アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

SHINGO★西成たちのライブに行ってきた。

2014年02月17日 21時09分22秒 | 映画・文化批評
  
 昨日2月16日に「SHINGO★西成」など地元を拠点に活動している音楽家たちのライブに行って来ました。場所は西成区民ホール。西成区役所が人権啓発活動の一環として毎年行っている企画「元気です!西成!!」の3回目として、「SHINGO★西成」を初め、「DJ FUKU」「まちゅこけ」「KAKU。(かく)」「ベリーグッドマン」や、「西成沖縄県人会でいごの会」、「もくよう会」(西成区保健福祉センターの音楽サークル)などが集まって行われたものです。
 私は、通勤の行き帰りに駅で目にしたポスターで、たまたまこの企画を知りました。区役所の主催という事もあり、最初はそんなに期待していませんでした。でも、当日が公休日で参加費も無料。タダで「SHINGO★西成」のライブが聴けるという事で、参加してみようと思った次第です。(上記写真:左の2枚は会場のポスター、右は当日会場でもらった案内チラシ入りのバッグ)

 
 参加できるのは先着順で400名までという事で、私も最初はそんなに期待していませんでしたが、いざ会場の区民ホールに入ってびっくり。もう人だらけ。「これ本当に先着400名だけだろうか?実際には1000人くらいいるのと違うか?」という感じで。実際、西成区民の方だけでなく他区や他市町村、大阪府以外の都道府県から参加された方も大勢いたようです。
 区役所主催という事で、区長が挨拶に来られましたが、ほとんど誰も聞いていないような感じで。その後、「もくよう会」の人たちによるハンドベルの演奏で、ライブの幕が開きました。

 
 続いて沖縄県人会のエイサー踊りと「KAKU。」さんの歌。この「KAKU。」さんも西成在住で、この会場から歩いて直ぐの所にお住まいのミュージシャンだそうです。(失礼ながら初めてそのお名前を知りました)

 
 その次は「まちゅこけ」さん。この辺から次第に盛り上がって来ました。
 「まちゅこけ」とは変な名前ですが、聞けば釜ヶ崎(あいりん地区)の三角公園を拠点に「釜ヶ崎SONIC(ソニック)」というライブをやって来られた女性だとか。それで、最初は公園で演奏しても誰もまともに聞いてくれなくて、ヤジをいっぱい飛ばされて、ブチ切れて聴衆と喧嘩になったそうな。そんな人なので、歌声も非常にパワフルで圧倒されました。ただ、時々発する「チャーム」とかの専門用語(隠語)の意味が最後まで分かりませんでしたが。
 その後は「ベリーグッドマン」の歌。このトリオも最近結成されたものだそうです。

 
 その後はスタンディングもOKという事で、聴衆はステージの前に殺到。いよいよ「SHINGO★西成」と「DJ FUKU」の真打が登場。ところが、余りにもステージに接近し過ぎた為か、肝心の「SHINGO★西成」の写真が幾ら撮影しても逆光で上手く撮れず。
 ここでちょっとしたアクシデントが起きました。司会者が、多分区役所の方から言われたのでしょう、「人権のつどい」という事で、「人権とは何か」を解説し始めました。ところが「誰にも生きる権利がある」とか「自由」がどうとか、ご本人は多分一生懸命「生活保護が受けられなくてマンションで餓死した女性の話」とかされているのですが、その余りに「教科書的」な説明に興ざめし、聴衆がざわつき始めました。
 ところが、その後、「SHINGO★西成」が「俺らも人間やぞ!ボロ雑巾(ぞうきん)やないぞ!」と叫んだとたん、ヤンヤヤンヤの大歓声。さすがは「SHINGO★西成」。西成・釜ヶ崎の三角公園近くの長屋で生まれ、ずっと虐げられてきて、自分も下手すれば先のマンションの女性のように餓死していたかも知れない。だからこそ「人権の何たるか」「それがどれほど掛け替えのない物か」が、教科書に書いてあるような建前や説教ではなく皮膚感覚で分かっているのでしょう。
 実際、彼や「まちゅこけ」の凄い所は、自分たちもコンサートやライブの合間をぬって、野宿者支援の炊き出しや見廻りなどの活動にも何らかの形で参加されている事です。勿論、本職はあくまで音楽家なので、出来る事は限られていますが。それに引き換え、口では「人権尊重」と言いながら、真冬に放水車でホームレスを公園から追い出しにかかる役人や、労働者を物扱いし安い賃金で長時間こき使う経営者、自分たちは思いっきり私腹を肥やしながら、やれ「病院の数が多すぎる」だの「保育所を民営化しろ」だのと喚き散らす政治家の何と多い事か。


 同じ様な事は最後にもありました。もうお開きという事で、みんな帰り始めた矢先に、「SHINGO★西成」の「もう一、二曲歌おうぜ!」の一声で、帰りかけていた聴衆がまたワッと前に殺到。「最後は誰でも知っている歌で締めよう」という事で、「オーシャンゼリゼ」他一曲を歌って終了。この最後の時だけ、プロジェクターでステージのスクリーンにも歌詞が大書きで映し出されました。他のスタンディング曲の時も同じ様に映し出してくれたら良かったのに。
 聞けば、西成には他にも地域に根ざして地道に活動しているミュージシャンやアーティストが大勢いるのだとか。あいりん地区の存在や、高齢者や生活保護世帯が多い事もあって、とかく世間的には余り良いイメージを持たれない西成区ですが、決してそれだけの街ではない。むしろ他の街よりもずっと人に優しいし、本音で語れる所がある。そういう意味では、他の街よりもかえって住みやすいのではないかと思いました。

SHINGO★西成 頑張ってれば... 釜ヶ崎越冬闘争LIVE 2011


まちゅこけ 「釜ヶ崎人情」
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SHINGO★西成の限界 (プレカリアート)
2014-02-20 22:59:29
 SHINGO★西成のライブを絶賛した後でこんな批判めいた事を書くのは気が引けるし、「音楽に政治の話を持ち込んで」云々との謗りを受けるのもどうかと思ったが、やはり書かねばならないと思ったので書きます。

 それは、ライブの時にSHINGOが言った「やしきたかじんを我が師匠と持ち上げた」発言と、昨年12月に産経紙上でのインタビューで「放射能ガレキの受入れ」を主張した事です。
 http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/131202/ent13120203320000-n2.htm
 確かに、前者のライブでの当該発言は、「俺が今あるのもみんなのおかげ」という話の中で、その一例として述べたに過ぎず、後者の「ガレキ受入れ」発言も、「みんな助け合って生きて行かなければならない」との話の中で、たまたま出た話にしか過ぎません。それだけを取り上げると、いちいち目くじらを立てる事もないのかも知れません。

 でも、仮にもあいりん地区の長屋に生まれ、貧困や差別に苦しんできて、「一人の仲間外れも出してはいけない」「みんなで助け合って生きて行かなければならない」と本当に思い、野宿者支援の活動にも参加しているのであれば尚更の事、野宿者排除に手を貸す橋下市長を陰で支えてきた「やしきたかじん」を無条件で絶賛したり、福島県民の生活をズタズタにした原発や放射能ガレキの受入れに賛成するなぞは、本来なら在り得ないのではないでしょうか。

 勿論、彼とて完全無欠な人間ではないでしょう。「やしきたかじん」や橋下徹が今まで何をして来たのか、原発が釜ヶ崎の労働者をどれだけ食い物にしてきたのか、それをたとえ知らなかったとしても、そんな事は彼の音楽的評価とは何ら関係が無いというのも分かります。

 でも、彼が本当に「助け合いが大事」だと言うのであれば、本当に「みんなの幸せを願う」のであれば、ただ単に「助け合う」だけでなく、「みんな」の幸せを阻害している搾取や不正とも闘わなければ、本当の意味での「助け合い」も「みんなの幸せ」も実現できないと思います。
 
 それに対しては、「それは既に野宿者の炊き出し支援と言う形でやっているではないか」という意見もあるでしょう。しかし、それだけでは私はまだ不十分だと思います。
 何故なら、若しそこで止まっているなら、仮にアベノミクスや橋下主導の西成特区構想などで、労務者給与の最低賃金が幾らか上がったり、タコ部屋の生活環境が幾分改善されれば、もうそれで終わりになってしまいます。
 たとえ、下請け・孫請けへの中間搾取や、原発ジプシーに代表されるような被曝労働の現実が、何ら変わらなかったとしても。

 このままでは、SHINGO★西成も、国家社会主義みたいなものに絡み取られて、それに体よく利用されるだけで終わるのではないでしょうか。
 かつてのヒットラー・ナチスも、ユダヤ人やジプシーを虐殺ばかりしていた訳ではなくて、失業救済事業としてアウトバーンの建設や、安価な国産車フォルクスワーゲンの普及などで、労働者にも一定「飴玉」をしゃぶらせて来たのですから。戦前の日本ですら、小作料の減免を図る事で、小作農の支持を繋ぎとめて来たのですから。但し、目的はあくまでも戦争遂行の為であって、小作農の権利保護も、あくまでもその許容範囲内のものでしかありませんでしたが。
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