![]() | 家族という病 (幻冬舎新書) |
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年寄りほど、「家族愛」や「親子の情」をやたら美化する人が多いように思う。
しかし、家族って、そんなに良いものだろうか。
確かに、サザエさんのような家族も、決して少なくはないだろう。
しかし、それとは正反対の、「姥捨て山」や娘の身売り話も、決して少なくなかったはずだ。
それは何も昔に限った話ではない。
現代の「派遣切り」や過労死も、昔の「女工哀史」や「蟹工船」と全く同じじゃないか。
現代の貧困家庭やDVも、昔の「姥捨て山」や丁稚奉公、娘身売りの悲劇と全く同じじゃないか。
しかも、「家族愛」を美化する年寄りに限って、「派遣切り」等の被害者を「怠け者」と叩く傾向にある。
貧困で進学をあきらめた女子高生に対して、「もっと節約できるじゃないか」「努力が足りない」とか。
ブラック企業でうつ病を発症して生活保護に頼らざるを得なくなった人を、「怠け者」と罵倒したり。
そのくせ、生活保護不正受給の何倍もの年金損失を出した政治家の不始末は、見て見ぬ振り。
労働者を過労死やうつ病発症に追い込んだブラック企業の搾取も、見て見ぬ振り。
何の事は無い。
そんな自分の卑怯さを、「家族愛」や「親子の情」といった美辞麗句で覆い隠し、オナニーにふけっているだけだ。
最近やたら目につくようになった「日本人凄いデスネ」系のテレビ番組と同じように。
数年前にお袋が亡くなってから、親父はささいな事で、私と衝突するようになりました。
衝突のきっかけは、いずれも、ほんのささいな事です。帰宅メールの仕方や、おやつのさつま芋を食べるか食べないかといった、他人から見たら取るに足らない事で、たびたび衝突するようになったのです。
そして、最近では、私がまだ未婚である事に対しても、「お前は『のんべんだらり』と生きてきたから、いまだに独身なのだ」と、たびたび人格攻撃まがいの嫌味まで加えられるようになりました。
しかも、「いい加減独り立ちしろ」と言ったかと思えば「何も急に出て行く事ないじゃないか」と言ったり、「今後は夕飯は外で食べてきてくれ」と言ったかと思えば「今日は食材が余っているので家で食べてくれ」と言ったりと、親父の言う事がコロコロ変わり、そのたびに私が親父の言動に振り回されるようになりました。
そんな中で、9月12日の早朝出勤前に、親父から「近所の人と結婚してはどうか?」と言われ、私が「何故そこまで結婚にこだわるのか?」と返した途端に、「アホウ!もう60近くにもなって、まだそんな事を言っているのか!」と、言い合いになってしまいました。それを機に、これまでの経緯も手伝って、とうとう私は実家を飛び出してしまいました。勤務先には通常通り出勤しながら、最初の数日間はカプセルホテルやネットカフェに泊まったりしていました。
その後、実家を飛び出してから3日目に、兄貴から、「それならウチで泊まったらどうか?」と誘われ、それから18日まで、兄貴の家に居候させてもらいました。
それが、これまでの大まかな経過です。その時に親父と交わしたメールのやり取りも、前々回と前回の記事で取り上げていますので、詳しい経過はそちらを参考にして下さい。
その経過を踏まえた上で、今後私がどうするのか、家を出るかどうかを決める家族会議が、9月18日の日曜日に、兄貴の家で開かれました。
会議は、兄貴の司会で、親父と私が、それぞれの思いをぶちまけ、それを兄貴と兄貴の嫁さんが汲み上げる形で、進められました。
親父の言い分をまとめると、次のようになります。以下は、あくまでも親父の立場からとの想定なので、親父は「ワシ」、私は「お前」となります。
●兄も妹も、無事伴侶を見つけて実家から巣立っていく中で、次男のお前だけがいまだに独身という事で、お前を幸せにしてやれなかった事を、親として残念に思う。
●お前の事を「のんべんだらり」となじったのも、「お前も、もう少し、しっかりせえよ」という、一種の「はがゆさ」から出た発言に過ぎない。決して、親の見栄や嫌味で言った訳ではない。お前を見下したり差別したりなぞ、誰がするものか。
●独り立ちや夕飯の件で、話が二転三転したのも、どうすればお前が結婚相手を見つけられるか、色々気を揉む余りに、そうなってしまったのだ。
●「独り立ちしろ」と言ったのも、転居先で新たな出会いが生まれるきっかけになればと思って、言ったまで。実は、ワシがまだ働いていた時にも、通勤電車の車内で、倒れた傘を拾ってあげた事でお近づきになった女性がいた。その女性に、ある時、冗談で「息子と結婚してくれへんか?」と言うつもりが、うっかり「息子」を飛ばして言ってしまった為に、「ワシと結婚してくれへんか?」と受け取られてしまうエピソードがあった。一歩間違えればストーカー扱いされかねない、そういうエピソードだったが、その女性は、「あなたと同じような歳になるまで、私が生きていられるかしら?」と、洒落た返事で返してくれた。世の中には、そういう出会いもあるのだ。
●「独り立ち」については、上記の理由以外に、「夕飯の用意が煩わしい」というのもあった。しかし、その煩わしさも、お前が夕飯を、社内食堂等で済ますようになった事で解消された。
●ところが、その結果、話が二転三転してしまい、かえってお前やその同僚・関係者の方に迷惑をかけてしまった事については、素直に謝る。
●それに対して、お前が「別に結婚する気がない」と言うのであれば、「それでも結婚しろ」とまで無理強いするつもりはない。なぜ、その気持ちをはっきり言ってくれなかったのか?
●それを「未婚者や非正規労働者を見下している」だの「差別している」だと捉えるのは、余りにも被害者意識に凝り固まった考え方ではないか?
それに対して、私も言いたい事はいくらでもあります。
●未婚者も既婚者も、チョンガーもバツイチも所帯持ちも、人間としての値打ちは何ら変わらないはずなのに、何故それを「はがゆい」と思うのか?その点について、親父は全く無自覚なのだが、それこそ差別心の現れじゃないか。人間を個人として捉え、平等に人権を尊重するのではなく、あくまでも所帯持ちかどうかで区別し、家族単位でしか物事を捉える事が出来ないのだ。つまり、親父にとっては、個人は所詮「家族の駒」でしかないのだ。その発想そのものが封建的だと、何度も指摘しているのに、何故分からないのか?
●別に独り立ちなぞしなくても、今のままでも、ブログを通して、地元の母親大会関係者と繋がりが出来たりもしている。今、下手に転居してしまったら、その繋がりも疎遠になってしまうじゃないか。親父とたった二人で無人島に住んでいるのでもない限り、独り立ちと出会いとの間には、何ら相関関係はない。
●赤の他人の女性に、少し傘を拾ってあげた位で、いきなり「ワシと結婚してくれへんか?」なんて声をかけるか?たとえ息子想いから出た言葉だとしても、それは幾ら何でも行き過ぎだろう。自分の思いだけで、相手がどう思うかについては思い至らない。そういう自己チューな押し売りを、「息子想い」の一言で免罪されたのでは堪らない。
●「夕飯の用意が煩わしい」なら、無理に自炊にこだわらなくても、自分の分だけ買って食べればそれで良いじゃないか。「買い物がシンドイ」と言うが、家から50メートルも歩けばスーパーもコンビニもあるのだ。そこで一人用の食材や惣菜も一杯売っているのだ。「安売りの時にまとめ買いしておきたい」と言うが、一人や二人分だけまとめ買いした所で、節約の効果なんてほとんど無い。逆に、冷蔵庫の中が狭くなったり廃棄する分が増えたりして、時間と手間のロスや光熱費が逆にかさむだけだ。
●「なぜ、その気持ちをはっきり言ってくれなかったのか?」だと?「何が何でも独身を通すつもりはないが、さりとて何が何でも結婚にこだわるつもりも無い。今は、結婚よりも仕事やブログの方が私にとっては重要だ。それらを犠牲にしてまで結婚する気はない」と、今までも折に触れて言ってきた。親父の所帯じみた、辛気臭い、保守的で封建的な考え方そのものが、私は大嫌いなのだ。その説明も終わらないうちに、人の事を「のんべんだらり」だ何だのと決め付けて、自分の家族至上主義の封建的な価値観や生き方を散々押し付けてきておいて、今更何を言っているのか?
●「家族を守る為に」社畜として選挙のたびに企業ぐるみ選挙で与党に投票させられた挙句に、ブラック企業に酷使され過労死させられても泣き寝入り。そんな桎梏(しっこく=手かせ足かせ)でしかない「家族」なら、むしろ最初から無い方がマシだ。
その話し合いの中で、親父と交わしたメールの個々の文言が槍玉に上げられ、親父が「ワシはそんな事は言っていない!」と声を荒げる一幕もありました。
例えば、親父が私の事を「のんべんだらりと生きてきた」と決め付けたのに対し、私が次のように反論したくだりに対して。
昨日、所長からサブリーダーに昇格の内示があった。雇用形態は依然として非正規のままだが、ホンの少し(20円)だけ時給が上がる。プレゼンで発表した業務改善の実践が評価されての事だ。
たったこれだけの昇給でも、きちんと評価されたら嬉しい物だ。
ところが親父と来たらどうだ。「何だこんな物」と貶(けな)すばかりで、「60近くにもなって未婚」としか見ない。それでよく「俺は差別者なんかじゃない」と臆面もなく言えるな。それだけでも立派な「差別者」じゃないか。(以上、9月13日に交わしたメールより引用)
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/df2fe6e3914b68ba333f9f491d94b81f
親父の「のんべんだらり」発言への反証として、私がプレゼン表彰の事を言った時に、「何だそんな物。お前には、たったそれだけしか自慢できる物がないのか!」と、親父は、はっきりとそう言いました。そうでなければ、私が、わざわざここで取り上げたりなぞしません。
それに対して、普通の人なら、たとえ細かに一字一句まで覚えていなくても、「そう言えば、そんな事を言ったな」位は覚えているものです。それを「全く何も言っていない。ワシは、この時ただ黙っていただけだ。普通なら、当然褒めて然るべき場面なのに、ここで下手に息子を褒めて天狗にしては行けないと、変に勘ぐってしまい、ついつい黙ってしまったのだ。そういう点では、ワシも至らなかった。しかし、幾らなんでも、こんな事は言っていない。それはお前の勘違いだ。そういう点では、お前も被害者意識に凝り固まってしまっているではないか!」と。
つまり、これは私の捏造(ねつぞう)だと言うのです。誰が、捏造でこんな事を言うか!誰が、捏造の為に、わざわざ家を飛び出したりするか!
年寄りは、昨日言った事と逆の事を今日平気で言ったり、自分の都合の悪い事はすっかり忘れて、都合の良い事だけを覚えていたり、よくするものですが、これなぞも正にそうでしょう。
「普通なら、当然褒めて然るべき場面なのに、ここで下手に息子を褒めて天狗にしては行けないと、変に勘ぐってしまい」云々も、余りにも不自然な物言いです。別にそんなに勘ぐらなくても、素直に喜んでくれたら良いのに。別に褒めて欲しいとは思いませんが、何もわざわざ勘ぐらなくても良いじゃないですか。それを、ことさら勘ぐろう、敢えて息子の揚げ足を取ろうとする所に、妙に不自然さを感じてしまいます。
これにはさすがに、兄貴や兄嫁も、「親父は軽い気持ちで言ったので、実際には言ったのに覚えていないのかも知れない。決してワザとシラを切ろうとしているのではない」と、私と親父の間に割って入って来ましたが。「被害者意識に凝り固まってしまっている」も何も、実際にこの間の経過を見れば、親父こそが加害者で、私は被害者なのは一目瞭然ではないですか。私から親父に何か嫌がらせをした事は一度もありません。常に親父の発言が発端となっているのです。
そのくせ、自分はここまで人の事をけなしておきながら、自分に対しては、例えば「ワシの蒸したさつま芋が要らないなら、ただ要らないと言うだけでなく、明日食べるわと言う位の優しさが、お前には無いのか?」と。私にはそこまで要求するのです。「自分に甘く他人にだけ厳しい」ダブルスタンダード(二重基準)も、大概にせえよと言いたいです。
でも、そんな事を言い出せば、お互い「売り言葉に買い言葉」で終わってしまいます。元はと言えば親父の発言から全て始まった事ですが、今回は私の方も、親父に対抗する為とは言え、他人が聞いたら眉をしかめるような事も、かなり言ってしまっています。
問題の本質はあくまでも、上記に上げた私と親父の結婚観の行き違いにあり、その後のメールのやり取りについては、そこから派生した「オマケ」でしかない。その本質を脇に置いて、オマケ部分についてばかり議論しても仕方がない。
私がメールの中で言及した、正規雇用と非正規雇用の格差拡大から来る晩婚化や少子化の問題も、それはあくまで社会一般の出来事であって、私と親父には、間接的な影響はあっても直接関係は無い。ここでは、そんな一般論ではなく、あくまでも、私と親父の関係を今後どうするかについて、議論を深めるべきだ・・・。
そういう兄夫婦のジャッジもあって、「何が何でも独身を通すつもりはないが、さりとて何が何でも結婚にこだわるつもりも無い。今は、結婚よりも仕事やブログの方が重要だ。それらを犠牲にしてまで結婚する気はない」という私の思いを親父が尊重し、私の方も、親父の親心から来た思いを必要以上に曲解して決めつけたりはしない、という結論になりました。
また、転居や夕食の支度を巡って、話が二転三転した事についても、全ては結婚観の行き違いから来ている。「外で食べて来てくれ」と言ったり「家で食べてくれ」と話がコロコロ変わったのも、別に買い物自体が疎ましいのではなく、いちいちメニューを考えなければならないのが煩わしいだけなのだ。その一方で、「たまには自分の手で美味しい料理を作って食べてみたい」という気持ちもある。一見、相反するようだが、主婦にはそれが良く分かる。しかも、親父は料理を作り慣れていないから、余計それが強く出るのだ・・・という事に、最終的に落ち着きました。
現実的に考えても、私は毎日、朝の6時半や7時から、夕方4時や5時まで仕事です。その後、社内食堂で夕飯を済ませ、家に帰るのは7時過ぎ。そこから、ネットのニュースを見たりメールをチェックして、入浴を済ませたらもう夜9時を回っています。翌日も早朝から仕事なので、もう寝なくてはなりません。平日はブログ更新もままならないので、更新はたいてい休日です。その休日も、ブログ取材を兼ねて、集会やらデモにも自分の方から出来るだけ参加するように心がけています。そんな中で、婚活に割ける時間やエネルギーは、そんなに多くはありません。
それなら一層の事、少なくとも今の会社を退職するまでは、無理に婚活なぞせずに、自分のやりたい事にエネルギーを注いだらどうか。退職して時間の余裕が出来てから、婚活を再開すれば良い。それで、仮に出会いが無くて独身で終わっても、別に自分の人生に納得しているなら、それでも良いではないか。世の中には、自殺したり一家路頭に迷ったりする人も少なくないのに、無事に暮らせるだけでも儲け物だと思わなければ。婚活に焦って結婚詐欺に遭う位なら、まだ納得ずくの人生を送れる方が、よっぽどマシではないか・・・と、兄も言っていました。
これで、私と親父は、再び実家で今まで通り同居する事になりました。当初は、私からのメールがよっぽどこたえたのか、親父自身も「もう元のさやに戻るのは無理だ」とメールで言っていたくせに。
兄貴も、最初のうちこそ私に同情して、「俺も親父は余りにも頑固だと思う」「親父が余りにも頑固な為に、ウチではDVが絶えなかった」「余りにも家族喧嘩が絶えなかったので、もう喧嘩は止めてと、両親の前で俺が泣き叫んだ事もあった」と言っていたのに。やはり兄貴も、次男の私が親父と同居を続けて欲しいようです。そうしなければ、今度は長男の自分が、いよいよ親父の介護をしなければならなくなりますので。
それに加えて、兄貴の家も、実は兄貴には所有権は無く、親父の名義になっているのだそうです。余り私に加勢し過ぎて、親父を怒らせてしまうと、下手すれば兄夫婦も親父から出て行け呼ばわりされかねないのです。それを兄貴は恐れたのでしょう。私なら、たとえそんな場合でも、地上げ屋みたいに占有権を主張して、とことん抵抗しますが。
しかし、これでもう親父も懲りた事でしょう。余り親父風吹かせて、私に偉そうに言おうものなら、本当に私が家を飛び出してしまう事が、これでやっと分かったようです。もうこれで、私の事を「のんべんだらり」と決めつけたりはしなくなるでしょう。実際、この一件があって以来、親父の私に対する態度がガラッと変わりました。
しかし、人間の性格は、そう簡単に変わるものではありません。いつ何時、また別の口実を付けて、親父が私にちょっかい出してくるか分かりません。ゆめゆめ警戒だけは怠らないでおこうと思っています。
これだけを読んでいると、「高齢の親に対して何て冷淡な」と思う人も、ひょっとしたら居られるでしょう。そういう人は、実際に親父みたいな人と同居してみたら良いのです。そうなった時に、果たして同じ事が言えるかどうか?加害者は一体どちらか?年寄りや親なら、何をしても許されるのか?
そして、私と親父で、仲直りの握手をした後、家族一緒で、近所の鰻(うなぎ)屋に夕食を食べに行きました。全て兄貴のおごりです。関西ではほとんど食べる機会がない、江戸前の背開きの鰻重を堪能した後、タクシーで親父を最寄り駅に送り届け、私と兄夫婦はそこから徒歩で兄貴宅に帰りました。まだ乾いていない私の洗濯物が残っていたので、後一日、私は兄貴宅に泊まる事になっていたのです。
ところが、兄貴宅に帰り着くやいなや、私の携帯が無い事に気が付きました。私は携帯を、いつもGパンの前ポケットに入れているのですが、それが丸々無くなっている事に気づいたのです。
私は、大慌てで、兄貴宅からタクシーを降りた所まで、捜索に出かけました。兄貴も、家族一緒に食事をした鰻屋さんに、携帯を忘れていないか電話をかけてくれました。ところが、どちらも出て来ず。
後残るのは、タクシーの後部座席に落とした可能性です。タクシーの座席はフカフカしているので、他の席よりも身体が沈み込んでしまいます。その時に、Gパンの前ポケットから落としたかも知れないのです。それなら、タクシーの中で直ぐに見つかりそうなものです。しかし、実際にはタクシーの床やシートはクッションに覆われている為に、たとえ携帯を落としても音はほとんどしません。シートの下に潜り込んでしまったら、もうお手上げです。車庫に帰所後の点検でも、タクシードライバーが見つけるのは、ちょっと難しいかも。
もう、その日は、携帯の販売店で利用一時停止の手続きをした後、警察に遺失物届を出しただけで終わりました。
そして、月・火曜日と二日間様子を見て、今日水曜日の公休日に、わざわざ大阪市鶴見区のタクシー協会まで出向いて、乗車したタクシーの特定をしてもらおうとしましたが、そこでも紛失届の受理だけで終わってしまいました。その後、どこからか拾得の連絡がないか待ちましたが、どこからも連絡が入りませんでした。
これでは、自宅パソコンのインターネット以外には、もう何も外部と連絡が取れません。最初は、公衆電話がまだある程度、撤去されずに残っているだろうとタカをくくっていたのですが、もうどこにもそんな物はありません。ここまで携帯電話に生活全体が依存していたとは、思いもしませんでした。もう、いつまでも電話無しではいられません。背に腹は代えれません。明日にでも携帯の販売店に出向いて、同じ電話番号で携帯を再購入する事にします。
それにしても、交友関係の住所録バックアップを取っていなかったは迂闊(うかつ)でした。家族の連絡先については、きちんとバックアップを取っていたのですが。まだ職場の同僚については、職場で携帯の電話番号を聞き出す事が出来ますが、プライベートな知人関係については、相手から電話がかかって来ない限り、こちらからは連絡の取りようがありません。ひょっとしたら、親父の悪口を書き過ぎて罰が当たったのかもw。携帯紛失前に親父とのメール会話をパソコンに保存しておく事が出来たのが、せめてもの幸せですw。