大阪の府・市ダブル選挙について言及するのは、とりあえずこれが最後になると思います。今までの記事の中で書き足らなかった事や書きそびれた事について、少し書いておきます。
まず前回記事の出来栄えですが、書いた後で読み返してみたのですが、斯く言う私の文章も、結構理屈っぽいなあ・・・。
要は、橋下みたいに「公務員や生活保護受給者は恵まれている」と叩くのではなく、「みんなが最低でも公務員並みの待遇を保障され、生活の心配をしなくても良い世の中にするのが筋だろう」と言いたかったのですが。ブラック企業の水準に合わせるのではなく、憲法25条に書かれた「健康で文化的な最低限度の生活」のほうにこそ合わせるべきだろう・・・と。
そこで、そうする為には、公務員も自分たちの身内の事ばかり考えず、もっと非正規労働者や外国人労働者とも連帯して、彼の人たちと一緒に自分たちの権利拡充・生活向上を目指すべきだ。そして、これは何も公務員だけに限った事ではなく、東電・関電などの大企業正社員にも言える事だろう。
それを、もっと有権者に分かりやすく伝えるべきだ。橋下が優れているのはそういう天性の才能があるからだ。その才能を、橋下のように悪用するのではなく、前述の目的を実現するためにこそ、もっと知恵を絞るべきだ・・・と。
その一例としてキヨシロー(忌野清志郎)を橋下と比較してみたのですが、キヨシローって反原発や反戦のテーマは結構取り上げていたのですが、経済については余り取り上げていなかった。「牛肉・オレンジ」はその数少ない歌ですが、反原発の曲ほどにはメッセージ性がないので、イマイチ分かりづらかったかも・・・。
次に、選挙争点にもなった橋下の独裁的性格ですが、あれは単なる「言葉の綾」なぞではありません。それは、当選後の記者会見で彼が口にした、「俺は選挙で選ばれた政治家なのに、余りにも蔑ろにされている」「みんな、もっと俺に配慮しろ」という子どもじみた物言いに、如実に現れています。そもそも、住民こそ主権者であり、政治家はあくまでも住民に奉仕する公僕にしか過ぎない。それが何で、主権者のほうが政治家に遠慮しなくちゃならんのか。橋下は、自分が殿様か天皇にでもなったつもりでいるのか。
独裁だからこそ、候補者を募っても次々と逃げられ、後継者も育てられずに、松井みたいな腰巾着しか府知事候補に出来ず、自分が市長選に出ざるを得なくなったのでしょうが。
そうやって、北朝鮮みたいに世襲に頼ったり、ロシアのプーチン・メドベージェフのコンビみたいに、松井と二人芝居に明け暮れていたら良いわ。どうせ、大阪市長の仕事や大阪都構想の公約も任期途中で放り出して、ナベツネみたいに、総裁か大臣にでもなろうとしているのだろう。そんなモンにいちいち付き合ってられるか。
最後に、「君が代」強制の件。昨日今日と、NHKで優れたドキュメンタリー番組をやっていました。そこで戦時中の出征兵士の体験談を放送していました。
私は昨夜の前編しか見れませんでしたが、徴兵直前まで普通の百姓だった兵士が、如何に殺戮マシーンに変えられ、鉄砲玉・消耗品として使われた挙句に、無残な死を遂げていったか、その中で「日の丸」の寄せ書きがどういう犯罪的な役割を果たしたのか、非常によく分かりました。
私には、とても戦時中の過去の話には思えませんでした。何の事はない、戦時中の「お国の為」が、今は「ルールだから守れ」に摩り替わっただけじゃないか。国策やルールの中身も検証させずに。
本当は民間でもそんな事は許されない。「お前、今日からサービス残業で働け」「これが我が社のルールだ」なんて理屈は、本来は民間でも通用しない。そんな不当労働行為がまかり通るブラック企業の水準にまで、何で公務員の待遇を引き下げなければならないのか。話が逆だろうが。
あと実務連絡。この掲示板・ブログとほぼ同じ約10年もの間使ってきた私のパソコンですが、もう大分あちこち不具合が出てきたので、思い切って割安の最新版に買い換える事にしました。既に買換え用のノートパソコンも届き、後はデータをそちらに移し変えた後、古いパソコンを引き取って貰わなければなりません。また、割引率を高くするために、プロバイダも変える事にしました。当分の間は、そういう一連の作業を優先しなければならないので、今までよりも記事更新の頻度は落とさざるを得なくなります。コメント・TB公開については携帯からでも可能ですが、記事は携帯では短文しか書けないので。どうしても書かなければならない事がある場合は、ネットカフェから投稿しますが。以上悪しからずご了承願います。
まず前回記事の出来栄えですが、書いた後で読み返してみたのですが、斯く言う私の文章も、結構理屈っぽいなあ・・・。
要は、橋下みたいに「公務員や生活保護受給者は恵まれている」と叩くのではなく、「みんなが最低でも公務員並みの待遇を保障され、生活の心配をしなくても良い世の中にするのが筋だろう」と言いたかったのですが。ブラック企業の水準に合わせるのではなく、憲法25条に書かれた「健康で文化的な最低限度の生活」のほうにこそ合わせるべきだろう・・・と。
そこで、そうする為には、公務員も自分たちの身内の事ばかり考えず、もっと非正規労働者や外国人労働者とも連帯して、彼の人たちと一緒に自分たちの権利拡充・生活向上を目指すべきだ。そして、これは何も公務員だけに限った事ではなく、東電・関電などの大企業正社員にも言える事だろう。
それを、もっと有権者に分かりやすく伝えるべきだ。橋下が優れているのはそういう天性の才能があるからだ。その才能を、橋下のように悪用するのではなく、前述の目的を実現するためにこそ、もっと知恵を絞るべきだ・・・と。
その一例としてキヨシロー(忌野清志郎)を橋下と比較してみたのですが、キヨシローって反原発や反戦のテーマは結構取り上げていたのですが、経済については余り取り上げていなかった。「牛肉・オレンジ」はその数少ない歌ですが、反原発の曲ほどにはメッセージ性がないので、イマイチ分かりづらかったかも・・・。
次に、選挙争点にもなった橋下の独裁的性格ですが、あれは単なる「言葉の綾」なぞではありません。それは、当選後の記者会見で彼が口にした、「俺は選挙で選ばれた政治家なのに、余りにも蔑ろにされている」「みんな、もっと俺に配慮しろ」という子どもじみた物言いに、如実に現れています。そもそも、住民こそ主権者であり、政治家はあくまでも住民に奉仕する公僕にしか過ぎない。それが何で、主権者のほうが政治家に遠慮しなくちゃならんのか。橋下は、自分が殿様か天皇にでもなったつもりでいるのか。
独裁だからこそ、候補者を募っても次々と逃げられ、後継者も育てられずに、松井みたいな腰巾着しか府知事候補に出来ず、自分が市長選に出ざるを得なくなったのでしょうが。
そうやって、北朝鮮みたいに世襲に頼ったり、ロシアのプーチン・メドベージェフのコンビみたいに、松井と二人芝居に明け暮れていたら良いわ。どうせ、大阪市長の仕事や大阪都構想の公約も任期途中で放り出して、ナベツネみたいに、総裁か大臣にでもなろうとしているのだろう。そんなモンにいちいち付き合ってられるか。
最後に、「君が代」強制の件。昨日今日と、NHKで優れたドキュメンタリー番組をやっていました。そこで戦時中の出征兵士の体験談を放送していました。
私は昨夜の前編しか見れませんでしたが、徴兵直前まで普通の百姓だった兵士が、如何に殺戮マシーンに変えられ、鉄砲玉・消耗品として使われた挙句に、無残な死を遂げていったか、その中で「日の丸」の寄せ書きがどういう犯罪的な役割を果たしたのか、非常によく分かりました。
私には、とても戦時中の過去の話には思えませんでした。何の事はない、戦時中の「お国の為」が、今は「ルールだから守れ」に摩り替わっただけじゃないか。国策やルールの中身も検証させずに。
本当は民間でもそんな事は許されない。「お前、今日からサービス残業で働け」「これが我が社のルールだ」なんて理屈は、本来は民間でも通用しない。そんな不当労働行為がまかり通るブラック企業の水準にまで、何で公務員の待遇を引き下げなければならないのか。話が逆だろうが。
あと実務連絡。この掲示板・ブログとほぼ同じ約10年もの間使ってきた私のパソコンですが、もう大分あちこち不具合が出てきたので、思い切って割安の最新版に買い換える事にしました。既に買換え用のノートパソコンも届き、後はデータをそちらに移し変えた後、古いパソコンを引き取って貰わなければなりません。また、割引率を高くするために、プロバイダも変える事にしました。当分の間は、そういう一連の作業を優先しなければならないので、今までよりも記事更新の頻度は落とさざるを得なくなります。コメント・TB公開については携帯からでも可能ですが、記事は携帯では短文しか書けないので。どうしても書かなければならない事がある場合は、ネットカフェから投稿しますが。以上悪しからずご了承願います。
でも、昔のノートよりは、はるかに画面が見やすくなったとは言え、それでもやはりディスクトップのPCよりは見劣りします。タッチパネルでの文字入力も、慣れてないせいかマウスの時よりも時間がかかる。ディスプレイの表示も、携帯とは段違いに見やすいものの、やはり印刷プレビューのように文章全体を俯瞰する事が出来ないので、なかなか文章が推敲しずらい。これで記事を書くとなると、めちゃめちゃ時間がかかりそう・・・。
今までの古いディスクトップのパソコンも、当初は処分するつもりでいたが、もう少し残しといてノートと併用するほうが良いかも。プリンターなどの付属機器の再設定の手間も省きたいし。でも、処分して綺麗サッパリと場所を開けたいというのもあるしなあ。はてさてどうしたものか・・・。
現実の世界を現在時制の内容で表現すると、非現実の世界は未来時制の内容として表現できる。
現実の世界と非現実の世界は、英語では一対一の対応がある。
そして、現在時制の内容に対応した未来時制の内容が過不足なく考えられる。
真実は現実の中にある。が、真理は考え (非現実) の中にある。
現実は真実である。現実の内容として述べられる非現実は嘘である。
時制がなく、現実と非現実の区別がつかなければ、本人は嘘ついてるという自覚はない。
話の内容が現実離れしていることに違和感がない。
現実の内容は五感の働きにより得られるが、非現実の内容は瞑想により得られる。
現実の世界が過不足なく成り立つように、考えの世界も過不足なく成り立っている。
もしも、考え (非現実) の世界に矛盾があれば、それを見つけて訂正しなければならない。
自他が協力して構想の中の矛盾を丹念に淘汰すれば、非現実の世界は現実の世界と同じ広がりと正確さをもち、場当たり的な発言の内容とはならない。
日本語脳は、非現実の内容を脳裏にとどめ置くことができない。
それは、日本語には時制がないからである。
日本人は常に実を求めている。現実にとどまることのみを信じている。
日本人の考えは、現実の外に出るものではない。
現実を現実の外にある理想に導くものではない。
西遊記に出てくる孫悟空は、自己の有能さに得意になっていた。だが、釈迦如来の手のひらの中から外に出ることはできなかった。孫悟空には、世界観がないからである。
英語の時制を使うことができない英米人は、子供のようなものである。
だから、非現実の世界を考えることができない日本人は、12歳の子供のように見える。
考えがなければ、議論ができない。
日本では「議論をすれば、喧嘩になります」と言われている。
意思は未来時制の内容である。
時制が無ければ、恣意となり、その思いは公言にもならず宣言にもならない。
物事の決着は、談合により行われる。
そこには、公言も宣言も必要でない。
意見を述べようとすると「理屈を言うな。理屈なら子供でも分かる」と言って相手にしない。
もっぱら恣意と恣意のすり合わせを行って決着する。いわゆる、どんぶり勘定である。
和をもって貴しとなすためには、金を配るしかない。これも馬鹿の一つ覚えか。
現ナマは、現実の内容であり、日本人には信用の証となる。
究極の人生目的は、狭義の自己利益・金を得ることにある。
国内では、学閥など序列を作って自己利益を確保しようとする。それで、忠義が尊ばれている。
人間が縦一列に並んで他を入れない密な人間関係である。
序列作法の励行により、序列の外に出られない島国根性が植えつけられる。だから、玉砕を覚悟する。
国内においても、国際社会においても、日本人は金を配って存在感を示そうとする。
これもひとえに社会の中での序列順位向上のためである。
だが、日本人は内容のない発言により信用を失うことが多い。
それでも、日本人は人類のために貢献している。
だが、その貢献の仕方は、発言のない家畜が人類に貢献するのと似たところがある。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812