5月8日登庁時市長囲み取材
橋下大阪市長が松井大阪府知事と組んで出した「職員・教育基本条例」の下で、大阪でも石原都政と同様に、卒業式で肝心の生徒への祝福もそっちのけに、教職員の「君が代」斉唱を口元まで見てチェックする調査が行われました。MBS(毎日放送)がそれに対して学校長にアンケートを取り、43名中38名の校長から「やり過ぎではないか」との回答を得ました。その結果についてどう思うか、定例会見の場でMBSの記者が橋下市長に質問しました。その時のやり取りを上記の動画で見る事が出来ます。動画の中には音声が聞き取りにくい箇所もあるので、そこはブログ「Afternoon Cafe」さんによる以下の文字起こし&解説記事で補って下さい。文中の「m」がMBS記者、「橋」が橋下市長の発言です。議論の流れを把握する為に、転載する際に、私の方で更に「m・橋」間のやり取り毎に段落分けしました。
(以下、当該ブログより転載)
m: 君が代の起立斉唱に関してアンケートを行ったんですけど、府立学校校長の43人の方から回答がありまして、そのうち22人が職務命令によって起立斉唱を行ったことについては賛成と仰ったのですが、起立と斉唱それぞれ確認すべきと考えていた校長はわずか一人だったんですけど、それはいかがですか
橋: それはもう各校長の判断でしょうね。ただ職務命令の内容は起立と斉唱です。それが教育委員会、教育行政の最高意思決定機関の決定内容です。起立と斉唱を命じたわけですからそれをしっかり守るということが教育委員会の管理下に入ってる校長の職務だと思いますね。あとはそれぞれどのように判断するかは教育委員会も各校長にゆだねる、ということいってますので、もうそこは校長のマネジメントにゆだねますけれども、しかし職務命令の内容は起立と斉唱です。
(マネジメントという横文字を並べるのも権威付けに役に立ちますね。ちなみにその用語の意味が正しく使われているかどうかは問題ではありません。使うことが大切なのです。あと、市長は「最高意思決定機関」といった類の言葉も好んでご使用になります)
m: 実際には43人のうち38人は起立と斉唱は一つととらえればいいと思ったと言うことなんですけども
橋: 「起立斉唱」って、立ってるだけじゃ起立じゃないですか。そんな国語ありますか?起立斉唱ということを小学生にいって、起立斉唱しなさいといって立ってるだけで音楽の成績つきますか。どうですか。
m:(何か言いかけるが市長遮る)
橋: いやいやまず僕が質問してることに答えてください。
m: 私の方からお聞きしてるんですけれど
橋: (たたみかけるように)いやいや、お聞きするんじゃなくて、この場は別に議会じゃないので僕は答弁の義務だけ負ってるわけじゃないんです。どうですか。起立斉唱という言葉の中に立つだけの意味しか入っていませんか?
(※注釈:答弁の義務は負っていない=これは市長によれば「先になされた質問はスルーして、質問に質問で返してもよい」という意味です。)
m: 歌っていることも入っていますけど一律に歌わせることまで強制させるということについてはいかがですか。
橋: 「起立斉唱命令」なんです。どうなんですか。教育委員会の決定なんです。起立斉唱命令です。この国語の中で斉唱の命令は入っていませんか
(ここで注意。記者は「立つだけの意味しか入ってませんか」という市長の質問に「歌っていることも入っている」と一応答えています。しかし、相手が答えた事実をなかったことにするのも駆け引きのひとつです。そのため相手に喋る隙を与えずたたみかけましょう)
m: (しゃべりかけるが「まずどうですか」、と市長遮る)
橋: 答えをいわなければ僕もう質問には答えません。それは対等な立場ですから。どうですか。斉唱の命令の中に、斉唱命令という言葉の中に斉唱の命令ははいっていませんかどうですか。
(既に答えているのに、こうして答えを何度も求めると相手は動揺します。「相手が揺らぎだしたら考えるスキを与えず、一気に結論に持っていく」テクニックは市長の自著にも書かれています。一気に「もう質問には答えない」と持って行くのです)
(ここで種明かし。実は斉唱命令が入ってるかどうかについて記者自身の見解を聞くのはナンセンスです。なぜなら「斉唱の命令は入っていない」と考えたのはこの記者ではなく38人の校長たちなのですから。これぞすり替えの極意。市長、見事なお手並みです!)
m: 「起立斉唱」命令は入ってるとしまして、では一律に歌わせることについてはどうですか?
橋: 「起立斉唱命令」は誰が誰に対して出したんですか?まずそういう事実確認から入りましょう、命令は誰が誰に出したんですか。
(ハイ、ここも大事なチェックポイントです。記者は質問に答えました。ですから今度は市長が答える番ですが、市長はそれには答えないで、「起立斉唱命令」は誰が誰に対して出したんですか?という新たな質問を繰り出しています。次々質問をたたみかけ、相手が答えられない質問に行き当たったら「そんなことも知らないのに取材する資格はない」と罵倒すればいいのです。)
(それから「起立斉唱命令」はだれが誰に出したか、ということは、実は記者の質問の本質とはほとんど無関係です。無関係な質問を返すのはわざとです。こうして本質からずれた所に話を持って行くことが相手を煙に巻く定石。覚えておきたいテクニックですね)
m: 命令は出してらっしゃいますけど(遮って
橋: 誰が出したんですか?
m: それは市長がよくご存じでは?
橋: いや、だから誰が出したんですか。まずそこを、事実確認をしっかりしてから取材してください。誰が出したんですか、命令は。
m: あの学校長の(遮る
橋: だからだれが出したんですか?まず事実確認をしっかりしてから取材してください。事実確認が不十分な取材などとんでもないです。命令はだれが出したんですか。
m: 市長がご存じのことを私に尋ねてらっしゃるだけですよね?それはおかしなことじゃないですか
橋: いや、そんなことないですよ、知らないのに質問なんかできないじゃないですか
m: いや、知ってますよ、そんなことを答える必要はないということです
橋: じゃあ僕も答える必要ありません。どうぞ次の質問いってください
(ハイ、駄々コネ逆ギレ入りましたーー! でも実はこれ、得たい結果を得るための冷静な計算に基づいてる・・・はずですw だから「ガキかよっ!」とバカにしてはいけません。自分の土俵に引きずり込むことが土台作業です。相手が決裂できない立場で、かつ、こちらの土俵にのってこないとき「もう答えません、次行ってください」とブチ切れすればいいのです。すると大抵相手は多少なりとも譲歩の姿勢をみせることが多いです。)
(ここで皆さん、お気づきですか?市長は新たな質問を相手に出しましたが、まだ「一律に歌わせることまで強制させるということについてはいかがですか」という記者の質問に答えることなくここまで来ています。さすがですね。この調子で「オレ様の試験をパスできないような記者が取材しようなど10年早いわ!」的な高飛車な態度で臨みましょう)
m: じゃ、すいません(遮る
橋: いや答えません。そんな事実確認が不十分な取材なんかに答えません。命令はだれが主体なんですか、まず答えてください。
m: 中西教育長じゃないでしょうか
橋: とんでもないですよ。もっと調べてくださいよ。教育長が命令出せるんですか
(やったー、意外と早く正確な回答ができない質問にぶち当たったようですね。おめでとうございます。)
m: 教育委員長ってことですか
橋: 委員長じゃないですよ。だれが教育行政の決定機関なんですか。そんなことも知らずに取材なんかくるんじゃないですよ。何を取材にきてるんですか、命令の主体ぐらい知らないのになんでこんな取材ができるんですか。じゃ、誰に対して命令を出したのかいってください。命令の名宛人、対象者は誰ですか。
(記者がしゃべろうとするとまだ遮る)
橋: 答えてください。そこが重要なんです。一律だっていったでしょ、命令の対象は誰なんですか
(繰り返しますが、記者はあくまで「斉唱強制までするのはやり過ぎでは?」と聞きたいわけで、その質問には「誰が命令をだすか」という事実確認は重要ではありません。でも重要なんだと自分でも信じ、言い切ることが肝心です。こうして 普通ならあっさり通過するような「重箱の隅」をとことんつついて相手を疲れさせましょう)
m: 一律強制じゃないんですか
橋: 命令の対象は誰かいってください
(譲ってはいけません。必ず自分のレールに乗せること!ここは踏ん張りどころですよ!)
m: じゃ、わたしからお聞きします
橋: 命令の対象をまずいいなさい。そこに全部答えが入っています。命令の対象は誰ですか。一律かどうかというのは命令の対象のなかに全部入ってるから
(「一律かどうかというのは命令の対象のなかに全部入ってる」とはなんと無理矢理なこじつけ、お見事です、市長!市長の著書にあった「あり得ない比喩」の応用編ですね?)
(ちなみに、ここあたりから市長は俄然命令口調になります。ええ、「対等ですから」なんて言ったことなんか無視して良いんですw 「交渉術」において恫喝は効果的です、特に相手が女性の場合には。パワハラと影口たたかれても勝てば官軍ですから気にしてはいけません。マスコミは官軍になびくことを知っておきましょう。恫喝して萎縮させることは交渉術で欠かせません。「"脅し"により相手を動かす。(24頁)」と市長も自著で書いています。)
m: 私からお聞き(遮る
橋: 命令の対象はだれかまずいいなさい。そこに答えがすべて入ってる
m: 一律に(遮る
橋: 一律かどうかってのは命令の対象のなかに全部はいってるから答えなさい。答えられないんだったらここへ来るな。命令の対象の中に全部入ってる。命令を読め。まず読んでからここに来い。勉強してから来い
(おお、まるで先生が生徒をしかってるようですよ、市長、しびれます~!「対等だから」なんて所詮リップサービス、上下関係は大事ですよね、市長様)
m: 思想良心の自由との(遮る
橋: 関係ない。まず言え。命令の対象は誰なんだ。
m: 市長、ちょっと落ち着いて(遮る
橋: 君の方が落ち着きなさい
m: 学校長の(遮る
橋: 事実関係も知らないのに取材するなって。勉強不足なのはもうみんなわかってる。
m: 学校長のマネジメントについてお聞きしたいんですけど
橋: まずは命令の対象を答えてから。
(こうして重箱の隅にしがみついて、はぐらかしを長引かせましょう)
m: (男性の記者に変わる)教育委員会から校長に出されてるんですけれども、その受けとめっていうのはやっぱり校長によって違うと思うんで、そこの部分をちょっと聞きたかっただけなんで
橋: まず命令の対象を確定しましょう。命令は誰から誰に出されたのか。そこに全てが入ってますから
(本当に「全て入ってる」のかどうかは問題ではありません。後からなんとでも強引にこじつければよいのですから大見得切り続けましょう。)
m: 教育委員会から校長にだされてます
橋: 違います。違います。そこは変わりました。全教員に出されてるんです。
(※ちなみに新聞では「教育委員会から校長に」と書かれていました)
m: 校長から教員(遮る
橋: 違います。教育委員会から全教員です。これが職務命令。教育委員会が決定したのが教育委員会から全教員に出される。それ知ってたか。知ってたのかどうか。
m: (最初の女性記者に戻る)ではですね(遮る
橋: まず知ってたのかどうか。僕が知ってることは全部知ってると言ってた
m: 知ってましたよ
橋: 全教員だろ。それが一律かどうかってことぐらい言葉でわかるじゃないか
m: だから一律強制ですよね?
橋: 何を言ってる、一律強制、もう、ほんとふざけた取材すんなよ。
m: 一律強制ですよね?
橋: 当たり前じゃないか、命令にはいってるだろ?
(実は、市長は最初に「校長のマネジメントにゆだねる」と言っているのだから、斉唱を強制するかどうかは校長の判断であって、一律に強制だというのとは矛盾するように感じられます。ですが細かいことを気にしてはいけません。相手がこちらの矛盾に気づきさえしなければいいのですから。「やったモン勝ち」「勝てば官軍」、論理的整合性など溝に捨てる勇気を持ちましょう)
(以上、転載終了)
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-975.html
何かアホみたいな議論ですね。
記者が聞きたかったのは、「校長の大半もやり過ぎだとアンケートで答えた君が代起立斉唱口パク調査をする事に対して、市長は一体どう思っているのか」という事です。その質問には何らまともに答えず、「起立と斉唱は一体か?」とか「誰が誰に出した命令か?」とか、記者の質問とは何の関係もない事を、橋下が記者を逆に質問攻めにして、煙に巻いているだけじゃないですか。
「起立と斉唱は一体か?」って、そりゃあ、橋下はあくまでも一体のものとして斉唱命令を出したのでしょうけど、記者は「それはやり過ぎだと大半の校長が思っているが、それについてどう思うか?」と聞きたかったのに、これでは全然答えになっていません。
次の「誰が誰に出した命令か?」も然りで。市長が何故そんな分かり切った事をわざわざ逆質問してくるのか、その意図を見抜けなかった記者が答えに窮したのを見て、「教育委員会から全教員に出された職務命令だ」と最後に市長の方から種明かしをしておきながら、「ほらやっぱり一律強制で教員の内心の自由を奪っているじゃないですか、その是非について私は問うているのです」と言いたかった記者の発言を封じて、「そんな簡単な事にも答えられないなら質問なんかするな!」(橋下)とは。
質問に答えていないのは寧ろ橋下の方でしょうが。記者からの「やり過ぎだという校長の意見が大半を占めているが、それについてどう思うか?」という肝心の質問をはぐらかして、本筋とは何の関係もない質問をわざと矢継ぎ早に繰り出して、逆質問の意図を解する事が出来ずにとまどった記者の一瞬の隙をついて、「答えられないなら質問なんかするな!」と逃げているだけじゃないですか。
だから、当該ブログ主さんも記事のタイトルを「詭弁術講座」としたように、当該記事ではあくまでも橋下の詭弁を反面教師として取り上げているのです。
でも、それも承知の上で敢えて言わせてもらえば、一瞬でも橋下の土俵の乗ってしまった時点で記者の「負け」なのです。幾ら論理的には記者の方が筋が通っていても、です。橋下には最初からまともに議論する気なぞないのですから。幾ら言っている事が矛盾していても、ひたすらハッタリで相手を圧倒し、如何にも自分が勝っているかのように印象操作が出来れば、それで良いのです。
つまりネトウヨの書き込みと同じ。ヒットラーやゲッペルスの演説と同じです。ひたすら印象操作ありきで、まともに議論する気なんて橋下にはハナからないのです。
だから、そんな相手に「アンケートではやり過ぎだという意見が多かったがどう思うか?」なんて聞いても、「カエルの面にションベン」にしかならない。せいぜい「やり過ぎ?それがどうした?それ位でないと改革なんて出来ないだろう」と返されるのがオチです。
橋下のやっている事は「やり過ぎ」なんてモンじゃない。明らかなパワハラであり人権侵害でしょう。国旗国歌法には「国歌は日の丸とする、国歌は君が代とする」と書かれているだけで、逆に「強制はしてはいけない」「ましてや口をこじ開けて無理やり歌わせるような真似なぞ言語道断」というのが、同法制定時の国会付帯決議であり政府答弁だった筈です。
「例えば長時間にわたって指導を繰り返すなど、児童生徒に精神的な苦痛を伴うような指導を行う、それからまた、たびたび新聞等で言われますように、口をこじ開けてまで歌わす、これは全く許されないことであると私は思っております。児童生徒が例えば国歌を歌わないということのみを理由に致しまして不利益な取り扱いをするなどと言うことは、一般的に申しますが、大変不適切なことと考えておるところでございます。」(1999年7月21日内閣委員会文教委員会での当時の文部大臣の答弁)―それを踏みにじっている橋下の方こそが、憲法や法律に違反しているのでしょうが。その自分のルール破りを棚に上げて、何が「ルールを守れ」ですか。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/eduosk/tisiki-kokkaitoubenn.htm
「国旗・国家を敬うのは世界の常識」と言うのも嘘です。実際は先進国になればなるほど、国旗や国歌を強制される事がなくなるのです。公式行事等で使われる場合も、一種のシンボル、飾りとして使われる場合が多く、別に掲げても掲げなくても(歌っても歌わなくても)良いという扱いになります。それが先進国としての成熟の証と理解されているから。それどころか、1943年の米国バーネット判決のように、宗教上や良心的理由による掲揚・掲載拒否の権利が裁判で認められている場合も少なくないのです。
開発途上国の場合は若干それとは趣を異にして、植民地から独立する際の独立戦争や抵抗のシンボルとして、反政府デモなどでも国旗が掲げられたりします。しかし、それはあくまで圧政に対する抵抗のシンボルとして捉えられているのであって、日本のように国家に忠誠を誓う際の踏み絵みたいな使われ方はしません。国家に忠誠を誓う踏み絵のような使い方をしているのは、寧ろ中国や北朝鮮のような独裁国家に多い。
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col1200.html
そんな事にも無頓着なパワハラ・人権侵害の確信犯に、「これはやり過ぎじゃないか?」と幾ら言った所で全然堪えません。何せ相手は「詭弁=騙しのプロ」。そんな「騙しのプロ」のパワハラ男に、「やり過ぎじゃない?」なぞと謙って質問しても見くびられるだけです。
「お前のやっている事は明白な人権侵害のパワハラであり、単なるイジメにしか過ぎず、法律にも違反している」「お前こそが人道に反している」と、はっきりと言ってやらないとダメなのです。
また、橋下は二言目には「ルールだから守れ」の一言で押し通そうとしますが、これにも引っかかってはダメなのです。じゃあ、新興宗教信者の経営者から礼拝やお布施を強要されても、就業規則の定めなら守らなければならないのですか。労基法や最低賃金法違反のサービス残業やピンハネにも、社内ルールだからと従わなければならないのですか。そんなバカな話はないでしょう。人道や人権に反する違法な「ルール」なぞ、一刻も早く破り捨ててしまわなければならない。それこそが、人間としての当たり前の「ルール」だという事を、思い知らせてやらないとダメなのです。
勿論、最初からこんな喧嘩腰で行ったのでは、記者会見にならないでしょうから、そこはある程度上手くやる必要はありますが。しかし、自由や人権や民主主義を守る為には、弾圧も覚悟の上で権力と対峙しなければならない場合もある。それが報道機関としての使命であり矜持でしょう。
※この記事を書いた当初は一応これで一旦終了かと思われましたが、そうは問屋が卸しませんでした。この話には続きがあります。
橋下大阪市長が松井大阪府知事と組んで出した「職員・教育基本条例」の下で、大阪でも石原都政と同様に、卒業式で肝心の生徒への祝福もそっちのけに、教職員の「君が代」斉唱を口元まで見てチェックする調査が行われました。MBS(毎日放送)がそれに対して学校長にアンケートを取り、43名中38名の校長から「やり過ぎではないか」との回答を得ました。その結果についてどう思うか、定例会見の場でMBSの記者が橋下市長に質問しました。その時のやり取りを上記の動画で見る事が出来ます。動画の中には音声が聞き取りにくい箇所もあるので、そこはブログ「Afternoon Cafe」さんによる以下の文字起こし&解説記事で補って下さい。文中の「m」がMBS記者、「橋」が橋下市長の発言です。議論の流れを把握する為に、転載する際に、私の方で更に「m・橋」間のやり取り毎に段落分けしました。
(以下、当該ブログより転載)
m: 君が代の起立斉唱に関してアンケートを行ったんですけど、府立学校校長の43人の方から回答がありまして、そのうち22人が職務命令によって起立斉唱を行ったことについては賛成と仰ったのですが、起立と斉唱それぞれ確認すべきと考えていた校長はわずか一人だったんですけど、それはいかがですか
橋: それはもう各校長の判断でしょうね。ただ職務命令の内容は起立と斉唱です。それが教育委員会、教育行政の最高意思決定機関の決定内容です。起立と斉唱を命じたわけですからそれをしっかり守るということが教育委員会の管理下に入ってる校長の職務だと思いますね。あとはそれぞれどのように判断するかは教育委員会も各校長にゆだねる、ということいってますので、もうそこは校長のマネジメントにゆだねますけれども、しかし職務命令の内容は起立と斉唱です。
(マネジメントという横文字を並べるのも権威付けに役に立ちますね。ちなみにその用語の意味が正しく使われているかどうかは問題ではありません。使うことが大切なのです。あと、市長は「最高意思決定機関」といった類の言葉も好んでご使用になります)
m: 実際には43人のうち38人は起立と斉唱は一つととらえればいいと思ったと言うことなんですけども
橋: 「起立斉唱」って、立ってるだけじゃ起立じゃないですか。そんな国語ありますか?起立斉唱ということを小学生にいって、起立斉唱しなさいといって立ってるだけで音楽の成績つきますか。どうですか。
m:(何か言いかけるが市長遮る)
橋: いやいやまず僕が質問してることに答えてください。
m: 私の方からお聞きしてるんですけれど
橋: (たたみかけるように)いやいや、お聞きするんじゃなくて、この場は別に議会じゃないので僕は答弁の義務だけ負ってるわけじゃないんです。どうですか。起立斉唱という言葉の中に立つだけの意味しか入っていませんか?
(※注釈:答弁の義務は負っていない=これは市長によれば「先になされた質問はスルーして、質問に質問で返してもよい」という意味です。)
m: 歌っていることも入っていますけど一律に歌わせることまで強制させるということについてはいかがですか。
橋: 「起立斉唱命令」なんです。どうなんですか。教育委員会の決定なんです。起立斉唱命令です。この国語の中で斉唱の命令は入っていませんか
(ここで注意。記者は「立つだけの意味しか入ってませんか」という市長の質問に「歌っていることも入っている」と一応答えています。しかし、相手が答えた事実をなかったことにするのも駆け引きのひとつです。そのため相手に喋る隙を与えずたたみかけましょう)
m: (しゃべりかけるが「まずどうですか」、と市長遮る)
橋: 答えをいわなければ僕もう質問には答えません。それは対等な立場ですから。どうですか。斉唱の命令の中に、斉唱命令という言葉の中に斉唱の命令ははいっていませんかどうですか。
(既に答えているのに、こうして答えを何度も求めると相手は動揺します。「相手が揺らぎだしたら考えるスキを与えず、一気に結論に持っていく」テクニックは市長の自著にも書かれています。一気に「もう質問には答えない」と持って行くのです)
(ここで種明かし。実は斉唱命令が入ってるかどうかについて記者自身の見解を聞くのはナンセンスです。なぜなら「斉唱の命令は入っていない」と考えたのはこの記者ではなく38人の校長たちなのですから。これぞすり替えの極意。市長、見事なお手並みです!)
m: 「起立斉唱」命令は入ってるとしまして、では一律に歌わせることについてはどうですか?
橋: 「起立斉唱命令」は誰が誰に対して出したんですか?まずそういう事実確認から入りましょう、命令は誰が誰に出したんですか。
(ハイ、ここも大事なチェックポイントです。記者は質問に答えました。ですから今度は市長が答える番ですが、市長はそれには答えないで、「起立斉唱命令」は誰が誰に対して出したんですか?という新たな質問を繰り出しています。次々質問をたたみかけ、相手が答えられない質問に行き当たったら「そんなことも知らないのに取材する資格はない」と罵倒すればいいのです。)
(それから「起立斉唱命令」はだれが誰に出したか、ということは、実は記者の質問の本質とはほとんど無関係です。無関係な質問を返すのはわざとです。こうして本質からずれた所に話を持って行くことが相手を煙に巻く定石。覚えておきたいテクニックですね)
m: 命令は出してらっしゃいますけど(遮って
橋: 誰が出したんですか?
m: それは市長がよくご存じでは?
橋: いや、だから誰が出したんですか。まずそこを、事実確認をしっかりしてから取材してください。誰が出したんですか、命令は。
m: あの学校長の(遮る
橋: だからだれが出したんですか?まず事実確認をしっかりしてから取材してください。事実確認が不十分な取材などとんでもないです。命令はだれが出したんですか。
m: 市長がご存じのことを私に尋ねてらっしゃるだけですよね?それはおかしなことじゃないですか
橋: いや、そんなことないですよ、知らないのに質問なんかできないじゃないですか
m: いや、知ってますよ、そんなことを答える必要はないということです
橋: じゃあ僕も答える必要ありません。どうぞ次の質問いってください
(ハイ、駄々コネ逆ギレ入りましたーー! でも実はこれ、得たい結果を得るための冷静な計算に基づいてる・・・はずですw だから「ガキかよっ!」とバカにしてはいけません。自分の土俵に引きずり込むことが土台作業です。相手が決裂できない立場で、かつ、こちらの土俵にのってこないとき「もう答えません、次行ってください」とブチ切れすればいいのです。すると大抵相手は多少なりとも譲歩の姿勢をみせることが多いです。)
(ここで皆さん、お気づきですか?市長は新たな質問を相手に出しましたが、まだ「一律に歌わせることまで強制させるということについてはいかがですか」という記者の質問に答えることなくここまで来ています。さすがですね。この調子で「オレ様の試験をパスできないような記者が取材しようなど10年早いわ!」的な高飛車な態度で臨みましょう)
m: じゃ、すいません(遮る
橋: いや答えません。そんな事実確認が不十分な取材なんかに答えません。命令はだれが主体なんですか、まず答えてください。
m: 中西教育長じゃないでしょうか
橋: とんでもないですよ。もっと調べてくださいよ。教育長が命令出せるんですか
(やったー、意外と早く正確な回答ができない質問にぶち当たったようですね。おめでとうございます。)
m: 教育委員長ってことですか
橋: 委員長じゃないですよ。だれが教育行政の決定機関なんですか。そんなことも知らずに取材なんかくるんじゃないですよ。何を取材にきてるんですか、命令の主体ぐらい知らないのになんでこんな取材ができるんですか。じゃ、誰に対して命令を出したのかいってください。命令の名宛人、対象者は誰ですか。
(記者がしゃべろうとするとまだ遮る)
橋: 答えてください。そこが重要なんです。一律だっていったでしょ、命令の対象は誰なんですか
(繰り返しますが、記者はあくまで「斉唱強制までするのはやり過ぎでは?」と聞きたいわけで、その質問には「誰が命令をだすか」という事実確認は重要ではありません。でも重要なんだと自分でも信じ、言い切ることが肝心です。こうして 普通ならあっさり通過するような「重箱の隅」をとことんつついて相手を疲れさせましょう)
m: 一律強制じゃないんですか
橋: 命令の対象は誰かいってください
(譲ってはいけません。必ず自分のレールに乗せること!ここは踏ん張りどころですよ!)
m: じゃ、わたしからお聞きします
橋: 命令の対象をまずいいなさい。そこに全部答えが入っています。命令の対象は誰ですか。一律かどうかというのは命令の対象のなかに全部入ってるから
(「一律かどうかというのは命令の対象のなかに全部入ってる」とはなんと無理矢理なこじつけ、お見事です、市長!市長の著書にあった「あり得ない比喩」の応用編ですね?)
(ちなみに、ここあたりから市長は俄然命令口調になります。ええ、「対等ですから」なんて言ったことなんか無視して良いんですw 「交渉術」において恫喝は効果的です、特に相手が女性の場合には。パワハラと影口たたかれても勝てば官軍ですから気にしてはいけません。マスコミは官軍になびくことを知っておきましょう。恫喝して萎縮させることは交渉術で欠かせません。「"脅し"により相手を動かす。(24頁)」と市長も自著で書いています。)
m: 私からお聞き(遮る
橋: 命令の対象はだれかまずいいなさい。そこに答えがすべて入ってる
m: 一律に(遮る
橋: 一律かどうかってのは命令の対象のなかに全部はいってるから答えなさい。答えられないんだったらここへ来るな。命令の対象の中に全部入ってる。命令を読め。まず読んでからここに来い。勉強してから来い
(おお、まるで先生が生徒をしかってるようですよ、市長、しびれます~!「対等だから」なんて所詮リップサービス、上下関係は大事ですよね、市長様)
m: 思想良心の自由との(遮る
橋: 関係ない。まず言え。命令の対象は誰なんだ。
m: 市長、ちょっと落ち着いて(遮る
橋: 君の方が落ち着きなさい
m: 学校長の(遮る
橋: 事実関係も知らないのに取材するなって。勉強不足なのはもうみんなわかってる。
m: 学校長のマネジメントについてお聞きしたいんですけど
橋: まずは命令の対象を答えてから。
(こうして重箱の隅にしがみついて、はぐらかしを長引かせましょう)
m: (男性の記者に変わる)教育委員会から校長に出されてるんですけれども、その受けとめっていうのはやっぱり校長によって違うと思うんで、そこの部分をちょっと聞きたかっただけなんで
橋: まず命令の対象を確定しましょう。命令は誰から誰に出されたのか。そこに全てが入ってますから
(本当に「全て入ってる」のかどうかは問題ではありません。後からなんとでも強引にこじつければよいのですから大見得切り続けましょう。)
m: 教育委員会から校長にだされてます
橋: 違います。違います。そこは変わりました。全教員に出されてるんです。
(※ちなみに新聞では「教育委員会から校長に」と書かれていました)
m: 校長から教員(遮る
橋: 違います。教育委員会から全教員です。これが職務命令。教育委員会が決定したのが教育委員会から全教員に出される。それ知ってたか。知ってたのかどうか。
m: (最初の女性記者に戻る)ではですね(遮る
橋: まず知ってたのかどうか。僕が知ってることは全部知ってると言ってた
m: 知ってましたよ
橋: 全教員だろ。それが一律かどうかってことぐらい言葉でわかるじゃないか
m: だから一律強制ですよね?
橋: 何を言ってる、一律強制、もう、ほんとふざけた取材すんなよ。
m: 一律強制ですよね?
橋: 当たり前じゃないか、命令にはいってるだろ?
(実は、市長は最初に「校長のマネジメントにゆだねる」と言っているのだから、斉唱を強制するかどうかは校長の判断であって、一律に強制だというのとは矛盾するように感じられます。ですが細かいことを気にしてはいけません。相手がこちらの矛盾に気づきさえしなければいいのですから。「やったモン勝ち」「勝てば官軍」、論理的整合性など溝に捨てる勇気を持ちましょう)
(以上、転載終了)
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-975.html
何かアホみたいな議論ですね。
記者が聞きたかったのは、「校長の大半もやり過ぎだとアンケートで答えた君が代起立斉唱口パク調査をする事に対して、市長は一体どう思っているのか」という事です。その質問には何らまともに答えず、「起立と斉唱は一体か?」とか「誰が誰に出した命令か?」とか、記者の質問とは何の関係もない事を、橋下が記者を逆に質問攻めにして、煙に巻いているだけじゃないですか。
「起立と斉唱は一体か?」って、そりゃあ、橋下はあくまでも一体のものとして斉唱命令を出したのでしょうけど、記者は「それはやり過ぎだと大半の校長が思っているが、それについてどう思うか?」と聞きたかったのに、これでは全然答えになっていません。
次の「誰が誰に出した命令か?」も然りで。市長が何故そんな分かり切った事をわざわざ逆質問してくるのか、その意図を見抜けなかった記者が答えに窮したのを見て、「教育委員会から全教員に出された職務命令だ」と最後に市長の方から種明かしをしておきながら、「ほらやっぱり一律強制で教員の内心の自由を奪っているじゃないですか、その是非について私は問うているのです」と言いたかった記者の発言を封じて、「そんな簡単な事にも答えられないなら質問なんかするな!」(橋下)とは。
質問に答えていないのは寧ろ橋下の方でしょうが。記者からの「やり過ぎだという校長の意見が大半を占めているが、それについてどう思うか?」という肝心の質問をはぐらかして、本筋とは何の関係もない質問をわざと矢継ぎ早に繰り出して、逆質問の意図を解する事が出来ずにとまどった記者の一瞬の隙をついて、「答えられないなら質問なんかするな!」と逃げているだけじゃないですか。
だから、当該ブログ主さんも記事のタイトルを「詭弁術講座」としたように、当該記事ではあくまでも橋下の詭弁を反面教師として取り上げているのです。
でも、それも承知の上で敢えて言わせてもらえば、一瞬でも橋下の土俵の乗ってしまった時点で記者の「負け」なのです。幾ら論理的には記者の方が筋が通っていても、です。橋下には最初からまともに議論する気なぞないのですから。幾ら言っている事が矛盾していても、ひたすらハッタリで相手を圧倒し、如何にも自分が勝っているかのように印象操作が出来れば、それで良いのです。
つまりネトウヨの書き込みと同じ。ヒットラーやゲッペルスの演説と同じです。ひたすら印象操作ありきで、まともに議論する気なんて橋下にはハナからないのです。
だから、そんな相手に「アンケートではやり過ぎだという意見が多かったがどう思うか?」なんて聞いても、「カエルの面にションベン」にしかならない。せいぜい「やり過ぎ?それがどうした?それ位でないと改革なんて出来ないだろう」と返されるのがオチです。
橋下のやっている事は「やり過ぎ」なんてモンじゃない。明らかなパワハラであり人権侵害でしょう。国旗国歌法には「国歌は日の丸とする、国歌は君が代とする」と書かれているだけで、逆に「強制はしてはいけない」「ましてや口をこじ開けて無理やり歌わせるような真似なぞ言語道断」というのが、同法制定時の国会付帯決議であり政府答弁だった筈です。
「例えば長時間にわたって指導を繰り返すなど、児童生徒に精神的な苦痛を伴うような指導を行う、それからまた、たびたび新聞等で言われますように、口をこじ開けてまで歌わす、これは全く許されないことであると私は思っております。児童生徒が例えば国歌を歌わないということのみを理由に致しまして不利益な取り扱いをするなどと言うことは、一般的に申しますが、大変不適切なことと考えておるところでございます。」(1999年7月21日内閣委員会文教委員会での当時の文部大臣の答弁)―それを踏みにじっている橋下の方こそが、憲法や法律に違反しているのでしょうが。その自分のルール破りを棚に上げて、何が「ルールを守れ」ですか。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/eduosk/tisiki-kokkaitoubenn.htm
「国旗・国家を敬うのは世界の常識」と言うのも嘘です。実際は先進国になればなるほど、国旗や国歌を強制される事がなくなるのです。公式行事等で使われる場合も、一種のシンボル、飾りとして使われる場合が多く、別に掲げても掲げなくても(歌っても歌わなくても)良いという扱いになります。それが先進国としての成熟の証と理解されているから。それどころか、1943年の米国バーネット判決のように、宗教上や良心的理由による掲揚・掲載拒否の権利が裁判で認められている場合も少なくないのです。
開発途上国の場合は若干それとは趣を異にして、植民地から独立する際の独立戦争や抵抗のシンボルとして、反政府デモなどでも国旗が掲げられたりします。しかし、それはあくまで圧政に対する抵抗のシンボルとして捉えられているのであって、日本のように国家に忠誠を誓う際の踏み絵みたいな使われ方はしません。国家に忠誠を誓う踏み絵のような使い方をしているのは、寧ろ中国や北朝鮮のような独裁国家に多い。
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col1200.html
そんな事にも無頓着なパワハラ・人権侵害の確信犯に、「これはやり過ぎじゃないか?」と幾ら言った所で全然堪えません。何せ相手は「詭弁=騙しのプロ」。そんな「騙しのプロ」のパワハラ男に、「やり過ぎじゃない?」なぞと謙って質問しても見くびられるだけです。
「お前のやっている事は明白な人権侵害のパワハラであり、単なるイジメにしか過ぎず、法律にも違反している」「お前こそが人道に反している」と、はっきりと言ってやらないとダメなのです。
また、橋下は二言目には「ルールだから守れ」の一言で押し通そうとしますが、これにも引っかかってはダメなのです。じゃあ、新興宗教信者の経営者から礼拝やお布施を強要されても、就業規則の定めなら守らなければならないのですか。労基法や最低賃金法違反のサービス残業やピンハネにも、社内ルールだからと従わなければならないのですか。そんなバカな話はないでしょう。人道や人権に反する違法な「ルール」なぞ、一刻も早く破り捨ててしまわなければならない。それこそが、人間としての当たり前の「ルール」だという事を、思い知らせてやらないとダメなのです。
勿論、最初からこんな喧嘩腰で行ったのでは、記者会見にならないでしょうから、そこはある程度上手くやる必要はありますが。しかし、自由や人権や民主主義を守る為には、弾圧も覚悟の上で権力と対峙しなければならない場合もある。それが報道機関としての使命であり矜持でしょう。
※この記事を書いた当初は一応これで一旦終了かと思われましたが、そうは問屋が卸しませんでした。この話には続きがあります。