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「逃げ恥」を晒しているのはむしろ国の方だ 

2016年12月21日 19時46分35秒 | 沖縄の犠牲の上に胡坐をかくな

 沖縄・普天間基地の辺野古への「移設」不法性を問う裁判で、最高裁は昨日20日に県敗訴の御用判決を下しました。しかし、本当に裁かれなければならないのは、むしろ国の方です。その事を真正面から取り上げたのが標記の社説です。辺野古問題の本質を見事に言い表した社説だと思うので、ここにその全文を転載・拡散します。
 さて、20日当日は人気ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」、略して「逃げ恥」最終回の話題で持ちきりでした。もとより、このドラマの内容そのものは沖縄の基地問題とは全く無関係です。しかし、そこを敢えて承知で「逃げ恥」という表現にかこつけて言うならば、醜態を晒しているのは沖縄県ではなく、むしろ国の方です。そして、基地問題よりもテレビドラマの話題の方が無難で視聴率も稼げると、重要な事から目をそむけ続ける商業マスコミも、それに加担していると言わざるを得ません。

 

沖縄タイムス社説[辺野古訴訟 最高裁判決を受けて]

[県敗訴の構図]地方自治の精神ないがしろ

 「辺野古違法確認訴訟」で県側敗訴が確定した。福岡高裁那覇支部の判決を最高裁がほぼ追認した。

 戦後70年余りも、米軍基地から派生する事件・事故の被害にさらされ続けている歴史を一顧だにしないばかりか、今後も基地負担を強いることを意味する中身だ。地方自治の否定もあからさまである。最高裁も沖縄の声を封じ込めた。

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 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を巡り、国が県を訴えた「辺野古違法確認訴訟」で、最高裁第2小法廷(鬼丸かおる裁判長)は20日、翁長雄志知事の「承認取り消しは違法」と指摘し、県側の上告を棄却した。4裁判官の一致した結論だった。

 翁長知事は、埋め立て承認の取り消し処分を取り消す手続きに入る。

 だが、来年3月に期限が切れる埋め立てに必要な海底の岩礁破砕許可や、埋め立て区域内から区域外へ移植するサンゴの採捕許可、工事の設計・工法の変更に伴う審査など知事権限を最大限行使して新基地建設を阻止する考えだ。

 一方、国は今年3月、県と和解が成立して以来、工事がストップしていることから再開を急ぐ方針だ。菅義偉官房長官は「日本は法治国家である。確定判決に従い、県と協力して移設工事を進めていく」と語る。徹底抗戦の構えの翁長知事をけん制するが、対立が続くことは間違いない。

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 最高裁は判決で、辺野古新基地の面積が普天間飛行場と比較して相当程度縮小されることや、環境保全対策が取られているなどとして、前知事の判断に「不合理な点はない」と認定した。高裁判決を踏襲するものだ。だが面積を減らせば基地の負担軽減につながるわけではない。辺野古新基地には2本の滑走路が設計され、普天間にはない強襲揚陸艦が接岸できる岸壁や弾薬搭載エリアが新設される。耐用年数200年といわれ、沖縄は半永久的に基地の島から逃れられない。

 県は辺野古新基地の建設を強行することは憲法92条の地方自治の本旨(沖縄県の自治権)を侵害し憲法違反として上告していた。最高裁は今月12日付で棄却している。国と地方公共団体との関係が「上下・主従」から「対等・協力」に大転換した1999年の地方自治法改正後、初めての訴訟である。最高裁が審理せずに棄却したのは改正の精神をないがしろにしていると言わざるを得ない。

 米軍基地は日米地位協定によって米軍の排他的管理権が認められ、国内法が及ばない。

 沖縄では米軍絡みの事件・事故では「憲法・国内法」の法体系が「安保・地位協定」によって大きな制約を受けているのが現実なのである。基地内の事故や環境調査もままならず、自治権が侵害されるケースは枚挙にいとまがない。

 米軍絡みでは民間地も同じだ。オスプレイが名護市安部に墜落した事故で、住民の生命や生活、人権を守る責務を負わされている名護市のトップである稲嶺進市長が現場に近づくことができず、県が水質検査をすることができたのは6日後である。2004年の普天間所属の大型ヘリコプターが沖縄国際大に墜落、炎上した事故で警察や行政が米軍が張り巡らせた規制線から排除されたことと何も変わっていない。

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 最高裁が審理するのは憲法違反や法令・判例違反に限られることから、事実認定としては高裁判決が確定する。

 高裁判決は「普天間の被害を除去するには辺野古に新施設を建設する以外にない」としたり、北朝鮮の弾道ミサイル「ノドン」をことさら取り上げ、射程外となるのはわが国では沖縄などごく一部などと国の主張をなぞるように「地理的優位性」を強調して批判を浴びた。最高裁判決はこれらに触れなかった。

 最高裁が弁論を開かず判決を言い渡すことを決めたからである。とても納得できるものではない。

[民意の軌跡]差別的処遇への不満広がる

 2012年秋、県企画部が実施した県民意識調査で、在日米軍専用施設の約74%が沖縄に集中する現状に、7割を超える人たちが「差別的だ」と回答した。

 普天間飛行場にオスプレイが強行配備された時期と重なるこの調査以降、「差別」という言葉が沖縄の基地問題を語るキーワードとして頻繁に使われるようになった。

 同じころ実施されたNHK放送文化研究所の沖縄県民調査からも、基地の過重負担を問う民意を読み取ることができる。

 県民の基地に対する考え方を1992年と2012年で比較すると、「全面撤去」と答えた人が34%から22%に減った半面、「本土並みに少なく」は47%から56%に増えている。

 普天間飛行場の辺野古移設を巡って顕在化してきたのは、沖縄だけに基地を押しつける差別的処遇への怒りであり、日米安保の負担の適正化を求める声だった。

 新基地建設に反対する県民世論の基調は、10年ごろから変わっていない。

 本紙が朝日新聞と琉球朝日放送(QAB)と共同で実施した15年の県民意識調査では、辺野古移設は「反対」が66%を占め、「賛成」の18%を大きく上回った。

 「辺野古が唯一」だと繰り返す政府の説明の欺瞞(ぎまん)性を見抜き、基地と振興策をリンクさせる手法にも「ノー」を突き付け、不公平な負担の解消を求めてきたのだ。

 「新基地建設は許さない」との民意は、選挙でも示され続けた。

 端的に表れたのは14年の名護市長選、県知事選、衆院選沖縄選挙区、今年に入ってからの県議選、参院選沖縄選挙区だ。

 県知事選で保革双方から支持された翁長雄志氏が現職に10万票近い大差をつけて当選したのは、住民意識の変化を決定づけるものだった。

 辺野古違法確認訴訟の高裁判決に「新施設の建設に反対する民意には沿わないとしても、普天間飛行場などの基地負担の軽減を求める民意に反するとはいえない」と都合よく解釈した一文がある。

 新基地に反対する民意と基地負担の軽減を求める民意は一つだ。民意を無視した負担軽減もあり得ない。

 県民の揺らぐことのない意思は、人権や自己決定権をないがしろにされてきた歴史、しまくとぅばの復興など沖縄らしさを大切にする動きとも共鳴し合っている。

 一人一人の心の奥底から発せられる「新基地ノー」の声は簡単には変えらないし、戻ることもない。

[環境と埋め立て]貴重生物の悲鳴が聞こえる

 湾内に広がるサンゴの森では、カラフルな魚たちが泳ぎ回り、干潟ではトカゲハゼが跳びはねる。浅瀬にはジュゴンの餌となる海草が生い茂り、湾奥にはマングローブ林が延びる。

 辺野古の大浦湾一帯は、琉球列島に広がるサンゴ礁生態系の中でも、特に生物多様性が豊かな地域である。

 埋め立てが進み新基地が建設されれば、私たち「島人(しまんちゅ)の宝」である美しい自然の一つを失うことになる。

 昨年7月、環境問題などの専門家からなる県の第三者委員会は、埋め立て承認までの手続きに「法的瑕疵(かし)があった」とする報告書をまとめた。翁長雄志知事の埋め立て承認取り消しは、これを受けたものだ。

 131ページもの詳細な検証結果の半分以上をさいたのが「環境」の項目である。報告は国の埋め立て申請が辺野古の海の重要性を低く評価し、環境保全策が科学的に実効性あるものになっていないことなどを厳しく指摘する。

 国の天然記念物ジュゴンの保護策一つをとっても不備は明らかだ。国はジュゴンが「辺野古地先を利用する可能性は小さい」としたが、実際は環境団体によって多くの食(は)み跡が確認されている。海草藻場についても移植などによる保全措置を講じるとするが、その技術はいまだ確立されていない。

 そもそも辺野古アセスはオスプレイ配備を最終段階までふせるなど、専門家から「史上最悪」と言われるほど問題が多かった。

 2012年初め、沖縄防衛局が出したアセス評価書に対する仲井真弘多前知事の知事意見は579件にも及んだ。「評価書で示された措置では環境保全は不可能」と断じたのだ。

 翌年11月、補正後の評価書に対して県環境生活部が出した意見も48件に上った。現状では基地から派生する環境問題に日本側が対応できないことなども挙げ「懸念が払拭(ふっしょく)できない」と結論づけた。

 仲井真氏が埋め立てを承認したのは、それからわずか1カ月後。承認に至る経過は著しく透明性を欠き、正当性にも疑義が生じるものだった。

 新基地予定地は、県の自然環境保全指針で厳正な保護を図る「ランク1」に指定され、環境省の「重要海域」に選定された地域である。

 基地のない地域では自然を守ることが優先されるのに、沖縄では県や国の環境政策との整合性を保つことさえできない。

 私たちが100年後の未来に残したいのは豊かな自然である。米軍基地建設のため「宝の海」を埋め立てるのは最もやってはいけない愚行だ。

[新基地建設の行方]私たちの反対は変わらない

 日米両政府が米軍普天間飛行場の移設条件付き返還に合意してから今年で20年。新基地建設問題は大きな曲がり角を迎えている。

 最高裁で敗訴したことを受け、翁長雄志知事は週明けにも、名護市辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消し処分を取り消す意向を明らかにした。

 行政の長として最高裁判決を厳粛に受け止めるのは当然であるが、判決によって新基地建設問題に決着がついたわけではない。「ジ・エンド」(物事の終わり)だと考えるのは早計だ。

 この問題は最高裁の判決ですべてが解決するほど単純でも簡単でもない。翁長知事をはじめ多くの県民が新基地建設に反対し、公正・公平な基地負担を実現せよ、と道理にかなった主張を展開しているからだ。

 法的には仲井真弘多前知事の埋め立て承認が「適法」とされたが、政治的には依然として埋め立て承認「ノー」の民意が大勢を占める。

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 この問題を強権的暴力的に解決しようとすれば、嘉手納基地を含む基地撤去運動に発展するのは必至だ。政府は復帰前のコザ暴動から学ぶべきである。

 政府は22日、北部訓練場の返還式典を開く。翁長知事は政府主催のこの式典には参加せず、米軍オスプレイ墜落事故に抗議する「オール沖縄会議」主催の集会に参加することを明言した。

 この決定は、国と県の今後の関係に甚大な影響を与えずにはおかないだろう。

 翁長知事の怒りを読み間違えてはならない。保守政治家を自認し、安保体制容認を公言する翁長氏をここまで駆り立てたものは何か。

 米軍属による女性殺害事件が発生したのは今年4月のことだ。7月には東村高江の北部訓練場でヘリパッドの建設工事が強行され、9月には垂直離着陸攻撃機AV8Bハリアーが本島東沖に墜落した。

 そして、オスプレイの墜落、大破。米軍は詳細な事故原因が究明されていないのにオスプレイの訓練を再開した。ハリアーの時もそうだ。

 軍の論理だけを優先し、住民の不安をそっちのけに訓練を再開する米軍。住民を守る立場にありながら、米軍を引き留めるのではなく、訓練再開に理解を示した政府。

 両者に共通するのは、県民不在の態度だ。翁長知事がいつにも増して激しい口調で怒りをぶちまけたのは、こうした現実に対してである。その思いを多くの県民が共有しているといっていい。

 県民の失望と怒りを軽く見てはいけない。翁長知事を追い込んではならない。

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 米兵による暴行事件に端を発した沖縄からの異議申し立てを受け、日米特別行動委員会(SACO)は1996年4月、在沖米軍基地の整理・統合・縮小計画を盛り込んだ中間報告を発表した。

 「新たな基地建設を伴う返還はしない」というのが防衛庁(当時)の基本的考えだった。普天間飛行場については、代替施設として「基地内」に「ヘリポート」を整備することが盛り込まれた。

 当初は辺野古などという話はなかったのである。

 政府は、負担軽減と危険性除去を強調する。普天間の固定化を防ぐために辺野古の代替施設が必要なのだと、政府は言う。

 その主張はあまり説得力がない。危険性除去を優先するのであれば、新基地建設を断念し、別の選択肢を探るのが近道だ。

 代替施設が完成するまで数年以上かかるといわれる。オスプレイの墜落事故を経験した住民に、それまで辛抱しなさいというのか。その間に事故が起きないことを政府は保障できるのか。

 米政府高官が指摘したように、沖縄への基地集中は異常である。あまりにも小さな島に、多くの卵を詰め込み過ぎる。戦後ずっとこの状況が変わらないというのは政府と国会の怠慢である。

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