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紀州鉄道は地方再生の切り札となるか?

2019年02月20日 22時32分33秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

2月19日、20日と、連休のシフト休みを利用して紀州鉄道に乗って来ました(次頁に詳しい写真掲載)。紀州鉄道(旧・御坊臨港鉄道)は、和歌山県のJR紀勢本線御坊駅から御坊市内の西御坊駅まで約2.7キロのミニ私鉄です。大体30分から1時間ごとのダイヤで運行され、途中に学門・紀伊御坊・市役所前の3つの駅があります。この鉄道は、町外れのJR駅と市内との連絡及び日高川水運による物資輸送を目的に敷かれました。長らく「日本一のミニ私鉄」との異名を取り、今も2番目に短い私鉄として、全国から鉄道ファンが集まります。かつて全国に見られたレールバスも、今やここだけでしか見られなくなりました。最盛期には西御坊から更に先の日高川や沿線の日の出紡績(後の大和紡績)工場にも線路が延びていました。今もその廃線跡が残っています。ミニ私鉄ゆえに青息吐息の経営を余儀なくされていましたが、大手ホテルチェーンの傘下に入り、紀州鉄道と改名してからは、学門駅の入場券を受験シーズンに売り出したり、同じミニ私鉄の銚子電鉄とのコラボ企画を打ち出す等、積極的な経営を幅広く展開するようになりました。

2月19日に、御坊に行くに先立ち、久しぶりに和歌山電鐵にも乗って来ました。但し、私が乗ったのは「たま電車」ではなく「いちご電車」でしたが。今は無き初代の「たま駅長」に代わり、二代目の「ニタマ駅長」が貴志駅の駅長室(ネコルーム)に鎮座していました。私以外の乗客は、もうほとんど中国人観光客ばかりでした。一番最初に行った時に感じた地域住民の鉄道に対する愛着なぞ、もうどこにもありませんでした。紀州鉄道を決して「たま電車」みたいにしてはならないと、その時強く思いました。

御坊駅0番線ホームで待っていたのは紀州鉄道のディーゼルカーでした。どうやらレールバスは日曜祝日にしか走らないようです。そのディーゼルカーに乗って拠点駅の紀伊御坊まで乗りました。紀伊御坊は唯一の有人駅で、待合室には図書コーナーのベンチも設けられ、コラボしている同じミニ私鉄の銚子電鉄(千葉県)の濡れ煎餅も売っていました。私はこの濡れ煎餅と、紀州鉄道と北山村がタイアップして売出し中のじゃばら飴を2つずつ買いました。そして、この待合室のベンチで、じゃばら飴をしゃぶりながら今後の旅程を練る事にしました。

じゃばら飴だけでなく銚子電鉄の濡れ煎餅も食べてみました。さすがに濡れ煎餅と言うだけあって、割っても食べた後の破片が飛び散りません。食感もしっとりしています。紀州鉄道のじゃばら飴よりも、むしろこちらの方が食べやすかったです。でも、やはり銚子産の醤油タレを染み込ませて作っただけあって、一番食べやすいとされる甘口タイプでも、2枚続けて食べると口の中がダダ辛くなりました。その日は「一日乗車券は利用当日でないと発売出来ない」と紀伊御坊駅の窓口で言われました。しかも雨も次第に本降りになって来ました。幸い翌20日は雨も上がるようなので、紀州鉄道と市内の散策は翌日に回し、今日はもう予約したJR御坊駅前のビジネスホテルに向かう事にしました。

そのビジネスホテルは、ユニットバスで食事も朝食のみでしたが、ロケーションは最高でした。何せホテルの直ぐ下を紀州鉄道が通っているのですから。紀州鉄道の切符は紀伊御坊駅でしか買えません。JR御坊駅でも買えないので、運賃は車内での現金精算のみとなります。つまりバスと同じです。一日乗車券は車内でも買えますが、紀伊御坊駅で一旦下車して日付スタンプを押して貰わないといけません。早速、同駅で降りて一日乗車券に日付スタンプを押して貰いましたが、窓口のミスで一ヶ月先の日付を押されてしまいました。直ぐに申し出て今日付けの乗車券を再発行して貰いました。

まずは市内の各駅を訪ね歩く事にしました。ところが、紀伊御坊駅から歩いて数分も経たないうちに隣の学門駅に着いてしまいました。それもそのはず、全長2.7キロの紀州鉄道の中で、始発駅のJR御坊駅と次の学門駅の間だけで1.5キロも占めるのです。残り3駅の紀伊御坊・市役所前・西御坊の間は、それぞれ3〜400メートルほどしか離れていません。言ってる間にもう次の列車がやって来て、学生が大勢降りて行きました。中学と高校が近くにあり、駅名もそこに由来します。学門駅ホームの片隅には「学問地蔵」という名のお地蔵様も作られていました。

 

左上:紀伊御坊駅待合室の図書コーナー。右上:同駅で売っていた銚子電鉄の濡れ煎餅と紀州鉄道のじゃばら飴、私が貰った領収書。

 

左上:学業成就のお守り(こちらも銚子電鉄・紀州鉄道のコラボ企画)。右上:学門駅の学問地蔵。

学門駅からはUターンして紀伊御坊を経由して終点の西御坊駅を目指します。そこから更に旧・日高川駅への廃線跡をたどる事にします。正直言って、ここに来る前はもっと悲惨な状態の紀州鉄道を想像していました。和歌山県には他にも野上電鉄、有田鉄道などのミニ私鉄が、JR紀勢線の開通前から存在し、ミカン・材木輸送に活躍していました。しかし、いずれも青息吐息の経営に終始した挙句、廃止の運命をたどりました。今は和歌山電鐵のみ健闘していますが、これとてもネコ頼み、外国人観光客頼みの経営で、どこまで会社が持つか予断を許しません。この紀州鉄道も、並行して走る御坊南海バスなどに押され気味だと思っていました。ところがバスダイヤを見ると、このJR御坊駅から御坊市役所前を経由して印南町方面に向かう路線で比較しても、何と紀州鉄道よりも本数が少ないではありませんか(バスが平日10往復、日祝8往復に対し、紀州鉄道は終日20往復)。紀州鉄道も、お世辞にも順風満帆とは言えませんが、数年前の脱線事故を機に枕木のPC化を進める等、安全性とサービスの向上に努めています。頑張れ、紀州鉄道!

スマホ充電兼ねて西御坊駅前のファミリーマートで休憩。このファミリーマートはツタヤとコラボした大型店で、ちょっとしたデパ地下並みの広さがあります。直ぐ横には道の駅の産直市場もあります。さっきは「鉄道も意外と健闘している」と書きましたが、やはり地方では住民の足はマイカーです。国道42号線や市内の幹線道路も車がひっきりなしに通ります。それに対し、紀州鉄道は終点の西御坊駅も無人で、駅舎も隅の方は傾いていました。枕木のPC化も市役所前駅までで、そこから先の終点まではボロボロの木製枕木でした。「鉄道もバスも車に押されている」というのが実態です。

しかし、それでも敢えて言うなら、和歌山電鐵が猫頼み、外国人観光客頼みの「外注依存」に終始しているのに対し、紀州鉄道は銚子電鉄とコラボして、柑橘入りのじゃばら飴や、銚子産醤油ダシ入りの濡れ煎餅を売り出す等、地場産業育成で内需喚起を志向している点は、もっと評価されて良いと思います。勿論、和歌山電鐵もイチゴ狩り宣伝の形で同様の内需喚起も志向していますが、それでも頼みの綱はネコと外国人観光客である事は否定しようもありません。

世はオリンピックやカジノによる振興策に傾いていますが、たとえ地味ではあっても、地に足つけた内需喚起の方策でしか、真の経営再建は出来ないのではないでしょうか?これから旧日高川駅への廃線跡をたどる事にします。この廃線は決して紀州鉄道だけの問題ではないし、地方私鉄だけの問題でもありません。消費税10%になったら、それこそ全国の中小企業が、この廃線跡と同じ運命を辿る事になります!

程なく旧・日高川駅跡にたどり着きました。途中には日の出紡績駅跡と思われるホームや警報機の遺構も残っていました。紀州鉄道が、未だ廃線跡の用地を手放さず、橋梁の一部撤去だけに止め、線路の大半を残したままでいるのは、日高川港改修後の再開通を視野に入れているからだと言われています。私も、紀州鉄道がかつての賑わいを取り戻す事を願いながら、再び西御坊まで引き返す事にします。

左上:廃線跡に残る警報機の残骸。右上:寺内町で目立つ廃屋。

西御坊まで引き返した後は、御坊という地名の元になった本願寺・日高別院(日高御坊)の寺内町めぐりです。日高別院の建物は寺院が経営する幼稚園の園舎になっています。つまり私有地ですが、参拝客も自由に境内に出入り出来ます。今まで寺内町の散策を続けて来て、文化遺産よりもむしろ廃屋の方が目に付き、暗澹たる気分になりかけていましたが、寺院から園児の元気な声が聞こえて来て正直ホッとしました。

その廃屋ですが、「最近、和歌山では大きな地震は起こっていないはずなのに、何故こんなに廃屋やブルーシートの家が多いのか?」と思う位、目に付きました。多分ここでも過疎化・少子化による後継者難が続いているのでしょう。少子化はもはや限界集落だけの問題ではありません。

紀伊御坊駅まで戻り、再びスマホ充電兼ねて昼食を取りました。この駅の待合室の図書コーナーではスマホ充電も出来るのです。昼食も、朝に通りがかったディーゼルカーの弁当屋で、300円の日替わり弁当で済ませました。揚げたての海老フライが2尾も入り、とても300円とは思えないほど美味かったです。寺内町散策の途中で買った釣鐘まんじゅうや煙樹の浜をモチーフにしたまんじゅうも、とても100円とは思えないほど美味かったです。鉄道以外は寺内町しか回れず、クエ鍋も食べれなかったけれど、この旅で得た物は、それ以上に大きかったです。

 

左上:日高御坊幼稚園。右上:紀州鉄道ディーゼルカーの弁当屋。

スマホ充電もある程度まで終わり、後は紀伊御坊駅で帰りの列車を待つのみとなりました。しかし、せっかく一日乗車券を買った以上は、やはり全線乗車しなければ意味がありません。そこで、今行った列車を追いかけ、終点の西御坊まで猛ダッシュ!首尾よく西御坊駅でJR御坊行きの列車に飛び乗る事が出来ました。

その道すがら、私なりに紀州鉄道の再建策について考えてみました。やはり今のままでは、ただの赤字を抱えたミニ私鉄で終わってしまいます。今はやりのLRT化(注)も、地方なので都市部の路面電車の様には行きません。一層の事、レールバスに特化してはどうでしょうか?通学時間帯はレールバス1両だけでは積み残しが出るので、この時間帯のみ15分おきのダイヤにする等すれば、何とかなるのではないでしょうか。そして、路線も延長して、赤バスみたいに循環型の路線にしてはどうでしょうか?(注)LRT:ライト・レール・トラジットの略で、次世代型の路面電車の事。

そして、「たま電車」みたいになってしまっては元も子もないので、あくまで地場産業育成をにらんだ内需喚起で商品開発やイベントを行うのです。単なる「外国人頼み」「ネコ頼み」のドンチャン騒ぎではなく、鉄道再生と地域振興を正面から掲げたイベントにするのです。例えば、地元の祭りに合わせて、小竹(しの)八幡神社や日高別院、道成寺とタイアップして、「東日本復興・JR日高本線、三陸鉄道リアス線復旧祈願」とか、「JRゆめ咲線とニュートラムに乗ってカジノ問題を考える」「旧生駒トンネルで朝鮮人労働者の慰霊と徴用工問題について考える」イベントに協賛するとか、「えちぜん鉄道・いすみ鉄道・富山ライトレールなどの成功例に学ぶ鉄道再生サミット」を主宰するとか。

その為には、今の大手ホテル資本の傘下から一旦抜け出て、NPOや第三セクターとして運営する事も考えなければならないかも知れません。通販生活や城南信用金庫のように、資本経営しながらも「筋を通す」事は可能ですが、現実には結構難しいので、非営利企業にしてクラウドファンディングで資金を集める必要も出て来るかも知れません。そんな事言うと荒唐無稽と思うかも知れませんが、銚子電鉄の濡れ煎餅も、そんな荒唐無稽から出てきたアイデアです。

私は「中国人観光客は来るな」と言っている訳ではありません。私は春節に神戸の南京町にも行って来ましたが、あれはあれで結構良かったです。お昼過ぎに思い付きで行ったので、余り多く食べれませんでしたが、それでも小籠包の味は絶品でした。でも、あれは南京町だから良かったのです。白川郷が南京町みたいになってしまったら、もう目も当てられないでしょう。ところが、今や全国の観光地がそうなりつつあるではありませんか。大阪の黒門市場なんて、もう目も当てられません。私は、紀州鉄道を「たま電車」みたいにして欲しくはないのです。紀州鉄道のそれまでの良さを生かした再生策を是非皆さんも考えて欲しいです。そう思って御坊を後にしました。

コメント (3)
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