【IWJ_OKINAWA】「沖縄オスプレイ配備阻止アクション」ハイライト映像
(注:音声しか聴こえない場合は右下のyoutubeボタンをクリックして直接youtubeで視聴して下さい)
米軍輸送機オスプレイの沖縄配備については本土のメディアでも取り上げられていますが、事故多発機に対する地元の不安について言及はされても、ともすれば領土問題や安保・国防といった「上から目線」でしか報じられませんでした。私自身も、現地で抗議集会やゲート前封鎖が行われている事を知ってはいても、ここまで全県ぐるみの盛り上がりになっているとは思いませんでした。これでは私自身も他人の事なぞとやかく言えませんね。肝心の「民」を守らずして何の「国防」か。これは何も沖縄だけに限らず福島原発事故その他の問題についても全て言える事です。遅まきながらではありますが、自分自身のメモも兼ねて、本土ではなかなか報じられない「沖縄の怒り」をこちらにも転載しておきます。
・宮森の悲劇 二度と オスプレイ配備阻止へ写真展(琉球新報、2012年9月26日)
【宜野湾】米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの普天間飛行場配備に反対する機運を高めようと、1959年の宮森小米軍ジェット機墜落事故を語り継ぐ「石川・宮森630会」(豊濱光輝会長)の写真展が24日、宜野湾市役所で始まった。28日まで。
写真展では、墜落事故直後のがれきと化した宮森小の写真や担架で運ばれる児童らの写真に加え、当時の在校生らによる証言など約80点を展示している。
同日午前の開幕式で松川正則副市長は、2004年に起きた沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故に触れ「記憶をつなぐことは重要で、二度と同じような事故を起こしてはいけないという思いは同じ。オスプレイ配備撤回に向け、一緒に取り組みたい」と話した。
同会の久高政治事務局長は「事故は過去の出来事ではなく、現在起こりうる沖縄の現実。事故の実情を見てもらい、オスプレイ配備反対に心一つに取り組む一助になれば」と期待、豊濱会長は「18人が命を落とした宮森小事故を教訓としなければならない」と力を込めた。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-197357-storytopic-5.html
・300人、阻止へ拳 首長ら抗議集会(同上、2012年9月27日)
【宜野湾】県議会の各会派代表者らでつくるオスプレイ配備に反対する県民大会実行委員会による抗議集会が26日朝、米軍普天間飛行場野嵩ゲート前で始まった。呼び掛けに応じ集まった県選出・出身の国会議員や県内市町村長のほか市民団体も参加し、約300人が「オスプレイ配備断固反対」「普天間基地を閉鎖・返還せよ」などと拳を上げた。
実行委は当初座り込み行動を予定していたが、人数が膨れ上がったために抗議集会に切り替えた。27日も朝から実施する。28日以降も、強行配備に対抗する行動を起こす予定だ。
共同代表の喜納昌春県議会議長は「民主主義を日米両政府に示していく。沖縄には絶対オスプレイを飛ばさない。仮に来たとしても、一日も早く日本から排除する、そういう闘いを粘り強くやっていこう」と述べた。
県内7市町長が駆け付けた。共同代表も務める翁長雄志那覇市長は「県民大会の第2弾の運動になる。あらためて運動を盛り上げ、私たちの意思を示していこう」とあいさつ。佐喜真淳宜野湾市長は「県民大会の延長で、オスプレイに反対していく。政府にはしっかり受け取っていただきたいし、無視するのはいかがなものか」と話した。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-197391-storytopic-3.html
・騒々しい工場内と同等 オスプレイ通過時 県の騒音測定(同上、2012年10月2日)
米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが、1日に宜野湾市の普天間飛行場に初飛来した際の基地周辺の住宅地の騒音は、最大で89・2デシベルだったことが、2日に発表された県の騒音測定結果で分かった。騒々しい工場内やカラオケ店内が目安となる90デシベルに迫る音量。
県が1日に、宜野湾市の上大謝名公民館に設置している騒音測定器で計測した。最初の2機が公民館上空を通過した午前11時6分に83・7デシベルを測定。3機目通過の同24分に86デシベル、4機目の同27分に89デシベルが計測された。5、6機目が通過した同44分が最大の89・2デシベルだった。通過時はいずれも地下鉄の車内やテレビの大音量が目安となる80デシベルを超えた。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-197617-storytopic-252.html
・オスプレイ飛来 県民「反対」の中強行(沖縄タイムス、2012年10月1日 11時54分)
米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ6機が1日午前、一時駐機していた岩国基地(山口県)から普天間飛行場に相次いで離陸、同日正午までに6機が着陸した。仲井真弘多知事をはじめ沖縄側が配備中止を強く求める中、米軍は普天間への移動を強行した。民意に反して配備を強行した日米両政府と沖縄側の隔たりは決定的となり、激しい県民の反発を招くことは必至だ。
普天間に向かったオスプレイはまず2機が同日午前8時51分、岩国基地を離陸。続いて2機が9時5分、さらに2機が9時17分にそれぞれ離陸した。
仲井真知事は9時40分ごろ、県庁内で記者団に「県民の不安を払拭(ふっしょく)しないまま強行することは理解を超える。極めて残念で遺憾としか言いようがない」と述べた。知事は宜野湾市役所に向かい、機体の到着を確認する。普天間飛行場周辺では市民団体などが抗議行動を行い、配備反対のシュプレヒコールを上げた。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-01_39691
・オスプレイ:市民ら抗議のたこ揚げ(同上、2012年10月3日 09時41分)
【宜野湾】沖縄平和運動センターのメンバーら約20人が2日、普天間飛行場南側の森川公園でたこを揚げて抗議した。オスプレイが普天間に着陸する直前には大謝名からも揚がった。野嵩ゲートで座り込んだ人は「もっとたこや風船を揚げ続けるための募金を集めよう」と呼び掛け、約130人から約7万円が集まった。山城博治事務局長は「県民が本気になれば、オスプレイを止められる」とたこ揚げや風船掲揚を広く呼び掛ける考えだ。
森川公園ではフェンス越しに海兵隊憲兵隊が軍用犬を連れて警戒、公園を管理する宜野湾市職員や警察官が約20人訪れ、たこ揚げを遠巻きに見ていた。
飛行ルートに住む宜野湾市愛知の男性(44)はこの日早朝の野嵩の抗議集会に訪れて知り、たこ揚げ行動に賛同。「気合を入れてたこ揚げするなんて、沖縄の悲しい状況があるが、意思表示したい」と話した。
伊波義安さん(70)は「戦後67年の怒りが爆発するのはこれからだ。沖縄の人が誇りを持って扱われるまで終わらない」と話した。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-03_39770
・オスプレイ:市街地上空でヘリモード(同上、2012年10月3日 09時46分)
オスプレイは2日までに、山口県の岩国基地から9機が配備された。プロペラを垂直方向に向けるヘリモードで基地外を飛んだり、人口の多い住宅街を飛ぶこともあり、初日から9月に日米で合意した安全策に反して飛行した。「ほとんどの時間を(プロペラを前に向けた)固定翼モードで飛ぶ」ことを原則としながら、ヘリモードでしかできない急旋回で着陸するなど、米軍が意のままに飛行する実態が浮かんだ。
6機が飛来した1日は、初めの2機が中城方面から飛来し、沖縄自動車道の西原インター上空から右に急旋回し、宜野湾市の上大謝名区方向から進入、着陸。3~6機目は那覇軍港方面から浦添を通って滑走路に入ってきた。
いずれのルートでも、複数の機体がヘリモードで、市街地上空を飛んでいるのを住民や本紙記者が確認。日米が合意した安全策はヘリモードの飛行を基地や訓練場内に限定しており、目撃した住民からは「合意を守っていない」との批判が相次いだ。
3機が飛んできた2日は、北中城村方面から中城村をへて普天間に。人口密集地を避けることになっているが、その間、住宅街上空を飛んだことになる。
3機は1日と異なり、滑走路東側を右に急旋回し、滑走路の中ごろを目指して進入した。真横から入るには急激にスピードを落とす必要があり、市街地上空でヘリモードにせざるを得なくなる。
ヘリモードでの市街地飛行に、宜野湾市の佐喜真淳市長は「安全策は今後も守られると思わない」と厳しくみている。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-03_39766
・オスプレイ:市民「沖縄版アラブの春だ」(同上、2012年10月3日 09時57分)
反基地運動で復帰後初めて普天間飛行場のゲートを封鎖し、警官と衝突した市民の座り込み行動。1週間がたった2日、オスプレイ配備の強行に、この日も野嵩ゲート前には、午前7時ごろから200人以上の市民が集まり、飛行中のオスプレイに向かって怒りの拳を突き上げ、「反対」を叫んだ。
連日、座り込みに参加している北谷町の源河朝喜さん(73)は「県民の反対に、日米両政府もさすがに配備を遅らせるのではと思っていたのだが」と怒りを新たにした。今後は「基地機能の強化に反対する視点を持ち、多くの県民を結集させる取り組みが必要」と語り、3日以降も野嵩ゲート前に足を運ぶつもりだ。
毎朝、65歳以上の人を中心に抗議を続けている大山ゲート前でも、この日は約20人が集まり、シュプレヒコールを上げたり、ゲート前の道路で車を徐行させて基地への出入りを阻もうとした。沖縄市の照屋秀伝さん(75)は「強行は想定内。諦めず、可能な限り戦う」と決意を示した。
沖縄平和運動センターの山城博治事務局長は「飛来を許して申し訳ない。でもありがとう。濃密な1週間だった」と座り込んだ仲間に感謝。「座り込み行動で基地の機能が止まることが証明された」と胸を張り、「熱い思いを無駄にしたくない。いつかオスプレイを追い返そう」と3日も座り込む。
市民報道メディア「インディペンデント・ウェブ・ジャーナル(IWJ)」は、連日の座り込みの様子をネットで配信。カメラを向けるIWJの原佑介さん(27)は、7日間の動きを昨年の中東民主化運動になぞらえ、「沖縄版アラブの春」と称した。「脅威にさらされてきた県民の諦めない姿勢を伝えたい」と報道を続ける。
9・9県民大会実行委員会の集会は2日で終了したが、市民らは3日以降も午前7時から午後8時まで座り込み行動を続ける。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-03_39763
(注:音声しか聴こえない場合は右下のyoutubeボタンをクリックして直接youtubeで視聴して下さい)
米軍輸送機オスプレイの沖縄配備については本土のメディアでも取り上げられていますが、事故多発機に対する地元の不安について言及はされても、ともすれば領土問題や安保・国防といった「上から目線」でしか報じられませんでした。私自身も、現地で抗議集会やゲート前封鎖が行われている事を知ってはいても、ここまで全県ぐるみの盛り上がりになっているとは思いませんでした。これでは私自身も他人の事なぞとやかく言えませんね。肝心の「民」を守らずして何の「国防」か。これは何も沖縄だけに限らず福島原発事故その他の問題についても全て言える事です。遅まきながらではありますが、自分自身のメモも兼ねて、本土ではなかなか報じられない「沖縄の怒り」をこちらにも転載しておきます。
・宮森の悲劇 二度と オスプレイ配備阻止へ写真展(琉球新報、2012年9月26日)
【宜野湾】米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの普天間飛行場配備に反対する機運を高めようと、1959年の宮森小米軍ジェット機墜落事故を語り継ぐ「石川・宮森630会」(豊濱光輝会長)の写真展が24日、宜野湾市役所で始まった。28日まで。
写真展では、墜落事故直後のがれきと化した宮森小の写真や担架で運ばれる児童らの写真に加え、当時の在校生らによる証言など約80点を展示している。
同日午前の開幕式で松川正則副市長は、2004年に起きた沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故に触れ「記憶をつなぐことは重要で、二度と同じような事故を起こしてはいけないという思いは同じ。オスプレイ配備撤回に向け、一緒に取り組みたい」と話した。
同会の久高政治事務局長は「事故は過去の出来事ではなく、現在起こりうる沖縄の現実。事故の実情を見てもらい、オスプレイ配備反対に心一つに取り組む一助になれば」と期待、豊濱会長は「18人が命を落とした宮森小事故を教訓としなければならない」と力を込めた。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-197357-storytopic-5.html
・300人、阻止へ拳 首長ら抗議集会(同上、2012年9月27日)
【宜野湾】県議会の各会派代表者らでつくるオスプレイ配備に反対する県民大会実行委員会による抗議集会が26日朝、米軍普天間飛行場野嵩ゲート前で始まった。呼び掛けに応じ集まった県選出・出身の国会議員や県内市町村長のほか市民団体も参加し、約300人が「オスプレイ配備断固反対」「普天間基地を閉鎖・返還せよ」などと拳を上げた。
実行委は当初座り込み行動を予定していたが、人数が膨れ上がったために抗議集会に切り替えた。27日も朝から実施する。28日以降も、強行配備に対抗する行動を起こす予定だ。
共同代表の喜納昌春県議会議長は「民主主義を日米両政府に示していく。沖縄には絶対オスプレイを飛ばさない。仮に来たとしても、一日も早く日本から排除する、そういう闘いを粘り強くやっていこう」と述べた。
県内7市町長が駆け付けた。共同代表も務める翁長雄志那覇市長は「県民大会の第2弾の運動になる。あらためて運動を盛り上げ、私たちの意思を示していこう」とあいさつ。佐喜真淳宜野湾市長は「県民大会の延長で、オスプレイに反対していく。政府にはしっかり受け取っていただきたいし、無視するのはいかがなものか」と話した。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-197391-storytopic-3.html
・騒々しい工場内と同等 オスプレイ通過時 県の騒音測定(同上、2012年10月2日)
米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが、1日に宜野湾市の普天間飛行場に初飛来した際の基地周辺の住宅地の騒音は、最大で89・2デシベルだったことが、2日に発表された県の騒音測定結果で分かった。騒々しい工場内やカラオケ店内が目安となる90デシベルに迫る音量。
県が1日に、宜野湾市の上大謝名公民館に設置している騒音測定器で計測した。最初の2機が公民館上空を通過した午前11時6分に83・7デシベルを測定。3機目通過の同24分に86デシベル、4機目の同27分に89デシベルが計測された。5、6機目が通過した同44分が最大の89・2デシベルだった。通過時はいずれも地下鉄の車内やテレビの大音量が目安となる80デシベルを超えた。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-197617-storytopic-252.html
・オスプレイ飛来 県民「反対」の中強行(沖縄タイムス、2012年10月1日 11時54分)
米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ6機が1日午前、一時駐機していた岩国基地(山口県)から普天間飛行場に相次いで離陸、同日正午までに6機が着陸した。仲井真弘多知事をはじめ沖縄側が配備中止を強く求める中、米軍は普天間への移動を強行した。民意に反して配備を強行した日米両政府と沖縄側の隔たりは決定的となり、激しい県民の反発を招くことは必至だ。
普天間に向かったオスプレイはまず2機が同日午前8時51分、岩国基地を離陸。続いて2機が9時5分、さらに2機が9時17分にそれぞれ離陸した。
仲井真知事は9時40分ごろ、県庁内で記者団に「県民の不安を払拭(ふっしょく)しないまま強行することは理解を超える。極めて残念で遺憾としか言いようがない」と述べた。知事は宜野湾市役所に向かい、機体の到着を確認する。普天間飛行場周辺では市民団体などが抗議行動を行い、配備反対のシュプレヒコールを上げた。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-01_39691
・オスプレイ:市民ら抗議のたこ揚げ(同上、2012年10月3日 09時41分)
【宜野湾】沖縄平和運動センターのメンバーら約20人が2日、普天間飛行場南側の森川公園でたこを揚げて抗議した。オスプレイが普天間に着陸する直前には大謝名からも揚がった。野嵩ゲートで座り込んだ人は「もっとたこや風船を揚げ続けるための募金を集めよう」と呼び掛け、約130人から約7万円が集まった。山城博治事務局長は「県民が本気になれば、オスプレイを止められる」とたこ揚げや風船掲揚を広く呼び掛ける考えだ。
森川公園ではフェンス越しに海兵隊憲兵隊が軍用犬を連れて警戒、公園を管理する宜野湾市職員や警察官が約20人訪れ、たこ揚げを遠巻きに見ていた。
飛行ルートに住む宜野湾市愛知の男性(44)はこの日早朝の野嵩の抗議集会に訪れて知り、たこ揚げ行動に賛同。「気合を入れてたこ揚げするなんて、沖縄の悲しい状況があるが、意思表示したい」と話した。
伊波義安さん(70)は「戦後67年の怒りが爆発するのはこれからだ。沖縄の人が誇りを持って扱われるまで終わらない」と話した。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-03_39770
・オスプレイ:市街地上空でヘリモード(同上、2012年10月3日 09時46分)
オスプレイは2日までに、山口県の岩国基地から9機が配備された。プロペラを垂直方向に向けるヘリモードで基地外を飛んだり、人口の多い住宅街を飛ぶこともあり、初日から9月に日米で合意した安全策に反して飛行した。「ほとんどの時間を(プロペラを前に向けた)固定翼モードで飛ぶ」ことを原則としながら、ヘリモードでしかできない急旋回で着陸するなど、米軍が意のままに飛行する実態が浮かんだ。
6機が飛来した1日は、初めの2機が中城方面から飛来し、沖縄自動車道の西原インター上空から右に急旋回し、宜野湾市の上大謝名区方向から進入、着陸。3~6機目は那覇軍港方面から浦添を通って滑走路に入ってきた。
いずれのルートでも、複数の機体がヘリモードで、市街地上空を飛んでいるのを住民や本紙記者が確認。日米が合意した安全策はヘリモードの飛行を基地や訓練場内に限定しており、目撃した住民からは「合意を守っていない」との批判が相次いだ。
3機が飛んできた2日は、北中城村方面から中城村をへて普天間に。人口密集地を避けることになっているが、その間、住宅街上空を飛んだことになる。
3機は1日と異なり、滑走路東側を右に急旋回し、滑走路の中ごろを目指して進入した。真横から入るには急激にスピードを落とす必要があり、市街地上空でヘリモードにせざるを得なくなる。
ヘリモードでの市街地飛行に、宜野湾市の佐喜真淳市長は「安全策は今後も守られると思わない」と厳しくみている。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-03_39766
・オスプレイ:市民「沖縄版アラブの春だ」(同上、2012年10月3日 09時57分)
反基地運動で復帰後初めて普天間飛行場のゲートを封鎖し、警官と衝突した市民の座り込み行動。1週間がたった2日、オスプレイ配備の強行に、この日も野嵩ゲート前には、午前7時ごろから200人以上の市民が集まり、飛行中のオスプレイに向かって怒りの拳を突き上げ、「反対」を叫んだ。
連日、座り込みに参加している北谷町の源河朝喜さん(73)は「県民の反対に、日米両政府もさすがに配備を遅らせるのではと思っていたのだが」と怒りを新たにした。今後は「基地機能の強化に反対する視点を持ち、多くの県民を結集させる取り組みが必要」と語り、3日以降も野嵩ゲート前に足を運ぶつもりだ。
毎朝、65歳以上の人を中心に抗議を続けている大山ゲート前でも、この日は約20人が集まり、シュプレヒコールを上げたり、ゲート前の道路で車を徐行させて基地への出入りを阻もうとした。沖縄市の照屋秀伝さん(75)は「強行は想定内。諦めず、可能な限り戦う」と決意を示した。
沖縄平和運動センターの山城博治事務局長は「飛来を許して申し訳ない。でもありがとう。濃密な1週間だった」と座り込んだ仲間に感謝。「座り込み行動で基地の機能が止まることが証明された」と胸を張り、「熱い思いを無駄にしたくない。いつかオスプレイを追い返そう」と3日も座り込む。
市民報道メディア「インディペンデント・ウェブ・ジャーナル(IWJ)」は、連日の座り込みの様子をネットで配信。カメラを向けるIWJの原佑介さん(27)は、7日間の動きを昨年の中東民主化運動になぞらえ、「沖縄版アラブの春」と称した。「脅威にさらされてきた県民の諦めない姿勢を伝えたい」と報道を続ける。
9・9県民大会実行委員会の集会は2日で終了したが、市民らは3日以降も午前7時から午後8時まで座り込み行動を続ける。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-03_39763