雨宮日記 12月1日(水)夜 浜松市の講座「戦国の城のはなし 第1回」を聴きました
「広報浜松」に浜松市文化財課主催「戦国の城のはなし」を水曜夜に、3回連続で、可美公園総合センターでやります、しかも無料、とあったので、最近は歴史づいているN子さんと2人で往復ハガキで申し込みました。
人数が多いと抽選なので、当たるかどうか心配でしたが、無事、2人とも返信ハガキがきました。
午後7時からなので、午後5時あるいはそれ過ぎまで勤務のN子さんと2人でいくのは、華族の夕食の準備を(N子さんがです、ぼくではないです)したりして、大変なんですよね。
車で行くあいだ「この道、私がバイクで行く道と違うね。遠回りじゃない?」と。
目的地にたどりつくプロセスはそれぞれ自由なんだから、と思いますが。
会場に行くと、定刻には、会場一杯で55人が参加して盛況でした。
以下は講師の辰巳均さんの話の大要です。
浜松市は来年11月に「全国山城サミット」をやります。
主な城跡を、国の史跡指定も受けていきたい。
合併前は「城」というと「浜松城」のことだったが、合併後、この新浜松市の文化財の魅力を考えたら
まず郷土芸能、そしてもっとないかと捜したら「城」があった。
舞阪町(雄踏町も?)以外には、城がある。
この地域は戦国争乱の城だけではなく、それ以前の応仁の乱や、さらに前の南北朝争乱のときの南朝方の城があるのが特徴。
そのことが全国的には知られていない。
辰巳さんは、① 城についての基礎知識 ② 南北朝争乱の城 ③ 遠江の覇権をめぐる斯波氏と今川氏の争いと浜松の城、というテーマで、詳しく話しました。
N子さんが、帰りの車で「辰巳さんって、頭の中に、データがぜんぶ入っているのね」
ぼく「そりゃあ、専門家だもの」
N子さん「話してくれたお城を見に行きたいな」
ぼく「予定を開けて、時間をつくらないとね」
なお資料(全12ページ)の7pのいちばん下の2行「天野庶子系は興良親王(おきながしんのう)をいだき南朝方と戦うが正平8年(1353)親王が捕らえられ、南朝方の組織的戦闘終了する」とありますが、終わってから辰巳さんに確認しました。
「天野庶子系は興良親王(おきながしんのう)をいだき北朝方と戦うが正平8年(1353)親王が捕らえられ、南朝方の組織的戦闘終了する」の誤りです。