・最低賃金廃止、橋下氏「雇用狙い」 維新公約に波紋(朝日新聞デジタル)
日本維新の会代表代行の橋下徹大阪市長は30日、維新の政権公約「骨太2013~2016」に盛り込んだ「最低賃金制の廃止」について、雇用の創出が狙いだと説明。「ハードルを課せば、最低賃金を出せない企業や、本当ならあと2、3人雇えるのに1人しか雇えないという企業もある。できるかぎり多くの雇用を生み出したい」と述べた。市役所で報道陣に語った。
一方で、収入が一定水準を下回る人については、所得税を免除し、逆に国が一定額を給付する「負の所得税」の考え方を導入し、国が最低限の収入を保障する考えを表明。最低限の収入の水準については「専門家が意見を出して制度設計する話。今の段階で出せない」として明示せず、「今の生活保護の支給基準は高すぎるところがある。負の所得税的な考え方では、水準は下がる」とも述べた。
ネット上では、維新が公約に明記した「最低賃金制の廃止」について書き込みが相次いでいる。「労働する国民を奴隷化するものだ」「望むのは財界だけだろう」との批判の一方、「反対が出るだろうが、一石を投じるのは悪くない」と理解を示すものもある。(以上引用)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121130-00000023-asahi-pol
何が「一石を投じるのは悪くない」か。日本の最低賃金が、先進国の中では最低ランクの、開発途上国並みの低賃金である事は、公式統計でも明らかだ。時給7~800円かそこらの今の最賃でも、フルタイムで働いても月収11万円前後にしかならないのに。これでは、単身者でも毎日どうにか食っていけるかどうかのレベルで、とても服も買えないし家賃も払えない。病気になっても医者にもかかれず、正に「金の切れ目が命の切れ目」となる。これがまともな生活かどうか、それを更に引き下げたらどうなるか位、わざわざ「派遣村」やネットカフェ難民の例を持ち出さなくても、普通に考えたら分かるだろう。
「労働する国民を奴隷化するもの」以外の何物でもない。「望むのは財界だけ」だ。そんな暴論を、「一石を投じるのは悪くない」なぞと言って、如何にも「まともな言論」であるかのように取り繕うのは、「為にする言説」でしかない。「虐められるのは虐められる方も悪い」と言って、虐めやパワーハラスメントを免罪するのと同じ屁理屈だ。
「負の所得税」も、「先に引下げありき」の議論の中では、せいぜい「生かさず殺さず」の奴隷雇用を誤魔化す煙幕にしかならない。第一、企業の賃下げ分を何故納税者が負担しなければならないのか。そんな事より、大企業にはきちんと労基法を守らせ、中小企業には下請け単価保障などでそれを可能にする環境整備を図る方が、よっぽど大事だろう。
そもそも、維新や自民などが公務員賃金や生活保護受給額の引き下げを持ち出してきた時に、「それらは最低賃金や民間給与水準とも連動している」「それらの引き下げに賛同するのは、自分で自分の首を絞める以外の何物でもない」と、このブログでも何度も口を酸っぱくして言って来た筈だ。それを今頃になって気付く事自体が、余りにも遅きに失した感ありだが、その上にまだこんな「一石投じ」が云々と、いけしゃあしゃあとよくも書けたものだ。
・維新公約、最低賃金廃止を撤回 「改革」に変更(東京新聞、共同)
日本維新の会が、衆院選公約に掲げた「最低賃金制の廃止」を撤回し「市場メカニズムを重視した最低賃金制度への改革」との文言に変更していたことが4日分かった。民主、公明など他党からの「格差拡大の政策」(野田佳彦首相)との批判をかわすためとみられる。日本維新の会はこの変更に関し、正式な広報や公的な説明の機会は設けていない。
日本維新の会政調会長の浅田均大阪府議会議長は4日、記者団の質問に答え「見直しではない。誤解がないよう表現を変えただけ」と強調。現在の最低賃金制度については「高止まりしており、なんとかしないといけない」と抜本的改革が必要との認識をあらためて示した。(以上引用)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012120401001926.html
維新のこの暴論に対しては、流石に従来の支持者からも批判が噴出しているので、言い回しを変えて取り繕うとしているようだが、本質は何も変わっていない。「市場メカニズムを重視した最低賃金制度への改革」と言い換えた所で、最初から資力が全然違う労働者と資本家を、同じスタートラインに立たせて競争させても、結果は最初から見えている。
若し勝ち残る労働者がいたとしても、百人中一人いるかいないかだろう。残りの99人が奴隷となるしかない「出来レース」を、とても自由で公平な競争とは看做せない事も、少し考えれば分かる事だ。百人分の椅子が要るなら百人分用意させれば済む事だ。年収1千万や1億の資産家にそれが出来ない訳がないだろう。それをわざわざ、百人中の一人に這い上がろう仕向けようとする、これも「為にする言説」でしかない。
この「最賃引き下げ、見直し」公約と言い、その前の「じゃんけんで候補者選べばよい」「(有権者をペテンにかける)実行力さえあれば政策なんて二の次」「原発は勝手に消えてなくなる(フェードアウト)まで放ったらかし」発言にしても、もう維新は有権者を舐めているとしか思えない。そんな維新を未だに持ち上げるマスコミや支持者も、もうマインドコントロールにかかっているとしか思えないのだが、流石にここまで出鱈目では、仮に政権取ったとしても、早晩手酷いしっぺ返しを国民から蒙る事になるだろう。但し、国民がそれまで持ち堪える事が出来ればの話だが。
しかし、何故この様な出鱈目な言説が受け入れられてしまうのか。その一つが「頑張った人に報いる」という言い回しではないか。
実際に駅前で街頭宣伝中の維新府議にこの問題をぶつけてみた所、帰ってきたのが「最賃引き下げではなく、頑張った人にお給料はずもうという事です」という返事だった。つまり「頑張った人にはちゃんと報いますよ」という言い回しだ。こう言われると、「最低賃金引下げ」に反対の人でも、何となく「そうも言えるかも」と思ってしまうだろう。
時給900円では2人しか雇えないが、600円まで引き下げると3人雇え、300円まで引き下げると6人雇える。それで時給600円や300円で実際食えるかどうかは関係ない。でも「頑張った人には」云々と言われると、自分なりに頑張っていると思っている人や、「頑張っていない人」呼ばわりされたくない人は、コロッと騙される。
実は、法律の盲点をつき人権無視の過労死に労働者を追いやるワタミのようなブラック企業を、「頑張っている経営者」と言い包めているだけなのだが。
本当は時給900円ではなく最低でも千円以上の、まともに生活していける賃金を要求しなければならない。金は天下の回り物。富裕層だけが溜め込んでもロクな物に使わない。赤字新幹線や軍備に使われるだけだ。この前の中央道笹子トンネルの崩落事故も、ゼネコンだけが潤う新規の巨大プロジェクトにばかり金が回され、直接儲けを生まない保守点検や安全対策が等閑にされたからだろう。そんな赤字新幹線や軍備に金を回すより、一部の「ズルして儲けた人」だけでなく「みんな」が潤うようにすれば、よっぽど金が活きるし経済も活性化する。
日本維新の会代表代行の橋下徹大阪市長は30日、維新の政権公約「骨太2013~2016」に盛り込んだ「最低賃金制の廃止」について、雇用の創出が狙いだと説明。「ハードルを課せば、最低賃金を出せない企業や、本当ならあと2、3人雇えるのに1人しか雇えないという企業もある。できるかぎり多くの雇用を生み出したい」と述べた。市役所で報道陣に語った。
一方で、収入が一定水準を下回る人については、所得税を免除し、逆に国が一定額を給付する「負の所得税」の考え方を導入し、国が最低限の収入を保障する考えを表明。最低限の収入の水準については「専門家が意見を出して制度設計する話。今の段階で出せない」として明示せず、「今の生活保護の支給基準は高すぎるところがある。負の所得税的な考え方では、水準は下がる」とも述べた。
ネット上では、維新が公約に明記した「最低賃金制の廃止」について書き込みが相次いでいる。「労働する国民を奴隷化するものだ」「望むのは財界だけだろう」との批判の一方、「反対が出るだろうが、一石を投じるのは悪くない」と理解を示すものもある。(以上引用)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121130-00000023-asahi-pol
何が「一石を投じるのは悪くない」か。日本の最低賃金が、先進国の中では最低ランクの、開発途上国並みの低賃金である事は、公式統計でも明らかだ。時給7~800円かそこらの今の最賃でも、フルタイムで働いても月収11万円前後にしかならないのに。これでは、単身者でも毎日どうにか食っていけるかどうかのレベルで、とても服も買えないし家賃も払えない。病気になっても医者にもかかれず、正に「金の切れ目が命の切れ目」となる。これがまともな生活かどうか、それを更に引き下げたらどうなるか位、わざわざ「派遣村」やネットカフェ難民の例を持ち出さなくても、普通に考えたら分かるだろう。
「労働する国民を奴隷化するもの」以外の何物でもない。「望むのは財界だけ」だ。そんな暴論を、「一石を投じるのは悪くない」なぞと言って、如何にも「まともな言論」であるかのように取り繕うのは、「為にする言説」でしかない。「虐められるのは虐められる方も悪い」と言って、虐めやパワーハラスメントを免罪するのと同じ屁理屈だ。
「負の所得税」も、「先に引下げありき」の議論の中では、せいぜい「生かさず殺さず」の奴隷雇用を誤魔化す煙幕にしかならない。第一、企業の賃下げ分を何故納税者が負担しなければならないのか。そんな事より、大企業にはきちんと労基法を守らせ、中小企業には下請け単価保障などでそれを可能にする環境整備を図る方が、よっぽど大事だろう。
そもそも、維新や自民などが公務員賃金や生活保護受給額の引き下げを持ち出してきた時に、「それらは最低賃金や民間給与水準とも連動している」「それらの引き下げに賛同するのは、自分で自分の首を絞める以外の何物でもない」と、このブログでも何度も口を酸っぱくして言って来た筈だ。それを今頃になって気付く事自体が、余りにも遅きに失した感ありだが、その上にまだこんな「一石投じ」が云々と、いけしゃあしゃあとよくも書けたものだ。
・維新公約、最低賃金廃止を撤回 「改革」に変更(東京新聞、共同)
日本維新の会が、衆院選公約に掲げた「最低賃金制の廃止」を撤回し「市場メカニズムを重視した最低賃金制度への改革」との文言に変更していたことが4日分かった。民主、公明など他党からの「格差拡大の政策」(野田佳彦首相)との批判をかわすためとみられる。日本維新の会はこの変更に関し、正式な広報や公的な説明の機会は設けていない。
日本維新の会政調会長の浅田均大阪府議会議長は4日、記者団の質問に答え「見直しではない。誤解がないよう表現を変えただけ」と強調。現在の最低賃金制度については「高止まりしており、なんとかしないといけない」と抜本的改革が必要との認識をあらためて示した。(以上引用)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012120401001926.html
維新のこの暴論に対しては、流石に従来の支持者からも批判が噴出しているので、言い回しを変えて取り繕うとしているようだが、本質は何も変わっていない。「市場メカニズムを重視した最低賃金制度への改革」と言い換えた所で、最初から資力が全然違う労働者と資本家を、同じスタートラインに立たせて競争させても、結果は最初から見えている。
若し勝ち残る労働者がいたとしても、百人中一人いるかいないかだろう。残りの99人が奴隷となるしかない「出来レース」を、とても自由で公平な競争とは看做せない事も、少し考えれば分かる事だ。百人分の椅子が要るなら百人分用意させれば済む事だ。年収1千万や1億の資産家にそれが出来ない訳がないだろう。それをわざわざ、百人中の一人に這い上がろう仕向けようとする、これも「為にする言説」でしかない。
この「最賃引き下げ、見直し」公約と言い、その前の「じゃんけんで候補者選べばよい」「(有権者をペテンにかける)実行力さえあれば政策なんて二の次」「原発は勝手に消えてなくなる(フェードアウト)まで放ったらかし」発言にしても、もう維新は有権者を舐めているとしか思えない。そんな維新を未だに持ち上げるマスコミや支持者も、もうマインドコントロールにかかっているとしか思えないのだが、流石にここまで出鱈目では、仮に政権取ったとしても、早晩手酷いしっぺ返しを国民から蒙る事になるだろう。但し、国民がそれまで持ち堪える事が出来ればの話だが。
しかし、何故この様な出鱈目な言説が受け入れられてしまうのか。その一つが「頑張った人に報いる」という言い回しではないか。
実際に駅前で街頭宣伝中の維新府議にこの問題をぶつけてみた所、帰ってきたのが「最賃引き下げではなく、頑張った人にお給料はずもうという事です」という返事だった。つまり「頑張った人にはちゃんと報いますよ」という言い回しだ。こう言われると、「最低賃金引下げ」に反対の人でも、何となく「そうも言えるかも」と思ってしまうだろう。
時給900円では2人しか雇えないが、600円まで引き下げると3人雇え、300円まで引き下げると6人雇える。それで時給600円や300円で実際食えるかどうかは関係ない。でも「頑張った人には」云々と言われると、自分なりに頑張っていると思っている人や、「頑張っていない人」呼ばわりされたくない人は、コロッと騙される。
実は、法律の盲点をつき人権無視の過労死に労働者を追いやるワタミのようなブラック企業を、「頑張っている経営者」と言い包めているだけなのだが。
本当は時給900円ではなく最低でも千円以上の、まともに生活していける賃金を要求しなければならない。金は天下の回り物。富裕層だけが溜め込んでもロクな物に使わない。赤字新幹線や軍備に使われるだけだ。この前の中央道笹子トンネルの崩落事故も、ゼネコンだけが潤う新規の巨大プロジェクトにばかり金が回され、直接儲けを生まない保守点検や安全対策が等閑にされたからだろう。そんな赤字新幹線や軍備に金を回すより、一部の「ズルして儲けた人」だけでなく「みんな」が潤うようにすれば、よっぽど金が活きるし経済も活性化する。