私は心筋症の既往歴がありコロナ-ワクチンをうてない。妻がふだん日曜以外の午後5時から夕食時まで孫の小学1,3年生の世話をしている。昼と晩の食事をさせることも週に2,3回ある。
この二つの事情から、わたしは隔離生活をよぎなくされている。私は寝室(仏間)で寝起きし、1階のトイレと2階の書斎を専用にしている。用心しすぎると思われるかもしれないが、実際に次男と孫が第6波のコロナに感染した。
孫たちが来ていないときはリビングで食事を摂り、新聞を観たりTVをつけたりするが、難聴でTVの音を妻に嫌がられるのでTVは仏間で見る。
週に1, 2回スーパーを覗きに行くほかはほとんど外出しない。たまの遠方通院が息抜きになっている。
もう少し周囲の事情に触れておく。こども3人は自立して市内に居住している。面倒を見ている3人の孫(長女は高校生)は娘夫婦の子供である。娘夫婦は障害児向け放課後デイケアを経営しているが、雇員が定着しないので車での送迎までみずからやることが多い。
働き方改革が各方面で叫ばれている中、娘夫婦の障害児デイケアに休日はない。365日中、休みは日曜日53日と正月3が日・盆3日間だけである。
まさにクレイジーというほかないが、現役時代の私もそうであった。土日、休日休みなし。休みは会場が使えない雨の日と年末年始8日間、それに盆をはさんだ7日間だけだった。
デイケアのとばっちりが「じいじとばあば」に及んでいるが、妻は不満である気配がない。いそいそと娘の言うとおりに孫の世話をしている。わたしは、自分の体験から遣り甲斐過労は罪である、改革すべしと思うが、娘を諫めたことはない。親が子や孫を支えるのは、枯れ葉が若葉の為にあるのと同様、自然の摂理である、と信じているからである。
綺麗ごとを言っても深層心理は突然夢の形で表れた。ゴールデンウィーク前のことである。
サッカー協会の書類提出期限が数時間後に迫っているのに、孫二人が寄って来て集中できない。追い払うと妻が話しかけて来た。焦っているところにコーチほか関係者5,6人が立ち寄ってワイワイ喋り出した。もうダメだと思った瞬間目が覚めた。
限界のサインだととらえて、次の日曜日バスで40分の山里に山菜取りがてらレクリエイションに出掛けた。
新緑に癒される一方、台風が通り過ぎた跡の惨状に目を奪われた。倒木はボランティアの手を借りてきれいに片付けられているがまだ山肌が露出している。
被害のもとになった台風は関空を冠水させて長期閉鎖に追い込んだ21号台風2018.9.4である。その3か月後に同じ車道から撮った格好の写真をネットでみつけたので「Mr.Moonlightのつれづれ日記」から借用しておく。
一番気になったのは当の山谷にけもの道はおろか人跡が見られないことだった。半世紀前私が山菜取りにたびたび通った山である。この山と人が没交渉になった経緯と原因は何だろうか、気になる。私有林が多く所有者が高齢化したことも一因と考えられる。
奇異な体験をした。廃材で入口を塞がれた、小さな沢に入った。斜面に足を取られながら2,30m進むと、鹿と猪の白骨があちこちに散らばっていた。牡鹿の角はどれも切り取られていた。苔むしたコンクリート-ブロックも散乱していたので秘密のバーべキュー-スポットであったと見て取れた。事情は不明だが業者と同好会の仕業だと思う。
左岸の沢の写真
ただ1体だけ雌鹿の全身骨像があった。四肢もそろっているので肉とか皮をとる処理がなされたとは考えにくい。
その場所で、主谷が支谷と落ち合っている。主谷の右岸は暗い杉林、左岸は小さな谷を挟んで自然林の森である。左岸は大雨のせいで表土がむきだしで沢に水流はほとんどなかった。
谷間に生き物の姿、声は皆無だった。本来なら小魚が群れ、沢蟹がちょろつき、ウグイスがさえずり、猪が土を掘り返したばかりの土盛りが至る所にあっていいが・・・。
山菜は無く獲物は一握りの虎杖itadoriと牡鹿の頭骨だけだった。
娘夫婦に休日営業をやめさせる寸言を考えている。こんなのはどうだろうか。「老人と子供には、時間は財産だ」
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