雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

 新・本と映像の森 23(西欧1) 芝崎みゆき『古代ギリシアがんちく図鑑』バジリコ、2006年

2017年03月15日 09時46分57秒 | 本と映像の森

 新・本と映像の森 23(西欧1) 芝崎みゆき『古代ギリシアがんちく図鑑』バジリコ、2006年

 A5版、353ページ、定価本体1700円。

 古代ギリシアの神話と歴史と地理を、ひとりのイラストレーターが描いた全編・イラスト&エッセイ集。

 なんとも味のある絵に、登場人物は巨人・神さま・王さま・哲学者たちと多数。
 
 ギリシアの都市や事件、神殿や名所にも詳しくなれる。

 「寝転がって読めるギリギリの重さ」(著者「おわりに」)だそうです。

< 目次 >

1章 がんちくギリシア神話
2章 がんちく古代ギリシア史
3章 ギリシアぬる旅行

 著者の前作『古代エジプトうんちく図鑑』の第2作。


新・本と映像の森 22 中井久夫『いじめのある世界を生きる君たちへ』2016年

2017年03月14日 12時20分00秒 | 本と映像の森


 新・本と映像の森 22 中井久夫『いじめのある世界を生きる君たちへ』2016年

 中央公論新社、100ページ、定価本体1200円。

 著者は精神科医。自らの体験と深い思索にもとづいて、「いじめとその対応」をつづった書。

 とくに「いじめられっ子」たちに読んで欲しい、と。ただし、「いじめられっ子」たちには、少し難しいかも知れない。

 最初に「いじめかどうか」は、そこに立場の交代があるかどうかだ、という。鬼ごっこでも、その子がずっと鬼をやっておるなら、いじめではないか、と。

 いじめる子は、その手口を、家庭や学区でまなぶ。家で親からいじめられている子どもが学校でいじめっ子になることも多い。

 そして、いじめは犯罪であるという。



 いじめは次のような過程を通ってすすむ。つねに、加害者による被害者の暴力的な、ときには直接の暴力も伴う、改造過程だ。

 ① 被害者の孤立化 ② 被害者の無力化 ③ 被害者の透明化

 透明化すれば、いじめは見えなくなる。加害者は、被害者にたい「無理難題」何でも命令できるようになる。

 では、どうすれば、いいか。

 まず、第1にすべきことは、被害者の「安全の角保」である。

 そして「被害者の劣等感を軽くしてあげる」こと。

 このあとは、また別の物語になるのだろうと。



 < 関連書席 >

 本と映像の森31 安冨歩・本條『ハラスメントは連鎖する』
2010年04月24日 05時41分08秒 | 本と映像の森 

 いい本ですが、教育すべてがハラスメントとの主張には同意しません。



< 新・本と映像の森 1~20 目次 >

2017年03月13日 16時48分29秒 | 本と映像の森

 < 新・本と映像の森 1~20 目次 >

 新・本と映像の森 1(古代1)  『万葉集』
 新・本と映像の森 2(テレビ1) テレビドラマ「精霊の守り人」
新・本と映像の森 3  恩田陸『蜜蜂と遠雷』
 新・本と映像の森 4       松岡正剛「千夜千冊」
 新・本と映像の森 5(SF1)  小川一水『天冥の標 Ⅱ 救世群』
 新・本と映像の森 6(映画1)  アニメ映画「龍の歯医者」
 新・本と映像の森 7(推理1)  エラリー・クイーン『Xの悲劇』創元推理文庫
 新・本と映像の森 8(推理2)  森博嗣『Χ(カイ)の悲劇』講談社ノベルス
新・本と映像の森 9       加藤文三『学問の花ひらいて』新日本出版社
 新・本と映像の森 10      内田樹『呪いの時代』新潮文庫

 新・本と映像の森 11(SF2) クラーク『都市と星』早川SF
 新・本と映像の森 12      堀内敬三・井上武士編『日本唱歌集』岩波文庫
 新・本と映像の森 13      与田準一編『日本童謡集』岩波文庫
 新・本と映像の森 14(天文1) 海部宣男作・伊東章夫絵『あっ!星がうまれる』新日本出版社
 新・本と映像の森 15(SF3・マンガ1) 星野之信/ホーガン『星を継ぐ者』小学館
 新・本と映像の森 16(古代1) 内田一成『レイラインハンター』アールズ出版、2010年
 新・本と映像の森 17(SF4・推理3) 瀬名秀明『デカルトの密室』新潮文庫
 新・本と映像の森 18(子ども1)いぬいとみこ『北極のムーシカミーシカ』角川文庫
 新・本と映像の森 19(テレビ2)TVドラマ「おんな城主 直虎」
 新・本と映像の森 20(推理3)三上延著『ビブリア古書堂の事件手帖 7』メデイアワークス文庫、2017年


雨宮日記 3月13日(月) 倉庫の片付けはじめ

2017年03月13日 16時37分31秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 3月13日(月) 倉庫の片付けはじめ

 今日は、則子さんの休みが2日目なので、午前中は父の銀行(UFJ)へ記帳に。

 午後は、倉庫の片付け第1回目。『資本論草稿集』の3巻から8巻までを、家のなかへうつしました。他にも資料を捨てたりしました。9巻は現在、捜索中。やっと、これを読めるぞ。

 夜は、則子さんの原案・平和行進実行委員会のレジュメ打ち。



 今日のおんがく 10 宮沢賢治「星めぐりの歌」

   あかいめだまの さそり
   ひろげた鷲の  つばさ
   あをいめだまの 小いぬ、
   ひかりのへびの とぐろ。
   オリオンは高く うたひ
   つゆとしもとを おとす、

   アンドロメダの くもは
   さかなのくちの かたち。
   大ぐまのあしを きたに
   五つのばした  ところ。
   小熊のひたいの うへは
   そらのめぐりの めあて。

 「ひかりのへび」とは何か?まさか、グノーシス派のいうやつじゃないでしょうね。つまりは「知恵の蛇」です。


新・本と映像の森 21 嶋崇『いまこそ『資本論』』朝日新書、2008年

2017年03月13日 14時20分21秒 | 本と映像の森


 新・本と映像の森 21 嶋崇『いまこそ『資本論』』朝日新書、2008年

 嶋崇(しまたかし)著、朝日新聞出版、219ページ、定価本体740円。

 何より「対話形式だからスラスラ読める!」「何度も挫折した人も!はじめて読むひとも!」というおすすめです。

 しかお第1巻(17~76ページ)、第2巻(77~120ページ)、第3巻(121~205ページ)と、全3巻を解説してあるのも、とてもいい。

 ただし必然的に、最重要な部分だけの解説になっているので、こまかい解説には、他の本を別途、紹介したい。

 第1巻 資本の生産過程
 第2巻 資本の流通過程
 第3巻 資本主義的生産の総過程

 著者は、経済学者ではなく、雑誌編集者なので、わかりやすさの秘密は、そこにあるかなと思う。



 マルクスの書いた原稿では、第3部は「総過程の諸姿容」とされている。つまり、たんなる「総過程」ではなく、その「諸姿容」である。

 これは何を意味するかは、ブログのなかで考えていきたい。



雨宮日記 3月12日(日) その2 手指のむくみが

2017年03月12日 21時52分51秒 | 雨宮日誌

 雨宮日記 3月12日(日) その2 手指のむくみが

 今日、ボクの右手指をみ見て、則子さんが「むくみがすごく減ったわねえ」と驚いた。

 ぼくの神経の方は、あまり変わったという感じがないので、そうかなあと逆にびっくりした。

 いずれにしろ、5月からもう10ヶ月だけど、まだ症状は変わるし、変わりうる、ということ。もっと、リハビリをしっかりしようと思った。

 右足は、依然としてギクシャクして、歩くと足がカクッと曲がってしまいそうで、家のなかでも慎重にユックリと廊下を歩いています。

 まだ、とても長い距離は歩けません。



 今日のおんがく 9 ドビュッシー「月の光」

 印象派のすてきなピアノ曲。「ベルガマスク組曲」の第3曲。4分ほど。



雨宮日記 3月12日(日) ひさしぶりに床屋さん

2017年03月12日 18時52分27秒 | 雨宮日誌
 
 雨宮日記 3月12日(日) ひさしぶりに床屋さん

 たぶん3ヶ月ぶりに、則子さんの床屋さん。さっぱりしてお風呂に入りました。お風呂は、1日か2日おきに入ります。

 これも、たぶん久しぶりに、ツメを切ってもらう。



 午後は、2階の奧の部屋を片付け始める。といっても、ボクの本や資料がほとんどなので、「捨てる」「捨てない」に、ボクの判断が必要です。

 則子さんが、カーテンをとって、雨戸をぜんぶ開けると、なんと雨戸のなかに木の枝でできた鳥の巣がありました。

 なんせ、去年5月から夏まで、ずっと人の入らない部屋でしたから、鳥にとってはサンキュアリーでしたね。



新・本と映像の森 20(推理3) 三上延著『ビブリア古書堂の事件手帖 7』メデイアワークス文庫、2017年

2017年03月12日 13時10分40秒 | 本と映像の森

 新・本と映像の森 20(推理3) 三上延著『ビブリア古書堂の事件手帖 7』メデイアワークス文庫、2017年

 『ビブリア古書堂の事件手帖 7 ー 栞子さんと果てない舞台 ー』KADOKAWA、2017年2月25日初版、341ページ、定価本体650円

 ビブリア古書堂シリーズの第7巻で、いちおう本編としては最終刊です。これからも関連本やスピンオフとしては出るようですが。

 今回は洋書をトピックに選びました。なんとシェークスピアです。シェークスピアの17世紀の古書は、ほんとうに存在するのか?

 令によって、主人公の店主・篠川栞子と、店員・五浦大輔が織りなすラブラブと探書のドラマです。

 そして、7回にわたる血縁の愛憎は解決されるか?栞子と母の和解は、成るのか。

 シェークスピアの劇や当時の公演のことに、ちょっと詳しくなれるかも。

 洋書の「フォリオ」「ファクシミリ」にも詳しくなれる?

 2013年にテレビドラマ化されたのですが、今回、映画化もされるそうなので期待します。


 本と映像の森 246 三上延さん著『ビブリア古書堂の事件手帖 4』
2013年03月12日 05時23分08秒 | 本と映像の森

 本と映像の森 244 テレビ番組「ビブリア古書堂の事件手帳」
2013年02月20日 05時34分20秒


雨宮日記 3月11日(土) 6年目の3/11です

2017年03月11日 14時25分52秒 | 雨宮日誌

 雨宮日記 3月11日(土) 6年目の3/11です

 今の時刻は午後2時24分、あと少しであの時刻です。6年目の感想は、いろいろです。まず「自主避難者」への公的支援、つまりは住宅費補助の停止。

 それから原子炉内の恐るべき放射能値、1時間あたり数百シーベルト(2号炉)のこと、1,3号炉はもっとひどい?

 6年前の今日のボクのブログを再録します。このあと読んでいくと、あの頃、毎日、情報を解析し、未来を考えていたことがわかります。



「雨宮日記 3月11日(金) 東日本の東北沖でかってない超巨大地震

 午後の早めに目が覚めて、里山へ車を走らせました。

 前日に、上島の「小西商店」で3000円で買った気温・水温両用の「温度計」で
 池の水温を測っていたら、携帯電話が鳴りました。

 うわ、則子さんだ。
 出ないわけに、いかないので、出ると
 「智彦くん!地震よ!目が覚めた?」と言うので
 「え!いま里山の谷だけど、揺れてるの気づかなかった」

 則子さんのいうには、ちょうど浜松市役所の1階のATMのところにいて
 なんだか視界がフラフラ揺れて、あれ、めまいかなと、思ったのだそうです。

 7階の、則子さんの職場に戻ったら、Oさんが、机の下で携帯電話をしているので
 「あれ、どうしたんですか?」と則子さんが言ったら
 「地震よ!」と

 夜、家に帰ってから、テレビにかじりつきました。
 映像がすごいですね。
 こわくなりました。

 いろいろ感じたことがありますので、言いたいこと、続きます。」
 

新・本と映像の森 19 TVドラマ「おんな城主 直虎」

2017年03月11日 04時47分53秒 | 本と映像の森

 新・本と映像の森 19 TVドラマ「おんな城主 直虎」

 ご存じ「浜松ドラマ」

 NHKテレビで1年間、毎週日曜夜8時から。

 近世・今川統治下の井伊家の苦難をたどるドラマですが、それを1女性を主人公にするところが新しい。

 井伊は、現・浜松市北区引佐町を古くから支配する旧家です。直虎は井伊家のひとり娘。

 昨年の末、直虎は男であるという学説が現れて、みんなを慌てさせたのですが、まあいちおう直虎は女であるということで番組は始まりました。

    ☆

 先週は、桶狭間戦で今川義元の死と、松平元康(のちの家康)の偶然の自立でした。つまり、井伊家と直虎の苦難はまだこれからってとこですね。

 しかし、松平元康が岡崎で自立して、これから三河を平定し遠州へ攻めてくる時代を描くドラマは珍しい。

 どういう風に、この三河・遠江征服を描くか、浜松市民の歴史ファンとしては、興味深く見守りましょう。



1,2回目くらいに子供たちの遊び場となった大きな岩のあるところは、たぶん天白磐座(てんぱくいわくら)遺跡かなあと思うけど。

 違うかな?



雨宮日記 3月10日(金) その3 ブログ再開1ヶ月

2017年03月10日 20時33分47秒 | 雨宮日誌

 雨宮日記 3月10日(金) その3 ブログ再開1ヶ月

 雨宮ブログを本格再開したのは、2月9日。ほぼ毎日、日記などを継続できました。

 「新・本と映像の森」は、自分の読んだ本や、見た映像作品やテレビなどをずっと書いていくつもりです。

 昨年、ちょっと無理して再開しましたが、まだ脚が痛み、中断に追い込まれました。

 体調の続く限り、継続していきます。みなさん、よろしくお願いします。


雨宮日記 3月10日(金) その2 3つの事件

2017年03月10日 20時21分25秒 | 雨宮日誌

 雨宮日記 3月10日(金) その2 3つの事件

 今日は東京大空襲の日です。10万人くらい亡くなったという。「東京大虐殺」の日と言ってもいい。でもテレビでは、夕方のニュースを見ても、まったく東京大空襲の話はでてきません。

 今日、テレビのニュースでやっていたのは、主に次の3つです。

 ① 韓国のパク大統領の罷免

 ② 大阪の森本学園の小学校申請取り下げと、理事長辞任か(?)のニュース

 ③ 安倍首相の南スーダン自衛隊の5月末撤収決定

 こういうことが、3つも重なることは、なかなかありません。みなさん、今日は、いい日ですか、それとも悪い日ですか。

 よくも悪くも、だいじな転換点であることは、確かです。


雨宮日記 3月10日(金) ときどき風が強い日

2017年03月10日 14時13分34秒 | 雨宮日誌

 雨宮日記 3月10日(金) ときどき風が強い日

 則子さんは、ボクの妹のところへ、妹の娘に赤ちゃんが生まれたお祝いにいきました。ぼくの長女も一緒です。

 お昼は、ひとりで食べました。おにぎりとサンドイッチ。

 今日は雲はないけど、ときどき風が強いです。洗濯物がガタガタ鳴っています。


 今日のおんがく 8 ベートーベン「ピアノソナタ 第14番 月光」

 第1楽章は「月光」のなかお散歩だけど、第2楽章から早足になって、第3楽章では駆け足になります。


新・本と映像の森 18 いぬいとみこ『北極のムーシカミーシカ』角川文庫

2017年03月10日 11時43分48秒 | 本と映像の森

 新・本と映像の森 18 いぬいとみこ『北極のムーシカミーシカ』角川文庫

 角川書店、1975年(昭和50年)発行、229ページ、定価260円

 北極で生まれたシロクマの双子の兄弟、ムーシカとミーシカ。そして他のメスグマの子マーシカ。

 この3匹が織りなす“クマ生”の喜びと苦難の物語です。

 副主人公のアザラシの子オーラや白鳥のむすめユーリ、エスキモーの子タヤウトも魅力的です。

 北極圏の生きものたち、きつねやキョクアジサシ、かもめたち。

 児童文学ではあるが、生態学を踏まえて、生態系の頂点に位置するシロクマが、つねに「食べる側」にいることも、よく描かれている。

 そして北極圏のきびしい気候と、不安定な氷。

 オーロラや夜のおおぐま星座もすてきです。

 児童文学ではなく、大人の動物小説として扱っても、いいくらいだ。

   ☆

 その点では、「夏祭り」の章は必要だったのか、意見の分かれるところだろう。ボクは「いらない派」である。

 これが作品のテーマを、あいまいにしていると思うのである。

 すべての生き物が仲良くする一日、それは必要なのか?

   ☆

 この作品が書かれた  年頃はそんなこともなかったが、今となっては地球温暖化で北極の氷が溶けてたいへんだ。

 ムーシカミーシカの子孫たちは、どうなるんだろう。

 ただし北極の氷がとけても海水面は上昇しません。気候は激変しますが。

 南極大陸の氷がとけると海水面は上昇しますけど。


新・本と映像の森 17 瀬名秀明『デカルトの密室』新潮文庫

2017年03月09日 10時24分59秒 | 本と映像の森
 新・本と映像の森 17 瀬名秀明『デカルトの密室』新潮文庫

 新潮社、2008年(平成20年)6月1日発行、原著2005年(平成17年)、617ページ、781円 
 
 叙述サイドの主人公は4人(4人というべきか、3人と1体と言うべきか)。ロボット工学者 尾形祐輔、進化心理学者 一ノ瀬玲奈、そして少年型ロボットのケンイチ、そして編集者 奥山友美。

 タイトルは、哲学者ルネ・デカルトの名前から取られた。デカルトは、『方法序説』で、人間と機械の思考を比較検討した。

 4人は、人工知能コンテストの会場メルボルンに集結する。そこで事件は始まる。

 事件のドラマと平行して、主人公たちの「人間と機械について」の思考のドラマが進む。もちろん2つのドラマは密接にからみあっている。

 機械は思考するか? 人間の思考の特質は、どのようなものか? 人間と機械を見分けることはできるのか?

    ☆

 なお、この本の主人公のひとり、フランシーヌ・オハラと、森博嗣さんの連作『四季』の主人公・真賀田四季の類似は誰の目にも明らかであろう。

 フランシーヌ・オハラは事件をきっかけにネットの中に入っていく、「真賀田四季」も事件をきっかけではないが、ネットのなかに永遠の生命を保つ。

 しかも事件にはフランシーヌ・オハラの娘が深くかかわっている。真賀田四季の『すべてがFになる』事件では四季の娘が重要な役割を果たす。

 平成17年8月新潮社より刊行だから、2005年8月である。

 すでに森博嗣さんの連作『四季』は、4冊全部が2003年から2004年にかけて出版されている。

    ☆

 しかし似ているのは、ここまでで、この本の独創性を揺るがすものではない。

 この本の独創性は、ロボットと人間の違いと同等性についての思考実験の独創性にある。

 その叙述の正否は、いまだ人類全体で論争中といえるだろう。そういう重大な論争を「人類論争」と呼ぼう。

 人類論争は、裁判官のいない法廷であり、判決のない法廷である。この法廷に参加する個人・検察官・弁護士・加害者・被害者は、それぞれ自らが「現時点での裁判官」として「自らの判決」を書かねばならないのである。

 あなたは、どんな判決を書くだろうか?