京の冬の旅の表紙に写真が載っている五劫思惟阿弥陀如来像です。我が家で愛情を込めてアフロヘアーの仏様と呼んでいます。
この髪の毛(螺髪)は気の遠くなるような長い時間、思惟をこらし修行をされた結果、このような螺髪を積み重ねた頭となられたようです
最初に金戒光明寺で拝観して、すごく印象に残りました。
1 金戒光明寺では外にあり、以前の訪問で探しに行って参拝しました。地蔵院の仏様は、冬の旅での公開です。五劫思惟阿弥陀仏の五劫思惟とは:ごこうしゆい/五劫思惟
阿弥陀仏が法蔵菩薩であったとき、五劫という長久の時間、思惟して、建立する浄土やその浄土を荘厳する清浄な行を選取したことをいう。『無量寿経』上には、「時にかの比丘(法蔵)、仏の所説の厳浄の国土を聞き、みなことごとく覩見して無上殊勝の願を超発す。その心寂静にして、志所著なく一切世間、よく及ぶものなし。五劫を具足して荘厳仏国清浄の行を思惟し摂取す」(聖典一・二二四/浄全一・六)とあり、この五劫思惟において、自らが仏となった際に構える浄土と、浄土を建立するための清浄の行を選び取っている。またあらゆる浄土の中より諸々の粗悪を捨て善妙を選び取り、往生行としては諸行を選捨して念仏一行を選取している。これは偏に衆生救済のためである。法然はこれに仏による選択の意義を見出し、超世の大願である四十八願を選択し発願した時期とする。法蔵菩薩はこの五劫思惟の後に、世自在王如来の前で四十八願を起こし、それを成就して阿弥陀仏となった。奈良の東大寺には善導作と伝える五劫思惟の阿弥陀仏像がある。元来、五劫思惟は法蔵菩薩の思惟であるが、この像は、阿弥陀仏の思惟とし、等身坐像で蓮華台座に坐し、両手合掌して胸にあて目は半開きにして沈思の姿を示している。また京都地蔵院(北区大将軍川端町、通称椿寺)の本尊も五劫思惟の阿弥陀仏である。(新纂 浄土宗大辞典からの引用です
次の写真の上段は金戒光明寺に参拝した時です。その下段の写真は地蔵院(椿寺)では写真撮影できませんので、冬の旅から借用したものです。
2 今年の一月に京都にお邪魔した時の 第59回 京の冬の旅 のパンフレットです。表紙の左下には阿弥陀仏が載っています。
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4 小冊子に頂法寺(六角堂)・平等寺(因幡堂)・地蔵院(椿寺)の紹介です。
5 最初に地蔵院(椿寺)に参拝しました。訪問日は1月17日相国寺参拝の後、バスで北野白梅町まで行き、歩いて3分位で到着しました。
6 地蔵堂 - 鍬形地蔵様を安置しています。
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8 豊臣秀吉が寄進した五色八重散椿ですが開花はまだ先のようです。
9 帰る時の山門を撮影しました。
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〇 頂法寺(六角堂)に参拝にお邪魔したのは翌18日です。
阪急嵐山から電車で、烏丸駅で下車して、歩いて来ました。撮影順です。
11 特別公開のご案内です。
12 六角堂の由緒です。
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15 六角堂は「いけばな発祥の地」で現在も華道家元池坊の拠点となっています。隣接する「いけばな資料館」での寺宝特別展示もみることができました。
16 いけばな資料館の入口です。
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19 こちらはビルに入った一階に5種類の野鳥が飼われていました。
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22 こちらで御朱印を頂きました。
23 凄く達筆で戴くだけで絶大なご利益がありそうです。
24 今回は、本堂内陣部分に入って拝観できました。
25 隣の建物のエレベーターから六角堂の屋根を眺めることができます。
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〇 平等寺(因幡堂)
27 六角堂から戻るかたちで烏丸通を下って平等寺に、裏から入りました。因幡薬師の石柱がありました。
28 本尊の薬師如来立像は、度重なる火災の被害に遭いながらも難を逃れてきた創建当初のご本尊です。コロのついた厨子で緩衝用の頭巾を被っています。
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31 本堂でお参りしてから、特別公開のご本尊の薬師寺如来を参拝しました。撮影はできません。
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34-1 ご本尊の因幡薬師の御利益の無病に因み、六猫(むびょう)でお守りの裏表に六匹の猫が刺繍されていました。
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