ロシアが遂にウクライナを侵略した。21世紀にもなって、いまだにロシアは、昔の大日本帝国や、かつてのベトナム戦争、旧ソ連のアフガニスタン侵攻と同じ誤りを繰り返しているのだ。全然進歩がない。もはや呆れて物も言えない。
でも、ロシアにもロシアの言い分があるはずだ。それ以前に、ウクライナという国についても私はよく知らないので、図書館から「ウクライナを知るための65章」という本を借りて来て、一から勉強し直す事にした。
しかし、読み始めてもう一日で嫌になった。ウクライナの歴史を少し紐解いただけでも、何ちゃら大公国とか、何ちゃら大王とか、何ちゃらの戦いとかが、次から次へとひっきりなしに出て来て、頭の中がウニになってしまったのだ。
私は昔から地理や歴史の本を読むのが大好きだった。自慢じゃないけど、小学校から高校まで、社会科の成績通知表はオール5だった。その私ですら、もう一日でこの本を読むのが嫌になった。お陰で、社会科の苦手な人の気持ちが初めて分かった。
だから、細かい史実にはとらわれずに、ざっくりと私なりにウクライナの歴史について解説していこうと思う。
ロシアは何故ウクライナに侵攻したのか?ロシアの言い分はこうだ。いわく「ウクライナは他の国とは違い、ロシアの兄弟国だ。たまたま今は2つの国に分かれているが、昔は1つの国だった。それが本来の姿だ」と。
確かにロシアとウクライナはよく似ている。例えば、ロシアもウクライナも宗教は同じギリシャ正教だ。だから、ウクライナの大聖堂の写真を見ると、昔パルナスのCMに出てきたロシアの寺院とそっくりだ。言葉も非常によく似ている。使用している文字もほぼ同じだ。
ウクライナ一帯では8~13世紀にキエフ大公国(キエフ・ルーシ)が栄えた。「ルーシ」とは東スラブ人の総称でもあり、今のロシアの国名も、このルーシが訛ったものである。
ウクライナの首都キエフにある聖ソフィア大聖堂。世界遺産に認定されている。(図・写真はいずれも「世界の歴史まっぷ」から引用)
でも、今はロシアとウクライナは別の国なんだから、兄弟国だからと言って、ロシアの考え方、やり方を一方的にウクライナに押し付けるのは間違っている。
ロシアみたいな事を言い出せば、清教徒の移民が建国したアメリカも、元はイギリスと兄弟国なのだから、アメリカも自由にイギリスを併合出来てしまうではないか。そんな事、絶対に受け入れられないにも関わらず。
だから、ロシアの言っている事は完全に間違っている。兄弟愛や家族愛を装って、自分の考えを押し付けるのは、独裁者や権威主義者の典型的な手口だ。ロシアは今すぐウクライナから手を引け。
但し、ウクライナも反省すべき点は多々ある。例えば、今、ウクライナの東部で、ロシア系の住民が、勝手に独立宣言して、「もうウクライナ政府の言う事は聞かない。これからはロシアの指示に従う」と言い出している。
しかし、このロシア系の住民も、最初からこんなへそ曲がりだった訳ではない。今から30年ほど前に、ソ連が解散して、ウクライナがソ連から独立した時は、ロシア系住民も独立する事に賛成した。もうロシア人ではなくウクライナ人として歩んでいこうと決めたのだ。
そうであるにも関わらず、それから30年も後になって、何故また「ロシア人に返る」なんて事を言い出すようになってしまったのか?ウクライナ人達が、ロシア系住民の意見を聞かずに、ウクライナ人達だけで何事も決めて来たからではないか。
その最も分かりやすい例が、ウクライナのNATO加盟問題だ。NATO(ナトー)とは「北大西洋条約機構」の略だ。米国がソ連のワルシャワ条約機構に対抗して、フランスやイギリス、当時の西ドイツと一緒に組んだ軍事同盟の事だ。
しかし、今はもうソ連もワルシャワ条約機構もなくなった。だったらNATOも解散すれば良いだろう。なのに、何故NATOだけ後生大事に今でも存続させて、ロシアを仲間はずれにし続けるのか?これではロシアが怒るのも当然ではないか?
ロシアはもう共産主義国ではない。アメリカと同じ資本主義の国なんだから、ロシアも加盟させるのが筋だろう。それ以前に、そもそもロシアに対抗する意味すら無くなったのだから、さっさと解散して、今のEU(ヨーロッパ共同体)のように、軍事対立ではなく相互協力に基づく共同体に衣替えするのが筋ではないか。
何故そうしないのか?アメリカの支配が崩れるのが怖いからか?それではロシアと全く同じではないか?それでなくとも、ウクライナでは今でもチェルノブイリ原発事故の後始末で精一杯なのに。そんな戦争ごっこよりも、もっと先にやらなければならない事がいくらでもあるはずだ。
国内の民族対立も、元はと言えば経済格差が根っこにあるのだろう。その解消法を先に話し合うのが筋だろう。他にもコロナ対策など、先にやらなければならない事は山ほどあるはずだ。
それ抜きに、お互いが非難合戦を続けている限り、国も豊かにならないし、国民も幸福にならない。ロシアもアメリカも、ベトナム戦争やアフガニスタン戦争、チェチェン紛争、IS(イスラム国)との戦争で、それを嫌と言うほど味わったはずなのに。まだ懲りないのか。
https://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/eec7982d48dcfa5b9b555e35ac86865f
私のウクライナに対する考えや意見は、拙フェースブックや下記で素人なりに述べておりますので、右側の意見としてお時間のある時にでも。ただ「NATOはもう必要ない、解散すべき、当方に拡大すべきではない」というのは、プレカリアートさんのご意見としてはもちろんあり得ますが、ウクライナ政府、バルト三国政府、ポーランド政府(問題はあってもそれぞれ民主的に選ばれていると思います)には、別の政治的判断があり、主権国家としてNATOに参加する権利はNATO側が承認すればあると思います。
https://freeasia2011.org/japan/archives/6247
ブログでは話を分かりやすくする為に敢えて書かなかったが、実はプーチンの言う「ウクライナ=ロシア兄弟国」説も厳密には誤りである。
確かにロシアの国名は8〜13世紀にウクライナで栄えたキエフ大公国(キエフ・ルーシ)から来ている。東スラブ人の総称である「ルーシ」が訛ってロシアになったのだから。
しかし、そのキエフ・ルーシも後にモンゴル帝国に滅ぼされてしまう。その後に、今のモスクワ付近に起こったモスクワ大公国が、やがてモンゴルから自立して、今のロシア帝国の原型となる。正確には、このモスクワ大公国こそが今のロシアのルーツなのだ。
ところが、片田舎のモスクワ大公国がルーツではロシアの沽券に関わると考え、敢えて穀倉地帯のキエフ・ルーシをロシアのルーツにしたのだろう。
日本でも江戸幕府が、実際には京都の朝廷なぞ無視して、自分達だけで政治をしながら、朝廷から蝦夷討伐の将軍に任命されたと、「征夷大将軍」を名乗って朝廷の権威を利用した。ロシアがキエフ・ルーシに帝国の起源を求めるのも、それと非常に良く似ている。
他方で、ロシアがモスクワ大公国から大帝国に飛躍し始めたのとは裏腹に、ウクライナは逆にますます周辺諸民族の群雄割拠の場となってしまった。
ウクライナ東部はロシア、南部はオスマン・トルコ帝国、西部はポーランド・リトアニア大公国やオーストリア・ハンガリー帝国の領土に組み込まれていった。
何故そうなったのかは、地図でウクライナの地形を見れば一目瞭然だ。ウクライナ国内には、ルーマニア国境のカルパチア山脈以外には天然の障壁はほとんどない。見渡す限りの大草原だ。
それでもウクライナ語は存続し、民族の一体性は辛うじて保たれたが、国としての一体性はもはや無くなってしまった。
やがて19世紀になり、ウクライナもロシア帝国の領土に組み込まれて行く中で、1917年にロシア革命が勃発。それを機に、ロシアに支配されていたフィンランドやポーランドは独立を勝ち取る。しかしウクライナは独立を認められず、最終的にはソ連内の1共和国に押し止められる。
第二次大戦でナチス・ドイツがソ連に侵攻すると、ナチスはウクライナに形だけの独立を与え、ウクライナ人をソ連侵略の尖兵に利用しようとした。当然ウクライナ人はナチスにも反発する。
そして戦争がソ連の勝利に終わると、ウクライナ人は、今度はナチスの手先として大量処刑の憂き目に遭う。
ウクライナは、このように、周辺大国に翻弄され、何度もバラバラにされかけた。ウクライナ国内で地域対立が絶えないのには、このような背景もある。
私も基本的には戦争と言う手段で物事を解決しようとするやり方は支持したくはないですが、しかしそうした思いとは別に、今の「終わりの時代」は「戦争と戦争のうわさとを聞く」「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる」残念ながらそういう困難な時代になることがもう決まっています。今回の動きもその一環だろうことは確か。
ロシア・ウクライナ問題を考える上でまず今まで(10年以内に)起こってきた基本的な流れ~選挙で公正に選ばれたヤヌコビッチ政権が、米欧列強の裏工作により、その手先のネオナチ勢力により不法に転覆させられた13~14年の「マイダンクーデター」、以降現在のゼレンスキー政権に至るウクの政権は米欧の傀儡のネオナチ政権、米欧の後ろ盾・謀略により、ロシアの体制転覆を狙うための東部2州での少数派ロシア市民への(やはりネオナチ民兵勢力を主体とした)悍ましい迫害・民族浄化ジェノサイド犯罪行為、プーチンの我慢強い話し合い、ロシア系市民への迫害中止要請・これ以上の米欧列強との癒着結託をせず、NATO加盟も思い留まってほしいとの要請・・等々も悉く跳ねつけ、ロシアへの敵対行為を止めようともしなかった点~などは最低限押さえてくべき。
プーチンのロシアだからこそ、ここまでの仕打ちをされても10年近くも耐え続けてこられたが、これがそれこそ米欧(日)などの気の短い指導者だったら、とうにウクを攻撃していた事でしょう。人間ここまで酷い仕打ちを受けたら、普通は怒り心頭になるはず。
有体に言って、私は忍耐の限界を超えたプーチンが最後の手段としてやむを得ずこのような行動に出たことは理解できます。
国際法でも「緊急避難措置」も認められていますし、どの主権国家にも「自衛権」も認められているのですから、ロシアの立場に立てば、今までここまで甚大な被害を強いられてきた同胞ロシア人のこれ以上の犠牲を許容できないと考えるのも当然。
ロシアの軍事行動の全てを支持するわけでもありませんが、緊急避難的に東部2州他の同胞の命を守る・米欧とその傀儡の自国主権と安全へのこれ以上の攻撃は座視できないとの事情もまた理解出来ます。
国家間・個人間のどのような問題にしても、自分の立場しか考えず、相手・他者の立場に立って考えられない(特に我が島国はその傾向が強い)とその解決は図れないのです。
今回の件に限れば、最小限の被害で出来るだけ速やかに戦争が停止され、事態が好転することを祈るのですが、そう簡単に事が運ぶとも思われないのが辛いところ。さらに広範囲に戦乱が拡がる可能性も大。いずれにしろ、今回の件は「預言的事件の一つ」として「起こらなければならなかった」出来事だったのでしょう。
今後時代が押し詰まるにつれ、戦争であれ災害であれ疫病や飢餓であれ、それら世界的危機が加速度的に増大・その程度もさらに酷さを増し、世界人類は今以上の恐怖と不安におじ惑うことになるでしょう。今回の件はそのほんの入り口。
地球歴史最後の日々になるかもしれない今後10年間は、人類史上かってない最悪の危機の時代に。そうした中で、その危機を乗り越える私たち一人一人の「個人的準備」が何より求められています。今相当の覚悟と決意が必要と、現在目の前で進んでいる危機を目の当たりにして改めて思わされています。もう私たちに残されている時間は少ないのです。