アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

日本国憲法の価値を貶める曲学阿世の言説を粉砕する

2007年05月07日 23時37分43秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
 NHK教育テレビのETV特集で昨夜再放送された「焼け跡から生まれた憲法草案」を見ました。日本国憲法の制定に至るまでの歴史を検証した、稀に見る良質のドキュメンタリー番組でした。今の平和憲法が、一部で取り沙汰されているような「占領軍の押し付け」などではなく、それどころか、自由民権運動や大正デモクラシーを始め、それまでの日本と世界の民主主義の流れを受け継ぎ発展させた、当時としては最良に近いものであった事が、番組を見てよく分かりました。

 番組は「憲法研究会」の活動に焦点を当てたものでした。この在野の研究会は、鈴木安蔵や森戸辰男などの7人の日本人有識者によって構成されていました。この研究会の下で、戦前・戦中に弾圧されていた自由主義者や言論人が中心となって、戦後日本の再建には新憲法制定が不可避との認識で、終戦直後から活動を開始したのです。
 日本民主化を定めたポツダム宣言に沿ってGHQから人権指令や五大改革指令が出るも、その実施をサボり天皇制護持にのみ汲々としていた政府側の憲法問題調査委員会(松本委員会)とは対照的に、「憲法研究会」では日々真剣な討議が続けられました。

 その討議の中で一番議論になったのは主権の問題でした。統帥権などの天皇大権を削除し国民主権を打ち立てるという方向では大筋一致していたものの、天皇の地位を巡っては「行政権は残す」「国民的儀礼のみ行う」「君臨すれども統治せず」「天皇制を廃止して共和制にする」など様々な意見が出る中で、最終的には当時の国民感情も考慮して、今でいう象徴天皇制を目指すという点に結論がまとまりつつありました。
 この「憲法研究会」の活動を通して、それまで皇国史観によって封印されてきた日本各地の自由民権運動の歴史遺産が、初めて世に出てきました。アメリカ独立宣言・フランス革命やルソーの民約論から革命権の思想を受け継いだ植木枝盛の憲法草案(東洋大日本国国憲按)も、この時に初めて発掘されたのです。

 やがて続々と政党が結成・復活し、各党も来るべき新憲法の草案や要綱を公表し始めます。保守党の自由党・進歩党からは天皇主権が、社会党からは「天皇を含む国民共同体」主権が、共産党からは人民主権が盛り込まれた憲法草案が出されます。政府側の松本委員会は、なかなか憲法草案を発表しようとしませんでしたが、当時の新聞のスクープによって、その内容が明治憲法と殆ど変わらない事が明らかにされました。

 そんな中で、前述する「憲法研究会」の民間草案がGHQ民政局の目に留まります。GHQは、その自由主義的で先進的な内容を高く評価しつつも、そこに欠けていた、憲法の最高法規としての性格付けや違憲立法審査権、刑事被告人の人権保護の規定などを、「憲法研究会」の草案に付け加えていきます。それを基にして、GHQの憲法草案が作られたのでした。
 そしてGHQは、相も変わらず明治憲法の内容に固執する松本委員会に対して、「GHQ案を呑まなければ、この案を今度は自らの手で直接日本国民の前に公表する」と迫ったのでした。そうなれば、政府はもう、民主主義を希求する国民を前にして、自分たちがその敵対物でしかない事が白日の前に晒される事になります。それで政府は、それまでの抵抗を諦めて、GHQ案を新憲法草案として国会に上程するに到ったのです。

 そしてその後の国会審議の中で、それまでは無かった社会的生存権や、国民の「普通教育を受ける権利」(単なる初等教育、つまり読み書き・算盤の範囲に止まらない事に注意)の規定も、「憲法研究会」出身の国会議員や在野有識者の声を背景に、GHQ草案の中に盛り込まれるようになりました。これらの規定はまた、戦後の食糧難に直面し、もう二度と封建主義・軍国主義・ファシズムに辛苦を舐めされないよう公民としての政治的教養を求めていた国民の願いを代弁したものでした。これが現在の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法25条)や「普通教育を受ける権利」(同26条)となって結実したのです。

 ただ、この番組の中では、「戦争放棄」(同9条)については殆ど言及されていなかった様に思いますが、この件については、5月連休中に、また別の特集番組(NHK総合「その時歴史が動いた」5月2日放送「憲法九条 平和への闘争」)が組まれていて、そちらの方で取り上げられていたと思います。

 いずれにしても、この番組を見ると、今の日本国憲法を「占領軍の押し付け」としてしか見ない、先の5月3日憲法記念日における安倍マルコスの憲法談話の内容は、現憲法の価値を一方的に貶めただけの「為にする言説」でしか無い事が、よく分ります。

 こう言うと必ず出てくるのが、北朝鮮や中国の例を挙げての、「周辺国には未だに拉致や核軍拡や人権侵害・少数民族弾圧を続けている国があるというのに、今の憲法みたいに、平和愛好諸国民の公正と信義に信頼してとか、戦争放棄とか言っていたのでは、埒が明かない」「目には目を、歯には歯を」「その中国や北朝鮮を平和勢力のように看做してきた左翼・人権派の体たらくは何だ」という意見です。この種の意見については、私は次のように考えます。

 この「目には目を、歯には歯を」というのは、「北朝鮮にはこちらも"北朝鮮的なモノ"で対抗しよう」という考え方ですね。「相手が反日教育や反日デモを仕掛けてくる以上は、こちらも愛国心で国を守っていかなければならない」「その中心になるのが日本の伝統・国柄であり、皇室だ」という訳です。この理屈については、私も言いたい事が多々あるのですが、とりあえず、ここでは次のポイントに絞って答えておきます。

 そういう"北朝鮮的なモノ"、具体的にはファシズム・軍国主義・強権支配などを指すと思われますが、私はそんな論理に平伏すなどは真っ平ゴメンです。何故ならば、そういう論理というのは、外国の仮想敵に対してだけでなく、国内の仮想敵や、戦争の足を引っ張ると思われる弱者一般に対しても、牙を剥いてくるものだからです。それは、戦時中にハンセン病患者がどういう扱いをされたのかを考えれば、直ぐ分ります。
 それは取りも直さず、今で言えば、ホームレスやニートや虐められっ子やネットカフェ難民やワーキングプアが、有事体制の中では、過去にハンセン病患者がされたのと同様の扱いを受けるという事です。昨今は安倍が、何やら虐められっ子の味方や守護神であるかのように振るまっていますが、奴の本音は石原と同じ、「虐められるような、お国の足を引っ張るような役立たずは、死んでしまえ」です。私はそんな論理はゴメンです。

 そんな「目には目を歯には歯を」「北朝鮮には和風・北朝鮮で」で対抗するのではなく、あくまでも日本国憲法の平和・人権思想で、北朝鮮に対抗すれば良いのです。従軍慰安婦の犯罪が許せないからこそ、北朝鮮の「喜び組」も許せない。広島・長崎・第五福竜丸・「核の冬」の悲惨や「核独占・核恫喝」の横暴が許せないからこそ、北朝鮮の核実験も許さない。ネットカフェ難民の悲惨が許せないからこそ、北朝鮮のコッチェビ(浮浪児)の悲惨も許せない。それが、「日本国憲法の平和・人権思想で北朝鮮に対抗する」という事の、そもそもの原点なのです。その上で、日本と北朝鮮のそれまでの歴史や置かれた環境の違いも踏まえて物事を見ていく事も必要なのですが、あくまで根本には、搾取や不正義に対する義憤が無ければなりません。それが「日本国憲法に基づく平和・人権思想」の原点である筈です。

 それが、ややもすれば今の日本では、拉致被害者家族や北朝鮮の人々の人権をさも憂えているかのようなポーズを取っている輩が、日本国内では得てして、「日本は弱者天国」だの「強者は弱者を支配してナンボ」だの「ホームレスは反社会的」だの「虐められるような役立たずは死んでしまえ」だの、凡そ聞くに堪えないようなヘイトスピーチを垂れ流しているのは、それこそダブルスタンダード以外の何物でもありません。

 「左翼・人権派は中国や北朝鮮を平和勢力のように看做してきたではないか」という批判については、左派や人権派の中にある「ある種の判官びいき」とも言うべきものが、悪い方向に作用した例である事は、これはこれで認めなければならないと思います。中国の五四運動、朝鮮の三・一独立運動、中国革命や抗日戦争の歴史を評価する余り、中国の文化大革命や、北朝鮮の帰国事業やチュチェ思想までも一面的・一方的に賞賛・美化してしまった事については、左派として総括しなければならない点があるのは事実です。
 しかし、それは同時に、左派・人権派を批判する側の右翼の方にも同じ様に跳ね返ってくる問題であると、私は思っています。真に普遍的人権・国際人権の観点から、中国や北朝鮮の問題を捉えていたのか、それとも、ただ単に人権思想や左翼思想を貶める為の「格好のネタ」として、中国や北朝鮮の問題を捉えていただけだったのか。私は、右翼側の批判については、中には前者の立場からの批判もあるにはあったが、大抵は後者の立場からの批判であり、なかんずく安倍マルコス政権中枢からの批判に至っては、殆どが後者からのものでしかないと認識しています。

(関連記事)

・NHK ETV特集 焼け跡から生まれた憲法草案(とくらBlog)
 http://ttokura.exblog.jp/5123917 
・日本国憲法の作者は日本人(Made in Japan)(津久井進の弁護士ノート)
 http://tukui.blog55.fc2.com/blog-entry-230.html   
・今夜はETV特集「焼け跡から生まれた憲法草案」(お玉おばさんでもわかる政治のお話)
 http://otama.livedoor.biz/archives/50694330.html
・植木枝盛について
 http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/uekierori2.htm

(追記)

 前掲のNHK特集番組の内容に噛み付いているネットウヨクのブログを読みました。そのネットウヨク曰く「終戦後に世に出た11の憲法草案の大半は明治憲法と大差の無い内容だった」「一個の異端にしか過ぎない憲法研究会の憲法草案ばかりを取り上げるNHKは偏向している」のだそうです。そして、後はまた例によって例の如く「これは天皇中心の国柄を貶めようとしている反日工作員の陰謀で」云々と、ご丁寧にも多色刷りのデカ字フォントまで動員しての戯言のオンパレード。

 こんな手合いにマトモに取り合うのは時間と労力の無駄なので、簡単に結論だけ。そんな事を言い出したら、坂本竜馬や勝海舟などの幕末・明治維新の志士たちも、全部「当時の異端思想家」にしか過ぎないじゃないか。幕末当時は、天皇なんて存在は殆どの人が知らなかった。何せ享保や天保やらの元号にしてからが、使いこなせていたのはせいぜい江戸や大坂の町人止まりで、圧倒的多数の民百姓は干支で年を数えていた位なのだから。幕末の志士が、当時からすれば少数異端であったにも関わらず、何故歴史上の人物として取り上げられるのか。それは、彼らの思想が当時の時代を先取りしたものに他ならなかったからだろう。憲法研究会の「主権在民」憲法草案も、それと同じ事じゃないか。
 伝統でも何でもないものを、国柄だなんだと勝手に決め付けて人に押し付けるな。戦後60年以上が経過して21世紀にもなっても、未だに「天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス」から一歩も抜け出せない化石は、人類が月や火星に行くようになっても、ずっとそのまま「尊王攘夷、草莽クッキ」のレベルで思考停止していろ。 
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