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アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

戦争を待望するワーキング・プア

2007年02月23日 01時57分36秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
 雑誌「論座」1月号に掲載された赤木智弘氏の論考「『丸山眞男』をひっぱたきたい」の内容が、ブログ界で話題になっていると言う。何でも、自分自身がワーキング・プア(以下、WPと略す)である事をダシにして、「若者WP切り捨ての上に立つ平和なんてウザイ、いっそのこと戦争でも起こってくれた方が自分たちはのし上がれる」なんて言説を、誌上で展開しているらしい。
 そう聞き及び、当該雑誌が手に入らぬまま、氏の主宰する「深夜のシマネコBlog」その他のネット媒体を見ると、やはりそれらしき事が書かれている。何だ結局こいつは、自分自身がWPである事を免罪符に、被害妄想に囚われて、自分より下の弱者を貶めて日頃の鬱憤を晴らしているだけじゃないか。そういう今流行のネットウヨの一種だと思っていた。
 そして今日、その当該論考の原文を初めて入手した。そして読んでみて、もっと根深い問題が提起されている事を知った。以下、当該論考の内容について考えてみた。

 1975年生まれの独身フリーターの赤木は、自らを「ポストバブル世代」と位置付ける。それは、それまでの世代とは違い戦後の経済成長の恩恵に浴する事も無く、寧ろそれら世代が引き起こしたバブルの尻拭いを押付けられた世代だ。そういう赤木にとっては、識者による「格差社会」批判や「戦争」批判も、所詮はバブル以前の世代による既得権益独占にしか他ならない。
 2006年7月に放送されたNHKスペシャルのワーキング・プア特集番組も、赤木にとっては差別の隠蔽でしか無い。番組の中で、妻の葬儀資金に貯めていた僅かな貯金が在るために生活保護が受けれない仕立て職人の話が出てくる。そこで「妻の葬儀も自費でしてはいけないというのでは、もはや人間の尊厳を捨てろという事か」と憤る番組コメンテーターに対して、「ではそんな葬儀資金も貯金できない自分たちにとっては、ハナから人間としての尊厳は無いのか」と憤る。

 同じリストラをされるにしても、中高年の家族持ちは最後まで大目に見られるのに対して、自分たち若者WPは真っ先に犠牲にされる。セーフティネットも中高年の家族持ちに偏重している。「格差社会」批判論者も実際は「中高年の救済まず先に在りき」で、若者WPやニートの問題は後回しにしている。
 こんな中では、「反リストラ」をいう左翼こそが自分たちの敵であり、寧ろ「リストラ」や「右傾化・戦争」を唱える右翼こそが、バブル以前の世代の既得権益を打破してくれ自分たちにも浮上するチャンスを与えてくれる救世主に写る。こうして若者は「労働者の利権を奪って我々に与えてくれ」と右傾化に走るのだ。

 以上が、赤木の言う「いっそのこと戦争でも」云々の本当の意味だという。そして彼は、それが所詮は「貧困層が自分たちを苦しめている富裕層を支持する」「自分で自分の首を絞める」逆説でしかない事も見抜いた上で、敢えて警鐘を鳴らす意味で挑発的な言説を誌上で展開しているのだという。
 私は、それが必ずしも彼の本意であるとは、まだ完全には思えない。何故ならば、彼のブログを読むと、自分より下の弱者(在日外国人や未解放民など)を貶めて日頃の鬱憤を晴らしていると思えるような言説も、確かに散見されるからだ。「実際には差別など無いのに差別を言い募る」などという能天気な言説にも賛同しかねる(連合の労働貴族や解同利権の存在を割引いてもだ)。実際、彼の言説を支持する者からも、それらの問題点を指摘する声は上がっている。

 ただ、論考原文を読んで初めて気付いた事がある。それは、これは決してネットウヨクの戯言ではないという事だ。赤木は実は自分の分身ではないのか。そういう気すらしてくるのだ。
 確かに歳は一回り離れているが、私も赤木と同様にパラサイトのワーキング・プアだ。収入も赤木より少し上を行く程度だろう。今でこそ親はまだ健在だが、一寸先は闇という意味では赤木以上に深刻だ。

 赤木が経験している下流同士の軋轢は私もよく分る。前職の生協職員時代に、春闘でパート労組が残業拒否の時限ストを打った事があった。現場の正規職員労組員がその尻拭いをさせられる事を承知で山猫ストを打ったのだ。この時ほどセ・パ共闘のスローガンが空虚に響いた時は無かった。所詮現場では正規とパートは敵なのだ。
 そして時は巡り巡って今、今度は業務請負のアルバイトとして、当該請負会社の管理職正社員温存のしわ寄せをかぶせられようとしている。今のバイト先に配属になって少し分ってきたのは、今の所は結構「人を大切にする」という事だ。但し良い意味でも悪い意味でも。良い意味では、偽装請負でないしバイトにも社会保険も有給休暇もあり寸志も出る(本来はそれで当たり前なのだがその当たり前でない会社が多すぎる)が、悪い意味では管理職を温存し飼い殺しにしている、そういう面がある。
 たかが労働安全衛生活動の職場巡視にいちいち管理職が何人もぞろぞろ付き従い、現場作業の邪魔をする。管理職が首切られない分、設備投資は後回しで、使い勝手の悪い老朽化した施設での構内作業を余儀なくされている。それに加え最近ではバイトの実労働時間まで削減され始めている。ワークシェアリングといえば聞こえが良いが、何の事はない、バイトの収入減と引き換えに中高年管理職の温存を図ろうとしているだけなのだ。それで今度は設備投資無しのまま請負の仕事だけとって来ようとしている。繁忙期になれば、それこそ「自分で自分の首を絞める」事にしかならないのは目に見えているのに。我々の要求は、あくまでも「人間扱いされる事」であって、こんな「飼い殺し」や「矛盾のツケ回し」などではない。

 そういう意味では、赤木のいう事も実感として分る。但し、ウチは平社員やバイトには若者もおれば中高年もおり、それらが全て管理職のしわ寄せを受けているので、対立図式は「若者vs中高年」ではなく「平・バイトvs管理職」だ。しかも、「平・バイト」にもハナから仕事を投げているような部分すら見受けられる。平社員やバイトの先輩が職場の問題点を管理職に指摘するでもなく、ただ愚痴をこぼしているだけ、それで休憩時間にTVニュースの前で、やれ「機械」だの「労働時間だけが売り」だのとこれだけ自分達がコケにされているにも関わらず相変わらずお上を庇い、「朝鮮人などやっつけてしまえ」と言って日頃の溜飲を下げているだけ。そんな中でも、そんな退嬰的・反動的な封建オヤジの職場支配を少しずつでも変えていこうと、私も最近は自分のブログの内容を少しずつ周囲の者に広め始めているのだが。

 ただそれでも、赤木の対立図式には賛同は出来ない。その図式は余りにも世代論に偏した物の見方だ。赤木はバブル以前の世代との対比で、社会人1年生のスタートラインから下流として宿命付けられた自らの世代の不運を嘆くが、それは過渡期の現象にしか過ぎないと思う。
 このまま行けば必ず格差・貧困は固定化される。赤木も言うように、「再チャレンジ」の本質はセーフティネットを装ったギャンブルだ。ギャンブルは胴元だけが儲ける仕組みになっている。機会平等や公正競争や自己責任などの言説はそれを隠蔽する煙幕にしか過ぎない。そのうち嫌でも「中高年も若者も平等に総ホームレス」な社会がやってくる。そんな中で、徒に「中高年vs若者」の対立図式に拘泥するのは、その隠蔽に一役買っている事にしかならない。
 「いっそのこと戦争でも」云々についても同じ。現代の戦争は戦国時代の合戦ではない。核戦争には勝者も敗者も無く、自滅あるのみ。否、戦国時代の合戦ですら、個人の裁量だけではのし上がれなかった筈だ。個人の才覚と思われるものの大部分は、実はその時々の偶然にしか過ぎなかった(神風がその好例)。「戦場での万人平等の実力主義」などは単なる幻想だ。一兵卒に特攻・自決・餓死を強いておきながら自分だけ愛人とこっそりルソンやインパールの戦線から離脱した将校がいた。満州731部隊の将校は細菌戦の研究データと引き換えに戦犯追及から逃れられた。戦場でも生き残るのは特権階級だけ。そんな中で「実力主義」の幻想を抱く奴は、格好の「将棋の駒」にされるだけだ。

 赤木は戦後の経済成長や民主化、平和運動の欺瞞を突く。「中産階級主導の恵まれた平和でしかなかった」と。そして、その主因を戦後左翼に求める。しかしそれにはもっと裏がある。戦後の経済成長そのものが、実は東西冷戦の下で、日本を日米安保の頚木に引き止めておく為に、「米国流民主主義」のショーウインドウとして米国によって意図的に作り出されたものである。労働組合の「物取り主義」やその後の右翼的労戦再編そのものが、ケネディ・ライシャワー路線によって意図的に作りだされたものなのだ。戦後の民主化は、そういう「与えられた民主主義」を一歩一歩自分たちの物に作り変えていく過程でもあったのだ。
 しかしその後の冷戦終結と米帝の相対的な力の後退で、戦後日本を「アメリカン・ドリーム」漬けしておく必要も余裕も無くなった米国は、日本にも応分の負担を求めて来るようになる。80年代の中曽根臨調行革、90年代以降の米軍再編、日本右傾化、経済バブルとその崩壊、これらの一連の流れは全てその下で引き起こされたものだ。
 同じ「論座」1月号所収の渋谷望の論考「「総下流化社会」日本」にその事が書かれている。渋谷は、赤木の言う下流同士の軋轢に対して、それは「共に沈み往くタイタニック号の中の、真っ先に水につかり始めた移民たちと今はまだ安泰な一等船室客の争い」にしか過ぎないと断じている。私も、この渋谷の見立ての方がより真実に近いと思う。そういう構造的な問題を抜きにして、それを若者WPの意識の問題のみに還元し労組の「物取り主義」批判に終始しているだけでは、赤木の左翼批判も所詮はケネディ・ライシャワー路線の掌の中で演じられる「下流スペクタクル」にしか過ぎない(注:スぺクタクル=見世物)。

(参考記事)

・参考:赤木智弘「『丸山眞男』をひっぱたきたい」(抄)
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/3acde4a221d5d8fb5205007d3a2df57d
・希望は戦争(狂童日報)
 http://d.hatena.ne.jp/qushanxin/20061206
・論座のプロフィールを読んで来た方へ(深夜のシマネコBlog)
 http://www.journalism.jp/t-akagi/2006/12/post_171.html
・格差社会を容認する類の弱者が望むもの(同上)
 http://www.journalism.jp/t-akagi/cat58/
・新年の悪夢というよりは正夢─若者は暴走するか?(新庄新田トラスト)
 http://www.nurs.or.jp/~suiden/text/20070101.htm
・『バックラッシュ!』を非難する(深夜のシマネコBlog)
 http://www.journalism.jp/t-akagi/2006/07/post_136.html
・共感はできても賛同してはいけない「『バックラッシュ!』を非難する」(macska dot org)
 http://macska.org/article/145
・現代の貧困をめぐって。(シャ ノワール カフェ 別館あるいは黒猫房主の寄り道)
 http://d.hatena.ne.jp/kuronekobousyu/20061208
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Unknown (戦うアルジャーノン)
2008-02-09 19:28:14
現在、
※都市部VS地方
※投資家、企業VS非正規雇用者
の対立構図だと思います。(地方は、地方交付税や公共事業や補助金が欲しい。)
民主党は地方で強かったので、地方よりの政党なのでしょう。
でも、小沢党首の辞任騒動から察するに、複数の政治的立場を持った人達の寄り合い政党なだけで、政治的なイデオロギーがなく、ただの日より見の優柔不断政党で何もあてに出来ない政党にも見えます。
民主党はいったい、
*改革推進派?
*改革肯定派?
*改革反対派?
のどれなのでしょうか?(民主党は昔、ストップ改革をスローガンにしていた様な気がしますが、最近、生活第一を謳いながら金融、構造改革を議論の論点にしている様子が無い。改革は民主党も支持しているのでしょうか?民主党は投資優遇税政をどう思っているのでしょうか。投資、資産家支持政党ではないかと疑っています。)
地方では、自分達の住んでいる地区に補助金や公共事業を持ってこれるコネのある議員さんが選ばれる傾向です。そのせいでイデオロギーが稚拙なのかも知れません。
構造改革をスタートして、押し進めていたのは自民党ですが、(私は本当は構造改革を企画し推進し、国政を操っているのはネオリベラリストの企業や資産家と親しいネオリベラリストの官僚支配者ではないかと疑っています。)一番バランスが有り、現状の国情を知って改善しようと努力しているのが自民党ではないかと推察します。
民主党の方が投資家、資産家よりで、投資優遇税政や構造改革の問題点の核心に触れさせない為にわざと国会を混乱、空転させている様にも見えます。又、前の選挙の直後に自民党との言わゆる「大連立」をしようとしており、投資、資産家支配社会(金融、投資封建社会)への構造改革の地固めをしようとしていた様にさえ見え、疑ってしまいます。
民主党はイデオロギーにより、それぞれの独自政党を作って分裂すべきと考えます。
逆に共産党と社民党は、自由競争、市場原理主義のアメリカ型資本主義のアンチテーゼとして必要です。
特に国会中継で投資税政を共産党が批難したのは拍手ものでした。
出来れば貧乏人、ワーキングプアの為にもっと勢力を伸ばして欲しいです。
中国共産党はあの巨大な国をまとめているから凄いと思います。しかも、アメリカとも対等に付き合っています。アメリカは日本には気を使わないけれど、中国には敬意を払っていると思います。
共産党は中国共産党を見習うべきだし、社民党は北欧や旧EU各国を見習うべきと考えます。
国の第一党になれるよう、考え方と力を付け欲しいです。多分、地方、高齢者、ワーキングプアが支配者層になるはずです。

アメリカは、健康保険制度が無く医療費が高いのが弱者に厳しい社会です。ただ、ハリケーンカトリーナの被害あった生活保護受給者はみんな持ち家があったようで羨ましかったです。
日本も労働者余りの失業大国なので、生活保護の受給者資格をもっと甘くすべきと考えます。また、アメリカは資本主義、自由競争で負け組の失業者、貧困層が必然で発生するのを国民全員が認識しており、弱者に優しい国です。又、日本より公、民間で弱者を救済する団体やシステムが充実していると思います。
逆に日本の官も庶民も、失業者やダメ人間に厳し過ぎる社会だから自殺、野垂れ死に、気違い殺人、犯罪、野良人間が北朝鮮並に大量発生しているのではないでしょうか。
もっと生活保護支給基準を下げ国民の弱者に安心感を与えてもよいのではないでしょうか。
格差問題を取り上げたり、改革ストップを主張して票を集め、選挙で大勝した民主党が、あっさり自民党との大連立に走ったりして、政治家を信用出来ないです。
また、官僚も天下り先がなくなったら、村上ファンドの村上世彰氏の様に人脈で民間にくだり、投資や起業で儲ければ良いというふうに見えます。
ネオリベラリストの投資家、資産家と仲良しの官僚等のお偉いさん達は、この競争社会の中で企業よりも利己的で無責任な人達に見えます。お偉いさんに、考えと責任感が無いとして、この国の未来とモラルに対する責任は、誰が負うのでしょうか?
日本の支配者層の考え方が北朝鮮の支配者層と同じなら、革命を起こしたくなってきます。
日本に影の支配者リーダーがいるとしたら、きっと金正日と同じ支配意識では?
「庶民は庶民、我々は支配者階級で絶対的存在だ。で、お前ら庶民は能無しの奴隷階級のくせに高賃金や生活補償を求めるなんて、なんて図々しい奴らめ!我々、支配者階級が有り難くも、お前らを雇ってやっているのに満足せず文句を言うのか!!その給与で我慢してもっと一生懸命働かないと国の産業がもたないぞ!我慢しないと海外の外国人に仕事を回すぞ!もっと利益をだすのだ!!(私の為に。)」と、主張するのでは?
官僚、公務員は、何のつもりで国に対する責任のある立場に立ち、誰の為に祭り事をしているのでしょうか。 政治家、官僚、公務員は、庶民や弱者の立場の人を思いやっているのでしょうか?
それとも、投資家、資産家よりで政策や行政を行なっているんでしょうか?
誰をどう思いやれば国は良くなると思いますか?
このまま弱者の貧窮を予算が無いからと言って、弱者のの自己責任にして無視してほったらかしにし、富裕層が株で儲けて遊んでいると、日本のモラルは崩壊して北朝鮮になります。
政策決定や予算決定に、官僚や公務員が絡んで無いとは思いません。国の状態を知り、必要な政策を政治家に進言することは、官僚はしないのでしょうか?
統計局は何の為に統計をとっているのでしょうか。1998年から、ここ10年位の自殺者、失業者、有効求人倍率、犯罪発生、殺人と経常収支、株式配当、投資ファンド等々の政治発表の統計グラフの激しい動きと逆に動く相関関係を見ていると、日本があらぬ方向に来ているのがまる見えです。
日本の弱者の窮状を無視して構造改革を無理むり押しすすめている、利己的な冷血漢の金正日似のネオリベラリストの日本の影の支配者を糾弾したいです。
返信する
Unknown (戦うアルジャーノン)
2008-02-09 16:46:25
最近の自殺、殺人の横行はグローバル競争社会とアメリカ型の投資、金融の自由競争と市場原理主義社会において負け組が奴隷化、野垂れ死の危機に達し、絶望した人達の悲鳴だと思います。
投資、金融に興味のない庶民にとっては理解不能のステルス的な社会の変革です。
問題は、それをテレビ等のマスコミがほとんど問題提起することなく、又、国民もほとんど気にしないで、投資にあけくれたり、日本国内における産業(仕事とお金)の奪い合い競争を無為に続けていることです。
政府が国民に、世界全部がアメリカ型競争社会に変わって行くグローバル化の闇や負の部分を公言、広報して注意喚起しないでいるせいで、政府は年1万人、10年で10万人の自殺者を大量生産し続けています。(1997年よりの自殺者増加分)
10年前の1997年より日本はアジア通貨危機から始まった金融、投資、経済、産業のグローバル化競争(政治、経済、産業の支配者層の半分やらせ)に巻き込まれ経済、産業、社会の混乱状態が続いています。
現在、セレブ盛況の裏側での弱者の野垂れ死にの現状の『グローバル競争社会』を問題提起するのが禁句にでもなっているのか、庶民に伝わってくる現状の異常とその原因を伝えるジャーナリズムが少ないです。
弱者、庶民は現状のグローバル化社会における政府、経済と社会問題に対する理解、認識が欠落しており、仕事とお金の奪い合いの世界競争の中で、政府にたいして救済もされず絶望して、自殺、野垂れ死に、犯罪、殺し合いの共食い状態を続けています。グローバル化競争社会の原罪、構造(金融)改革の目的、アメリカ型自由競争、市場原理至上主義の投資、金融支配社会における格差と世界恐慌の危険性を正しく国民に認識させるとともに、きっちりとしたセーフティネットを設けて国民の弱者を守るともに、再起可能社会を構築すべきです。又は、高税率の福祉国家とすべきであると考えます。
(1997年以降の国の異常を単なる不景気と片付けて、国民を惑わし混乱を作り、株や投資で儲けているセレブや政府官僚、又、旧来の既得権益でのさばる公団、公共事業主や、政府とつるんで新たな既得権益を得た公共事業、補助金成金やインサイダー投資家を、10万人を殺した大量殺戮の罪で訴えてやりたい。)
地方、労働者層の不景気感が拭えない割に日本経済のGDPは伸び続けています。
政府が政策と税政を誤っているせいです。日本国内の庶民の実体経済を細らせ、金融、投資経済にお金が流れ込む様に優遇しているせいで地方、労働者の経済が細り、ひいては国全体の景気回復も進まないのです。又、ワーキングプアや貧困層も発生させ続けています。
政府、投資家、企業が本来、庶民が生産、消費で行なう経済活動(実体経済)を細らせておいて、金融、投資経済にお金を集めて海外投資に熱を入れているようですが、金融、投資で儲けたお金を地方や労働者に還元して庶民の実体経済を太らせるのを忘れているせいで国内経済の活気が本格的に戻らないのを彼らは気付いているのでしょうか。
日本の地方や労働者層が不景気なのは彼らのセコさ狡さが原因です。金融、投資主体の社会は利己的、独善的であり、公務員、行政主体社会と同じくらいモラルに欠けたもので、信用に足りるものではないと思います。彼らに任せておくといたずらに国民を苦しめて国を滅ぼしかねません。
株価、為替、金利、相場、配当等の投資、金融経済だけが経済ではなく、経済を回し、社会を発展させ維持、管理、保護し続ける原動力は、何も投資効率重視の投資ではなく潤滑、バランス機能も兼ね備えた課税とその交付によって成されても良いのではないでしょうか。
グローバル化競争によって膨らみ過ぎた金融、投資経済に対する十分な課税と、厳重な利権監査と課税のシステムを整えたうえでの、国家による非営利目的の福祉事業や社会保障(富の再分配)の交付、公共事業(社会投資)や補助金の交付によって経済、産業の成長戦略や社会、経済の安定が行われる、課税と税の再分配による共産性や社会主義性を取り入れた国政でもよいのではないでしょうか?
特に少子高齢化の現状では、無理な利益追求をおし進める投資社会より、高税率の共産的福祉社会の方が日本にはあっていると思います。
本来庶民が生産、消費で使っていた分のお金や税金で集めて共産的に公共サービスや福祉、社会保障で使っていたお金を、富裕層や企業が減税、補助金で吸収し、海外投資等に使って儲けてバブル状態となり、庶民は生産、消費で使用できるお金の量が年々減って貧困に至ったり、必要な公共サービスや福祉、社会保障を受けれなくなっていると疑います。
又、企業の高業績や投資の配当が好調にも拘わらず国全体としての政府発表の個人消費が思った程伸びないのは富裕層は飽食気味で、貧困層は欲しくても買うお金が無いという事ではないかと推理します。
課税対象、課税方法を変える事によって国民生活の為にまともな経済バランスをとる事を政府に提言します。
現在の投資、金融経済主導の社会で今の税政だと投資、金融経済が社会に及ぼす影響と支配力が強く、弱者が仕事(産業)と財(不安定な低賃金非正規雇用生活によって疲弊)を奪われ失業、貧困に至るとともに投資家、企業の投資、金融経済にお金が溜め込まれるシステムになっています。
バブル状態の投資、金融経済から税金を取って弱者、貧困層に還元したり最低賃金規定を設けて給与を上げてあげないと縮小している労働者層の経済は萎んだままで弱者、貧困層の消費はいっこうに上がらず国内全体の経済と社会の活気は戻りません。
※配当課税、株譲渡税、株売買益税はちゃんと取られているのか?低額の源泉徴収だったり、脱税の温床になってないか?ちゃんと税金を取るべきです。
ただ投資家、企業の要求する効率重視のアメリカ的な利益追求の市場原理至上主義、投資、金融の自由競争による支配、価値基準社会を国内外に対しての国の政策として勝手におし進め、投資優遇税政で享楽的なセレブを富ます一方で、安易に利益追求とは関係ない福祉や国や企業の観察、管理機能を有する行政機関を邪魔者として縮小、破壊するのは国の未来を危うくしかねないと思います。
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Re:「丸山真男」 (社会主義者)
2007-05-25 14:22:04
 コスモさん、どうも。抄録の該当部分は、苅部直氏の「丸山眞男―リベラリストの肖像」の中の記述から引いたものです。この中で赤木氏は、「丸山眞男」を、ワーキングプアの上に胡坐をかきながら自分たちに憐憫の目を向けるリベラリストの象徴として捉えているのではないでしょうか。偶々引用したのが苅部氏の著作だったので「丸山眞男」となっているだけで(タイトルの由来も同じ理由)、ここは別に他のリベラリスト(例えば大江健三郎氏とか)でも一向に構わなかったのでは。カギカッコつきで引用されているのも、そのためだと思います。

 ところが実際の戦争は、そんな「実力本位」でも「機会平等」でも更々なかった事は、suyapさんのブログにアップされている「ウォレアイ(メレヨン)の悲劇」の記事を読んでもよく分かります。
 http://suyap.exblog.jp/4134847/
返信する
「丸山真男」 (コスモ)
2007-05-25 11:21:17
すみません、ただの抄録についての質問です。
抄録からでは、なぜ丸山真男がタイトルに、それもカギカッコつきで書かれているのかがわからないんですけど、彼がこの話のキーなんでしょうか?
返信する
「論座」購入に至る裏の苦労話 (社会主義者)
2007-03-03 09:47:46
 雑誌「論座」1月号の「現代の貧困」特集は現物を入手しそびれましたが、4月号の「グッとくる左翼」特集は購入しました。今ぼちぼち読み始めている所ですが、なるほど結構面白い内容ですね。
 雑誌「論座」1月号は、赤木氏の話題がブログなどに出てきてから買おうとしたので、入手には予想外に苦労しました。もうどこの本屋にも置いてなくて、他市の図書館まで出掛けていってやっと入手する破目になりました。それに懲りたので、4月号は早めに購入する事にしました。
 それにつけても、<月刊・週刊などの定期刊行雑誌の現物を見て買うなら、本屋の店頭に並んでいる間にゲットしなければならない>という事を、今回は身に沁みて思い知らされました。一旦本屋から版元に返本されてしまうと、あとは取り寄せ注文という事になるのですが、そうすると一旦注文してしまうと絶対に購入しなければならなくなるので、「現物確認まず先に在りき」の私としては、取り寄せは余りしたくはないのです。ワーキング・プアにとっては本の値段もバカになりませんし、衝動買いで本棚の肥やしにしてしまうような愚だけは避けたいので。
返信する
Unknown (三浦小太郎)
2007-03-02 22:26:43
まず番組案内

4トロ掲示板にも紹介しましたが、3月4日テレビ朝日「サンデープロジェクト」午前11時ごろから、「最後のセーフテイネットが壊れる 格差拡大と生活保護の危機」という番組が放映されます。拉致問題でも活躍されたジャーナリスト集団、ジン・ネットの制作。是非ご覧下さい

あと、「論座」ざっと読みました。赤木氏の論考に関しては、私は随分ピントずれた感情的な反応しちゃいましたねえ・・こう言えばよかったんですね。

「世の中面白くないと言うのは分かるけど、面白くないのをどうするかは自分で考えないと駄目なんですよ。(中略)自分で考えて編み出さないと、編み出すまで考えないといけない。どこの世界の誰も、そんなことは教えてくれません。あのような不平不満の持ち方で止まっていると、逆に、自分の待遇がよくなったらそれで終わりで、人のことなどどうでも良くなる。(中略)必ずそうなるんですよ。その典型がスターリンです」(論座2007年4月号 107~8頁)

赤木氏への批判はこの言葉に尽きてます。やっぱ老賢者というか、町のきちんとした庶民の古老の言葉を思想的に語ればこうなるんでしょうね。これに比べたら、私の書き込みは自分の中に赤木氏的な部分やスターリン的な部分があるので、それを見せ付けられていきり立ってるだけの単純な脊髄反射だな。

まあ、正直、私のあの感情的なコメント削除したいくらいですが、自分のバカさ加減や、感情的な未熟な部分は部分で残しておかないのも不公平ですし、ここまでレスが伝しまって今更消すのも卑怯だしね。

まあ、自分の事を棚に上げて言いますが、私は赤木氏的な、ルサンチマンや嫉妬、呪い、被害者意識に基づく運動や思想と言うのは、たとえ権力や規制のシステムを倒したとしても、必ずスターリン主義化ナチズムかどっちかにいくしかないと思っているんです。それはもう20世紀が結論出したと思うんですよ。右も左も、反体制運動が勝利した後は旧来の件力よりもっと酷い抑圧体制を作り上げてしまったと言うのが、20世紀だったように思いますし、その根本には、「より自分の精神を高めたい、より自由になりたい」という反体制運動ではなく、「今特権を持っているものから奪い取りたい、彼らを退き下したい」という運動になって行ってしまった。その根本には、赤木氏的な思考パターンがやっぱり運動を歪めた面があると思うんですよ。その点だけ指摘しておきます。

赤木氏の件は離れて、まことさんの言うより普遍的なテーマについてはまたいつか私なりに答えていきたいと思います。ただ、そのためには知識不足の経済問題に関してもう少し勉強しますので、しばし時間をください。

いやー、ブログ荒らしをしちゃいました
皆様並びに管理人様に謝罪いたします
返信する
今月号の朝日「論座」-特集「グッとくる左翼」・「「『丸山眞男』をひっぱたきたい 希望は、戦争。」への応答」 (まこと)
2007-03-01 07:17:02
今月号の「論座」、なかなか面白そうな特集やるようですね。今月号、買ってみようかな。

●朝日「論座」4月号

特集「グッとくる左翼」

>「貧乏」を逆手に反撃が始まった
>右翼を経て、すっかり左傾化した私
>●雨宮処凛 作家

>ルポ 地位でもなく、おカネでもなく、とりあえず、こたつ。
>素人の乱×高円寺
>●小丸朋恵 編集部

>ストリートが左翼を取り返す
>●毛利嘉孝 東京芸術大学助教授

>左翼には、愛がたりない いうほど、愛してない
>●入江公康 大学非常勤講師

>大言壮語より微細な分析を
>●芹沢一也 京都造形芸術大学非常勤講師

>社会的連帯の条件
>●森 千香子 南山大学講師

>貧者を招き入れよ
>●西澤晃彦 東洋大学教授

>左翼と議会制民主主義
>●市野川容孝 東京大学助教授

>〈大転向〉時代の日本人に言っておきたいこと
>●鶴見俊輔 哲学者

>吉本隆明、まだ考え中
>●吉本隆明 詩人、批評家、思想家

>左翼的なるものへ――
>人は「理念」から逃れることはできない
>●柄谷行人 評論家

#柄谷氏の「世界共和国へ-資本=ネーション=国家を超えて」(岩波新書)などでも展開されている「人間に理念は必要です」論を繰り返すのでしょうかね?

>「『丸山眞男』をひっぱたきたい 希望は、戦争。」への応答
>●佐高 信 経済評論家/●奥原紀晴 赤旗編集局長/●若松孝二 映画監督/●福島みずほ 社会民主党党首/●森 達也 映画監督、作家/●鎌田 慧 ルポライター/●斎藤貴男 ジャーナリスト

#おお!
#なかなか「読み応え」のありそうな論客が揃っていますね~。

http://opendoors.asahi.com/data/detail/7935.shtml
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社会経済的観点からみた結婚・出産問題、外国人労働者について (まこと)
2007-03-01 05:24:28
先日の投稿に追記させていただきます。

●「結婚」、というよりも「出産」云々について。

私は「産めよ増やせよ」の類の主張をする気はさらさらありませんし、結婚するもしないも、産むも産まないも「本人たちの自由」だと思います。それを前提に以下書きます。

確かに、所謂「先進国」では1950年代以前に比べれば、現在の出産率はどこの国でも低下しています。これは、三浦さんが言われるような高度資本主義社会での「価値観の多様化」とは無関係では無いでしょう。今は3人も4人も産む時代では無いということでしょう。

しかし、スウェーデン、デンマーク、オランダなど、日本よりも働く者に関する法制度やセーフティ・ネットが充実している国々では、日本のように「合計特殊出生率1.3前後」などという極端な減り方はしていません。むしろ、90年代~21世紀以降に掛けて再び上昇傾向に転じている国々すらあります。

日本でも「結婚して子供が欲しい」と考えている青年層は8割近くいるという統計もあるようですが、それでも出産率が低いのは、将来が見通せない現在の経済・雇用状況とは無関係では無いと思います。実際、私の周囲にも「将来が不安だから」という理由で出産を手控えている青年カップルは、いますね。

また、日本の昨年の出産率は久々に少し上昇に転じたとの報道があります。これは、大都市圏を中心に経済・雇用状況が「改善」したことと無縁では無いように思います。

ちなみに、結婚について付記すれば、日本では「男は家族のために稼がねばならない」とのジェンダー意識が性別を問わず強いですから、年収200万前後のワーキング・プア男性では「結婚したくてもなかなか相手が見つからない」という傾向があるのも事実でしょう。

結婚するもしないも、産むも産まないも「本人たちの自由」ですが、<結婚したくても出来ない><産めなくても産めない>人達が増えるのは問題があります。漠然とした言い方ではありますが、私は「将来不安を抱かなくても良い社会」を創ることが人々の「選択の自由」の幅を広げるのではないかと考えるものです。

●移民について。

私は基本的に「移民ウェルカム」(笑)ですので、日本という「くに」にあこがれ、また日本で自分のチャンスを掴みたいという「外国人」が増えることは良いことだと思います。ただ、いま日本経団連が推し進めているような外国人労働者受け容れ政策には懐疑的です。

私はいま愛知県で仕事をしています。この愛知県は日系ブラジル人を中心に多くの外国人労働者が製造業(*主に自動車関連)に携わっていますが、社会保険にも入らず、また最低賃金を大幅に下回る劣悪な労働環境下で働かされている外国人も少なくないのが現実です。こういう人達は、諸般の事情で無法な労働を強いられても当局に訴えることも二の足を踏む傾向があるので、中小・零細の経営者にとっては「使い易い」という傾向があります(*もちろん中には良心的な経営者もいます)。

「格差」社会という名の「貧困化・二極化」社会が進行しているこの日本で、こうした「使い捨て」状態の外国人労働者が増えれば、ワーキング・プアの日本人と外国人労働者の間で仕事のパイを巡って対立が生じ、欧米のように「極右」層を増やす苗床となるのは自明の理でしょう。

日本が真に「移民」が生き生きと活躍できる「くに」へとするためにも、私は「貧困」を拡大している新自由主義的グローバリゼーション経済社会とは<訣別>せねばならないと考えます。そのためには、日本はもとより、外国人労働者の母国を含めた世界規模で<新自由主義的グローバリゼーション経済に対するオルタナティブ>を希求する「潮流」が求められているのだと考えます。
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キャノンには (三浦小太郎)
2007-02-28 11:45:40
キャノンの請負の件では、実は私、ちょっとお会いした事がある自民党議員に「国益の為にも人道面からも大野氏の声に耳を傾けて欲しい」と言う内容の手紙を出しました。勿論民主に働きかけることが悪いとは言いませんが、私は何よりも与党に呼びかけたいので。(公明にはちょっとね)断るまでもないと思いますが、私は赤木氏の議論を批判するからと行って大野氏のような立派な労働者を否定するつもりは全くないですよ。

しかし、もう一度言いますが、現場で本当に苦しい中頑張っている労働者が、赤木氏の考えに近いとは私は全く思えないですね。町工場で実は脱北者の方を雇ってもらうよういろいろお願いをしているのですが、そこの社長も従業員も、戦争が起こって欲しいとか、屈辱に日々耐えているとか、バブル世代が呪わしいとか、そんなこと酔っ払ったって冗談でも言いませんよ?子供は金かかるなあとかは言うけど。貧しい生活に伴う悔しさ、屈辱、怒りがないとは言いません。しかし、いつの時代も庶民は、そういう気持ちを腹に収めて、黙々と日々の生活に耐えてきたと思うし、これからもそうじゃないですかね。勿論、ナチスの時代とか、例外があることは認めますし、まことさんはワーキング・プアがこのまま行くとナチズムや差別主義の温床となることを危惧されているのだと思います。この点に関してと、まことさんの私の意見への疑問には、これは2,3日これから地方に行くので、帰ってきてからきちんとレスします。

あ、一言だけ。月刊日本のまことさんが紹介した論理には、私は全く組しません。ああいうのは国民新党あたりの主張だけど、あれに組したら、日本を閉鎖社会にもどすだけだと思います

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自己責任、国民統合、労働者性 (社会主義者)
2007-02-27 10:58:27
 この赤木氏の論考ですが、その論理展開の「稚拙さ」とは別に、当人も予期しない所で(或いはそれも織り込んだ上でか?)、いろんな形の問題提起をはらんでいる事に気がつきました。

 実は以前に、同じ職場のワーキングプアの若者の同僚にも、この論考の内容をかいつまんで話して、感想を聞いてみた事がありました。
 そして帰って来た答えが、まず「甘えている」。その人はあくまでも「ワーキングプアになるのも結婚できないのも、その人の自己責任」という考え方なので、この答えは「むべなるかな」といった所で。
 「戦争待望」云々についても、「そんなに戦争がしたいのなら、一度イラクにでも行って、戦争が一体どんなものか、身に沁みてきたら良い」と言っていました。これはその通り。

 ただ、赤木氏の言う「こんな腐った日本など、もうどうにでもなってしまえ」という感覚は、「自分にも何となく分る」とは言っていました。あれだけ安倍マルコス政権の閣僚が次から次へと失言を連発するのは、彼曰く「自分たちもいい加減、政治に嫌気が差しているから。政治を、ひいてはこの国を、投げているからだ」という事だそうです。
 この「もうこんな日本など、もうどうにでもなってしまえ」という感情ですが、実はネットウヨクの書き込みを読んでも、何となく感じる時があります。表向きの「反日分子掃討」的な書き込みとは裏腹に、どうしようもない「捨て鉢」な感情が横たわっているのを。何故なら、彼らの言説には「希望」が皆無ですから。「所詮世の中は弱肉強食だ、権力や武力を持つ奴が一番偉いんだ」なんて彼らの言説の、一体何処に「希望」が在る?

 あと、「労働者性」という事について。
 ワーキングプアは若者だけでなく、都市の小経営者や地方農民の問題でもあります。秋田や島根の一人当たり県民所得が大体年収2~300万でしょう。
 都市の小経営者(自営業者)にしても、例えば町の本屋さんや八百屋さんなんて、最近は量販店に全部客を奪われて商売が上がったりで、店を開いていても客は来ず、かといって、借金もあるので簡単に店もたとめない。商売だけでは食っていけないので閉店後もパート・バイトに出る。
 そういう人でも一応は小なりとはいえ自営業者(小ブルジョア)で、方や「勝ち組」大企業の持ち家中堅管理職が、一応は労働者に分類される。私は、「階級対立は無くなった」という資本家免罪・美化論には組しませんが、旧来の枠組みだけでは説明できないような形の「階級対立」に、徐々にその姿を変えて行っているのではないか、という気がします。
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赤木氏の議論は「極論」、だが・・・。 (まこと)
2007-02-27 04:15:39
はっきり言って、私にも赤木氏の議論は「極論」としか思えませんし、彼の議論は支持しません。

ただ、私は彼の「極論」が所謂「ネットウヨク」と呼ばれる層の心理のある一面を鋭く抉り出しているように思えるのです。

彼が抉り出した「希望なき」青年層をいかに「絶望」から這い上がらせるのか-それは私自身、そして立場は違うとは言え三浦さんのような真摯な保守派が考えなければならない課題であると思っています。
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「経済問題が全てではない」のは当たり前ですが、三浦さんの議論は経済問題を捨象していると思いますね (まこと)
2007-02-27 04:06:18
もちろん、私は「経済問題が全て」なんて言っている訳ではないですよ、念のため。

ただ、三浦さんの議論は赤木氏の「極論」を否定するために、ことさらに「ワーキング・プア」問題などを議論を捨象しているようにしか思えないのです。

経済問題とsakochiさんが言われる「人間の価値観の問題」などの観点を複眼的に検討せねばならないというのはその通りだと思います。ただ、一部には「ニート・フリーター」問題を<個人の価値観の問題・自己責任>に回収し、「ニート・フリーター」問題に起因する諸問題の責任を彼ら自身に"のみ"着せている議論があります。

赤木氏は自身のブログで「思想ではメシは食えない」と書いています。私が思うに、おそらく赤木氏は三浦さんのような反論も想定した上で、敢えて問題提起のために「極論」を書いているのだと思いますね。

まあ、赤木氏の「極論」はともかく、例えば↓の記事のキヤノンの請負労働者のような意見には、非「二ート・フリーター」は耳を傾け、この問題を「社会問題」として捉えなければならないと私は考えます。

●「キヤノン請負労働者「生身の人間。正社員と同じ賃金を」」(朝日 07.02.22)
http://www.asahi.com/job/news/TKY200702220255.html
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いまどきの団塊ジュニア世代 (sakochi)
2007-02-26 23:10:36
すみませんが私も横から参加させていただきます。私は団塊ジュニア世代ですが、やはり三浦さんの意見は私の実感から言って正しいように気がします。それは経済問題が全てではない、という点です。例えばバブル経済の時代には女性の結婚相手には「三高」といわれたものですが、今では完全に死語ですよね。今はほとんどの女性は性格や価値観が合う人や友達のような夫婦関係を理想にしているといわれています。私の周辺には30歳前後で結婚してない女性が結構いるんですが、やはり自分の人生を大事にしたいという人が多いような気がします。
もちろん、経済的困難から出産したくてもできないというカップルが多いのは事実でしょう。でも、晩婚化の背景には家庭だけでなく自分の人生や価値観を大事にしたいという価値観の変化があるわけでしょう。私が「子供を産むのが女の幸せ」という昔ながらの考えの政治家に批判的なのは、そういう時代の変化を理解しようとしないからです。
ですから、これからの時代は、経済的な問題ばかりでなく、カップルや夫婦のあり方はどうあるべきかとか、人間の価値観の問題に深く突っ込んだほうがいいような気がします。ちょっと話がそれてしまいましたが…。
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子どもを育てるにはカネが掛かる (まこと)
2007-02-25 14:54:49
すいません、追記です。

>今若者の結婚率下がっているのは、経済的問題だけじゃない。もっと貧しい時代、もっと貧しい国で、人々は結婚し、家庭を営んでいますよ。(三浦さん)

この問題、家族や地域などの「共同体」が解体しつつ現下の状況を考慮すべきでは無いでしょうか?
嘗て(*1960年代頃まで?)は子どもは祖父母などを含めた大家族、そして地域社会全体で育て上げるという傾向があったと思います。が、今の日本ではそういう状況は解体しつつありますし、まして共稼ぎが当たり前の時代ですから、子どもは保育所・幼稚園などに預けるなどせねばなりません。また、「うちはカネが無いから中卒で良い」という訳には行きません。高校・大学へと進学させねばならないし、そうなると塾などの教育費も必要です。

つまり、「もっと貧しい時代、もっと貧しい国」に比べ、現代の日本社会は子どもを産み育てるには莫大なカネが掛かるわけです。

先日もキヤノンの工場で請負労働者として働いている青年が、国会の公聴会にて「当たり前に子どもを育てるためにも正社員になりたい」と語りましたが、現代の日本において、年収2~300万円の「ワーキング・プア」では子どもを「人並み」に養育するのは無理があると思いますよ。

>それに、富裕層が良かれ悪しかれ、ガンガン消費(浪費)しなければ経済豊かになるわけない。

こういう考え方は「トリクルダウン」と呼ばれていますが、この理論に対してはノーベル経済学賞受賞者であるスティグリッツ氏をはじめとする批判があります。
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右派からの「格差社会」批判 (まこと)
2007-02-25 07:33:47
>そして、反小泉の人たちには、左も右も既に時代遅れのスローガンしか出せなかったから。別に労働者の権利奪い取りたくて若者が投票したんじゃない。じゃあ労働者は反小泉?あの圧勝はそんな簡単な構図で分析できる物じゃない。

では、小泉-中川ラインが執拗に「公務員(*それも高級官僚というよりも"給食のおばちゃん"みたいな人たちに焦点を当てて)=既得権益者」攻撃を繰り返しているのはなぜでしょう?

三浦さんが否定される赤木氏の考え方「も」小泉自民党の躍進に貢献したひとつの要因だと思いますよ。

ちなみに、「格差社会」には右派の側からも批判がありますよね。立ち読みしかしていない私がこんな事を言うのは何ですが、三浦さんが寄稿されている「月刊日本」という右派系の雑誌にも「ニート、フリーターを産み出す若者に夢を与えない格差社会が日本人の心をおかしくした」みたいな趣旨の記事、載っているではありませんか。

これは、今の「格差社会」という名の「貧困化」が今のまま進むと「国民統合」すら危うくなるということを「右派」の側から敏感に感じ取っている証左なのではないでしょうか。
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「地獄の沙汰もカネ次第」 (まこと)
2007-02-25 07:20:19
>この人もなんだか唯物論的というか、世の中のこと経済で全部分かるはずないのに、どうも経済的側面からだけ見ている気がする。

三浦さんが言おうとしていることも分かりますが、この日本には昔から(?)「地獄の沙汰もカネ次第」という言葉もありますよね。また、「貧すれば鈍す」とも言うではありませんか。

憲法に「健康で文化的な最低限度の生活」という文言がありますが、そういう生活無くしては「心の余裕」だとか「精神的なプライド」というものも失われていくという面は否めないのではないでしょうか。

もちろん、「武士は食わねど高楊枝」だとか「ボロは着てても心は錦」という謂いもありますけど、そこまで意思の強い人間がどれほどいるでしょうか。

あと、三浦さんは意図的に?経済の話を逸らそうとされているような気がするのですが、やはり「国民統合」にしても「ナショナリズム」にしても、「国民」と経済の連関性というのは無視できないと思います。

私は戦後日本における「国民統合」の背景には、戦後の経済成長、終身雇用などにみられる日本型企業主義、自民党型の地方への利益誘導政治などが大きく影響していると思います。この点、三浦さんがしばしば引き合いに出される小熊英二さんだって指摘されているではありませんか。
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Re:『「丸山眞男」をひっぱたきたい』2 (三浦小太郎(代理:社会主義者))
2007-02-24 23:13:19
(1の続き)
>だが私は、若者たちの右傾化はけっして不可解なことではないと思う。極めて単純な話、日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する。多くの若者は、それを望んでいるように思う。<

私はそんな人にあったことないけど、この人は会っているんでしょうね。
まあ、1億人もいるからこういう人もいるだろうな。
私は正直、この世から戦争がなくなることはないと思っている。しかし、こういう理由でなくならないんじゃない。

>戦争は悲惨だ。<
>しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。<
>もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。<
>しかし、それでも、と思う。<
>それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争で苦しむさまを見たくはない。だからこうして訴えている。私を戦争に向かわせないで欲しいと。<

北朝鮮の民衆がこういうなら私は100%分かるし、実際これに近いこと思ってる人いましたよ。「戦争になれば飢えは終わる」「餓死よりはとにかく何か戦争でもいいから起こって欲しい、情況が変わって欲しい」90年代飢餓のときはそうだろうな。

しかし、今の日本がそうかあ?

こういう文章って、どう読んでも「空想的窮民主義」と言う気がする。
庶民と言うのはもっと逞しく、もっとしたたかで、もっと誇りを持って生きている。
そういう人は私の回りにいくらでもいる。フリーターだろうとね。
今若者の結婚率下がっているのは、経済的問題だけじゃない。もっと貧しい時代、もっと貧しい国で、人々は結婚し、家庭を営んでいますよ。実際私自身独身ですがね、それはもてないからであって、また、家庭を営み責任を引き受ける力がないからです(経済だけではなく人間的包容力)そして、今程度の少子化は、豊かな社会になり、女性も社会進出すれば当然おきうる現象なんです。子供を産むか生まないかまで政治家が心配したり強制せんでよろしい。日本社会の豊かさを維持し、外国人に門戸を広げることの方を気にしてくださればよい。共稼ぎで働いて家庭を維持する人への様々な保障は考えるべきだろうけど、どんなに厳しくても、本当に結婚したい人はしているはずですよ。この人の言うささやかな幸せを、多分彼ほどの文才もないし経済的にも同じくらい貧しくても何とか実現しようとしている人、また幾つかは実現した人は一杯いるはずです。逆説的な言い方で社会に警報を鳴らしたいと言うのも分かるけど、なんだか私には伝わってこないなあ。

それと、この人もなんだか唯物論的というか、世の中のこと経済で全部分かるはずないのに、どうも経済的側面からだけ見ている気がする。今の社会で問題があるのは、むしろ人間の疎外がすすんできたことですよ。私がそうだからどうしても自分にひきつけちゃうのかもしれないけど、人間は勿論経済にも支配され影響されるけど、それ以上に、他者との関係の希薄さに悩むんだと思う。これは戦前の日本を否定しすぎた
弊害ではないかと思いますが、まあそのことはまた別の機会に。
赤木氏の文章は、疎外された個人の悲鳴としては読めなくもない。しかし、あまりに極論と逆説に走りすぎて、かえって説得力失ってるとしか思えない。
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Re:『「丸山眞男」をひっぱたきたい』1 (三浦小太郎(代理:社会主義者))
2007-02-24 23:09:21
※三浦小太郎さんから、送信エラー発生でコメント代理投稿の依頼がありましたので、そのコメント全文をこちらに転載します。但し、私の方で若干の技術的編集を施しています(誤字訂正、引用符の統一、改行位置の是正、仮題付与、制限字数超過による投稿分割、の以上5点に関して)。また、ここで引用されているのは全て赤木氏の当該論考の文章です(その内容については下記URLを参照の事)。
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/3acde4a221d5d8fb5205007d3a2df57d

>『「丸山眞男」をひっぱたきたい』31歳フリーター。希望は、戦争。(赤木智弘)<

 気の効いた面白さというのはありますけど、この文章を社会主義者さんやまことさんが限定付きとはいえ評価するのか、右翼として理解できない(笑)こういうのが右翼的とか思われてはたまらんのでちょっと批判を逆の立場から。

>バブル崩壊以降に社会に出ざるを得なかった私たち世代(以下、ポストバブル世代)の多くは、これからも屈辱を味わいながら生きていく事になるだろう。一方、経済成長著しい時代に生きた世代(以下、経済成長世代)の多くは、我々にバブルの後始末を押付け、これからもぬくぬくと生きていくのだろう。なるほど、これが「平和な社会」か、と嫌みのひとつも言いたくなってくる。<

こんな事実ほんとにあるの?。ポストバブルの30代、苦しい生活をしている人は多いかもしれないけど別に「屈辱」を感じて生きている人ばっかじゃないでしょう。苦しい生活の中、充実感を感じている人もいれば、「ぬくぬく」と見えても、家庭や個人の問題、家のローンで苦しい寧面を押し殺して生きている人もいる。こんなのは単なる被害者意識。それに、じゃあもしこういう現象があったとしましょうよ。人間「運のいい人もいれば悪い人もいる」というだけのことでは?

>「NHKスペシャル「ワーキングプア」が見過ごしたもの<
>特に、仕立て職人が、妻の葬儀のために手をつけずにいる貯金のために、生活保護を得られないことについて、識者が「妻の葬儀の費用を自力でまかないたいというのは人間の尊厳であり、それを捨てないと生活保護を得られないことに問題がある」と述べていたことが気にかかる。それが尊厳だというのなら、結婚して家庭を持つことや100万円の貯金など夢のまた夢でしかない我々フリーターの尊厳は、いったいどこに消えてしまったのか。<

まあ、葬式を挙げるあげないを「人間の尊厳」と言う言い方をするのもどうかとは思う。この人が仕立て職人として、立派な仕事をし、経済的には恵まれなくとも黙々と働き、世の中と家庭を支えた事が最大の勲章だし、それを支えた妻に、せめて自分の手で立派な葬式をあげてやりたいと言う気持ちは分かるけど。ただ、それに対して、一々こんなひねた「気のかけ方」しなくてもいいんじゃないの。尊厳は他人が決めることじゃないでしょう。結婚しなくても貯金がなくても尊厳は持っている、と、たとえやせ我慢でも言うのが人間だし、フリーターとしてその場で、コンビに店員であれ、コンビニ店員として立派に働いていればそこに尊厳は生まれるはず。少なくとも、そういう気持ちを無理やりにでも持とうとするのが人間じゃないの?

>戦争が起きれば社会は流動化する<
>平和な社会を目指すという、一見きわめて穏当で良識的なスローガンは、その実、社会の歪みをポストバブル世代に押しつけ、経済成長世代にのみ都合のいい社会の達成を目指しているように思えてならない。このようなどうしようもない不平等感が鬱積した結果、ポストバブル時代の弱者、若者たちが向かう先のひとつが、「右傾化」であると見ている。<
>若者にしてみれば、非難の対象はまさに左傾勢力が擁護する労働者だ。だから若者たちはネオリベ政府に「労働者の利権を奪い取って、おれたちに分けてくれ」と期待してしまうのだ。小泉前首相が「郵政職員26万人の既得権を守って、何の改革ができるか!」と叫んで若者の支持を集め、衆院選で圧勝したことは記憶に新しい。<

違います。
小泉首相が勝利したのは右傾化じゃない。あえて言えば経済的な不満からでもない。

社会がある程度豊かになり、しかし同時に閉塞感も生まれた中、かっての左右の価値観も共に説得力を持ちえなくなった時代に、ある種のポピュリズム政治で開放感を与えたからなの。
だから、ある意味じゃ、右も左もポピュリズムに破れたとは言える。
そして、反小泉の人たちには、左も右も既に時代遅れのスローガンしか出せなかったから。別に労働者の権利奪い取りたくて若者が投票したんじゃない。じゃあ労働者は反小泉?あの圧勝はそんな簡単な構図で分析できる物じゃない。

>確かに、右傾化する若者たちの行動と、彼らが得る利益は反しているように見える。たとえば一時期のホリエモンブームなどは、貧困層に属する若者たちが富裕層を支持するという、極めて矛盾に満ちたものだった。小泉政権は改革と称して格差拡大政策を推し進めたし、安倍政権もその路線を継ぐのは間違いない。それでも若者たちは、小泉・安倍政権に好意的だ。韓国、中国、北朝鮮といったアジア諸国を見下し、日本の軍国化を支持することによって、結果的にこのネオコン・ネオリべ政権を下支えしている。<

これ、赤木氏が意外と旧左翼的価値観(貧しき人対金持ち)を信じているのが露呈してる。
金持ちって基本的に魅力的ですよ。貧困層はそれに憧れるのが普通。アメリカ映画観ればすぐわかるはず。
それに、富裕層が良かれ悪しかれ、ガンガン消費(浪費)しなければ経済豊かになるわけない。ホリエモンが支持されたのはプロ野球の球団買収とか「浪費」「パフォーマンス」が面白かったからだと思う。私は興味なかったけど、別にホリエモンを応援した貧困層がいたって矛盾は全然感じません。ただ、それはそれとして日本の金持ちはもっとかっこいい浪費をしないといけないとは思う。ロックフェラー財団とか見習うべき。
(2に続く)
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確かに「限界」はあるけど・・・ (まこと)
2007-02-23 07:27:01
確かに赤木氏の論考には「限界」もあるし、私も彼の議論に与するわけではありませんけど、彼が指摘するような「フツーの市民」の意識が「ニート・フリーター」とのレッテルを貼られている人達の問題や「ホームレス」の問題の<社会化>の阻害要因になっている面があるのは否めないと思います。

そして、「論座」に登場するような「リベラル」な識者は、その点に気付いていても、なかなか言い難いという面があるように思います。読者を敵に回すようなものですからね。

そういう意味で、私は彼の「限界」を認識しつつも、彼の言説には一定の評価を与えたいと思います。
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