この旅では色んな幸運に恵まれました。隼駅でポスターを無料でいただいた事や、旅館から若桜鉄道の列車が見れた事。宿の主に鉄道ダイヤを補完するバス路線の存在を教えてもらった事、若桜駅でSLが転車台の上で方向転換する様子を動画に収める事が出来た事など。一つ一つの幸運は取るに足らない事でも、積み重なれば今後の旅に向けての励みになり、人生のエネルギーにもなります。
この次に訪れた若桜町の観光案内所でも、思わぬ発見がありました。それは、鉄道以外の観光スポットについても詳しく聞けた事です。私はあくまで若桜鉄道の取材を、この旅の主目的に置いていたので、それ以外の観光スポットについては無視するつもりでした。
それでなくても余裕のない1泊2日の一人旅で、取材対象も1〜2時間に1本しか走らないローカル鉄道。おまけに旅行2日目の午後からは雨の天気予報。これでは他の観光地を回るのは無理だと諦めていました。現に街のすぐ裏にある鬼ヶ城の城跡も、意外と険しい山道なので、帰って来るまで2時間かかると聞き、諦めざるを得ませんでした。若桜町は宿場町であるとともに、鬼ヶ城の城下町でもあるので、時間があるなら是非訪ねてみたいと思っていましたが。
でも、そこから先の不動院岩屋堂については、観光案内所の前から片道100円の町営バスが出ていると聞き、私もそのバスに乗る事に。歩いたら数十分かかる距離でも、バスだとものの数分で着きます。実際に見た岩屋堂は、けわしい山道を行かなければならない三朝温泉の岩屋堂とは違い、道沿いの川にかかる橋を渡ればすぐに着く事が出来ましたが。ここも、崖の中の洞窟みたいな所にお堂が作られている意味では、立派な岩屋堂(別名:投入堂)なのですが。
そして、このバスの中で、鉄道ファンと思しき中年の夫婦連れの方たちとも意気投合。この方たちと鉄道談義に花を咲かす事が出来ました。前日私が買った若桜銘菓の弁天饅頭も、日持ちがしない為に、すっかり硬くなってしまったので、残りをこの2人と私で食べる事にしました。硬くなってしまったとは言え、元は若桜一の銘菓です。2人からは非常に喜ばれました。
岩屋堂から戻ったらお昼になっていたので、前述の観光案内所の隣にあるカフェで、焼き鯖重定食をいただきました。そのカフェには何と若桜鉄道の写真集が置いてありました。最初は何気にパラパラめくっていただけでしたが、昔にぎわっていた頃の若桜鉄道の写真を見るにつれ、私はその写真集に釘付けとなってしまいました。なんと昔はラッシュアワー時には4両連結のディーゼルカーが走っていたのです。
当時は林業も盛んで、若桜駅には貨物列車に積み込まれる木材が山のように積まれていたそうです。当時は若桜町の人口も1万人近くいたそうです。ところが、外材の輸入や減反政策で、地域の基幹産業である農林業がすたれ、人口流出が始まります。1970年に7443人だった若桜町の人口も、2020年には2864人にまで減ってしまいました。
そんな中で、唯一の救いが、この若桜鉄道ブームです。昔は時代遅れの象徴にしか過ぎなかった古い駅舎が、昨今のレトロブームに乗って一躍脚光を浴びるようになりました。それでも所詮ブームはブームでしかありません。一過性のブームなんかではなく、地に足付けた地域の発展の為には、今何が求められるのか?そういう事も考えさせられた旅でした。そして、新たな発見や色んな出会いもあった、非常に有意義な旅でした。
(「若桜鉄道の旅」シリーズ完)