1315年に大燈国師宗峰妙超禅師を開山とする
臨済宗大徳寺派の大本山である大徳寺。
応仁の乱で荒廃しましたが、
頓智で知られる有名な
一休宗純が再興されたお寺です。
勅使門、三門、仏殿、報道など一直線の伽藍配置。
一寺院というより寺町の景観です。
大徳寺を取り囲むように、前田氏、細川氏など
有名武将の塔頭寺院が20以上もありますが、
ほとんどが非公開で特別公開以外に
一般公開されているのは通常4か所のみとか。
茶の湯の美意識が息づく大徳寺。
千利休が寄進した山門の二階に利休の
木像が置かれたことに秀吉が怒り、
千利休が切腹させられた話も有名です。
桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の菩提を
弔うために総見院を建立、戦国武将の
塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めました。
豊臣秀吉が織田信長の盛大な葬儀を
大徳寺で営んだとか。
仏殿、法堂、唐門などが国宝、重要文化財に
指定されている大徳寺ですが、現在非公開、
垣根越しに覗いて見るしかないようです。
京都府京都市北区紫野大徳寺町53
2022.11.17
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