昨年末にお近づきになった方と、意気投合しました。
改めて「銀座7丁目、並木通りでクラブをやっていたのですよ」と極々自然に自己紹介してくださって、銀座にはとんとご縁のない、まして「クラブ?夜!」と「話の接ぎ穂はどこにあるのだろう?」と一瞬戸惑った私でしたが、「外堀通りですが、6丁目に高校時代の友人がバーを構えていました。今は銀座シックスの裏にお引越しした毛利バーっていうのですけど」と話を進めると「えっ!毛利さんご存知ですか?」とすぐにお返事を返してくれながら、その表情からは「どうして?どうして?」の気分が小気味良いほどに伝わってきます。
ここまでのやり取りは、時間にしたら、ほんの1分か2分の出来事でした。
どんなステップで次の話題に移ったのかちょっとはっきりしませんが、次のテーマは「クラブ経営の頃のスタッフ採用試験」
そこで、私はいつもの三頭立て馬車の話をして「鍵は御者である前頭葉。もちろん左脳(の馬)が力があって大きいことはいいことでも、大きければ大きいほど、それを御する力が前頭葉には求められますものね」と言ったら
お話は終わったような、まだもう少し続けていたいような。
私はもう40年以上も「脳の働きからみる」という姿勢で仕事をしてきました。そのために人を理解するときには、左脳や右脳そして前頭葉までに思いを巡らすのですが、このような理解の方法があることをもう少し知ってもらった方がいいのかもしれないと思いました。
彼女は興味深い職歴の持ち主です。FBのプロフィール欄から抜粋してご紹介しましょう。
「銀座でクラブ&バーを14年間、その後地元で喫茶店を3年間。その後昨年春からK市で古民家カフェを始めた」という私の今までの交友範囲では出会ったことのない方です。
すでに何度か行っている友人がそのカフェに連れて行ってくれました。さりげないセーター姿、薄化粧。「初対面なのにこの自然な親しみやすさは魅力的だなあ…」というのが私の感想でした。
時間が早かったせいか、お客さんに急かされる状態にならなかったので、ゆっくりお話ができました。(写真は白浜神社1/8)
改めて「銀座7丁目、並木通りでクラブをやっていたのですよ」と極々自然に自己紹介してくださって、銀座にはとんとご縁のない、まして「クラブ?夜!」と「話の接ぎ穂はどこにあるのだろう?」と一瞬戸惑った私でしたが、「外堀通りですが、6丁目に高校時代の友人がバーを構えていました。今は銀座シックスの裏にお引越しした毛利バーっていうのですけど」と話を進めると「えっ!毛利さんご存知ですか?」とすぐにお返事を返してくれながら、その表情からは「どうして?どうして?」の気分が小気味良いほどに伝わってきます。
「高校の同級生なんです。お近くだからと思ってちょっと伺ってみたのですが」
「銀座で店を構えていて、毛利さんの名前を知らない人はいません」
「やっぱり。そのように聞くのですけど、こうして教えていただくと嬉しいものです」その時の私の表情にはパッと喜びが弾けたに違いありません。
ここまでのやり取りは、時間にしたら、ほんの1分か2分の出来事でした。
会話が弾むというのは、こういうことなのだと、ちょっとした高揚感が湧いてきました。
初対面でもお互いに関心を持って、会話をしながら少しずつ理解の幅が広がっていく。そのことを双方で楽しむ。
今「会話」と書きましたが、これは単なる言葉のやり取りの意味ではありません。表情も仕草も、声のトーンも。できるだけ多くの情報をもらったり、渡したりするという条件があってこそ「会話できた」という満足感につながるのです。
どんなステップで次の話題に移ったのかちょっとはっきりしませんが、次のテーマは「クラブ経営の頃のスタッフ採用試験」
私はこう言いました。「綺麗な人の応募はたくさんあるでしょうけど、なんというか、気配りができる人がいいのではないですか?」
ニコッと笑って「そうですね!」
その笑顔に惹かれて「気配りっていわゆる頭の良し悪しと違いますよね?」と続けたら
「全くそうなんです。当時でも大学生の応募はあったんですけど…確かに頭の良し悪しとはもう一つ別の見方が必要だったような気がします」
そこで、私はいつもの三頭立て馬車の話をして「鍵は御者である前頭葉。もちろん左脳(の馬)が力があって大きいことはいいことでも、大きければ大きいほど、それを御する力が前頭葉には求められますものね」と言ったら
「わー。初めて私の思っていたことを説明してもらえた気がします!」と声をあげられたのですが、そこにお客さんが。
お話は終わったような、まだもう少し続けていたいような。
今、なるべく会話を再現するつもりで書いたのですが、文章に起こしただけでは、初対面の私たち二人の間に醸された雰囲気というか意気投合した感じを伝えることは難しいと思います。
それは言葉のやり取りだけでできあがったのではなく、前に書いたように、そこに現れた表情も仕草も声のトーンも、実は古民家カフェの持つ佇まいまでもが影響していると思います。それはとても言語化できません。
考えてみたら、ラインに顔文字やスタンプが多用されるのは、「言葉」だけで伝えきれない雰囲気というか「感情」を加味して、できるだけ「生の会話」に近づけたいという表れでしょう。
昔書いたブログ記事
「絵」を加味したメッセージカードがさらに「音楽」までプラスしたメッセージ動画になっていったのも、デジタル情報担当の左脳で処理する「言葉」が伝える能力には限りがあるので「絵や」「音楽」というアナログ情報担当の右脳にも一役買ってもらおうとする自然な流れだと思えます。
私はもう40年以上も「脳の働きからみる」という姿勢で仕事をしてきました。そのために人を理解するときには、左脳や右脳そして前頭葉までに思いを巡らすのですが、このような理解の方法があることをもう少し知ってもらった方がいいのかもしれないと思いました。
by 高槻絹子