昨日、パリのシャルルド・ド・ゴールを発ち順調に飛行していれば、後1時間程にて羽田空港に到着していたはず。
ところが、今はパリのホテル。
搭乗予定のB777-300の機体不良により足止めです。20140429105606
パリのシャルルドゴール空港の第二ターミナルをエール・フランス航空(AF274)の午後11時25分発の飛行機に乗って羽田に向かう予定。
オヘア空港並みに大きな空港の感じです。
第一ターミナルには二つも入る事が出来るラウンジが有るのに、第ニターミナルで入れるのは一つのみである。
そのラウンジは13時30分には閉まってしまっている。
エアー・カナダのラウンジだから、エアーカナダの飛行機が飛んだ後に閉まってしまうようだ。
ボーディング開始時刻は午後10時30頃だから、ラウンジはとうに閉まっている。
最初の機内食は飛び立って一時間後の開始である。
それまで胃袋が持たないと言う事で、空港内をうろうろして見つけた食堂。
普段の夕食時間に、フード・コートでピザ二種類ととフロマージュ(ヨーグルト)を食べた。
21.2€でした。
ラウンジが使えれば美味しいものを好きなだけ食べられ、お酒も飲み放題なのにと思いつつ。
追記。
ボーディングが済んで、搭乗者も席に付きエプロンから何時離れるのかと思っていたが、移動する気配がない。
ドアも閉まった事だし空いている席を探しに行こうと思ったが殆ど満席です。
とっくのとおに離陸していなければならない時間である。
アナンスも無いのに動かない。
2時間程度過ぎてからアナンスがあり、貨物室のドアが完全に閉まらないとの事。
整備士が調整をしているとの事。
何度かアナンスが有った後ついに決まったようだ。
整備or修理叶わずにフライトを断念する旨の機内放送があった。
貨物室のドアが完全に閉まらないのなら早く欠航を決定してほしかった。
不完全な状態で高度12000メートルすなわち12キロ上空を飛びたくはない。
機長や運行管理者は可能な限り欠航便を出したくないのは経済法則だ。
毎日が休日の自分にとっては欠航ししても、それ程の不都合はない。
(欠航が決定してから)
機を降りる前に、配膳される筈だった夕食が振舞われた。
でも、配膳前から途中でも後方の席から前の席に移動していく人がポツリ、ポツリと出始めた。
食事するよりその後の混雑を見越して、飛行機を降りてエールフランスのグランドスタッフと善後策を話し合うために出ていくのである。
(ここからは食事も頂き、飛行機を降りてフランスに再入国して、エールフランスのグランドスタッフとの話合です。)
一旦、EUを出国(ドゴール空港で)したのに再入国してから、泊まる所や次のフライトの手配などである。
沢山のエール・フランスのグランドスタッフが対応してくれているがなかなか列が短くならない。
(食事も摂らずに席を降りて行った方の理由がこの時わかった。エールフランスの責任で可能な限り早く日本に帰れる他便を探すなり、ホテルに戻るなりしたようだ。)
我等のツアー客も一人一人列に並んで待つ。
先頭の添乗員さんの所まで列が進むと、ツアー客は一括で対応してくれる事で話が付き全員のパスポートを集めて添乗員さんのところに持参である。
こんな危機の時は一致団結、ツアー客の列の間に他の日本人客や外国人客の間飛び回りパスポートを回収してカウンターへ届けた。
われ等グループは列から離れて椅子のある所で待機です。
長い列の中に立って順番待ちしていないだけでも大助かりでした。
宿の交渉や宿までの移動方法の手配、交渉内容は多岐に亘る。
でも、われらは一見さんの個人旅行者ではないJTBの企業としての後ろ盾が有ることも大きいようだ。
交渉に、それで無くても時間が掛かっているのに、われらの添乗員さんが他のカウンターに居るではないか。
後で聞くと個人旅行で来たカップルの通訳をエールフランスの職員に頼まれて通訳していたようだ。
問題ないときは、それ程語学力も必要としないが交渉となると難しいようだ。
困った時には仕方が無い。
結局、エールフランスの用意してくれたロワシーシャルル・ド・ゴール空港のイビス(ibis)のホテルにチェックインしたのは現地時間の午前4時すぎ。
バスに乗っていつもは持たない重たいスーツケースを持っての移動である(空港からバスまでとバスからホテルの自室までですが。)。
完全に徹夜状態です。
疲れた。
エール・フランスに金よこせと言いたい所をジーット我慢である。
シャワーのみ浴びて直ぐに床についた。
ものは考えよう。
翌日は突然のパリ観光ツアーです。
と、言っても実態はTV番組の『初めてのお使い』状態の珍道中でした。
後に続く。
因みにトップに載っている画像はパリ・オペラ座のものです。
ところが、今はパリのホテル。
搭乗予定のB777-300の機体不良により足止めです。20140429105606
パリのシャルルドゴール空港の第二ターミナルをエール・フランス航空(AF274)の午後11時25分発の飛行機に乗って羽田に向かう予定。
オヘア空港並みに大きな空港の感じです。
第一ターミナルには二つも入る事が出来るラウンジが有るのに、第ニターミナルで入れるのは一つのみである。
そのラウンジは13時30分には閉まってしまっている。
エアー・カナダのラウンジだから、エアーカナダの飛行機が飛んだ後に閉まってしまうようだ。
ボーディング開始時刻は午後10時30頃だから、ラウンジはとうに閉まっている。
最初の機内食は飛び立って一時間後の開始である。
それまで胃袋が持たないと言う事で、空港内をうろうろして見つけた食堂。
普段の夕食時間に、フード・コートでピザ二種類ととフロマージュ(ヨーグルト)を食べた。
21.2€でした。
ラウンジが使えれば美味しいものを好きなだけ食べられ、お酒も飲み放題なのにと思いつつ。
追記。
ボーディングが済んで、搭乗者も席に付きエプロンから何時離れるのかと思っていたが、移動する気配がない。
ドアも閉まった事だし空いている席を探しに行こうと思ったが殆ど満席です。
とっくのとおに離陸していなければならない時間である。
アナンスも無いのに動かない。
2時間程度過ぎてからアナンスがあり、貨物室のドアが完全に閉まらないとの事。
整備士が調整をしているとの事。
何度かアナンスが有った後ついに決まったようだ。
整備or修理叶わずにフライトを断念する旨の機内放送があった。
貨物室のドアが完全に閉まらないのなら早く欠航を決定してほしかった。
不完全な状態で高度12000メートルすなわち12キロ上空を飛びたくはない。
機長や運行管理者は可能な限り欠航便を出したくないのは経済法則だ。
毎日が休日の自分にとっては欠航ししても、それ程の不都合はない。
(欠航が決定してから)
機を降りる前に、配膳される筈だった夕食が振舞われた。
でも、配膳前から途中でも後方の席から前の席に移動していく人がポツリ、ポツリと出始めた。
食事するよりその後の混雑を見越して、飛行機を降りてエールフランスのグランドスタッフと善後策を話し合うために出ていくのである。
(ここからは食事も頂き、飛行機を降りてフランスに再入国して、エールフランスのグランドスタッフとの話合です。)
一旦、EUを出国(ドゴール空港で)したのに再入国してから、泊まる所や次のフライトの手配などである。
沢山のエール・フランスのグランドスタッフが対応してくれているがなかなか列が短くならない。
(食事も摂らずに席を降りて行った方の理由がこの時わかった。エールフランスの責任で可能な限り早く日本に帰れる他便を探すなり、ホテルに戻るなりしたようだ。)
我等のツアー客も一人一人列に並んで待つ。
先頭の添乗員さんの所まで列が進むと、ツアー客は一括で対応してくれる事で話が付き全員のパスポートを集めて添乗員さんのところに持参である。
こんな危機の時は一致団結、ツアー客の列の間に他の日本人客や外国人客の間飛び回りパスポートを回収してカウンターへ届けた。
われ等グループは列から離れて椅子のある所で待機です。
長い列の中に立って順番待ちしていないだけでも大助かりでした。
宿の交渉や宿までの移動方法の手配、交渉内容は多岐に亘る。
でも、われらは一見さんの個人旅行者ではないJTBの企業としての後ろ盾が有ることも大きいようだ。
交渉に、それで無くても時間が掛かっているのに、われらの添乗員さんが他のカウンターに居るではないか。
後で聞くと個人旅行で来たカップルの通訳をエールフランスの職員に頼まれて通訳していたようだ。
問題ないときは、それ程語学力も必要としないが交渉となると難しいようだ。
困った時には仕方が無い。
結局、エールフランスの用意してくれたロワシーシャルル・ド・ゴール空港のイビス(ibis)のホテルにチェックインしたのは現地時間の午前4時すぎ。
バスに乗っていつもは持たない重たいスーツケースを持っての移動である(空港からバスまでとバスからホテルの自室までですが。)。
完全に徹夜状態です。
疲れた。
エール・フランスに金よこせと言いたい所をジーット我慢である。
シャワーのみ浴びて直ぐに床についた。
ものは考えよう。
翌日は突然のパリ観光ツアーです。
と、言っても実態はTV番組の『初めてのお使い』状態の珍道中でした。
後に続く。
因みにトップに載っている画像はパリ・オペラ座のものです。