■当日の企画について
2月21日に、大阪市の浪速人権文化センターで開催された、「ガザ この現実 『たたかうジャーナリスト』志葉玲・緊急報告会」に行って来ました。当日配布された本レジュメ(上記左写真)以外にも、他の企画案内の資料や、会場で買ったパンフレットもあり、まだその全てに目を通した訳ではありませんが、とりあえず当日の様子や、その時に考えさせられた事などを、思いつくまま書いていきたいと思います。
この企画は、20日から22日にかけて、大阪以外にも京都・神戸で連続開催されました。21日は、14時から16時半近くまでを大阪の標記会場で行った後、夜は近隣の堺市でも同じ報告会が開催されました。
私が行ったのは当日午後の標記会場で、ホールには最終的には100人ぐらいは来ていたのではないかと思います。其処で14時から途中休憩を挟んで16時近くまで、志葉さんが、パソコンに落とした現地の画像を、スライドに写し出しながら(上記右写真:但しこれは開演前に撮ったもの)、現地の様子を語られて、その後は最終まで、私も含め数人の方と質疑応答、というスケジュールでした。
■スライドを使っての現地報告 (14:00~15:50)
現地報告の部分では、白リン弾やダイム(DIME)と呼ばれる新型実験兵器の被害や、ガザ侵攻イスラエル兵による民間人蹂躙の実態、エジプト国境に掘られたトンネルについての説明がありました。
白リン弾は、もう既に知っている人も少なからず居られるでしょうが、焼夷弾の一種で、酸素がある限り燃え続けます。従って、水(酸素が含まれる)をかけても消えません。小さな破片の場合は砂をかける事で消し止める事も出来ますが、大きなものになると、下手に触れたりしたら爆発します。
以下、報告会で紹介された事例から。―曰く、白リン弾を蒙ったが、幸いにも直撃を免れて軽度の火傷で済んだ少女を、体内に弾の破片が残っているのに気付かなかった医者が、応急処置だけ施して帰した所、数時間後に再び瀕死の状態で運ばれてきた。その時にはもう、患部は焼けただれて、手の施しようのない状態だった。弾の破片がずっと体内で燃え続けていたのだ。そういうのが、クラスター爆弾の様に、多くの子爆弾に分かれて、民間人の頭上に降り注いだのです。
ダイムについても少し触れられていました。ダイムとは、これは帰宅後にネットでも調べて、改めて知ったのですが、タングステン合金で作られた高密度不活性爆弾で、被害は半径数十メートルの狭い範囲に止まります。しかし、爆発と同時に弾片も全て粉末状になって飛散してしまうので、爆撃の証拠が残らないのです。その一方で、殺傷力は非常に強く、その狭い範囲内に居合わせた人は深刻なダメージを蒙ります。たまたま生きながら得る事が出来ても、タングステンの影響で、今度は放射能障害に苦しめられるのです(小型核兵器の異名もある位です)。
白リン弾やダイムは、当初は、煙幕・照明弾や、民間人の犠牲を最小限に食い止めるためのピンポイント爆弾として、開発されたものなのだそうです。米国やイスラエルも、表向きにはそれを頻りに強調します。しかし、その裏では、人口密集地のガザで、それを意図的に民間人に対する「無差別ピンポイント空爆」に使用しているのです。
また、報告会では、イスラエル兵の侵略行為についても、具体的な説明がありました。―曰く、今回の侵攻で農地の6割余りが破壊され、トマトや茄子のビニールハウスが空爆を受けた。事前に無人偵察機で、其処に武器も戦闘員もいない事が分かっていたにも関わらず、白旗を掲げていた邸宅にも砲撃が加えられ、近所の避難民も含め48人以上もの住民が虐殺された。そして、其処を数日間に渡って不法占拠した挙句に、壁に次の様な落書きを残して去って行った。―「お前らは逃げても逃げ切れないぞ」「平和ではなく戦争を」。「アラブ人、1949年~2009年」と書かれた墓標の落書きもあった。1949年はイスラエル建国の年で、2009年が今回。これは即ち、今回の空爆が民族皆殺しを意図したものである事を、イスラエル自らが表明したに等しい。
また、ハマスがガザ・エジプト国境に構築した物資運搬用のトンネルについての説明もありました。スライドに映し出されたのは入口だけで、内部は取材のみ可、撮影は禁止と言う事でしたが。何故、撮影禁止になったのかというと、度重なる嫌がらせの経済封鎖の為に、食料も医薬品も払底する中で、生活物資搬入の為にやむを得ず掘った、折角のトンネルの存在を、マスコミが報道した為に、イスラエルによる空爆の格好の標的にされてしまったから、との事でした。
勿論、トンネルで多少の武器も運んでいた事でしょう。それを捉えて、イスラエルは、「ほれ見たことか」と、ハマスによる自爆攻撃を論い、欧米や日本のマスコミも、「報復の連鎖」だと騒ぎ立てます。
しかし、そもそも、米国からの膨大な軍事援助によって、最新式兵器で武装し、新型兵器の実験場として、国際法無視の民間人虐殺を続けるイスラエルと、度重なる虐殺に対して、手製の武器でやむにやまれず反撃に出たハマスを、等価で非難する事自体が、明白なダブルスタンダードではないか。
また、度重なる国連決議をも無視して、ヨルダン川西岸・ガザ・パレスチナ全域を今も不法占領しているのは一体誰なのか。その不法占領を批判せずに、ハマスの自爆攻撃だけを非難したり、喧嘩両成敗でお茶を濁すのは、偽善以外の何物でもないではないか―という事も、強調しておられました。
■質疑応答 (15:50~16:20)
ここでは、私も含めて、計4人ぐらいの参加者から質問が出され、それに志葉さんが答える形で、話が進められました。以下がその概略です。
(質問1)
イスラエルは、ナチスによるホロコースト(民族絶滅政策)の受難を経験しておきながら、何故パレスチナ人にも同じ仕打ちが出来るのか?
(応答)
その理由は2つ考えられる。
第一番目の理由として、受難を受けた民族が、必ずしも他の被抑圧民族も解放の、国際連帯の立場に立てるとは限らない、という事。抑圧を受けた事で、逆に自分たちが受けた仕打ちを、同じ様に他民族にもして何が悪いと居直る、偏狭なナショナリズムの方向に行く場合もある。
例えば、旧ユーゴのコソボで、それまで少数派だったアルバニア人が、コソボ独立で多数派になった事により、少数派に転落したセルビア人や、元から少数派だったロマ人(ジプシー)を、一転して抑圧しにかかる事例もある。イスラエルのユダヤ人も、多分にそれに該当するのではないか。
第二番目の理由は、多分に教育の影響もある。日本の教科書問題と同種の問題が、イスラエル国内にも存在するという指摘が、イスラエルの平和活動家から為された事がある。イスラエル建国に伴う第一次中東戦争(パレスチナ戦争)で、パレスチナの多数の町や村が焼き払われ、数百万人の難民が発生した歴史(パレスチナではナクバ=大厄災と総称される)も、多くのユダヤ人は教えられていない。
(質問2―これが私の質問です)
90年代のオスロ合意でパレスチナ自治政府の存在も認められ、一時はイスラエル・パレスチナ2国家共存による和平実現の可能性もあったのに、何故ここまで和平が遠のいてしまったのか?
(応答)
オスロ合意への努力が全く無駄だったとまでは言わないが、パレスチナ民衆にとってみれば、それも所詮は、イスラエルの不法占領を合法化する道具でしかなかったのではないか。
それが証拠に、ハマスが幾ら民主的な選挙で選ばれたものであっても、自分たちにとって都合の悪いものである限り、一切認めないではないか。これは欧米によるダブル・スタンダード(二重基準、えこひいき)ではないのか。また、ハマスが、実際にはイスラエル抹殺ではなく、あくまでも第三次中東戦争以前の国境線(グリーンライン)へのイスラエル軍撤退を主張しているに過ぎないのにも関わらず、欧米はハマスをイスラム過激派と看做し、その存在すら認めないではないか。
だから、幾ら和平だとかパレスチナ自治だとか言っても、それは不法占領の実態を覆い隠す、偽善的な美辞麗句にしか過ぎなかったではないか。
(質問3)
同じパレスチナ解放勢力であるファタハとハマスが、何故対立しているのか?
(応答)
実際に、長年に渡る内部対立が存在するのは確かだが、それとは別に、イスラエルが意図的に両者の対立を煽っている面もある。オスロ合意の時期には、シオニスト右派が陰でハマスを支援し、ハマスが台頭すると、今度はファタハだけを唯一の交渉相手として優遇したり。
(質問4―実際に地域で無防備都市宣言の運動に取り組んでおられる方から)
パレスチナでも、無防備都市宣言や日本国憲法第9条の精神を広める運動によって、和平実現を図れないか?
(応答)
まず、イスラエルの不法占領と、それを陰から支えている欧米のダブル・スタンダードを改めて、パレスチナ民衆に貧困と屈辱をもたらしている分離壁やユダヤ入植地を撤去するのが、真っ先に優先されるべき課題ではないのか。
今のままでは、たとえ形だけの和平が実現されたとしても、分離壁の内側では、イスラエルによる日常的な人権侵害が続いているのに、国際社会はそれを見て見ぬ振り。こんなものは真の平和でも何でもない。その欺瞞が改められない限り、幾ら平和や憲法9条を唱えても無意味。
■以上を踏まえた上で、私が考えさせられた事
(質問1・2に関して)
イスラエルのシオニズム(ユダヤ人至上主義)を克服するのは、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)を克服するより困難な事業だと、何処かで聞いた事がありました(ひょっとしたら私の記憶違いかも知れませんが)。その時は、それがどういう意味なのか、はっきりとは分かりませんでしたが、今回の報告を聞いて、やっとその意味が、何となく分かりかけて来た様な気がします。
それは、南アのアパルトヘイトに対しては、全世界が非難の声をあげ、国連による南ア経済制裁も、かなり実効がありました。それは、南アのアパルトヘイトが、同国の資本主義化(市場拡大・雇用の自由化)にとっても障害になりつつあったので、欧米の資本家も、それなりに本気で南アに圧力を掛けたからに他なりません。
引いては、その事が同国の解放勢力にも良い影響を与え、南アの多くの民衆が、黒人至上主義路線のPAC(パン・アフリカニスト会議)ではなく、全人種平等・共存を目指すANC(アフリカ民族会議)を支持する事になったのです。(但し、それは一面では、ANC指導部と欧米資本との癒着という、悪しき影響としても現れていますが)
イスラエル・パレスチナ紛争の場合は、それが南アの場合とは、全く逆の形で推移してきたのではないでしょうか。イスラエルにおいては、パレスチナとの真のニ国家共存ではなく、労働党・カディマが唱導する「形式的共存」に、そして更に、パレスチナを事実上、国内植民地として扱い、あわよくば抹殺を図ろうとする、右翼強硬派のリクードやユダヤ宗教政党に、国内世論が扇動される方向に。そしてパレスチナ側でも、反帝国主義や少数派擁護を主張する左派(PFLP)・世俗派(ナセル・バース主義など)から、イスラム原理主義への傾斜という形に。
(質問4に関して)
これが、私が最も考えさせられた点です。上記の質問1との関連の中でも触れましたが、ハマスにも限界があるのは事実です。イスラエルのユダヤ人を、左派も含めて、民族全員がシオニズム一色で凝り固まっているかの様に看做していると思われる点や、元来はイスラム同胞団系の運動でテロリストとは直接繋がりは無いものの、中にはイスラム過激派の影響を受けた潮流も存在している点などを含めて。
確かに、労働党やカディマについては、もう論外であるにしても、イスラエルにはそんな勢力だけでなく、ピース・ナウ、グッシュ・シャローム、マッペンなどの反戦市民運動や、ハダッシュ(平和と平等の為の民主戦線:共産党系)やバラド(国民民主同盟:アラブ系)などの、ハマスとの対話を唱える勢力も存在します。ハマスが、それら勢力とも対話や共闘を図る事で、シオニスト強硬派を追い詰める方向を、何故追及しないのか、という疑問が、それまで私の中にありました。
しかし、それを幾ら指摘した所で、肝心のイスラエルによる不法占領が廃絶されない限り、何を言っても通用しないと、今では考えるようになりました。PLOも参画して取り決めたオスロ合意ですら、結局は画餅に終わってしまったのですから。「イスラエルの姿勢がまず変わらない限り、ハマスも変わりようが無い」と、今では思っています。
■占領下ではどんな平等も共存もあり得ない。
当日配布されたパレスチナ領域の歴史的変遷図を見ると、それがよく分かります(上記左写真:各図とも、黒い部分がパレスチナで、白い部分がイスラエル)。英領委任統治時代(上段右図)は全域がパレスチナだったものが、国連分割決議(1947年、上段中図)とイスラエル建国(1948年、上段左図)で白黒のまだら模様に変えられ、第三次中東戦争(1967年、下段右図)では全域をイスラエルに占領されてしまいます。そして、「白い海に浮かぶ黒い島」状況の現在に至るのです(下段左図)。しかし、こんな飛び地だらけの細切れの領土で、一体どんな国を作れと言うのか!
「では、私たちに今何が出来るのか?」という事で、岡真理さんの提唱による、以下の25のアイデアが紹介されていましたので、それをこちらにも転載しておきます(上記右写真)。そのうちの幾つかでも、今から実行していく事によって、未来を確実に変える事が出来るのであれば。
<パレスチナに公正な平和を実現するために あなたにもできる25の行動>
(1)事実を入手し、それを広めよう。
(2)地元メディアに発信しよう。地元紙に投稿しよう。活字メディア、音声メディア、映像メディアに、彼らの報道ぶりについて意見を書こう。
(3)あなたの国の政治指導者に、攻撃を止めろとイスラエルに圧力をかけるよう要求しよう。
(4)イスラエル大使館、エジプト大使館、可能なら国会前その他、目につくところでデモをしよう(メディアにも働きかけよう)。
(5)ティーチ・イン、セミナー、討論会、ドキュメンタリー映画の上映会などなどを開催しよう。単刀直入に。場所を決めて、会の性格を決めて、必要なら講師を決めて。宣伝も忘れずに(インターネットが効果的だよ)。
(6)パレスチナとガザについて詳細を書いたチラシを撒こう。
(7)自宅の窓にパレスチナの旗を掲げよう。
(8)パレスチナのスカーフ(クーフィーエ)を身につけよう。
(9)喪章をつけよう(いろんな人とパレスチナについて会話するきっかけになる)
(10)国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)を通してガザに直接支援をしよう。
(11)あらゆるレベルでボイコット、投資引き上げ、制裁を行おう。イスラエル大使の送還を指導者に要求しよう。
(12)イスラエルの指導者を戦犯法廷に引き出すために働きかけよう。
(13)イスラエルの人々に、戦争省の前でデモをするよう呼びかけよう。もっとダイレクトに、政府に抗議するよう呼びかけよう。
(14)より多くの人に声を届けよう。ご近所や友人には直接、その他大勢にはインターネットで。
(15)あなた自身の活動グループを立ち上げよう。地元の既存のグループに参加してもいい。「パレスチナ」で検索すれば、すでに活動しているグループが分かるはず。
(16)政府関係の事務所その他、政策決定者が集まるところで座り込みをしよう。
(17)グループで平和のための1日断食をしよう。やるときは公共の場所で。
(18)パレスチナに行こう。
(19)パレスチナで活動に当たっている人権団体その他を支援しよう。
(20)大きな立て看やポスターを作って、通りや人がたくさん集まるところに置こう。
(21)地元の教会やモスク、シナゴーグ、その他宗教関係の場所を訪ねて、道義的立場に立って行動するよう要請しよう。
(22)ガザのための請願書に署名しよう。
(23)ガザの人々にメールを送ろう、電話をかけよう。彼らは外界の声を聴きたがっている。
(24)政治的見解が違うグループとも協力しよう。党派主義は戦争したがってる連中を利するだけ。
(25)毎日、一定時間を平和活動のために充てよう(たとえば1時間)。このリストに挙がっている以外の行動を考えよう。
おまけとして(26)ここパレスチナにいる私たちの誰でもいいから、現場で何が起きているのか、ライヴでレポートさせてもらえるよう、地元のラジオ局のトークショーやニュース記者に働きかけて。
2月21日に、大阪市の浪速人権文化センターで開催された、「ガザ この現実 『たたかうジャーナリスト』志葉玲・緊急報告会」に行って来ました。当日配布された本レジュメ(上記左写真)以外にも、他の企画案内の資料や、会場で買ったパンフレットもあり、まだその全てに目を通した訳ではありませんが、とりあえず当日の様子や、その時に考えさせられた事などを、思いつくまま書いていきたいと思います。
この企画は、20日から22日にかけて、大阪以外にも京都・神戸で連続開催されました。21日は、14時から16時半近くまでを大阪の標記会場で行った後、夜は近隣の堺市でも同じ報告会が開催されました。
私が行ったのは当日午後の標記会場で、ホールには最終的には100人ぐらいは来ていたのではないかと思います。其処で14時から途中休憩を挟んで16時近くまで、志葉さんが、パソコンに落とした現地の画像を、スライドに写し出しながら(上記右写真:但しこれは開演前に撮ったもの)、現地の様子を語られて、その後は最終まで、私も含め数人の方と質疑応答、というスケジュールでした。
■スライドを使っての現地報告 (14:00~15:50)
現地報告の部分では、白リン弾やダイム(DIME)と呼ばれる新型実験兵器の被害や、ガザ侵攻イスラエル兵による民間人蹂躙の実態、エジプト国境に掘られたトンネルについての説明がありました。
白リン弾は、もう既に知っている人も少なからず居られるでしょうが、焼夷弾の一種で、酸素がある限り燃え続けます。従って、水(酸素が含まれる)をかけても消えません。小さな破片の場合は砂をかける事で消し止める事も出来ますが、大きなものになると、下手に触れたりしたら爆発します。
以下、報告会で紹介された事例から。―曰く、白リン弾を蒙ったが、幸いにも直撃を免れて軽度の火傷で済んだ少女を、体内に弾の破片が残っているのに気付かなかった医者が、応急処置だけ施して帰した所、数時間後に再び瀕死の状態で運ばれてきた。その時にはもう、患部は焼けただれて、手の施しようのない状態だった。弾の破片がずっと体内で燃え続けていたのだ。そういうのが、クラスター爆弾の様に、多くの子爆弾に分かれて、民間人の頭上に降り注いだのです。
ダイムについても少し触れられていました。ダイムとは、これは帰宅後にネットでも調べて、改めて知ったのですが、タングステン合金で作られた高密度不活性爆弾で、被害は半径数十メートルの狭い範囲に止まります。しかし、爆発と同時に弾片も全て粉末状になって飛散してしまうので、爆撃の証拠が残らないのです。その一方で、殺傷力は非常に強く、その狭い範囲内に居合わせた人は深刻なダメージを蒙ります。たまたま生きながら得る事が出来ても、タングステンの影響で、今度は放射能障害に苦しめられるのです(小型核兵器の異名もある位です)。
白リン弾やダイムは、当初は、煙幕・照明弾や、民間人の犠牲を最小限に食い止めるためのピンポイント爆弾として、開発されたものなのだそうです。米国やイスラエルも、表向きにはそれを頻りに強調します。しかし、その裏では、人口密集地のガザで、それを意図的に民間人に対する「無差別ピンポイント空爆」に使用しているのです。
また、報告会では、イスラエル兵の侵略行為についても、具体的な説明がありました。―曰く、今回の侵攻で農地の6割余りが破壊され、トマトや茄子のビニールハウスが空爆を受けた。事前に無人偵察機で、其処に武器も戦闘員もいない事が分かっていたにも関わらず、白旗を掲げていた邸宅にも砲撃が加えられ、近所の避難民も含め48人以上もの住民が虐殺された。そして、其処を数日間に渡って不法占拠した挙句に、壁に次の様な落書きを残して去って行った。―「お前らは逃げても逃げ切れないぞ」「平和ではなく戦争を」。「アラブ人、1949年~2009年」と書かれた墓標の落書きもあった。1949年はイスラエル建国の年で、2009年が今回。これは即ち、今回の空爆が民族皆殺しを意図したものである事を、イスラエル自らが表明したに等しい。
また、ハマスがガザ・エジプト国境に構築した物資運搬用のトンネルについての説明もありました。スライドに映し出されたのは入口だけで、内部は取材のみ可、撮影は禁止と言う事でしたが。何故、撮影禁止になったのかというと、度重なる嫌がらせの経済封鎖の為に、食料も医薬品も払底する中で、生活物資搬入の為にやむを得ず掘った、折角のトンネルの存在を、マスコミが報道した為に、イスラエルによる空爆の格好の標的にされてしまったから、との事でした。
勿論、トンネルで多少の武器も運んでいた事でしょう。それを捉えて、イスラエルは、「ほれ見たことか」と、ハマスによる自爆攻撃を論い、欧米や日本のマスコミも、「報復の連鎖」だと騒ぎ立てます。
しかし、そもそも、米国からの膨大な軍事援助によって、最新式兵器で武装し、新型兵器の実験場として、国際法無視の民間人虐殺を続けるイスラエルと、度重なる虐殺に対して、手製の武器でやむにやまれず反撃に出たハマスを、等価で非難する事自体が、明白なダブルスタンダードではないか。
また、度重なる国連決議をも無視して、ヨルダン川西岸・ガザ・パレスチナ全域を今も不法占領しているのは一体誰なのか。その不法占領を批判せずに、ハマスの自爆攻撃だけを非難したり、喧嘩両成敗でお茶を濁すのは、偽善以外の何物でもないではないか―という事も、強調しておられました。
■質疑応答 (15:50~16:20)
ここでは、私も含めて、計4人ぐらいの参加者から質問が出され、それに志葉さんが答える形で、話が進められました。以下がその概略です。
(質問1)
イスラエルは、ナチスによるホロコースト(民族絶滅政策)の受難を経験しておきながら、何故パレスチナ人にも同じ仕打ちが出来るのか?
(応答)
その理由は2つ考えられる。
第一番目の理由として、受難を受けた民族が、必ずしも他の被抑圧民族も解放の、国際連帯の立場に立てるとは限らない、という事。抑圧を受けた事で、逆に自分たちが受けた仕打ちを、同じ様に他民族にもして何が悪いと居直る、偏狭なナショナリズムの方向に行く場合もある。
例えば、旧ユーゴのコソボで、それまで少数派だったアルバニア人が、コソボ独立で多数派になった事により、少数派に転落したセルビア人や、元から少数派だったロマ人(ジプシー)を、一転して抑圧しにかかる事例もある。イスラエルのユダヤ人も、多分にそれに該当するのではないか。
第二番目の理由は、多分に教育の影響もある。日本の教科書問題と同種の問題が、イスラエル国内にも存在するという指摘が、イスラエルの平和活動家から為された事がある。イスラエル建国に伴う第一次中東戦争(パレスチナ戦争)で、パレスチナの多数の町や村が焼き払われ、数百万人の難民が発生した歴史(パレスチナではナクバ=大厄災と総称される)も、多くのユダヤ人は教えられていない。
(質問2―これが私の質問です)
90年代のオスロ合意でパレスチナ自治政府の存在も認められ、一時はイスラエル・パレスチナ2国家共存による和平実現の可能性もあったのに、何故ここまで和平が遠のいてしまったのか?
(応答)
オスロ合意への努力が全く無駄だったとまでは言わないが、パレスチナ民衆にとってみれば、それも所詮は、イスラエルの不法占領を合法化する道具でしかなかったのではないか。
それが証拠に、ハマスが幾ら民主的な選挙で選ばれたものであっても、自分たちにとって都合の悪いものである限り、一切認めないではないか。これは欧米によるダブル・スタンダード(二重基準、えこひいき)ではないのか。また、ハマスが、実際にはイスラエル抹殺ではなく、あくまでも第三次中東戦争以前の国境線(グリーンライン)へのイスラエル軍撤退を主張しているに過ぎないのにも関わらず、欧米はハマスをイスラム過激派と看做し、その存在すら認めないではないか。
だから、幾ら和平だとかパレスチナ自治だとか言っても、それは不法占領の実態を覆い隠す、偽善的な美辞麗句にしか過ぎなかったではないか。
(質問3)
同じパレスチナ解放勢力であるファタハとハマスが、何故対立しているのか?
(応答)
実際に、長年に渡る内部対立が存在するのは確かだが、それとは別に、イスラエルが意図的に両者の対立を煽っている面もある。オスロ合意の時期には、シオニスト右派が陰でハマスを支援し、ハマスが台頭すると、今度はファタハだけを唯一の交渉相手として優遇したり。
(質問4―実際に地域で無防備都市宣言の運動に取り組んでおられる方から)
パレスチナでも、無防備都市宣言や日本国憲法第9条の精神を広める運動によって、和平実現を図れないか?
(応答)
まず、イスラエルの不法占領と、それを陰から支えている欧米のダブル・スタンダードを改めて、パレスチナ民衆に貧困と屈辱をもたらしている分離壁やユダヤ入植地を撤去するのが、真っ先に優先されるべき課題ではないのか。
今のままでは、たとえ形だけの和平が実現されたとしても、分離壁の内側では、イスラエルによる日常的な人権侵害が続いているのに、国際社会はそれを見て見ぬ振り。こんなものは真の平和でも何でもない。その欺瞞が改められない限り、幾ら平和や憲法9条を唱えても無意味。
■以上を踏まえた上で、私が考えさせられた事
(質問1・2に関して)
イスラエルのシオニズム(ユダヤ人至上主義)を克服するのは、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)を克服するより困難な事業だと、何処かで聞いた事がありました(ひょっとしたら私の記憶違いかも知れませんが)。その時は、それがどういう意味なのか、はっきりとは分かりませんでしたが、今回の報告を聞いて、やっとその意味が、何となく分かりかけて来た様な気がします。
それは、南アのアパルトヘイトに対しては、全世界が非難の声をあげ、国連による南ア経済制裁も、かなり実効がありました。それは、南アのアパルトヘイトが、同国の資本主義化(市場拡大・雇用の自由化)にとっても障害になりつつあったので、欧米の資本家も、それなりに本気で南アに圧力を掛けたからに他なりません。
引いては、その事が同国の解放勢力にも良い影響を与え、南アの多くの民衆が、黒人至上主義路線のPAC(パン・アフリカニスト会議)ではなく、全人種平等・共存を目指すANC(アフリカ民族会議)を支持する事になったのです。(但し、それは一面では、ANC指導部と欧米資本との癒着という、悪しき影響としても現れていますが)
イスラエル・パレスチナ紛争の場合は、それが南アの場合とは、全く逆の形で推移してきたのではないでしょうか。イスラエルにおいては、パレスチナとの真のニ国家共存ではなく、労働党・カディマが唱導する「形式的共存」に、そして更に、パレスチナを事実上、国内植民地として扱い、あわよくば抹殺を図ろうとする、右翼強硬派のリクードやユダヤ宗教政党に、国内世論が扇動される方向に。そしてパレスチナ側でも、反帝国主義や少数派擁護を主張する左派(PFLP)・世俗派(ナセル・バース主義など)から、イスラム原理主義への傾斜という形に。
(質問4に関して)
これが、私が最も考えさせられた点です。上記の質問1との関連の中でも触れましたが、ハマスにも限界があるのは事実です。イスラエルのユダヤ人を、左派も含めて、民族全員がシオニズム一色で凝り固まっているかの様に看做していると思われる点や、元来はイスラム同胞団系の運動でテロリストとは直接繋がりは無いものの、中にはイスラム過激派の影響を受けた潮流も存在している点などを含めて。
確かに、労働党やカディマについては、もう論外であるにしても、イスラエルにはそんな勢力だけでなく、ピース・ナウ、グッシュ・シャローム、マッペンなどの反戦市民運動や、ハダッシュ(平和と平等の為の民主戦線:共産党系)やバラド(国民民主同盟:アラブ系)などの、ハマスとの対話を唱える勢力も存在します。ハマスが、それら勢力とも対話や共闘を図る事で、シオニスト強硬派を追い詰める方向を、何故追及しないのか、という疑問が、それまで私の中にありました。
しかし、それを幾ら指摘した所で、肝心のイスラエルによる不法占領が廃絶されない限り、何を言っても通用しないと、今では考えるようになりました。PLOも参画して取り決めたオスロ合意ですら、結局は画餅に終わってしまったのですから。「イスラエルの姿勢がまず変わらない限り、ハマスも変わりようが無い」と、今では思っています。
■占領下ではどんな平等も共存もあり得ない。
当日配布されたパレスチナ領域の歴史的変遷図を見ると、それがよく分かります(上記左写真:各図とも、黒い部分がパレスチナで、白い部分がイスラエル)。英領委任統治時代(上段右図)は全域がパレスチナだったものが、国連分割決議(1947年、上段中図)とイスラエル建国(1948年、上段左図)で白黒のまだら模様に変えられ、第三次中東戦争(1967年、下段右図)では全域をイスラエルに占領されてしまいます。そして、「白い海に浮かぶ黒い島」状況の現在に至るのです(下段左図)。しかし、こんな飛び地だらけの細切れの領土で、一体どんな国を作れと言うのか!
「では、私たちに今何が出来るのか?」という事で、岡真理さんの提唱による、以下の25のアイデアが紹介されていましたので、それをこちらにも転載しておきます(上記右写真)。そのうちの幾つかでも、今から実行していく事によって、未来を確実に変える事が出来るのであれば。
<パレスチナに公正な平和を実現するために あなたにもできる25の行動>
(1)事実を入手し、それを広めよう。
(2)地元メディアに発信しよう。地元紙に投稿しよう。活字メディア、音声メディア、映像メディアに、彼らの報道ぶりについて意見を書こう。
(3)あなたの国の政治指導者に、攻撃を止めろとイスラエルに圧力をかけるよう要求しよう。
(4)イスラエル大使館、エジプト大使館、可能なら国会前その他、目につくところでデモをしよう(メディアにも働きかけよう)。
(5)ティーチ・イン、セミナー、討論会、ドキュメンタリー映画の上映会などなどを開催しよう。単刀直入に。場所を決めて、会の性格を決めて、必要なら講師を決めて。宣伝も忘れずに(インターネットが効果的だよ)。
(6)パレスチナとガザについて詳細を書いたチラシを撒こう。
(7)自宅の窓にパレスチナの旗を掲げよう。
(8)パレスチナのスカーフ(クーフィーエ)を身につけよう。
(9)喪章をつけよう(いろんな人とパレスチナについて会話するきっかけになる)
(10)国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)を通してガザに直接支援をしよう。
(11)あらゆるレベルでボイコット、投資引き上げ、制裁を行おう。イスラエル大使の送還を指導者に要求しよう。
(12)イスラエルの指導者を戦犯法廷に引き出すために働きかけよう。
(13)イスラエルの人々に、戦争省の前でデモをするよう呼びかけよう。もっとダイレクトに、政府に抗議するよう呼びかけよう。
(14)より多くの人に声を届けよう。ご近所や友人には直接、その他大勢にはインターネットで。
(15)あなた自身の活動グループを立ち上げよう。地元の既存のグループに参加してもいい。「パレスチナ」で検索すれば、すでに活動しているグループが分かるはず。
(16)政府関係の事務所その他、政策決定者が集まるところで座り込みをしよう。
(17)グループで平和のための1日断食をしよう。やるときは公共の場所で。
(18)パレスチナに行こう。
(19)パレスチナで活動に当たっている人権団体その他を支援しよう。
(20)大きな立て看やポスターを作って、通りや人がたくさん集まるところに置こう。
(21)地元の教会やモスク、シナゴーグ、その他宗教関係の場所を訪ねて、道義的立場に立って行動するよう要請しよう。
(22)ガザのための請願書に署名しよう。
(23)ガザの人々にメールを送ろう、電話をかけよう。彼らは外界の声を聴きたがっている。
(24)政治的見解が違うグループとも協力しよう。党派主義は戦争したがってる連中を利するだけ。
(25)毎日、一定時間を平和活動のために充てよう(たとえば1時間)。このリストに挙がっている以外の行動を考えよう。
おまけとして(26)ここパレスチナにいる私たちの誰でもいいから、現場で何が起きているのか、ライヴでレポートさせてもらえるよう、地元のラジオ局のトークショーやニュース記者に働きかけて。
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/923172aed4f155e1c9f5f02d326b07d2
1パレスチナ問題は今後どのように推移するのか、イスラエルの行き着くゴールは何か
2それに対してパレスチナ問題は本当はどのように解決される「べき」なのか?
3今、アメリカはどういう方向に進んでいるのか?強い影響力を持ち調停役であるアメリカはどういう存在なのか?
4その時日本はどのような動きをとるべきなのか?
参考に書けば、この問題で私が到達した認識は、最早これは日本の問題だということです。この問題を最早イスラエルもパレスチナも解決できない(安定した状態に持っていけない)、一方国際社会、特にアメリカを除く日本など先進国はこの問題に関わらないとは言えない。又アメリカは明らかにおかしいのでけして解決できないでしょう。最早日本人が関与し、解決方向を検討し、それを発言しない限り終わらない。そうでないとパレスチナ人はこれからも殺され続け、最終的に数十年後に絶滅させられる、ということです。
以前にも質問しましたが勉強のためにも是非お願いします。
ブレカリアートさんのこれまでの意見をブログで見てみましたが、被抑圧者の武装闘争にどちらかというと否定的な立場ですね。しかし、パレスチナの現状を見てもらうと、そんなことも言っておられない。志葉さんも神戸の集会では、ホント皮肉なんでしょうけれどもかなり「過激」なことを言っておられました。そして「イスラエル人にはこの問題を解決することはできない」とも・・・。