養義務者の扶養を求める手続きが、生活保護法77条に定められていることなどの扶養の在り方に関する正しい議論がなされないまま、一方的に「不正受給」が行なわれているかのごとき追及と報道がなされているのである。
 また、そこでは、①雇用の崩壊と高齢化の進展が深刻であるのに雇用保険や年金等の他の社会保障制度が極めて脆弱であるという社会の構造からして、生活保護利用者が増えるという今日の事態はて当然のことであること、②生活保護制度利用者が増えたといっても利用率は1.6%に過ぎず、先進諸国(ドイツ9.7%、イギリス9.3%、フランス5.7%)に比べてむしろ異常に低いこと,③「不正受給」は、金額ベースで0.4%弱で推移しているのに対して、捕捉率(生活保護利用資格のある人のうち現に利用している人の割合)は2~3割に過ぎず,むしろ必要な人に行きわたっていないこと(漏給)が大きな問題であることなど,生活保護制度利用者増加の原因となる事実が置き去りにされている。(注2)
 さらに、今回の一連の報道は、厳しい雇用情勢の中での就労努力や病気の治療など、個々が抱えた課題に真摯に向き合っている人、あるいは、苦しい中で、さまざまな事情から親族の援助を受けられず、「孤立」を余儀なくされている高齢の利用者など多くの生活保護利用者の心と名誉を深く傷つけている。

2 ところで、今回のタレントバッシングの中心となった世耕弘成議員と片山さつき議員は、自民党の「生活保護に関するプロジェクトチーム」の座長とメンバーである。
 そして、同党が2012年4月9日に発表した生活保護制度に関する政策は、①生活保護給付水準の10%引き下げ、②自治体による医療機関の指定、重複処方の厳格なチェック、ジェネリック薬の使用義務の法制化などによる医療費の抑制、③食費や被服費などの生活扶助、住宅扶助、教育扶助等の現物給付化、④稼働層を対象とした生活保護期間「有期制」の導入などが並び、憲法25条に基づき、住民の生存権を保障する最後のセイフティーネットとしての生活保護制度を確立するという視点を全く欠いた、財政抑制のみが先行した施策となっている。
 かつて、小泉政権下においては、毎年2200億円社会保障費を削減するなどの徹底した給付抑制策を推進し、その行きつく先が、「保護行政の優等生」「厚生労働省の直轄地」と言われた北九州市における3年連続の餓死事件の発生であった。今回の自民党の生活保護制度に関する政策には、こうした施策が日本の貧困を拡大させたとして強い批判を招き、政権交代に結びついたことに対する反省のかけらも見られない。
 さらに問題なのは、社会保障・税一体改革特別委員会において、自民党の生活保護に関する政策について、現政権の野田首相が「4か3.5くらいは同じ」と述べ、小宮山厚生労働大臣が「自民党の提起も踏まえて、どう引き下げていくのか議論したい」と述べていることである。
 そこには、「国民の生活が第一」という政権交代時のスローガンをどう実現していくか、また、「コンクリートから人へ」の視点に基づき、貧困の深刻化の中で、この国の最低生活水準をどう底上げしていくのかという姿勢が全く見られない。
 そもそも、生活保護基準については、2011年2月から社会保障審議会の生活保護基準部会において、学識経験者らによる専門的な検討が進められているのであり、小宮山大臣の発言は、同部会に対して外部から露骨な政治的圧力をかけるものであって部会委員らの真摯な努力を冒涜するものと言わなければならない。
 そのうえ、小宮山大臣は、「親族側に扶養が困難な理由を証明する義務」を課すと事実上扶養を生活保護利用の要件とする法改正を検討する考えまで示している。しかし、今回のタレントの例外的な事例を契機に、制度の本来的在り方を検討することなく、法改正を行うということ自体が乱暴極まりない。また、生活困窮者の中には、DV被害者や虐待経験者も少なくなく、「無縁社会」とも言われる現代社会において、家族との関係が希薄化・悪化・断絶している人がほとんどである。
 かつて、札幌市白石区で25年前に発生した母親餓死事件は、まさに、保護申請に際して、この扶養をできない証明を求められたことが原因となって発生した事件であった。
 かかる点を直視することなく、法改正を行えば、ただでさえ利用しにくい生活保護制度がほとんど利用できなくなり、「餓死」「孤立死」などの深刻な事態を招くことが明らかである。小宮山大臣は、国民の生活保障に責任をもつ厚生労働大臣として、マスコミに対して冷静な対応を呼びかけるべき立場にありながら、混乱に翻弄されて軽率にも理不尽な法改正にまで言及しており、その職責に反していると言わざるを得ない。

3 今年に入ってから全国で「餓死」「凍死」「孤立死」が相次いでいるが,目下の経済状況下で、雇用や他の社会保障制度の現状を改めることなく、放置したままで生活保護制度のみを切り縮めれば、餓死者・自殺者が続発し、犯罪も増え社会不安を招くことが目に見えている。
 今求められているのは、生活保護制度が置かれている客観的な状況を把握し、制度利用者の実態に目を向け、その声に耳を傾けながら、冷静にあるべき方向性を議論することである。
 当会は,報道関係各位に対しては、正確な情報に基づく冷静な報道を心掛けていただくようお願いするとともに、民主党政権に対しては、今一度政権交代時の「国民の生活が第一」の原点に戻った政権運営を期待し、自民党に対しては、今回の生活保護制度に関する政策の根本的見直しを求め、本緊急声明を発表する次第である。

注1:生活保護制度における扶養義務の取扱いについての詳細については、別に発表する見解を参照されたい。

注2:詳細は、当会ほか59団体の2011年11月9日付「利用者数の増加ではなく貧困の拡大が問題である~生活保護利用者「過去最多」にあたっての見解~」を参照されたい。

 http://seikatuhogotaisaku.blog.fc2.com/blog-entry-33.html
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人間の尊厳を踏みにじる片山さつき・世耕弘成を絶対に許さない

2012年05月28日 00時33分14秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
河本準一、母親の生活保護問題は「考えが甘かった」


 お笑い芸人「次長課長」の河本準一が、母親の面倒を見ずに生活保護に頼りきりにさせたと、ここ数日大騒ぎになっていますが、何故そんな騒ぎになるのか全然理解出来ません。この問題を取り上げた「絵文録ことのは」というブログの記事によると、実際の経過は次のようなものでした。

1.母は病気のため働けなくなり、自分で生活保護の手続きをしてきた。河本氏に福祉事務所から連絡があったが、当時の年収は100万円を切っており、生活費の援助ができなかった。そこで生活保護受給が始まった。
2.数年後(5年ほど前)、全国のテレビ出演ができるようになり、福祉事務所から援助の問い合わせがあったため、援助を開始した。この援助額については福祉事務所に連絡してあり、その分が生活保護から減額されている。
3.さらに数年後、事務所から援助増額の相談があり、増額した。その分はもちろん生活保護から減額されている。
4.そしていよいよ生活保護の必要がなくなり、生活保護は打ち切りとなった。

 これを読む限り、河本には別に何の落ち度もありません。意図的に収入を誤魔化したり粉飾していた訳ではないのですから。最初は母親を養えず福祉の世話になっていたが、その後次第に芸人として軌道に乗るに従い、福祉事務所の求めに応じて母親にも仕送りするようになった。勿論、その仕送りの開始時期や仕送り額が果たして適正だったかどうかという問題はあります。本当はもっと早く仕送りを開始すべきだった、或いはもっと多額の仕送りをすべきだったのに、福祉事務所からの詰めが甘かったのを良い事に、ついついそのままにしてしまったというのが、恐らく実際の所ではないでしょうか。
 そんな事は、私たちの間でもよくある話でしょう。謂わば「毎月の給料のうち幾らを仕送りに回せるか」といった類の、個人の資質・能力に属する問題です。毎月10万円回せる強者もおれば、全然回せない「親のスネカジリ」もいる。そりゃあ後者は前者より「考えが甘い」のかも知れませんが、別に犯罪を犯している訳でも何でもない。そもそも、そんな個人的な事で第三者からとやかく言われる筋合いはない。そんな問題を、何故さも国家の一大事であるかのように、政治家やマスコミが取り上げるのかが全然理解できない。そんな問題で大騒ぎするなら、かつての住専・銀行や今の東電への公的資金投入の方が、よっぽど道義や道徳に反しているのではないでしょうか。

 それで大騒ぎした末に出てきた議論が、生活保護費の切り下げや受給の厳格化とは。片山さつきが、この問題で、さも鬼の首でも取ったように大はしゃぎしていますが、私は寧ろ河本よりも、火付け役の片山や世耕弘成(ひろしげ)のこれらの発言の方が、よっぽど犯罪的だと思いますね。 
 http://satsuki-katayama.livedoor.biz/archives/7114897.html

 その結果どういう事が起こるか。それは、数年前に北九州市で起こった生活保護門前払いの「水際作戦」による孤老の「おにぎり食べたい」餓死事件や、今年に入ってからも札幌で起こった姉妹の餓死事件を見れば、一目瞭然ではないですか。これはもはや「個人の資質や能力、甲斐性」なんかでは済まされない、国家権力による立派な「殺人」です。片山さつきや世耕弘成はそれに手を貸したも同然です。謂わば、この2人が北九州の老人や札幌の姉妹を死に追いやったと言っても、過言ではないでしょう。

(札幌)40代姉妹死亡 生活保護の申請を窓口で拒否され追い返される


 これは決して身寄りのない人間だけに当てはまる問題ではありません。一応身寄りがあっても、実際は親や子が経済的に困窮していて頼れなかったり、勘当されたり音信不通で親子の縁が切れていたり、DVなどで頼るどころではないケースも決して少なくない事は、ホームレスやネットカフェ難民、「派遣村」の惨状を見れば分かるでしょう。先述の「絵文録ことのは」でも列挙されていた、次の様な事が起こるのです。

1.「援助可能な収入のある親族」が存在するものの、実際には援助を受けられない立場の人たちが、ただ単に「援助可能な人がいる」というだけで生活保護を受けられなくなること。
2.不正受給は改善すべきであるが、単純に「不正受給をなくすためには受給条件を厳しくすればよい」という流れになって結局、必要な人に必要な生活保護が認定されないこと。
3.不正受給の追及にのみ専念し、生活保護を必要とする人が増えている現状を何も変えようとしないこと。
4.そもそも、不正受給分が適正に配分されたとしても、生活保護が全然足りていないという現状から目をそらし、「不正受給のせいで必要な人に回らない」という考えで不正受給叩きに専念すること。(注:今でも実際の受給者は有資格者の約2割のみ)
5.門前払いが厳しすぎたり、一度受給すると生活保護から抜けることが難しくなるという現状の問題点が見逃されること。
6.別に不正でも何でもないことを不正だ不正だと騒ぎ立てることに対して疑問を抱いたら「不正受給者を擁護する」と扱われること。
7.「自分の払った税金」が他の人に使われることに対する嫌悪感が拡大すること。(注:そんな嫌悪感が広がれば社会保障自体が成り立たなくなる)
8.「払えるのに払わなかったのは許せない」という道徳・倫理的な「反感」が、いつの間にか「社会正義」扱いされ、巨大な圧力となって数々の弊害を招くこと。
9.「子は親を養って当然(社会に養わさせるな)」が今後の高齢化社会においても強固な信念として抱かれ続け、その結果として自分の親の介護負担が過重なものとなってそこから逃れられなくなること。(注:今や子の扶養義務だけではどうにもならなくなったから介護保険も生まれたのだろう)
10.河本氏と無関係な「民族問題」になぜか結びつけられること。(注:何でも在日外国人の犯罪に結びつけ、貧困・格差の目くらましに利用されるという事)

 福祉は「憐み」や「思し召し」なんかではありません。基本的人権の一つです。そうであるにも関わらず、福祉を人権(生存権)として捉えられず、まるで「施し」であるかのように捉え、「財源がなければ仕方がない」とか「有難く頂戴しろ」といった議論が横行しています。財源がなければ餓死しても良いのか。そんな目にあわされても「有難く頂戴」しなければならないのか。
 実際の不正受給者は生活保護受給者全体の僅か0.3%、千人のうちで3人いるかいないかなのに、さもそれが一杯いるかのように報道されています。生活保護費を巻き上げタコ部屋みたいな所に押し込める所謂「貧困ビジネス」にしても、実際は行政の一部も、貧弱な福祉予算や公営住宅の受け皿として見逃してきたくせに、問題が明るみに出た途端に、それを更なる福祉削減の口実に利用しようとしているのです。不正受給の事案の中には、大阪・岸和田や北海道の事例の様に、福祉削減の口実の為に、右翼暴力団を泳がせてきたものも、少なからずあるのではないでしょうか。

 その挙句に生活保護費の切り下げとは。昔は生活保護費も雀の涙ほどの、それこそパンツ一枚も買えないような金額だったのです。それに対して、朝日茂さんという方が「人間としての生活を取り戻す闘い」に立ち上がり、その「人間裁判」の運動の成果によって、ようやく今の水準に到達したのです。片山さつきや世耕弘成のやっている事は、その朝日茂さんの遺志を踏みにじり、歴史の針を逆向きに回すものでしかない。
 これは決して他人事ではない。今はどうにか働く事が出来る私でも、いつ何時腰痛が悪化して生活保護を受けなければならなくなるか分からないのですから。生活保護なんて、受けずに済めばそれに越した事はないのです。最低限度の生活費だけしか貰えず貯金もままならない、誰がそんな生活を好き好んでするものですか。それでも働く事が出来なくなれば、嫌でも生活保護に頼らざるを得ないのです。そんな最低限の権利(何度も言うが、これは決してお恵みなんかではない!)すら認めないとは、もはや鬼畜の所業とも言うべきものです。私は絶対にこいつらを許さない。

人間裁判―朝日茂の手記
クリエーター情報なし
大月書店


※引き続き追記あり:この件に関する生活保護問題対策全国会議の声明文を、参考資料として当ブログにも必要に応じて転載していきます。下記リンクをクリックしてお読みください。このブログにも、「河本の母親が生活保護を辞退したのはつい1ヶ月前じゃないか」とかいう、しょうもない難癖コメントが来ましたが(当然削除)、そんな事で当然の権利行使が制限される筋合いはないのです。
 転載:生活保護制度に関する冷静な報道と議論を求める緊急声明(生活保護問題対策全国会議)
 転載2:利用者数の増加ではなく貧困の拡大が問題である(同上)
 転載3:扶養義務と生活保護制度の関係の正しい理解と冷静な議論のために(同上) 
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