近々、ギャンブル依存症の治療にも健康保険が適用されるようになるそうだ。厚労省が検討中とマスコミ各社が報じていた。
冗談じゃない。好きでなった訳ではない腰痛や頚椎症の治療に保険を使っただけでも、整骨院の不正請求だ、公金横領だと騒がれるのに、自己責任に過ぎないギャンブル依存症の治療に、なぜ保険が適用されるのか?余りにも不公平ではないか?
確かに整骨院治療への保険適用はグレーゾーンだった。整骨院では本来、骨折・脱臼の急性症状にしか治療に保険が使えないのに、今までナアナアで慢性の腰痛・頚椎症の治療にも保険が適用されて来た。ところが最近は、健保組合の審査が厳しくなり、実費診療しか認められなくなった。それに対し、実費診療ではお金がかかるので、受診回数を減らす事で対応している。しかし、私も好き好んで腰痛になった訳ではない。それでも、こちらは仕方なく耐え忍んでいるのだ。それなのに、なぜ職業病でもないギャンブル依存症の治療には保険が適用されるのか?
確かに、ギャンブル依存症増加の裏にも、生活苦や職場のストレス増大、労働環境悪化などの要因が潜んでいる。それらを全て自己責任で済ますのは酷だ。しかし、こちらは9割方、労働・生活環境のせいで腰痛になったのに、それには保険が適用されず、本人の自己責任もあるギャンブル依存症の治療には保険が適用されるのは、どう考えても不公平だ。ギャンブル推進の国策の為には医療費増大にも目をつむると言う訳か?いずれにしても、保険適用の基準が余りにも曖昧、恣意的で納得できない。
そんな事言い出せば、ギャンブル依存症だけでなくアルコール依存症の治療にも保険を適用しなければならなくなる。昔は単に「個人のだらしなさ」で済まされた依存症も、今や脳内伝達物質ドーパミンの異常分泌による疾患だと正式に認定されるようになった。ギャンブルをやる事でドーパミンが異常分泌され、個人の力では制御できなくなるのだ。いわば一種の麻薬中毒だ。
ギャンブル依存症を本気で根絶しようとするなら、ギャンブル自体を無くして、元から断つ以外にはない。それ以外の対策は全て弥縫策だ。刑法で賭博を禁じているのも、それが公序良俗に反しているからだ。ギャンブルを公認してしまったら、誰もバカらしくて働かなくなる。「まじめに働くよりも、楽して、ズルして金儲けすれば良い」という事になってしまう。それでは社会が成り立たなくなるから、法律で賭博を禁じているのだ。
しかし実際には、競馬などの公営ギャンブルや、宝くじ・ロト6、パチンコなどの形で、ギャンブル産業が大手を振ってまかり通っている。「ギャンブルの収益を福祉事業に還元する」という名目で、行政による統制と庇護の下に、一部のギャンブルに限り公認されている。
近年はそこにカジノが加わる。カジノを中心とした総合リゾート(IR)誘致の名目で、デフレ脱却の切り札として、自民党や「維新の会」が盛んに誘致を行っている。現在、誘致先として大阪、和歌山、長崎、横浜など数カ所が候補地に上がっている。それに対し、横浜では誘致反対の住民投票運動が広がっている。
数あるギャンブルの中でも、カジノは最もタチが悪い。他のギャンブルは数百円、パチンコでも数千円からお金を掛けられるのに対し、カジノは元手だけでも数十万円を用意しなければならない。その元手も、あっと言う間にすってしまう。儲ける事はほとんどない。これでは大半の人間が破産してしまう。
競馬や競輪なら、馬産地や自転車産業振興などの形で、地域経済の活性化につながる事もある。しかし、パチンコやカジノに至っては、ひたすら球やカードを買って掛けて換金するだけだ。地場産業の振興にもならない。
全てのギャンブルは、胴元だけが勝つように出来ている。テラ銭の何分の一かを胴元があらかじめ先取りし、残った額を賭博で勝者が得る事になる。たとえ勝者と言えども、獲得額の合計がテラ銭の合計を越える事はない。もちろん勝ち続ける事なぞ出来ない。胴元以外には勝者はいない。ある局面では勝ち負けはあっても、トータルで見れば、勝者も含め参加者全員が敗者なのだ。
地域振興には結びつかず、他人の不幸を踏み台にして、胴元だけが儲かる仕組み。「まじめに汗して働くよりも、楽して、ズルして儲けた方が勝ち」という歪んだ価値観だけを蔓延させる仕組み。そんな物を、およそ「まともな産業」とみなす事は出来ない。いかにソフトムードで競馬ブームを演出しようとも、競馬場やウインズがハズレ馬券や予想紙で紙クズだらけなのは、そこに一度でも行った事がある人間なら誰でも知っている。なぜそうなるか?馬券が外れてムシャクシャして、ゴミをちゃんとゴミ箱に捨てる気にもなれないからだ。
カジノを推進する自民党や「維新の会」の政治家の多くは、「保守」や「愛国者」を自称している。中には「朝鮮人の資金源になっているパチンコや中国マフィアの資金源を絶つ為に、日本にカジノを誘致しなければならない」という輩もいる。ところが実際は、道徳教育の推進を口にしながら、ゴミもちゃんと捨てない道徳衰退にも目をつむり、敵であるはずの中国マフィアにカモにされ、副大臣が逮捕されているのだからお笑いだ。どんなイデオロギーを持とうと政治家の勝手だが、その手前勝手なイデオロギーの為に、なぜ庶民の生活が破壊されなければならないのか?そんなに中国と戦争したければ、どこか南の無人島で自分達だけで気の済むまでやれば良い。ネトウヨの戦争ごっこに一般庶民を巻き込むな。
保守や愛国者を自認しながら、人の不幸は見て見ぬ振り。道徳がすたれて紙クズだらけになっても見て見ぬ振り。これの一体どこが「保守」「愛国」なのか?「自分達さえ良ければ良い」「金さえ儲ければ良い。それで社会がどうなろうと、後は野となれ山となれ」というような輩は、保守でもなければ愛国者でもない。唯の拝金資本主義の守銭奴に過ぎない。
「カジノは富裕層の客だけを相手にする。カジノに入るには高い入場料を払わなければならないので、貧乏人はカジノには寄り付かない。ゆえにカジノは貧困ビジネスではない」と言う人もいる。しかし、だったら依存症対策なんて不要なはずだ。金儲けに抜け目のない富裕層が、絶対に負けると分かっているカジノに手を出すはずがない。むしろ、自分では手を出さず、他人から金をむしり取る為に、カジノを運営する方に回るはずだ。どおりで、サウジロイヤルカップやアルアインなど、レースや競走馬の名称にアラブの王族にちなんだものが多いはずだ。
人は裕福だからギャンブルに手を出すのではない。貧乏で給料だけでは食べていけないから、たとえ確率論的には負けると分かっていても、自分だけは勝ち逃げできると思い、なけなしの金をギャンブルにつぎ込んでしまうのだ。生活保護受給者がギャンブルに入れ揚げてしまうのも、それしか楽しみがないからだ。裕福な奴は絶対にギャンブルなぞには手を出さない。むしろ、胴元が絶対に有利なギャンブルを有望な投資先とみなして、貧乏人から金をむしろうと考える。
そんな事言い出せば、ギャンブル依存症だけでなくアルコール依存症の治療にも保険を適用しなければならなくなる。昔は単に「個人のだらしなさ」で済まされた依存症も、今や脳内伝達物質ドーパミンの異常分泌による疾患だと正式に認定されるようになった。ギャンブルをやる事でドーパミンが異常分泌され、個人の力では制御できなくなるのだ。いわば一種の麻薬中毒だ。
ギャンブル依存症を本気で根絶しようとするなら、ギャンブル自体を無くして、元から断つ以外にはない。それ以外の対策は全て弥縫策だ。刑法で賭博を禁じているのも、それが公序良俗に反しているからだ。ギャンブルを公認してしまったら、誰もバカらしくて働かなくなる。「まじめに働くよりも、楽して、ズルして金儲けすれば良い」という事になってしまう。それでは社会が成り立たなくなるから、法律で賭博を禁じているのだ。
しかし実際には、競馬などの公営ギャンブルや、宝くじ・ロト6、パチンコなどの形で、ギャンブル産業が大手を振ってまかり通っている。「ギャンブルの収益を福祉事業に還元する」という名目で、行政による統制と庇護の下に、一部のギャンブルに限り公認されている。
近年はそこにカジノが加わる。カジノを中心とした総合リゾート(IR)誘致の名目で、デフレ脱却の切り札として、自民党や「維新の会」が盛んに誘致を行っている。現在、誘致先として大阪、和歌山、長崎、横浜など数カ所が候補地に上がっている。それに対し、横浜では誘致反対の住民投票運動が広がっている。
数あるギャンブルの中でも、カジノは最もタチが悪い。他のギャンブルは数百円、パチンコでも数千円からお金を掛けられるのに対し、カジノは元手だけでも数十万円を用意しなければならない。その元手も、あっと言う間にすってしまう。儲ける事はほとんどない。これでは大半の人間が破産してしまう。
競馬や競輪なら、馬産地や自転車産業振興などの形で、地域経済の活性化につながる事もある。しかし、パチンコやカジノに至っては、ひたすら球やカードを買って掛けて換金するだけだ。地場産業の振興にもならない。
全てのギャンブルは、胴元だけが勝つように出来ている。テラ銭の何分の一かを胴元があらかじめ先取りし、残った額を賭博で勝者が得る事になる。たとえ勝者と言えども、獲得額の合計がテラ銭の合計を越える事はない。もちろん勝ち続ける事なぞ出来ない。胴元以外には勝者はいない。ある局面では勝ち負けはあっても、トータルで見れば、勝者も含め参加者全員が敗者なのだ。
地域振興には結びつかず、他人の不幸を踏み台にして、胴元だけが儲かる仕組み。「まじめに汗して働くよりも、楽して、ズルして儲けた方が勝ち」という歪んだ価値観だけを蔓延させる仕組み。そんな物を、およそ「まともな産業」とみなす事は出来ない。いかにソフトムードで競馬ブームを演出しようとも、競馬場やウインズがハズレ馬券や予想紙で紙クズだらけなのは、そこに一度でも行った事がある人間なら誰でも知っている。なぜそうなるか?馬券が外れてムシャクシャして、ゴミをちゃんとゴミ箱に捨てる気にもなれないからだ。
カジノを推進する自民党や「維新の会」の政治家の多くは、「保守」や「愛国者」を自称している。中には「朝鮮人の資金源になっているパチンコや中国マフィアの資金源を絶つ為に、日本にカジノを誘致しなければならない」という輩もいる。ところが実際は、道徳教育の推進を口にしながら、ゴミもちゃんと捨てない道徳衰退にも目をつむり、敵であるはずの中国マフィアにカモにされ、副大臣が逮捕されているのだからお笑いだ。どんなイデオロギーを持とうと政治家の勝手だが、その手前勝手なイデオロギーの為に、なぜ庶民の生活が破壊されなければならないのか?そんなに中国と戦争したければ、どこか南の無人島で自分達だけで気の済むまでやれば良い。ネトウヨの戦争ごっこに一般庶民を巻き込むな。
保守や愛国者を自認しながら、人の不幸は見て見ぬ振り。道徳がすたれて紙クズだらけになっても見て見ぬ振り。これの一体どこが「保守」「愛国」なのか?「自分達さえ良ければ良い」「金さえ儲ければ良い。それで社会がどうなろうと、後は野となれ山となれ」というような輩は、保守でもなければ愛国者でもない。唯の拝金資本主義の守銭奴に過ぎない。
「カジノは富裕層の客だけを相手にする。カジノに入るには高い入場料を払わなければならないので、貧乏人はカジノには寄り付かない。ゆえにカジノは貧困ビジネスではない」と言う人もいる。しかし、だったら依存症対策なんて不要なはずだ。金儲けに抜け目のない富裕層が、絶対に負けると分かっているカジノに手を出すはずがない。むしろ、自分では手を出さず、他人から金をむしり取る為に、カジノを運営する方に回るはずだ。どおりで、サウジロイヤルカップやアルアインなど、レースや競走馬の名称にアラブの王族にちなんだものが多いはずだ。
人は裕福だからギャンブルに手を出すのではない。貧乏で給料だけでは食べていけないから、たとえ確率論的には負けると分かっていても、自分だけは勝ち逃げできると思い、なけなしの金をギャンブルにつぎ込んでしまうのだ。生活保護受給者がギャンブルに入れ揚げてしまうのも、それしか楽しみがないからだ。裕福な奴は絶対にギャンブルなぞには手を出さない。むしろ、胴元が絶対に有利なギャンブルを有望な投資先とみなして、貧乏人から金をむしろうと考える。
それに対して、一般庶民の給料が少しでも上がるように頑張るのが、本当の政治家だ。生活保護受給者がギャンブルに入れ揚げずに済むように、彼らに生きがいを与えるのが本当の政治家だ。カジノ推進なぞ、政治家のすべき事ではない。カジノ推進の自民党や「維新の会」の政治家に、選挙のたびに投票するのは、オレオレ詐欺に金を恵んでやるようなものだ。弁護士にも相談せず、サラ金や街金、闇金から金を借りるようなものだ。「盗っ人に追い銭」そのものだ。これでは、国家が率先してオレオレ詐欺を推進する「国営オレオレ詐欺」だ。これだけ言ってもまだ投票するなら、もう勝手にしろ。バカにつける薬はない。