最後まで残った北海道・泊原発も定期検査に入り、昨日5日にとうとう全国の原発が停止しました。その翌日の今日6日に、「エル・おおさか」(府立労働会館)で開催された「広河隆一チェルノブイリ・フクシマ写真展」に行ってきました。主催者の了解の下、展示パネルの写真も撮らせていただきましたが、如何せん携帯で撮影したので、逆光で余り上手く撮れませんでした。その中でもまだどうにか見れるものを幾つかピックアップして、写真の説明文と一緒に紹介しておきます。
原発所在地のチェルノブイリと、そこで働く労働者の街・プリピャチの、おおよその位置とあらましについての説明。
―ミンスクでデュマという少年が白血病で死んだ。急性Bリンパ白血病という、西欧でもほとんど助からない病気だったという。1ヶ月で急速に病気が進行し、最後は苦しみ抜いて死んだ。1991.2
―モスクワ郊外にあるミーチンスカヤ墓地。事故直後に消火作業に携わり被曝し死亡した原発職員や消防士たちが埋葬されている。汚染のひどい遺体は鉛の箱に入れられていたが、何年経っても放射能を出し続けるので掘り起し再埋葬された。2011.2 撮影
―廃墟になったプリピャチ幼稚園。2011.2.
実際、チェルノブイリ地域では、事故の4年後ぐらいから小児甲状腺ガンの発生率が増加し始め、今や以前の10倍以上になろうとしている、その他にも大人のガンや白血病も増えているとの事です。
そして、福島でも原発事故によって、緊急避難区域内のみならず、その外側の県央部でもチェルノブイリ並みの土壌汚染にさらされるようになってしまったというのに、国は福島・二本松・郡山などの市民には避難・移住の指示も援助も行わずに、「臭い物に蓋」「寝た子を起こすな」との態度に終始しています。
―郡山市中心部の公園には看板が立てられ、小学生以下の子どもの立ち入り禁止とそれ以上の年齢の人は1日1時間以下の利用に制限されていた。その後表土の除去などが行われ、6月初めにはこの看板は取り去られたという。郡山市 2011.5.20(右上の写真)
―福島原発20キロ圏内に置き去りにされ、やせ細ってしまった馬。南相馬市 2011.5.20
その福島原発事故の原因究明、責任追及、補償も予防も本格的に為されずに、その場しのぎの注水・汚染水処理と紙上の工程表作りでお茶を濁しながら、国や財界は福井県の大飯を突破口に原発再稼働を目論もうとしています。大飯など若狭湾岸の原発で事故が起これば、チェルノブイリ並みの被害が大阪府北部にまで及び、琵琶湖は巨大な放射能の汚水溜めと化してしまうのがもはや明らかなのに。
しかも、大飯原発の周囲にはFO-A、FO-B、熊川の3断層があり、これらが地震の時に連動すれば、従来想定されていたよりも遥かに大きな地震動が起き、制御棒の挿入にも支障をきたす事が予想されます。しかし4閣僚の「政治判断」で、「炉心溶融一歩手前の崖っぷち」基準(3断層連動でも1260ガルまでに地震動が収まり、制御棒も2.7秒以内に挿入すれば大丈夫w)で辻褄合わせを図ろうとしています。
それに対する不安が、市民団体が4月21・22日に福井県おおい町で実施した「大飯原発再稼働で心配な事を問う」町民アンケートの結果にも現れています(心配事を1人3項目まで挙げて貰い、348名から回答を得る)。
それによると、福島事故のようにならないか(144名)、子や孫の将来(119名)、雇用・仕事への不安(107名)、事故時の避難(96名)、福島事故の原因未究明(63名)が心配事の上位5項目を占めました。
この様に、従来はカネの力にモノを言わせて原発賛成派が支配していた地元でも、「原発なんて無いに越した事がない」「仕事が他にないから渋々受け入れてきただけにしか過ぎない」が住民の本音だった事が分かります。
そうして、地元住民や「あいりん地区」の失業者の足元を見透かして、僅かな金と引き換えに、彼らを無権利状態のまま何層もの重層下請け労働の底辺に縛り付け、危険な被曝労働に従事させ、賃金をピンハネしてきたのです。
安全教育なんて形だけで、防護服も、実は放射能管理区域内の塵や埃を外部に持ち出さないようにする為の、只のカッパでしかない。しかし、原発推進の政治家・財界人や御用学者・御用マスコミは、決してそんな事はおくびにも出しません。如何にもきちんと安全教育が施され、放射能防護措置が取られているかのように、嘘八百を並べ立てて「原発ゼロ」の危機を煽ります。
原発も戦争も、最期は格差の問題に行き着きます。犠牲を押し付けられるのは常に末端の兵士や労働者です。政治家や大企業のお偉方ではありません。お偉方は、自らは安全地帯に身を置きながら、原発の利権や搾取の上に胡坐をかいてきました。その為に、実際には人口減少や省エネ技術の進歩などで電力需要は年々減り続け、原発なんて無くても充分やっていけるのに、「オール電化」などの浪費で無理やり需要を作り出してまで、あくまでも原発推進に固執してきたのです。そして、原発の維持コストが上乗せされた、世界でも有数のバカ高い電気料金を国民に押し付けてきたのです。偏に、将来の核武装をにらんで、原料となる核物質を原発で常に製造・確保しておく為に。
その結果、どれだけ下請け労働者が被曝させられようが、国土が放射能で汚染されようが、そんな事はお偉方の知ったこっちゃない。彼らにとって大事なのは、あくまでも政治利権や企業の儲けであって、国民の命なんて「使い捨て」ぐらいにしか思っていない。
「原発ゼロを目指す」という事は、この様な理不尽な搾取・浪費・環境破壊を無くし、金儲けよりも人命や人権を大事にする、そういう政治・経済・社会を作っていく事に他なりません。
人は何も国家や企業の歯車となる為に生まれてきたのではありません。「国あっての人」ではなく「人あっての国」こそが本来あるべき姿です。愛国心も、国が無理やり強制するものではなく、自然に国を愛したくなるような政治が行われてこそ、初めて芽生えてくるものです。若し今の国がそうでないなら、そんな国に造り替える権利が国民にはあります。
以下、当該写真展で私が帰りがけに出した入場者アンケートの感想文より。
関電などが言い募る今夏の"電力不足"予想は関電自身の試算によるもの。つまりマッチポンプ。そんな試算を無批判に垂れ流すマスコミもグル。「冷房が止まって老人が熱中症で亡くなっても良いのか」と言うが、原発で働く下請け労働者の被曝は見て見ぬふり。原発推進派こそが、格差社会の搾取の上に胡座をかく守銭奴だろう。