アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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B層封建オヤジの職場ファシズム

2007年04月12日 08時34分03秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 今回は敢えて自分のバイト先の愚痴を書かせて貰います。
 4月10日(火)の出勤時に、同僚のA君が私に、「Cさん(私の事です)、BさんがCさんの事を怒っていましたよ」と忠告してくれました。どういう事かと話を聞くと、どうも、その数日前の私の作業の仕方がBの気に障った様なのです。

 その前に、私の職場のあらましを簡単に説明しておきます。職場での主な仕事の内容は、ハンバーガー・チェーンやスーパーに卸す食材や具材のピッキング(店舗別商品仕分け)作業です。出勤したらまず先にハンバーガー・チェーンの方のピッキングにかかります。3~4人で一斉に、各ブロックに分かれたそれぞれの店舗に、フライオイル、シェーキ、牛乳、飲料などの食材や、カップ、トレーなどの具材を、集品リストを見ながら手仕分けしていくのです。
 その中で、構内施設配置や配送コースとの関係で、各ブロック毎の持ち店舗数や仕分け物量には大きなバラツキがあるので、早く終えた人からまだピッキングが終了していないブロックに順次応援に入って、前半戦のハンバーガー・チェーンの分のピッキングを終わらせるのですが、他ブロックに応援に入るタイミングは、もう物量やオーダーの出方や当日の頭数によって臨機応変に変わるし、人によっても違います。

 それで数日前のその日は、私ことCが、自分の持ちブロックの食材のピッキングをある程度終わられた後、次の具材の方のピッキングにかかったのですが、A君の言によると、それがBの勘に障ったというのです。B曰く「食材のピッキングを全ブロック終わらせてから次の具材のピックにかかって然るべきなのに、Cは自分の所だけさっさと終わらせて次の具材のピックにかかった、Cは自分さえ良ければそれで良いと思っているエゴイストだ」なのだそうです(アホか)。

 しかし私に言わせると、そんなものはケース・バイ・ケースでしかありません。下手に同じ箇所のピックに殺到しても、リストの取り合いになったりごちゃついたりするだけなので、それなら次の具材のピックにかかって、私が具材を持ちブロック別にきちんと分けた上で、自分の持ちブロックのピックに取り掛かった方が、Bにとっても、その後で自分の持ちブロックの次の具材のピックにスムーズにとりかかれる訳ではないですか。それで全部の仕事を終わらせた上で、遅れている所に応援に入っても一向に構わない筈です。
 工場でベルトコンベヤーの前に座ってのライン作業ではなく、人間の手仕分け中心の集品作業なのですから、マニュアルも大枠の流れしか規定しようがないし、後の細部については、人それぞれのやり方やその時々の状況によって違ってくるのは当然なのです。そういう「どれが正解か」なんて決めようが無い問題であるにも関わらず、「自分のやり方が正解だ」だと勝手に決めつけて、意に沿わぬ相手の悪口を陰で言う。

 なぜそんな事になるかというと、A君の話を聞くと、どうもBには、仕事をきちんとスムーズに効率よく終わらせる事よりも、各ブロック各人の仕事量のバランス(もっと有体に言えば、人より楽かシンドイかという損得勘定)を、何よりもまず優先するという、そういう発想があるようなのです。

 確かにまあ、その発想も分らなくはありません。私のやり方では、仕事はスムーズに進んで最後みんな同じ時間に終わるのも同じですが、仕分け店舗数やピッキング回数のバランスだけで見れば、BとCの間には大きな不均衡が生じます。しかしそれは、ピック以外の前準備や後工程をピックと同等の仕事と看做さないからそうなるのであって、それらもトータルとして考えれば、仕事のバランス上から見ても、何ら問題はない筈です(だから、本当は損得勘定ですらなく、単なる錯覚でしかないのに、その事には当人は全然気づいていない)。

 そして、より問題なのは、前準備や後片付けも仕事に含めて、その中でピックをきちんとするのではなく、単に「ピックを終わらせる事」だけを仕事と捉えて、その中での「ピッキング量の不均衡」をあげつらっている、という点です。賞味期限の先入れ先出しや、在庫管理や、後々の作業のし易さといった事は一切考えずに、「形だけ取り繕って、ただひたすら早く終わらせればそれで良し」という、「やっつけ仕事」の発想の中で、「人と比べて自分は楽かシンドイか」という個人的な損得勘定を基に、他の人の仕事ぶりを一方的に決め付けているのです。「エゴイスト」なのはBです。

 しかも、私に対する不当な人格攻撃ともいうべきこの様な低レベルな愚痴を、当の私には言わずに、自分や私よりも一回り年下の第三者のA君に言って、A君からもその本質を見抜かれて。バカみたい。私がこの身辺雑記のブログ公開に敢えて踏み切ったのも、この仕打ちに対するホンの相互処置です。先に陰口を叩いたBにはそれを非難する資格はない。

 まあA君も言うように、これは両者の仕事観の違いから来る行き違いで、それに施設配置や頭数の問題も絡んだ問題なので、徒に問題をこじらせても水掛け論になるだけです。だから、ここは私Cが一回り大人になって、Bと一緒に作業する時はBの発想で動いて、それで丸く収まって仕事をスムーズに回すのが一番賢いし、それが職場の処世術なのは分ります。しかし、この発想こそが、私に言わせればファシズムそのものなのです。

 きちんとした食品を消費者に届けるという仕事本来の目的から乖離して、仕事を単なる苦役としてしか見る事が出来ず、その日一日をどうにか形だけ終わらせる事しか頭に無く、だから進歩も無く、十年一日の如く同じ事、同じ失敗の繰り返しで(雪印や不二家の不祥事もこの企業風土の為せる業)、何事につけても他人との比較や損得勘定だけでしか物事を判断できず、そのくせ作業の見直しや頭数の充実や労働条件の改善といった根本的解決の方向には頭が全然無かわずに、適わないとみた上の相手には「長いものには巻かれろ」「出る釘は打たれる」と必要以上に卑屈になって、自分の気に入らないものや下のものに当って鬱憤晴らすしか能が無く、その中身は問わずに形だけ「みんな横並びである事」だけをひたすら至上の価値とする。これを「ファシズム」と呼ばずに何と言う。

 先の東京都知事選でも、乱開発・地上げ問題で揺れる世田谷区の下北沢で、石原慎太郎が、野次を飛ばす住民に対して、「お前らガタガタ言ってんじゃない、物事は多数決で民主的に決めるんだよ!」と、どしゃぶりの雨の中、宣伝カーの上で喚き散らしていたそうです(以前の拙稿記事参照)。
 しかし、「民主主義=多数決」ではありません。民主主義というのはそもそもそれ以前の、「みんな違って、みんな良い」という事から始まるのです。SMAPが歌っていた「世界にひとつだけの花」の中のフレーズにもあるように。

 「これが絶対正解だ」という事で一つの意見を全員に押し付けるのではなく、それぞれが自分の「正解」を持ち寄って、その良い所を取り入れていくのが民主主義なのであって、多数決というのはその際にとる手順の一つにしか過ぎません。そういう精神がなければ、多数決はただの「数の暴力」でしかありません。
 かつて日本が起こした戦争を国民の力で食い止める事が出来なかったのも、不敬罪や治安維持法などの弾圧体制や天皇制軍国主義教育の存在も然る事ながら、こういう「下見て暮らせ傘の下」「長いものには巻かれろ」「みんな横並び」根性が染み付いた人間が一杯居たからに他なりません。

 昨年の郵政解散にしてもそうです。総選挙の時に張られた「郵政民営化」のワンフレーズ・キャンペーンも、あれは小泉政権が情報宣伝企業に委託して作らせたものなのです。有権者をA・B・Cの3つの層に分類した上で、「政治の事は良く分らないが雰囲気やイメージだけで投票する」B層にターゲットを絞って、恰も「阪神タイガーズや高校野球の応援」と同じノリで、マスコミを通して垂れ流されたのが、あのワンフレーズなのですから。

 昨今の反中国・反北朝鮮キャンペーンにしても然り。Bにしても、職場でこの手の話題が出るたびに、「朝鮮人になめられるな」という方向に流されたりしています。そして、本来は当該国の人権問題として捉えられなければならないものを、政権与党の翼賛キャンペーンに易々と乗せられて、歴史観や民族対立の問題に矮小化してしまったり、当該国の独裁政治を批判しながら当の日本の右傾化・軍国化・「北朝鮮」化を支持したり、日本での脱北者の受け入れや定着には反対して金正日体制の固定化を助けていたりします。そういう自分たちの自家撞着や矛盾にも気付かずに。

 そういう人が昔も今も、良く分らないまま何となくイメージだけで、呈よく時流に乗せられて、権力者にとって都合の良い方向に流されていくのです。
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