アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

読者に伝わるブログ目指して

2014年07月13日 22時00分53秒 | 当ブログと私の生い立ち
 

 今日はブログを書く際の苦労談みたいな事を書いてみたいと思います。それも、ただの苦労談だけでなく、書く際に注意している点とか、それが日常生活や仕事でどう生かせたか、という事まで含めて書いてみます。この私のつたない体験談が、他の人の文章執筆やチラシ作りに少しでもお役にたつ事が出来れば、これほど嬉しい事はありません。

 私のブログは、2001年の米国ニューヨーク同時多発テロと、その後に起こったアフガン戦争、イラク戦争に触発されて、反戦を訴える個人サイトとして始まりました(詳しくは当時のブログ開設宣言を参照)。ちょうどその頃、長年勤めた生協を退職したのを機に、職業訓練で通っていたパソコン教室で習ったホームページ作成技術を何かに生かしたかったという動機もあって、ホームページと議論掲示板の形でスタートしました。そして、北朝鮮拉致問題が大きく取り上げられるようになってからは、その話題にも関わるようになりました。それが、今の「アフガン・イラク・北朝鮮と日本」という、このブログの原型です。

 だから、元々は政治的話題中心の、比較的硬派なブログでした。それが、長期に渡るバイト生活の中で、徐々に職場の労働問題にも関わるようになるにつれ、「幾ら偉そうに反戦だ、北朝鮮の人権問題だと言っていても、一番身近な職場の矛盾やバイト搾取に目をつむっていて、反戦も人権もないだろう」「反戦や人権を言うなら、なおさら、職場の矛盾とも向き合わなくてはならない」と思うようになりました。特に、前職場で私自身が露骨なコスト削減・労働強化に直面してからは、なお一層、職場にはびこる奴隷根性を一掃して、労働者の自覚を促す必要を痛感するようになりました。

 その為には、職場の仲間にも理解でき共感できる記事にしなければなりません。そうすると、それまではごく普通に使っていた「新自由主義」「ネオコン」「帝国主義」「ファシズム」などの用語も、そのまま何気なしに使っていたのでは、今のご時世では、いくら連呼しても知識人やホワイトカラーの上層部にしか伝わらない、という事に気が付きました。それが良いか悪いかは別として。それらの用語で表現される事態が、いくら職場でバイト搾取の形ではっきり現れていても、労働者がそれを自覚できず理解できなければ何の意味もありません。「新自由主義」だのの内容についても、「弱肉強食」「富国強兵」などの、もっと相手に分かりやすい言葉で伝えなければならないと思うようになりました。

 もちろん、この「弱肉強食」などの表現が適切かどうかについては、色々と意見はあると思います。私自身も、決してこれがベストだとは思っていません。もっと適切な表現があるなら是非教えて下さい。それに、余りその方向ばかりに走ってしまうと、職場の愚痴だけで終わってしまい、「ホワイトカラー上層部」からは逆に、「何だ程度の低い」「ただ愚痴をぶちまけているだけのブログじゃないか」とも見られかねない。たとえ表現は分かりやすくしても、事の本質はちゃんと相手に伝えなければならない。そんな中で試行錯誤しながら書いています。

 これは記事の分量や字数についても言えます。ほとんどが事務作業で、土日祝日きちんと休めて、ゴールデンウィークや夏休み(盆休み)・正月休みも確保でき、ボーナスももらえる公務員や大企業正社員などの「上層市民」とは違い、ほとんどのワーキングプアはその日暮らしで、帰ったら本を読む時間もない。実際は、そういう人たちにこそ一番読んでもらいたいブログなのに。そういう人たちにも毎日読んでもらう為には、インターネットで流すだけでなく、インターネットをやらない人にはブログ記事をコピーして手渡して読んでもらわなければならない。休憩時間や退勤後に読んでもらう為には、それなりの分量にコンパクトに抑えなければならない。でも、その中でも、私の言いたい事はきちんと伝えられるようにしなければならない。

 そこで、このブログはGooのサーバーに間借りしているレンタルブログで、そのレイアウトもGooの出来合いのデザインから拝借しているのですが、その中でも、出来るだけシンプルで地味なデザインを敢えて選びました。ネットでの宣伝(アクセス数伸長)という点では、むしろ人目を引くデザインの方が良いのですが。職場でのリアル読者への宣伝を考えると、無駄に印刷枚数を増やす真似はしたくないので。
 記事一本当たりの字数は大体3千字程度を目安に書いています。紙数にすると大体A4用紙2枚分、両面コピーだと1枚のビラに収まる位を目安に。但し、テーマによっては、到底それだけでは収まらない場合も出てきます。集会やデモのレポート記事で、多くの方の発言を伝え、画像も一杯アップしなければならない場合なぞは特にそうです。

 そんな場合でも、出来ればA4用紙4枚分には収まるようにしています。そこまでなら、A3用紙の両面を鏡像印刷で、見開き4ページにすれば1枚の紙で済みます(上記画像参照)。職場での配布時間は始業前や休憩時間に限られるし、職制には見つからないように手渡ししなければならないので、配布の手間は出来るだけ省かなければなりません。但し、どうしても書く内容に左右されるので、これらの制限もあくまで「出来れば」です。
 こういうノウハウも、ブログ記事を職場で配布するようになって、初めて身に付きました。その甲斐あって、自分で言うのも何ですが、タブロイド判のミニコミ誌みたいに、結構きれいに仕上げる事も出来るようになりました。

 ただ、これも至難の業なのです。ブラウザ(パソコン画面)ではいくらキレイに表示されていても、プリンターで印刷したらレイアウトが崩れてガタガタにしか印刷できない事はよくあります。ブログのレイアウトは、あくまでブラウザ表示用に作られた物であって、印刷用に作られた物ではないからです。それを避ける意味もあって、ブログのデザインは出来るだけシンプルな物を選んだのですが、それでも、添付画像の数が多くなればなる程、レイアウトの崩れに見舞われる事が多くなります。前回前々回の集団的自衛権の記事なぞは比較的きれいに印刷できるレイアウトに仕上がりましたが、その前の反原発講演会の記事なぞは、どうしてもページの変わり目に画像が来てしまい、後に余分な空白が出来て、印刷ページ数ばかり増えてしまいました。この時は、フレーム印刷(横のブログ目次などを省いて記事本文のみ印刷できる機能)で対処しようとしてもうまく行かず、記事の文章を別の新たなワードファイルに落として、ようやく配布可能な枚数に抑える事が出来ました。

 当然、記事の文章についても、どうしたら、より分かりやすく、短い文章で、但し言いたい事の本質はきっちり押さえて外す事無く、相手に伝わるようにするにはどう書けば良いだろうか、常に意識するようになりました。意識する余り、それがプレッシャーになり、下書きばかり溜まってなかなか記事をネットに公開出来なかったり、公開した後も言い回しや記事のタイトルを何度も変えたり、という事もしょっちゅうです。
 また、自分の意見は当然あっても、それが押し付けになってはいけないと思う余りに、「僕はこう思う、僕はこうした」という内容ばかりで、「読者にはどうあって欲しいか」が逆に見えず、「一匹狼の社説」に止まってしまっているという意見も、最近、職場の読者からいただきました。私は、自分の意見ばかり強要するよりも、私の生き方を観て相手がどう捉えるか、どう考えてくれるかという事の方が大事だと思っていたのですが、これがパンチ不足として出てしまった様です。前回の元自衛官の集団的自衛権反対演説の紹介記事では、その点も考慮に入れて、自分の主張から更に踏み込んで、「貴方はこのままでも良いと思っているのですか?」と問いかける形にしてみました。果たして、出来栄えはどんなものでしょう?

 毎日そういう事ばかり考えているので、職場の掲示物を観ても、粗(あら)ばかりが目についてしまいますw。例えば下記の掲示なぞもそうです。

  

(以下、最左上写真の掲示から引用)
センター納品時の梱包資材持ち帰りについて

平素は大変お世話になっております。
また、日ごろから××センターへの納品にあたっては、色々と御協力頂き感謝申し上げます。
早速ですが、現在センターへの納品時には、センター指定の物流什器に積替えを実施して頂いておりますが、一部の納品業者の方で、センター納品時に破損防止などの目的で使用しています梱包資材・納品関係物を、納品口付近や、接車バース外側などに投棄している状況などが散見されます。
(以下、ラップや木製パレット片、破損防止用の鉄枠、剥がれ落ちた添付ラベルやシールなどの例を箇条書きで逐一挙げているが、もう引用するのも面倒なので省略)
センターとしては、納品時における梱包資材、パレット等はその場で持ち帰りして頂きます様に、何卒ご理解ご協力の程、宜しくお願い致します。
(引用終了)

・・・何でこんな回りくどい文章しか書けないのだろう?しかも、こんな小さな掲示板に張り出して。これでは、納品業者は全然気が付かないし、仮に気が付いても、それでなくても納品時のくそ忙しい時に、こんな回りくどい、ざっと読んだだけでは何書いているかも分からない文章なぞ、最後まで読む気にならないでしょう。営業マン同士でやり取りしたメール文を、横着してそのまま現場に張り出すから、こんな事になるのです。掲示主の「本気度」がよく分かります。
 こんな掲示をいくらしても、アリバイ証明にしかならず、納品業者には全然伝わらないので、私が別途、下記の掲示を現場に張り出しました。

(以下、上の真ん中の写真の掲示から引用)
荷受け場の整理整頓!
カゴ車、台車、パレット、渡り板、木片、PPバンド、ビニール、紙くずをそのまま放置しない!
(引用終了)

 この様に掲示すれば、いくらお互いに忙しい中でも、相手にこちらの言いたい事が伝わるでしょう。確かに、得意先に余り偉そうに言うのは禁物ですが、整理整頓やゴミの不法投棄禁止なんて、守られて当然の事でしょう。こういう事すら守れない様な得意先には、これくらいキツク出ても罰は当たりません。この文章力や度胸も、日頃ブログを書いているから身についたのかも。
 ・・・と、ここまで書いて、さきほど印刷プレビューで確認したら、A4用紙3ページ分になってしまいました。後半の職場ネタを切り離せば、ちょうどA4両面の2ページに収まるのですが、中途半端に1ページだけ残しても仕方ないので、もうこれで行く事にします。
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3 コメント

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ポルトガル人とメキシコ人の女の子が (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2014-07-14 20:40:08
先日、面白いことを言っていましたよ。
「日本人って、楽しいとか可愛いとかやさしいとかばっかりですね」って。
この三つ目の「やさしい」は「優しい」と「易しい」の両方だそうですが、オレも彼女たちの日本人観は、現代日本人の特質の一端を的確にとらえていると思いますね。
ただし、上記は半ば以上軽蔑の含みがあることは知っておくべきでしょう。現代の日本人の精神的劣化は20代の大卒外国人女性たちにとっても感じ取れるものなのだと思います。
なお、上記の発言は、音楽や映画・演劇、テレビ番組など、日本の文化についておしゃべりしている中で出てきたものです。
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荷受け場整理の続報 (プレカリアート)
2014-07-19 05:16:47
 使用後の備品はちゃんと元の位置に戻せとか、ゴミを捨てるなとか、警告表示だけでは誰でも出来ます。それも、私が何度か会社にかけ合って、初めて表示するようになったものです。
 しかし、その後も不当投棄されたガラクタはそのままで、納品業者も相変わらず散らかし放題、会社もそれを見て見ぬふり。私がそれに業を煮やして、木切れや不要パレットなどのガラクタを、わざと事務所前まで持って行って、社員に処分してもらう様、書置きをしておきました。
 すると会社はどうしたか。私が事務所前に持ち込んだガラクタ類を、毎日少しずつ横のバイト作業スペースの方に移動し始めたのです。それも、毎日数十センチずつ、こっそりと。どうせ、そこで働いている農産担当のN君に、ガラクタの処理を押し付けようと思っているのでしょう。N君は気が良く、何でも会社の言う事を聞いてくれるので、社員登用試験受験などをエサにして。何とセコイ事をする会社なのか。
 これは、あくまでも私の推測にしか過ぎません。しかし、もう梅雨明け間近だというのに、未だに更衣室にエアコンも入れず、バイトにエアコン入れろと落書きまでされているのに、未だに無しの礫である事からも、この会社のセコイ体質は明らかです。何てセコイ、ずるい会社なのか!
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Re:ポルトガル人とメキシコ人の女の子が (プレカリアート)
2014-07-20 20:30:11
>現代の日本人の精神的劣化

 これは一にも二にも戦後自民党による教育改悪のせいでしょう。単に日の丸・君が代強制だけでなく、政治教育そのものを拒否してきた結果です。そう考えない事には、国旗国歌法による君が代強制は黙認しながら、原爆忌や護憲集会を俳句に詠む事すら「政治的」だとするトンデモ屁理屈が、まかり通るようになったのは何故なのか、説明する事が出来ません。
 映画「パッチギ」監督の井筒和幸氏が、地元での護憲講演会で、昔はどんな出来の悪い生徒でも答えられた常識問題(例:第二次大戦で日本と戦ったのは米国か韓国か?)にもまともに答えられない中学生が増えた事を嘆いていられましたが、それもこれも、人権や自由を単なる徳目としか教えず、ブラック企業に見られる様な現実の人権侵害から目を逸らさせよう逸らさせようと、長年に渡って仕向けてきた事の当然の帰結でしょう。
 それに加えて、高齢者の孤独死など、先進国特有の生活崩壊も影響しているのではないでしょうか。これだけ相対的貧困率が上昇しているのに、それが中南米の様に反貧困・反米の左翼復権の兆しとしてではなく、逆に排外主義・反知性主義の台頭や右傾化として現れてしまうのも、これらの国にはまだ見られる家族や地域社会での相互扶助が、先進国ではとうに失われてしまった事による影響もあるのかも知れません。
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