家族という病 (幻冬舎新書) | |
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昨年秋に、親父と決定的に仲たがいし、一週間ほど実家を離れていました。その後、親父とよりを取り戻し、今は平穏に実家で一緒に過ごしています。(参考記事)
あれから親父も徐々に変わって来ました。そして、今ではようやく、夕食後に世間話ができるようになりました。世間では、それが当たり前なのでしょうが。それでも、今までの親父からすれば、息子の話を素直に聞くようになっただけでも、大きな変化なのです。
なぜなら、それまでの親父と言うのは、表面上は相手に歩調を合わしているように見えても、心の中では「常に自分が一番正しい」「常に自分が一番偉い」と思っているような人でしたから。昔は常に家の中でお袋に暴力を振るっていました。私に対しても、親父に従順だった幼少期こそ私に優しくしてくれましたが、反抗期に入り親父と衝突するようになってからは、私の事を二言目には「片意地」「変子(へんこ)」呼ばわりするようになりました。
いくつか例を挙げます。
(1) 私は高校生の時に部落研(問題研究会)に一時期籍を置いていました。親父はその部落研加入に強硬に反対し、部員から自宅の私宛にかかってきた電話を全く取り次ぎませんでした。
(2) 大学から帰ると自宅に共産党の機関紙「赤旗」が置いてありました。どうやら職場で共産党員に購読を進められ、断り切れなかったようです。渋々、短期購読させられたようで、家族の目の前で「赤旗」の領収書を丸めて捨ててしまいました。そのくせ、自宅で購読しながら、私には「思想かぶれになる」と、読ませないようにしました。それも、私には直接言わずに、陰でコソコソお袋に言い含める様にして。
(3) 同じく大学時代に、地元の中学校で生徒のいじめ自殺事件が起こり、校長・教頭が隠ぺい工作に走る中で、教職員組合がそれを批判するビラを地域に配布し、自宅にもそのビラが入りました。家族の中でそのビラの事が話題になり、親父が組合を一方的に「アカ」「クレーマー」呼ばわりしだしたので、私がそれに異を唱え、その中で私が何気なく「民主教育」という言葉を口にした途端に、その言葉になぜか過剰反応し、私は親父から、いきなり怒鳴りつけられました。
(4) 私が大学卒業後に、親の紹介で一年間、私立高校の講師を勤めた後、自分の意志で地元の地域生協に就職した時の事。既に配属が決まり仕事を覚え始めなければならない時期であったにも関わらず、それでもまだ親父は教職にこだわっていました。当時、親父は公務員の上級幹部だったので、教育委員会にまで手を回して、私に無理やり教員採用試験を受けさせようとしました。この時も、私には直接言わずに、お袋を使って。お袋が泣いて私に受験する様に頼むので、私は日曜日に、仕方なく一次の筆記試験だけ受け、その代わりに、意趣返しに白紙の答案用紙を出して来てやりました。親父はカンカンになって怒っていましたっけ。
そういう感じなので、若い頃は、ほとんど親父との対話はありませんでした。親父も、この白紙答案提出以降は、すっかり私にさじを投げたようで、ようやく何も言って来なくなりました。
それから長い間、親父とは、特に政治の話題はお互いに避ける様にしてきました。どうせ話しても喧嘩になるだけですから。そういう中で、久しぶりに再び親父と対話が始まったのです。最初は鬱陶しいなと思っていた私でしたが、同時に、親父のこれまでの封建的な性格を少しでも変えるチャンスだと思い、私もなるべく親父と政治談議をするようにしたのです。
もちろん、若い頃のような喧嘩腰ではなく、穏やかに、親父にも分かるような物言いで、ちょうどブログに書いているような事を、食後の雑談の中で徐々に喋るように心がけました。職場の問題とか、トランプ大統領の話とか。最近では、森友・加計学園疑惑を例に引いて、安倍政権の縁故政治を批判するようにしています。
「親父、今の安倍政権、ちょっとおかしいと思えへんか?森友学園の問題にしても、幼稚園児に教育勅語を暗唱させるような教育を、手放しに礼賛して。そのくせ、問題が明るみになった途端に、掌を返すように『私は知らん』とか言い出して。加計学園の問題にしても、これからは少子化で学生の数も減って来るので、獣医学部の新設なぞ認められないと言っていたのに、安倍のお友達の学園理事長(下の写真の左端の人物)が獣医学部の新設を申請した途端に、鶴の一声で認めてしまって。マスコミは韓国・パククネ前政権の縁故政治を批判しているけど、日本の安倍政権もそれと同じじゃないか」
そう言ったら親父は何と言ったと思います?「ホンマ、その通りやな」と。これが普通の感覚なのでしょうけれど、今までの親父の発言や態度からしたら、「大きな変化」「大きな進歩」だと思いませんか?なぜなら、親父は最近こそ、兄貴の影響で維新を支持する様になりましたが、それまではずっと自民党支持で、選挙のたびに自民党に投票していましたから。
トランプ大統領の話題の時も、親父はトランプに批判的で、不法移民流入防止の為に、トランプがメキシコ国境に壁を作り、その費用をメキシコに負担させると言っている事についても、「独りよがり」と批判していたのは意外でした。自宅で購読している産経が、どちらかというとトランプ寄りの記事が多かった印象で、親父は毎日、その産経を熱心に読んでいましたから。私はすかさず、仕事帰りに見たスーパーの売り場でメキシコ産アボカドの特売セールをやっていた事や、米国がそのアボカドを輸入しており、国境を閉鎖すると困るのはむしろ米国の方である事、そもそも米国に不法移民が流入する様になったのも、米国主導のNAFTA(北米自由貿易協定)締結によって、メキシコに安い米国産農産物がなだれ込むようになり、食えなくなったメキシコ農民が不法移民化した為であって、その原因を作ったのは米国である事などを、親父に説明しました。(参考記事)
それで今、親父と何を話し合っているかと言うと、
「うち、昔から新聞は産経しか取って来なかったけど、もう産経なんて購読するの止めたらどうやろか?今、文科省前次官の出会い系バー記事の問題で、読売が御用新聞だと批判にさらされているだろう?産経なんて、もっと酷いじゃないか。書いている事は野党の揚げ足取りばかりで。もう21世紀になるというのに、天照大神(あまてらすおおみかみ)がどうたら楠木正成(くすのきまさしげ)がこうたらとか、暗に神話教育の復活をほのめかすような連載を一面トップに載せたり。時代錯誤も甚だしいで。」(参考記事)
「親父、初代の神武天皇が橿原神宮で即位したとされる約2700年前なんて、日本はまだ石器時代やったんやで。3世紀の邪馬台国の時代よりも、キリストが生まれるよりも更に昔に、橿原神宮なんて、そもそも存在するはずがないじゃないか。」
「産経や読売なんて、首相官邸や警察発表のリーク記事がほとんどなんだよ。それが証拠に、あの出会い系バーの記事にしても、情報の出所を全然明らかにしていないじゃないか。自分たちが怪文書みたいな記事を書いておきながら、(加計学園獣医学部認可ゴリ押しの動かぬ証拠となった)『総理のご意向』文書を怪文書だと批判する資格が、産経や読売にあると思うか?」
「朝日や毎日も、実は産経や読売とそんなに違わない。記者クラブに入らなければ官邸の取材が受けられないから、みな官邸に遠慮して安倍政権の批判をしなくなった。しても及び腰の、腫れ物に触るような『批判』ばかり。これじゃあ、昔の大本営発表と同じじゃないか。今の政府広報と同じじゃないか。そんなモノに、わざわざ購読料払ってまで読む必要があるのか?」
「確かに、そんな事言いだしたら、どの新聞も読めなくなる。親父はインターネットが出来ないから、なおさらだ。だから、新聞購読するのは仕方ないとしても、せめて、もう少しマシな新聞に購読を変えてみないか?」
「最近はNHKも、クローズアップ現代の国谷キャスターが更迭されたりして、段々、自由にモノが言えなくなって来ている。これでは、旧ソ連や今の中国、北朝鮮の国営放送と同じじゃないか。そういう意味では、民放もNHKと似たり寄ったりだけど、まだ多少はマシな番組もある。親父もNHKばかり観ずに、たまには民放も観たりして、なるべく複数の情報源から情報を得るようにした方が良いのじゃないか?」
そんな話を、この間、親父とするようになりました。
その中で、またもや親父が見合いの話を持ってきました。それも、私が全然、名前も顔も知らない東京の遠い親戚筋の話を。何でも、十数年前に絵をくれたその親戚に、当時まだ娘さんがいたそうです。その娘さんが今も独身なら一度会ってみないかと。その絵は、今も我が家の応接間の壁に掲げてありますが、肝心の娘さんは一体どんな人で、今どうしているか、親父もよく知らないのに。そんな、雲をつかむような話を、何でわざわざ今頃持ち出してくるのか。だから、私は親父に次のように言ってやりました。
「親父、安倍昭恵っておるやろ。総理大臣・安倍晋三の嫁や。その安倍昭恵が、総理夫人でありながら、なぜ家を空け、毎日のように外を飛び回っているか、知ってるか?」
「姑(しゅうとめ)の岸洋子からいびられるからだよ。安倍晋三も岸洋子(夫はA級戦犯の岸信介)も、右翼的で封建的な家庭で育った為に、伝統や世間体といったものにばかりとらわれ、個人の自由な生き方を認めて来なかった。そんな岸洋子からすれば、森永製菓創業家のお嬢様として自由気ままに育てられた昭恵は、いわば目の上のたんこぶだ。安倍晋三も、自分は昭恵の夫のくせに、おばあちゃん子のマザコンよろしく、常に岸洋子の言いなりで、全然、昭恵をかばおうとしない。だから、昭恵は家に居づらくなり、外で居酒屋を経営したり、変な新興宗教にかぶれたり、口車に乗せられて森友学園の名誉校長を引き受けてしまったのだ。本気で嫁いびりに打ち勝とうと思うなら、それを生み出した封建的な家族関係から変えていかなければならなかったのだが…。ところが、お嬢様育ちの昭恵は、そこまで性根が座っていなかった。だから、同じような封建的・右翼的な体質の森友学園に絡み取られてしまったのだ。」
「俺は安倍昭恵みたいには絶対にならないからな。もし、仮に相手と見合いする様になっても、昔みたいに、釣書の文面にまでいちいち干渉して来るなよ。見合いするのは親父ではなく、あくまで俺なんだから。自分のプロフィールぐらい自由に書かせろ。俺と親父はそれぞれ価値観が違う。世の中、色んな価値観があって色んな人間がいるから面白いんだ。どんな人間にも自由に生きる権利がある。そして、どんな人間もみんな平等や。誰が誰よりも偉いとか、男はみんな所帯持ちで出世しなければならないといった、そんな古臭い鋳型に俺を無理やり押し込まないでくれ。昔、書かされたような、あんな「馬の血統書」みたいな堅苦しい釣書しか書けないんだったら、もう二度と見合いなぞしてやらないからな!」
そこまで私が一気にまくしたてたので、親父は「分かった、分かった」と、うなづくのに精一杯のようでした。
世間の人が見たら「お互い、もう好い歳した大人なのに、なぜ釣書の内容までいちいち干渉して来るのか?」と思うでしょう。私もそう思います。でも、親父にはそれがまだまだ分からないのです。なぜなら、親父は「毒親」だから。その「毒親」ぶりたるや、すさまじいものでした。
私の思春期から二十歳代ぐらいまでは、私の人生は、ある意味、そんな「毒親」との闘いの歴史でした。その後、時間の経過とともに、親父の「毒親」ぶりも鳴りを潜めていきました。ところが、兄弟が相次いで結婚・独立し、お袋が亡くなると同時に、再び親父の「毒親」ぶりが頭をもたげてきました。それは、この間、ブログで書いた通りです。
「毒親」とは、子どもの教育に悪影響を与える親の事です。その容態は、身体的暴力や精神的暴力から近親相姦に至るまで様々です。「毒親」に育てられた子どもは、「毒親」以外の家庭を知らない為に、様々な性格のゆがみを抱える事になります。必要以上に他人の目を気にして、常にビクビク・オドオドし、普通に自己主張が出来ない、まともにコミュニケーションが取れない人間に育ってしまうのです。私も学生時代は一時期そういう状態にありました。自分を客観視できるようになって、ようやく「毒親」の呪縛から逃れられるようになったのです。
先日、私のブログに現れた「荒らし」が、「何てお前は親父に冷淡なのか。衆人環視のブログにまで、わざわざ家の恥をさらして。もっと親孝行してやったらどうか?」と、私に言い放ちました(参考記事)。しかし、私に言わせれば、そんな物言いこそ、能天気で無責任な戯言でしかありません。場合によっては「衆人環視のブログ」に敢えて「家の恥」をさらさなければ、自分の家庭の異常さを自覚し、自分を客観視できるようにはなれないのです。
「年寄りはもう変わらない」。確かにそうかも知れません。でも、それでも、今後も親父が健在の間は、ともに一つ屋根の下で生活していかなければならないのだから、ある程度は変わってもらわないと困るのです。