アウシュヴィッツとビルケナウの両強制収容所は、
人類の狂気と悲劇の象徴として
永久に伝えられるべき負の遺産です。
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが国家を挙げて推進した
人種差別による絶滅政策(ホロコースト)および強制労働により、
最大級の犠牲者を出した強制収容所が建設されました。
高さ4mの有刺鉄線が2重に張り巡らされ、
6000ボルトの高圧電流が流されていた収容所には、
収容棟、銃殺場、絞首台、ガス室、
焼却場などがありました。
収容されたのは、ユダヤ人、政治犯、ロマ・シンティ、
精神障害者、身体障害者、同性愛者など出身国は28に及び、
90%がユダヤ人であったといわれます。
ドイツ統治下の各地より貨車などで運ばれてきた
被収容者は、貨車駅で降ろされ、
「収容理由」などの情報をもとに「労働者」
「人体実験の検体」「価値なし」などに分けられたのです。
労働力確保の一方で、労働に適さない女性・子ども・老人など
価値なしと判断された被収容者はガス室などで処分。
「労働者」も劣悪な食料事情や蔓延する伝染病などにより
命を脅かされ、絶望のあまり自ら高圧電流が流れる
鉄条網に触れて自殺する人もいたそうです。
多くの被収容者がこの壁の前で銃殺刑に処された「死の壁」、
90cm×90cmの狭いスペースに人を押し込む「立ち牢」、
一切の水・食料を与えない「飢餓牢」があります。
その場に立つと吐き気に襲われた
気が狂いそうになる施設が残されています。
訪問した当時は、登録名称は「アウシュヴィッツ強制収容所」、
「ポーランド人が作ったかのような印象を与える」として
ポーランド政府は登録名称の変更を要請し、
ユネスコ世界遺産委員会は2007年6月27日に変更しています。
広大な敷地に300余りの施設が建設されています。
1993年の映画『シンドラーのリスト』には、
ユダヤ人を虐殺するシーンが克明に描かれています。
内部での撮影が許可されたものの、犠牲者の敬意から
門の外側にセットを組んで撮影が行われたとか。
そのシーンがまざまざと蘇り、
最後まで涙で目が曇ったままでした。
世界文化遺産 1979年登録
ポーランド
訪問日 2002.9.23