政府が5月、認知症対策の新大綱として「70代で認知症の人の割合を10年間で1割減らす」という数値目標(「予防法は未確立」「発症した人が責められる」など反対意見があって「参考値」に変更された)を掲げたために、なんだか「認知症予防」がクローズアップされてきました。
次男から「ご参考」といって日経新聞電子版7/10の記事が送られてきました。
認知症予防は「夢のまた夢」? 発症リスク診断に活路 認知認知症と生きる(中)
エーザイがアルツハイマー型認知症薬の開発中止について陳謝したことから記事は書き起されていました。「約30社が65兆円かけて開発模索してきたアメリカでは原因物質は多岐にわたるのではないかという結論になり、フランスでは日本で認知症薬として認可されている薬が対費用効果の点から公的保険外となっている」と続きます。
その先に「生活習慣」という意見が出てくるのですが、「聴力低下」、「運動」、「禁煙」と、ちょっと残念な単語が並びます。
もう一つ、「脳の使い方」「生き生きと前頭葉を使い続ける生活」などの単語が並べば・・・靴の上から痒い所を掻くようなもどかしさを感じました。
2016年に書いた記事を貼っておきます。読んでみてください。
今年(2016年)も、実務研修会はいつもと同じように開催します。
9月3日~4日に浜松市アクトシティ研修交流センターです。
2019年の実務研修会は9月5日~6日です。
(この研修会は、二段階方式導入済みか導入見込みの方だけのものです。参加ご希望の方は事前にFAX0557-54-2650でお知らせください。参加要項ができましたらお送りします)
今朝ベランダのナスのプランターで発見したカマキリの赤ちゃん。
山口県下松市の保健師さんから、要綱の請求が来ました。
「懐かしいこと!」下松に講演に行ったのは、かれこれもう20年くらい前のことです。
下松市と書かれた実務研修会受講要綱請求書に目を走らせているうちに、講演後の課長さんを交えての懇談のシーンが大きく思い起こされました。課長さんは男性でしたが
「よくわかる話でした。ボケるかボケないか(当時はまだ認知症の言葉はなかったのです)、確かに生活ぶりですねえ…『配偶者と別れて、半年たったら元気なのはどちら?』というのは面白かったです。みんな『おばあさん』って答えましたけど、確かに『後家楽』っていう言葉があるくらいですから、そう答えて当然というか」
そこで私は
「え~!『ごけらく』って後家さんが楽って書くのですか?初めて聞きました」
今度は課長さんが
「え~!『後家楽』って標準語じゃないのですか!」
私
「私は聞いたことがありませんから、たぶん違うと思いますよ。この辺りでは普通に使うのですか?」
課長さん
「普通に誰でも使ってると思います。内容から言っても当たり前の言葉だと思ってました」
私
「『後家楽』って内容が深いですね。夫がいなくなって世話を焼く必要がない。一日が全部自分の時間。さあ、何をして楽しみましょうか!という感じがありますね。『楽』という字のせいでしょうかねえ。とにかく、楽になったからといって何もしないでボーとテレビだけ見て居眠りしているという感じはしないのが不思議ですね」
課長さん
「確かに生活を楽しんでるという感じですね。『男やもめにウジがわく』かあ。男は大変だ!」
私
「自分で生活がちゃんとできることも必要。生活を楽しむすべや友達も必要。たしかに男性の方がハードルが高いかも」
みんなで笑いながら、ボケの正体について結構納得のいく楽しい時間を過ごしました。
アルツハイマー型認知症という、もっともふつうにみられる認知症のタイプは、原因がはっきりしないから治療の方法がまだ確定されていないことになっています。
A説ではアミロイドβというたんぱく質がたまることが原因ではないか(これは世界的にはもう否定されていますけど)、B説ではタウ蛋白のせいではないか、C説では脳の萎縮が原因と思われる…
世の権威ある方たちは上のように言われますが、エイジングライフ研究所は
「もともと、脳の力も老化が免れない。認知症はその老化のスピードが速くなってしまった結果である。なぜ老化のスピードが速くなってしまうかというと、種々のきっかけにより、それまでその人らしく生きてきた生活ぶりが変わってしまって、生きがいも趣味も交遊もなく運動もしない、ナイナイ尽くしの生活をし続けることで、脳の特に前頭葉の出番がなくなってしまい老化を加速させてしまう(その結果である)」と考えます。
カギを握るのは「きっかけ」です。定年退職、病気やけが、家族友人との別れ、心配事…
生きていれば、ほんとに様々なことが起きてきます。大切なことはその出来事をその人がどうとらえるか、それによって生きていく力がなくなるほどのダメージを受けるかどうかによって「きっかけ」となったり、ならなかったりするのです。
講演の時「きっかけ」の例としての「配偶者との死別」に対して、都会でも田舎でも、北でも南でも会場からは「半年後、元気なのはおばあさん」という答えが笑いと一緒に返ってきます。下松もそうだったのですよ。
私は「おじいさんに死に別れたことがきっかけで、ボケていくおばあさんもいますよ。そんなおばあさんが皆さんのまわりにもいるはずです。
おじいさんのことをとっても愛して、愛しぬいている場合は、胸のさみしさが埋められない。それは生きていく力がなくなるほどということなのでしょうね。
もう一つ別のケースもあります。それはおじいさんが何から何まで指図して生活してきた場合です。おじいさんが、おばあさんの前頭葉だったわけですから、おじいさんがいなくなるとどうしていいかわからない。ナイナイ尽くしの生活に入るしかないですよね。
ただ、このようなタイプは、例外的。少ない。だからみなさんは『半年たって元気なのはおばあさん』って答えられたのです。この答えは合格点ですが満点ではありませんね」このように話します。
本当に世の中の人たちは、ボケるかボケないかは生活の仕方そのものと思っています。(大正解!)
だからこそ、東日本大震災にあった高齢者のことを異口同音に「ボケるんじゃないか…」「ああいう目にあってしまって…ほんとにお気の毒…ボケたってしかたないよね」という風に心配しています。今回の熊本地震でもしかり。
イキイキと生きられない状況はボケを呼び、たとえ夫に死別してもイキイキと生きられるならボケもせず人生を充実して生きていけると思っているのです。課長さんとのやり取りを上に書きましたが「後家楽」という言葉の向こうには認知症は感じられません。
この話を書こうと思ったので、ネット辞書で「後家楽」を検索してみました。三省堂大辞林にはなし。goo国語辞書(28万3000項目)にもなし。でも念のために一般的に検索してみるとなんとヒットするのです!
2007年の上野千鶴子さんのベストセラー「おひとりさまの老後」で使われたようです。その前の使用例はわかりませんでした。