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しばらくしていなかった競馬を、またボチボチやり始めました。再開早々、先々週の札幌記念と先週のキーンランドカップを的中させ、幸先の良いスタートとなりました。今週も普通なら新潟記念(GⅢ)の馬券を買う所ですが、今回は私が密かに期待している「ある馬」が、遂に日曜メーンレースに出走して来ると聞き、重賞は見送り、オープン特別・丹頂ステークスの馬券を買う事にしました。
労働者階級を意味するプロレタリアートに由来するプロレタリアト(牝5歳・小島厩舎所属)こそが、「ある馬」です。中山準メーンのグッドラックハンデを初め、準オープンの活躍で穴党の注目を集める様になった馬です。今回の丹頂ステークスも、小回り平坦コースの札幌競馬場で開催されるレースで、どちらかと言えば、コーナーを先行する逃げ馬の方が有利とされます。追い込み一辺倒のプロレタリアトにとっては、決して得意なレースではありません。それでも、最初の格上挑戦レースとなった前走の札幌日経オープンも、着順こそ8着だったものの、勝ち馬に4馬身差余りにまで迫りました。元々、どのレースでも大抵最速の上り時計をマークするほど、勝負根性のある馬です。それに加え、今回は50キロの軽量ハンデしか課されていません。「馬名の良さ」もさる事ながら、この地力をもってすれば、たとえ格上挑戦のオープン特別でも、何とかなるのではないかと思い、3着狙いで買ってみる事にしました。
結果は、やはりヤマカツライデンの逃げ切り勝ちに終わりました。2着にも終始2番手につけたタマモベストプレイが入り、典型的な前残り決着となりました。プロレタリアトは、4コーナー付近で若干追い上げたものの、最終的に7着に留まりました。やはりオープン特別の壁は厚かったようです。何とか、秋のエリザベス女王杯(GⅠ)に出走して、出来れば勝って欲しいものです。世の労働者階級を励ます意味でも。
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こんな事を書くと、今のご時世「競馬にまで政治の話を持ち込むな」と言われるかも知れません。しかし、私に言わせれば、政治も普段の生活の延長でしかありません。「もっと給料上げてくれ」「もっと労働条件を良くしてくれ」と要求するのも、既に立派な政治的行為です。それを橋下徹みたいに、あたかも選挙で当選した政治家だけに許される特権のように捉え、「一般庶民には縁遠い」という風潮がはびこってしまったら、有権者としての権利を放棄する事にもなりかねません。
それに、スポーツも決して政治と無縁ではありません。それが証拠に、本来は「平和の祭典」として祝われるべきオリンピックも、現実には政治宣伝の場として散々利用されてきました。ベルリン五輪をナチス宣伝に利用したヒトラー然り、わざわざリオまで出かけて行って醜いパフォーマンスに明け暮れた安倍晋三然りで。その一方で、それに抗い、外国人選手への人種差別に抗議するサポーターの運動や、メダルをはく奪されてもベトナム戦争への従軍を拒否して黒人としての誇りを貫いたモハメド・アリ、ソ連のチェコ侵略に抗議の声を上げ続けた体操選手チャスラフスカの例もあります。その中で、ヒトラーもモハメド・アリも、味噌もクソも一緒くたにして、訳知り顔で「スポーツに政治を持ち込むな」と言う事で、一番得をするのは誰なのか?
私が競馬でプロレタリアトを応援するのも、ただのゲン担ぎです。それを他人にまで強制するつもりは毛頭ありません。その反対に、ちょっと競馬でゲン担ぎをした位で、一々「政治の話を持ち込むな」と言われるのも、私にとっては心外です。政治も生活の一部であり、政治を身近なものにする為には、むしろ普段の日常生活も、もっと政治と関連付けて捉える位でないとダメだと思います。
三冠馬・セクレタリアトの血統なの?
語呂が似ていても、まさかねぇwww
過去の五輪とリオ五輪での外国人選手の政治的行動と、なにも考えていないのに政治家になる日本人選手についてブログに書いたら、素っ頓狂な「批判」がありました。
“8月15日〜8月21日に投稿したなう”
ameblo.jp/tomitayukihiro/entry-12192639443.html
※コメント2,4
この、ウヨにとっての靖国じみた感覚がだめなんだと思います。神聖にして冒すべからずみたいな。一切の批判は許されず、「こき下ろ」す者は『日本が嫌い』なんだとしてしまうような短絡。
あっ、あの、ちょっとサーカス批判っぽくなっているかもしれませんが、競馬を否定してはいません。私はもうやめようと思いつつ、totoを買っています。
私は蝶のように舞い、蜂のように刺す。奴には私の姿は見えない。見えない相手を打てるわけが無いだろう。
リスクを取る勇気がなければ、何も達成することがない人生になる。
人間が困難に立ち向かう時、恐怖を抱くのは信頼が欠如しているからだ。私は私を信じる。
あまりにも順調に勝ちすぎているボクサーは、実は弱い。
不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ。不可能とは、現状に甘んじるための言い訳にすぎない。不可能とは、事実ですらなく、単なる先入観だ。不可能とは、誰かに決めつけられることではない。不可能とは、可能性だ。不可能とは、通過点だ。不可能なんて、ありえない。
人間として大きくなればなるほど、それをあえて他人に証明する必要は無くなるのです。
私ほど偉大になると、謙虚になることは難しい。
チャンピオンはジムで作られるものじゃない。彼らの奥深くにある「何か」で作られるんだ。例えば願望、夢、ビジョン。そのためにはどんな土壇場でも耐えるスタミナと、少しばかりのすばしっこさ、そして技術と意志が必要だろう。だが意志の力はどんな技術よりも更なる強さを与えてくれる。
他者に貢献することは、この地球でのあなたの居場所に払う家賃である。
私は神話を作り、神話の中で生きる
私が心から恐れるのは神の法だけだ。人が作った法はどうでもいいと言うつもりはないが、私は神の法に従う。何の罪も恨みもないべトコンに、銃を向ける理由は私にはない。
あなたが、私に対して、 なって欲しいという者に、私はなる義務がない。
黒人の徴兵率は30%。白人は10%。なぜだ?
いかなる理由があろうとも、殺人に加担することはできない。アラーの教えに背くわけにはいかない。
オレたち黒人が戦うべき本当の敵はベトコンじゃない。日本人でも中国人でもない。300年以上も黒人を奴隷として虐げ、不当に搾取し続けたお前たち白人だ!
http://iyashitour.com/archives/26315
http://laughy.jp/1411758276219178806
http://meigen-ijin.com/muhammadali/
・父 ハーツクライ ・母 アガルタ ・母の父 キングカメハメハ ・母の母 ブロードアピール
・馬主 田原邦男 ・調教師 小島茂之(美浦) ・生産牧場 ノーザンファーム ・産地 安平町
・馬名意味 労働者階級
http://www.jra.go.jp/JRADB/accessU.html
ところで、そのプロレタリアトですが、なぜこんな変な名前に命名したのでしょうか?馬名の文字数は、カナで9文字以内、アルファベッドで18文字以内と決められています。他にも、過去の馬名と同じ物は認められない等、細かなルールはありますが。
http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/68871/%8B%A3%91%96%94n/14/
その伝で行くと、別にプロレタリアトなんかにしなくても、プロレタリアート(Proletariat)のままでも十分、文字数制限はクリアしている筈ですが・・・。
それが「謎」だったので、今まで合間を縫って、ずっと調べていました。しかし、今に至るも、それらしき資料には全然出くわす事が出来ません。やっぱり「労働者階級」等の「左翼的」表現を嫌う政権筋からのクレームがあったからなのでしょうか?誰か知っている人はおられませんか?