今、日本では、この「派遣切り」の時代に、プロレタリア小説の「蟹工船」が新たな脚光を浴びていますが、世界に目を転じても、キューバ革命の英雄「チェ・ゲバラ」が、息の長い人気を保っています。
実際、チェ・ゲバラほど魅力的な革命家は、世界広しと言えども、他にはそういないのではないでしょうか。Tシャツのデザインとして世界で一番使われてきたキャラクターだと言うのも、なるほどと頷けます。
彫りの深い顔立ちにベレー帽という出で立ちのイケメンの口から、「世界の何処のどんな不正に対しても悲しむ事の出来る人であれ」とか、「世界の名も無き貧しい国の人たちが私の救いを待っている、さらばだフェデル!」とか、「私は空想家の理想主義者だと?その通りさ」とか、「愛の無い革命など在り得ない」とかいう趣旨の言葉を聞かされたら、そりゃあ私でも痺れますもの。顔面神経痛みたいな顔して、いちいち人の神経を逆撫でする様な事しか言えない、どこかの国のアホー首相とは、もう月とスッポンで。
こういう伝説の人物については、もっとよく知りたいと思っていたのに、この1月に大阪・南森町で開催されていたゲバラ写真展にも行きそびれた中で、劇場公開されたチェ・ゲバラ伝の映画二部作「28歳の革命」「39歳 別れの手紙」を、数日かけて、やっと見てきました。
私がこの映画を見ようと思った動機は、やはり今の「派遣切り」のご時世に、映画「蟹工船」や「フツーの仕事がしたい」を見たいと思った時と同様に、勇気付けられたかったというのが、まずあります。そして、その次にあったのが、「キューバで成就した革命が、何故コンゴやボリビアでは失敗に終わったのか」という問題意識です。ボリビアについては、今でこそ、反グローバリズムの旗手エボ・モラレス政権誕生という形で、ゲバラの夢がようやく実現しつつありますが、「それでもゲバラの決起失敗から40年という年月を経なければならなかったのは、一体何故なのか?」という疑問に対して、一定の答えを見出したかったというのがあります。
それで、映画を見た感想ですが、オムニバス形式で構成されていた事もあって、ゲバラの伝記に必ずしも精通しているとは言えない私にとっては、少々話の展開が分かりづらかったのが難点でした。ゲバラやカストロ、キューバ革命に関する最低限の予備知識については、私にも一定程度の持ち合わせがあるので、「28歳~」と「39歳~」を通した話のあらすじは理解できるのですが。しかし、もっと個別の、カミーロやモンヘといった登場人物の役柄が、はっきりと分からないまま、どんどん話が進んでいくので、分からない部分については、自分の予備知識を元に、自己流に話を繋ぎ合わせていかなければならなかったので、それが少し、まあ、しんどかったと言えばしんどかったです。
確かに、ゲバラやカストロの人となりも、キューバやボリビアの革命も、一癖も二癖もある、ドロドロとした代物で、到底一言では言い表せないものです。
青年時代にふらりと南米縦断の旅に出て、しかも只のお気楽一人旅に非ず、地主や資本家に搾取される原住民の暮らしぶりを見て、革命への情熱をもらし続ける所が、まず凡人離れしています。
そして、数年後にキューバの革命家カストロと出会う事になり、殆ど思い付きとしか思えないやり方で、12人乗りのヨット「グランマ号」に82人も乗り込み、案の定、政府軍の待ち伏せ攻撃に遭ってコテンパンにやられたのに、「12人も生き残った、これで革命は成就したも同然だ」との給うカストロ。ゲバラも流石にこれには、「カストロがとうとう発狂したか」と思ったそうですが、実際それで成就してしまうのが、面白い所で。そしてゲバラも、一ゲリラ兵士から次第に頭角を現し、司令官に、革命後は工業大臣にまで上り詰める。また、女性ゲリラ兵士のアレイダと出会い、彼女と再婚する事になる。ここまでが第一作「28歳の革命」のあらすじ。
しかし、その後は、米国による経済封鎖の下で、元々は共産主義者ではなく純粋な民族主義者にしか過ぎなかったカストロが、次第にソ連依存を深めていったのに対して、ゲバラはあくまで革命の理想を追求しようとする。ゲバラは、ソ連やカストロ政権とも次第に距離を置き、最後には「同志フェデル(カストロ)はキューバで指導者として頑張れ、私はより貧しい他国の人々を解放する為に、役職も地位も家族も国籍も投げ打って旅に出る」という意味の置手紙を残して、世界革命を夢見て、単身コンゴに、次いでボリビアに旅立ってしまう。しかし、そこではキューバの様には上手くいかず、最後にはゲバラは、政府軍に捕まり殺されてしまう。これが第二作の「39歳 別れの手紙」。
何故そうなってしまったのか。この命題については、私もあれから色々調べましたが、未だに確固とした結論を見出すには至っていません。だから、今から書く事は、あくまでも現時点での私の仮説にしか過ぎません。それを踏まえた上で、敢えて言わせて貰うならば、やはり「革命の輸出」というものの限界に行き当たってしまいます。
キューバでの勝利とボリビアでの敗北を分けたもの。それは一つには、ボリビアの場合は、革命根拠地の設定に無理があったのではないか、という気がします。
「グランマ号」が上陸したキューバ東部のオリエンテ州は、19世紀の独立戦争以来、革命運動発祥の地としての歴史を有する、政治的先進地域でもありました。カストロがオリエンテのシエラ・マエストラ山中に革命根拠地を作ったのも、単にゲリラ戦に有利な山岳地帯だったからだけでなく、当地のこの様な地域性も計算に入れての事だったのではないでしょうか。
それに引き換え、ボリビアでは、東部低地の熱帯雨林地帯に革命根拠地を設定しました。これも、多分ゲリラ戦遂行上の地の利を考慮に入れての事だったと思いますが、当該地域は、政治的には必ずしも先進的とは言えず、大農場主や外国資本による寡頭支配が根を張った、寧ろ政治的には遅れた地域だった筈です。現に、当地は現在も、エボ・モラレスの革新政府に抵抗する新自由主義者の一大牙城となっています。本当に革命を志向するのであれば、当時既に鉱山労組が一定の力を保持していたアンデス高地で、まず革命の烽火を上げるべきではなかったのかと、思うのですが。
勝敗を分けた第二の理由は、キューバとボリビアの政治情勢の違いを、全く考慮に入れていなかったからではないでしょうか。
片やキューバの場合は、事実上の米国の属領として、傀儡政権の支配下にあったとは言え、かなり強力な左翼(人民社会党)系の労働・農民運動や、反バチスタの有力なブルジョア野党(真正党)も存在していました。但し、時としてバチスタ傀儡政権とも野合する、多分に限界を抱えた「左翼」であり「野党」でしたが。しかし、それでも、左翼や野党に組織された農民・労働者が多数存在していた点は、革命運動にとっても有利に作用した筈です。後はカストロたちが、「ダラ幹なぞ見限って、俺について来い!」と呼びかければ、それで良いのですから。
ところが、ボリビアの方はと言うと、そこまで政治的に機が熟していたとは、言えなかったのではないでしょうか。東部低地の先住民は、長年に渡って政治の埒外に放置され、アンデス高地の鉱山労働者も、親米軍事独裁政権によって徹底的に弾圧されていました。軍事政権は、米国の支援の下、ゲリラ戦対策に本格的に乗り出してきます。まず、ゲリラ地域を分割・封鎖し、威圧・懐柔策を弄して、先住民をゲリラから引き離しにかかります。その結果、ゲリラは次第に孤立していきます。
最後に、第三の理由ですが、キューバの場合は、亡命先にあっても、革命を遂行主体は、あくまで自国人が中心でした。純粋な外国人は、アルゼンチン生まれのゲバラだけだったのではないでしょうか。それに引き換え、ボリビアの場合は、革命ゲリラの主体は、殆どが外国人だったのでは。だから、第一・第二の理由に挙げた様な誤りも、起こったのではないでしょうか。つまり、革命の敗因は、「余りにも外人部隊頼みの革命だったからではなかったのか」という事です。
どうも、私の世代は、それより前の全共闘世代とは違って、ゲリラ戦とか解放戦争というものに対して、必ずしも手放しで賞賛出来ない所がある様です。ベトナム・モザンビーク・エリトリアなどの民族解放闘争にノスタルジアを抱く一方で、連合赤軍やポルポトの蛮行も同時に目の当たりにしてきた為に、革命の理想に憧憬を抱く一方で、どこか斜めに構えて見てしまう部分もあります。
しかし、たとえ、そういう「光と影」の部分があったとしても、ゲバラの価値は、聊かも失われる事はないと、私は今でも思っています。それは、当のゲバラ自身が、最後まで「真の自由人」としての生き方を全うしたからに、他なりません。
それは、ふらりと放浪の旅に出ながら、単なる物見遊山や漂泊に止まらず、旅先での搾取の現実もきちんと見据えていた事や、米国の帝国主義のみならず、ソ連の官僚主義・大国主義にも批判的なまなざしを持ち合わせていた事、来日時にもお忍びで広島を訪れ、原爆の惨禍を学び取ろうとしていた事、そして何よりも、それまで獲得した革命指導者としての地位や名誉を、自ら放棄し、「本気で世界を変えようとした」事などの、ゲバラの足跡を見れば、一目瞭然です。
確かに、それらの一つ一つの行為については、中には今から見れば、「向こう見ず」の謗りを免れないものも、多々あります。しかし、それもあくまでも「短期的に見れば」であって、長期的に数十年のスパンで見れば、ゲバラの夢(それはまた同時に、エミリアーノ・サパタや、セサル・サンディーノの夢でもあった)は、チャべスやルラ、オルテガ、モラレスなどに、継承されているのは確かなのですから。
ゲバラの主張を、一言で言えば、「どんな貧しい小国の人民にも、自由・平等・幸福追求の権利がある。たとえ相手が米国やソ連であっても、それを踏みにじる事は許されない」という事です。最後まで、その理想を貫いたからこそ、「ベルリンの壁」崩壊以降も、人気が途絶えなかったのです。そうして、この「派遣切り」の時代に、「蟹工船」と同様に、また新たに蘇ったのです。
【参考記事】
・映画『CHEチェ 28歳の革命 | 39歳 別れの手紙』公式サイト
http://che.gyao.jp/
・チェ・ゲバラ(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%90%E3%83%A9
・映画「モーターサイクル・ダイアリー」(法学館憲法研究所)
http://www.jicl.jp/now/cinema/backnumber/1004.html
・キューバ革命史
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/history/cuba/contents.htm
・ボリビア年表 その1
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/chronology/andes/bolivia1.htm
・ボリビア年表 その2
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/chronology/andes/bolivia2.htm
・あの人の人生を知ろう~チェ・ゲバラ
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/guevara.html
・革命家・チェゲバラ再考(青山貞一)
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col13905.htm
・へタレ論 チェ・ゲバラ
http://homepage2.nifty.com/GAKUS/hetareron/che.html
・映画ゲバラ二部作(1)(OKI LatinReport)
http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2009/01/post-7d20.html
・映画ゲバラ二部作(2)(同上)
http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2009/02/post-c688.html
・ 亀井静香とチェ・ゲバラ(代替案)
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/739472309fb34190d4e7768d8e002ba6
・バジェグランデ〜チェ・ゲバラゆかりの地〜(ボリビア日系協会連合会)
http://www.fenaboja.com/bo_che_guevara/vallegrande.html
・ゲバラとともに散った日系人(橿原日記)
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/2008_12_27.htm
・死せるゲバラは、生きているゲバラより恐ろしい!
http://www.isc.meiji.ac.jp/~nomad/koshikawa/kwork/guevara.html
・2月8日放送ETV特集「キューバ革命 50年の現実」(NHK)
http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
さて、2回のゲバラをみての感想ですが、1作めは少々ドキュメントフィルムと映像が混入されていて、予備知識が少ないと彼の一生が分かりにくいのではないか?ということがあるのではないでしょうか。
なお、ボリビアの失敗ですが、確かにおっしゃるようなご指摘が当てはまると思います。当時のボリビアでは、むしろ支配階級との矛盾点は農村よりもむしろ鉱山や都市部に多く集中的に存在かつ認識されており、その点で都市部での工作活動(タニアのミスで都市部の工作は放棄)や、先進的な鉱山労働者との接点を事前に多くもつこと、などが必要だったのではないか、と思います。
映像でも、いわゆる農村の先住民族はゲバラたちに対して極めてよそよそしく、さながら異邦人に対するまなざしが向けられていましたが、やはり多くの点でキューバとの主体的条件の違い(都市部における反バチスタ勢力の組織化、大土地所有制度に基づく支配構造に対する貧民たちの不満の組織化、など)を無視して農村におけるゲリラ戦争を遂行したことに、やはり失敗の大きな要因があったと考えます。
ともあれ、中学3年のときに三好徹の『チェ・ゲバラ伝』(文春文庫)を読んで涙したものとしては、政治的実践及び理論上の失敗や誤りは認めた上で、やはり「世界で一番かっこいい男」(レノン、だっけ?)との評価には変わりありません。社会主義建設に当っての「新しい人間像」として、彼の名前は左翼運動の中で輝きつづけるのではないでしょうか。
「世界のどこかで、不正が行われたなら、それを強く感じられる人間になりなさい」-子どもたちへの「別れの手紙」の一節は、何べん読んでも、また40歳を過ぎた今でも泣けてきます。(まとまらない文章で失礼)
ボリビアでのゲバラの敗因について。キューバ革命で打倒されたバチスタも、最初の政権獲得時には「大衆の味方」として登場に、それなりに進歩的な政策を打ち出した時期があったのですよね。それが次第に変質して、キューバ革命の直前にはすっかり反動化してしまっていました。まあ、当時南米に多く見られたポピュリスト政治家の典型だった訳です。
ボリビアの場合も、キューバのバチスタに相当する政治家が、政治を牛耳っていました。パス・エステンソロです。1952年の革命で、それまでの独裁政権を倒して、政権の座に就き、当初こそ農地改革や鉱山国有化などを推し進めたものの、こちらも次第に変質を遂げて、最後には完全に米国の犬に成り下がっていました。
ゲバラを処刑したバリエントス軍事政権は、そのエステンソロ政権をクーデターで打倒した政権ですが、この政権も、表向きは「1952年革命の継承」を謳っていました。実際は、労働運動に血の弾圧を加えた反動政権でしかなかった訳ですが。しかし、キューバと違って、地方農民の中には、「改革者」のイメージを払拭出来ないまま、しぶしぶ支持する人たちもいたのではないでしょうか?
南雲さん、ウカマウの映画を見た事があります?ボリビアの映画人で、労働者・農民・先住民の闘いをモチーフにした作品を数多く世に出しています。
私、昔この映画を幾つか見た事があるのですが、その中の、確か「ここから出ていけ!」というタイトルの作品だったと思います。
米国人宣教師が、とある先住民の村に現れ、無料診療所を作り、村民の人心を掌握します。しかし、この宣教師たちは、実は米国の鉱山会社の手先でした。やがて、その正体を一部の村民たちからは見抜かれる事になるのですが、宣教師たちは、逆にその他の多数の村民を味方につける事で、村を分裂させます。最後には村民が団結を固め、宣教師たちを追い出す事に成功するのですが。
http://www.jca.apc.org/gendai/ukamau/sakuhin/deteike.html
その時の、一時的に宣教師側についた農民こそが、差し詰め、先述の似非「改革者」に幻惑された人たちだったのではないでしょうか。ゲバラは、こういう農民を味方につけるのに、失敗してしまったのでは、という気がします。