この前の日曜日に、私の住んでいる大阪・高石の母親大会に行ってきました。
母親大会というのは、戦後の原水禁署名運動を担ったお母さん方が、その後もそれぞれの地域で、平和や子育ての問題に取り組み交流する場として始まったものです。この高石でも、1957年に最初の大会が開催された後、長い間活動が滞っていましたが、 88年以降は再び毎年開かれるようになりました。大会で取り上げられるテーマも、子育てや教育、食の安全から、原発の放射能汚染や格差問題、戦争法廃止の署名まで多岐に渡ります。それらのテーマについて、講師を呼んで学習会を開いたり、その後の交流会で地域の問題を話し合ったりしています。女性だけでなく男性も、誰でも自由に参加できます。私も、数年前にたまたま参加したのが縁で、毎年招待されるようになりました。
今年は、「世界中のママの願い どの国の子も誰の子どもも殺させない」と題して、大阪在住のフリー・ジャーナリストで「イラクの子どもを救う会」代表の西谷文和さんをお呼びして、中東で紛争の続いているイラクやシリアの現状について、お聞きする事になりました。
大会は午後1時きっかりに、高石のデージードーム(コミュニティセンター)2階のホールで始まりました。まず最初に、お母さん方のコーラスがあり、大会構成団体の一つ、新婦人(新日本婦人の会)高石支部会長の船冨さん(私に招待状を送って下さった方です(^^)v)や、阪口新六・高石市長のあいさつの後、1時半から西谷さんの講演が始まりました。
西谷さんの講演は、シリア内戦の激戦地の一つ、アレッポに潜入取材した話から始まりました。シリアというのは中東のトルコの南にある国で、周囲にはイスラエルやイラクがあります。古代文明発祥の地の一つで、古くから多くの民族が行き交った土地です。(左上の地図参照)
ここで注目して欲しいのが地図上の国境線です。シリアやイラクの南側の国境線が、まるで定規で引いた様に真っすぐなのが地図でも分かります。何故こんなに真っすぐなのか?一つには、南側は砂漠地帯で人がほとんど住んでいないからですが、理由はそれだけではありません。ここの地域一帯は、元々オスマントルコ帝国の領土でした。ところが、オスマントルコが第一次大戦でドイツ側に付いて戦争で負けた為に、戦勝国のイギリスやフランスに分割され、それぞれの植民地にされてしまったのです。
しかも、イギリスやフランスはずるい事に、戦争を有利に進める為に、そこに住んでいるアラブ人やユダヤ人には「戦争に協力したら独立を認めてやる」と言っておきながら、戦争が終わった途端に、その約束を反故にしてしまったのです。今のパレスチナとイスラエルの対立も、元をたどれば、このイギリスやフランスの身勝手な態度によって引き起こされた物です。
国境線が真っすぐなのは、この為ですが、問題はそれだけに留まりません。先述した様に、この地域には、アラブ人やイスラム教徒だけでなく、ユダヤ人やクルド人、キリスト教徒やユダヤ教徒など、様々な民族や宗教が混在しています。その中で、イギリスやフランスは、地域の住民が団結して独立運動を起こさない様に、それぞれの民族や宗派の対立を煽ったのです。シリアでも、少数派のアラウィー教徒(イスラム教の一派)を優遇し手なずける事で、多数派のイスラム教スンニー派の人々を支配して来ました。それが独立後の現在も尾を引いているのです。
数年前に、アラブ諸国を席巻した民主化運動の波(いわゆる「アラブの春」)が、シリアにも及んできました。この時に、シリアのアサド独裁政権は、民主化を要求するデモ隊に、徹底した弾圧を加えました。非暴力のデモを行う自国民のデモ隊に、機銃掃射だけでなくミサイル攻撃まで加えて、住宅地ごと爆撃したのです。何故アサド大統領がそこまで残虐になれるのか?それは、アサド自身が代々世襲の少数派アラウィー教徒出身の大統領なので、負けたら自分も同じ目に遭うのが分かっているからです。(右上の説明参照)
こんな弾圧が加えられたら、当然、反政府側も狂暴化します。そこに石油などの利権を巡る周辺国や大国の思惑が絡みます。シリアと仲が良かったイランやロシアはアサド政権を支援し、仲が悪かったイギリスやフランス、アメリカは反政府勢力を支援します。武器も流れ込みます。その中から、より過激なIS(イスラム国)が生まれ、政府軍だけでなく従来の反政府勢力の自由シリア軍まで追い出して、支配地域を拡大するようになったのです。狂暴化したISは、もはやアメリカの言う事も聞かなくなりました。そこで、今頃になって「テロとの戦い」と称して、日本も憲法9条を改正してIS掃討作戦に参加するよう要求してきているのです。
大国が資源目当てに途上国の紛争に介入し、自国の都合だけで独裁政権や反政府ゲリラを支援し、余計に紛争をこじらせ逆に民主化を遅らせてしまう。これは、アフリカの内戦が、携帯電話の材料となるレアメタルの争奪戦として長期化する構図ともよく似ています。その結果、いつも犠牲になるのは民衆です。シリア北部の内戦激戦地アレッポでは、政府軍が市内中心部の城砦(じょうさい)に閉じこもり、市内を制圧する反政府軍が城砦を攻撃しました。地上戦では政府軍が劣勢ですが、逆に制空権は政府軍が抑えており、反政府軍は、南方の首都ダマスカスの方から飛んでくる政府軍のミグ戦闘機の空爆に晒されています。
イブラヒームさん(当時26歳)は、2015年にアレッポで、バイクで走行中にロシア軍機の空爆に遭いました。爆弾がバイクに命中し、ガソリンに引火してイブラヒームさんは全身に大火傷を負い、左目は完全に失明し、右目だけがかろうじて見えます。国際社会からの支援で、何とかトルコで火傷と目の手術を受ける事が出来るようになりました。(左上写真)
リムさん(当時12歳)は、2012年にシリア・トルコ国境の町で、アサド政府軍の空爆に遭いました。リムさんも顔に大火傷を負い、喉に穴が開いて、指で喉を抑えなければ喋れない身体になってしまいました。お尻の皮膚を顔に移植して火傷を治す手術を受けていますが、栄養失調の為に、いくらお尻の皮膚を移植しても全然治りません。彼女は今、弟と共に、トルコ南部のガシアンテップという町で、トルコ人から身を隠すようにして難民生活を送っています。(右上写真)
大国が資源利権目当てに地域紛争や革命に介入し、自国の都合で独裁政権や反政府勢力を支援する。その中で、独裁政権も反政府勢力も増長し、更に狂暴化していく。最初は革命の理想に燃えていた反政府勢力も、長年に渡る民族・宗派間の対立の中で、次第に野盗化し統制が取れなくなる。その中から、更に新たな反政府勢力が生まれ、政府軍も旧来の反政府勢力も駆逐していく。その新たな反政府勢力が、アフガニスタンのタリバンや、イラク・シリアで生まれたアルカイダやIS(イスラム国)なのです。
つまり、タリバンやアルカイダ、ISも、アフガニスタン戦争やイラク戦争などの、大国による干渉・侵略戦争が生み出したものなのです。そして、地域紛争の基になった民族・宗派間の対立も、大国が植民地支配の中で、住民が独立運動に結集して自分たちに刃向かって来ないように、互いにいがみ合わせ反目させ合う中で、広がって来たものなのです。
このイラク・シリアでは、既に少なくない日本人が犠牲になっています。2004年にイラクの武装勢力に拉致された高遠菜穂子さん、同じ年にイラクのアルカイダに殺された香田証生さん、2012年にシリア政府軍に殺された山本美香さん、2015年1月にISに殺された後藤さん・湯川さん、いまだに行方が知れない安田純平さん等、主な方だけでも既に6名に上ります。
そのほとんどの方が、当地で人道支援や報道活動に従事中に、政府軍や反政府勢力に拉致されました。助かったのは高遠菜穂子さんだけです。この時、政府は何をしたか。高遠菜穂子さんに対して、当時の小泉首相は「勝手にイラクに渡航した当人の自己責任」と言ってのけました。自分たちは、米国の尻馬に乗って自衛隊のイラク派兵に汲々とするばかりで、イラク民衆の事なぞ全然眼中になかったくせに。後の山本美香さんや後藤さん・湯川さん・安田さんに対しても、「テロリストと戦う振りをするだけ」で、実際の救援活動は何もしませんでした。それどころか、常岡さん等の民間人の救援の動きを「テロの手先」呼ばわりして、妨害する事までやってのけました。
2015年1月に、フランスの首都パリにある新聞社シャルリー・エブドが、ISのテロリストに襲われ、17名もの犠牲者が出ました。この新聞社がイスラム教の教祖ムハンマドを皮肉る風刺画を掲載したのが、テロリストの逆鱗(げきりん)に触れたのです。この事件を契機に、フランス全土でテロに反対するデモが広がりました。デモでは、「決してシャルリー・エブドを孤立させてはいけない、断固として表現の自由をテロリストから守り抜く」との願いを込め、「私はシャルリー」のスローガンが唱和されました。
この時に、日本も含む40か国の首脳がデモの先頭に立ちました。左の写真にも、ドイツのメルケル首相がフランスのオランド大統領と腕を組み、颯爽(さっそう)と行進する姿が映っています。
ところが、この首脳のデモ参加そのものがヤラセであった事が、後に明らかになりました。右がその写真です。それを見ると、40か国の首脳は別にデモの先頭に立っていた訳ではなく、デモとは別の所で、警備員に後ろを守られながらゾロゾロと歩いていたに過ぎなかったのです。
何故こんな事が起こったのか?西谷さんは、「それは西側首脳が、フランスのIS空爆を延長させるために仕組んだ猿芝居に過ぎない」と断じていました。
フランスの憲法では、軍隊を海外に派兵させる為には、4か月ごとに議会の承認を得なければならない規定になっています。フランスが最初にISへの空爆を開始したのが2014年9月。その4か月後の期限が2015年の1月だったのです。
当時のフランス世論はIS空爆に批判的でした。軍備にばかり金をつぎ込み国民生活を顧みないオランド政権に、国民は愛想を尽かし始めていました。そこに降って湧いたように、シャルリー・エブド事件が起こり、フランスは空爆賛成一色になりました。政権支持率は急上昇し、空爆延長決議が賛成488票、反対1票、棄権12票の圧倒的多数で、国会を通過してしまいました。
その後で、40か国首脳のデモ参加が、完全なヤラセである事が発覚したのです。でも、いくら発覚しても、もう後の祭りです。空爆は延長されてしまったのですから。
いつも戦争は、このように謀略で始まります。戦前の満州事変も戦後のベトナム戦争も、全てこのような謀略によって始まりました。90年代の湾岸戦争も、クウェートを侵略したイラク兵が病院の赤ん坊を皆殺しにしているとの、在米クウェート大使の娘の涙の証言で始まりました。しかし、後にこの娘の証言自体がでっち上げだった事が明らかになります。くだんの娘は、アメリカから一歩も外に出た事が無かったのです。
イラク戦争も、フセインが隠し持っていた大量破壊兵器の嘘で始まりました。しかし、その戦争の発端になった大領破壊兵器は、いまだに見つかっていません。もうフセイン政権が打倒されて何年にもなるのに。
でも、世間は、もうすっかりそんな事は忘れてしまっています。それは、政府が国民にそう仕向けているからです。甘利大臣のスキャンダルも清原の麻薬報道で押し流し、川内(せんだい)や伊方の原発再稼働もベッキーの不倫報道で押し流し。そうして、どうでも良いニュースばかり流して、肝心な事は全然報道しようとはしない。まれに報道しようとしても、政府や右翼が陰で圧力をかけて、特定の番組やキャスター個人を狙い撃ちするような事が続いています。
今、政府は盛んに中国や北朝鮮の脅威を煽る事で、何とか日本も憲法を改正して「大国の利権争い」に加われるようにしようと画策しています。ところが、実際に自衛隊が派遣されるのは、朝鮮半島でも南シナ海でもありません。中東やアフリカの戦場です。何の事は無い。大国の尻ぬぐいをさせられようとしているだけじゃないですか。そうして、他国の紛争に介入した挙句、政府側からも反政府側からも恨まれるようになる。もう「踏んだり蹴ったり」です。今、自衛隊がPKO部隊を派遣しているアフリカの南スーダンなんて、正にそんな戦場でしょう。だって、南スーダンPKOで自衛隊が警護しようとしている相手こそ、何を隠そう、尖閣の領土問題で対立しているはずの中国軍なのですから。大国が資源目当てに途上国の紛争に介入しようとしているのは、アメリカも日本も中国も、皆同じです。
第一、そんなに北朝鮮が怖いなら、何故、北朝鮮に狙ってくださいと言わんばかりに、日本海側に原発を乱立させるのか?飛んでくるか来ないか分からない北朝鮮のミサイルよりも、地震や津波が起これば確実に福島のようになる原発の方が、数倍も恐ろしいにも関わらず。
そんな政府の嘘に騙されてはいけない。
「今後ますます社会が高齢化、少子化に向かう中で、消費税増税は仕方ない」と言いながら、増税分は福祉には全然回らず、全て法人税の減税に化けてしまっている。そうやって、大企業をしこたま儲けさせても、内部留保でため込む一方で、賃上げや労働条件改善には全然反映されない。「大企業に課税したら海外に逃げる」と庶民を脅しつけながら、実際はタックス・ヘイブン(海外の租税回避地)への税逃れも全て黙認。生活保護の不正受給や老人の病院通いの回数ばかりあげつらって、それとは比べ物にならない政治家の白紙領収書や、パナマ文書で明らかになった大金持ちの税逃れについては、ほとんど何も追及されない。
日本人はシリア・イラクや北朝鮮の事を世襲の独裁国家だと言ってバカにするが、今や日本も、大政党に有利な小選挙区制の下で、世襲政治がはびこるようになった。麻生も安倍も世襲政治家じゃないか。1発数千万円もするトマホークや、1機65億円もするオスプレイを買うのを止めて、その浮いた金で海外の人道支援NGOを助けたり、半ばサラ金と化した奨学金制度を元の正常な姿に戻させ、最低賃金を引き上げれば、戦争も独裁も貧困も全て解消に向かうのに、何故それをしないのか。そんな事ハナから無理だと、諦めさせられているからだ。かつての戦争の嘘を、決して忘れない事。もう二度と、そんな嘘には騙されない事。そして、決して諦めない事。この三つの事が大事だ・・・と、西谷さんは仰っていました。
この講演の後、質疑応答と休憩を経て、午後3時からは地域の交流会に移りました。高石の阪口市長は、平和問題については、この講演にも駆けつけて下さったりしているのですが、その一方で、公立保育園や幼稚園の統合・民営化を強引に進めようとしています。それに反対して、署名活動などに取り組む若いお母さん方の取り組みが、そこで紹介されました。なるほど。だから、阪口市長は最初のあいさつだけして、すぐに帰ったのかと、妙に納得。その他にも、学校の定期考査に加え、文部省の全国学力テストに大阪府独自のチャレンジテストと、小・中学校の教育がテスト漬けになってしまっている事などについても議論されました。そして最後に、「私たちが安心して生きられる社会を、子どもが安心して生きられる社会を目指して力を合わせましょう」と結んだ大会宣言を承認して、散会となりました。