朝日新聞 6月24日朝刊
有馬~高槻断層帯の東端に居住しているので二つの地震を体験した。阪神淡路大震災では震源が兵庫南部だったので横揺れ(高槻の震度5弱)が長く続いた。今回は震央だったので下から突き上げる大きな瞬時の縦揺れ(校区の震度6弱)だった。
代議員として8:00から校門で登校生徒を朝の挨拶で迎えるために早めに登校した三宅璃奈さん(4年生)が犠牲になった。地震発生の時刻次第では、私の孫をふくめて大勢が登校路のあの長いブロック塀の下敷きになったかもしれない。
今回の地震は、専門家の見解は別だが、素人考えでは阪神大地震の余震、残存エネルギーの解放であろう。間近いと予想される南海トラフ大地震でも余震が広域で長期にわたって間歇的に起こることを覚悟すべきだ。
被害の様相で気がついたことを記録しておく。
直下型では瞬間的な縦揺れにより屋根の壊れ方が違った。屋根が合わさる部分つまり尖っている稜線が開いた。だから応急手当のブルーシートは、面では無く稜線を覆っていて、まるで切り傷に貼られたキズ・テープのようにみえる。
わたしは庭で鉢植えに水やりをしていたからドーンと下から地面ごと突き上げられ柿の木にすがりついただけだったが、家の中ではTVの画面が縦に揺れ、瞬時ではあるが横揺れがあった。反射的に子供をかばって覆いかぶさった我が娘が飛んだ来たTVの液晶にぶつかって頭部に打撲傷を負った。湯沸かし中の鍋がふっとんだ。
二つの地震とも横揺れは南北に揺れた。家具の口が南北に開くように設備された家屋では最悪の場合棚の物がほとんど飛び出し家具が倒れた。我が家では家具が東西に向って設置されていたためいずれの地震においても家財道具の被害はほとんどなかった。倒れた例の建築基準法に違反のブロック塀は南北に面していた。
わたしは押さえの無かった棚が一つ倒れたため突っ張り棒を買いにホームセンターに行った。長い行列をみて買物をあきらめた。棚が南北に開いているこのホームセンターの中は滅茶滅茶で、客の注文を入口で聞いて店員が一々品物を探しに行くありさまだった。一週間後になっても突っ張り棒は入荷しなかった。物流が地域的な被害にすら対応できていないことは私には意外だった。
日頃からブルーシート、ガスコンロとボンベと電池、給水用10Lタンクを常備して置かないとまず買い求めることが困難である。交通大渋滞で必需品も救援物資も入手困難になることをあらかじめ覚悟しておくべきだ。
鉄道がとまったため従業員が移動できず大店舗や介護施設等が休業になった。鉄道自体も運行停止がことさらに広がり長引いた。
電気、ガス、水道、交通のライフラインが心配だが、通信のインフラにも投資すべきだ。家庭の固定電話は遠近とも通じたが、ケイタイは近距離はつながらなかった。
地域限定の小地震でこうだから、遠くない将来、南海大地震が太平洋沿岸を襲ったときこれまでの経験では予想できなかった事態が起こると思われる。過去の経験を、活かせるかどうか、だけでなく、棄てられるかどうか、も大事の分かれ目になりそうだ。
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