まるみのあっちこっち巡り

ー33,000枚を超える写真とともに綴るお出かけブログー

下田プリンスホテル 3日目の朝食

2022-11-30 14:49:29 | ホテル・旅館



3日目は曇り空、急ぐ用事もないので、
ゆっくりと朝食を味わうつもりで、
前日より早めにメインダイニングへ。







焼き魚やお刺身の種類も前日と異なっています。
お粥もこの日は小柱に加え鮭入り、
毎日でもいただきたい美味しさです。







こちらは、ツレのデザート。







ホテルは、パンも美味しくなくてはね。
カフェラテとともにクロワッサンを。







今日はチェックアウトもゆっくりです。

静岡県下田市白浜1547-1

2022.11.1

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下田プリンスホテル 2日目のディナー

2022-11-29 23:15:49 | ホテル・旅館



天城越えドライブを終えて2日目のチェックイン。
メインダイニングで、宿泊者限定メニューの
ステーキセット2,800円をいただきました。

150gのサーロインステーキにライス、サラダ、
コーヒーがつき、税サ込のお手頃価格です。
添えられている野菜も美味しいです。







ビーフカレーは、サラダ付で、1,600円。
こちらにもレンコンのから揚げがついています。
プリンスホテルは朝のビュッフェにも
カレーがありますが、なかなかの味なのです。







姫サザエの香草バター焼き 1,600円 

一番美味しかったのは、この姫サザエ。
こうして洋風のサザエをいただくのは初めて、
バターとの相性も良く、
ワインをいただくなります。







こちらは、サザエを掴んで中身を出すもの。
こうしたものがあるのも知りませんでしたが、
手を汚さずにいただけるのはうれしいです。







食後のコーヒーをいただき一息。







昨晩に続き、最後の客となりました。
ラストオーダーは、午後8時半。







食事処は、他に「寿司処 来海」があり、
7時半までに予約する必要があります。

静岡県下田市白浜1547-1

2022.10.31

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日本の滝100選 中伊豆の名瀑 浄蓮の滝

2022-11-28 15:47:52 | お出かけ 中部



伊豆半島の中央部を貫く下田街道は、
川端康成の小説『伊豆の踊子』の舞台。

浄蓮の滝の入口には『伊豆の踊子』像が立ち、
ここから主人公が踊子たちと出会った
「天城山隧道(旧天城トンネル)」や
宿泊した「福田家」や「二階滝」「河津七滝」などの
素晴らしい見どころがあります。







駐車場からもこのように浄蓮の滝は見えますが、
間近に見るには200段程の階段を下ります。
(5日後、この駐車場から自動車の落下死傷事故が)







周囲は夏でもヒンヤリとするそうですが、
動いていないとカラダが冷えてきます。







途中の「滝見茶屋」で、滝を見ながら一休み、
わさびの販売もしています。
「天城国際鱒釣場」があり、美しい滝を眺めながら
渓流釣りも楽しめるようです。

沢に沿ってワサビ田が広がる光景が見られますが、
関係者以外立入り禁止となっています。







滝は狩野川の上流部、天城山の北西麓を流れる
本谷川にあり、1万7000年前に伊豆東部火山群の
鉢窪山スコリア丘が噴火した際に流出した
玄武岩溶岩流を流れ落ちる直瀑です。







約2000万年前、伊豆は本州から数百km南、
現在の硫黄島付近の緯度にあり、
日本列島の仲間入りを果たしたのが約60 万年前。

二重三重の地質学的特異性が、多くの美しい景観や
温泉を有する現在の伊豆半島を形成しています。
伊豆半島は、世界のどこを探しても同種の例を見ない、
地球上の特異点とも言える場所となっています。

災害も少なくはありませんが、
伊豆は何度も訪れたくなる魅力に溢れています。

この旅では、天城トンネルは通行止めでしたが、
湯ヶ島・湯ヶ野温泉に1泊し、歩いて天城越えしたいです。
その前に『伊豆の踊子』を読まないと。







かつて滝の左岸付近に浄蓮寺という寺院があり、
「浄蓮の滝」という名称がついたとか。
滝壺にはジョロウグモの化身が
棲むとの伝説もあります。







高さ約25m、幅約7mの伊豆半島最大級の滝。
岩盤には柱状節理が見られます。
滝壺の深さは15mあるとか。







滝の脇には、演歌歌手・石川さゆりのヒット曲
『天城越え』の歌碑がありました。
『♪九十九(つづら)折り 浄蓮の滝 ...
あなたと~越えたい~ 天城越~え~♪』

静岡県伊豆市湯ヶ島

2022.10.31

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道の駅 開国下田みなと&ランチ

2022-11-27 00:29:15 | お出かけ 中部



下田港に面した海辺の道の駅「開国下田みなと」は、
下田や南伊豆の観光の拠点となる道の駅です。
下田港内にあり、下田港をめぐる遊覧船も
発着するので、こちらに駐車しました。

海の幸がずらりと並ぶ道の駅です。
下田の歴史を紹介するミュージアムも併設、
普通車の駐車スペースは207台あります。







目の前が魚市場とあって、名産の金目鯛や
伊勢エビをはじめとした海の幸が
リーズナブルに手に入るために人気です。







伊勢エビやサザエ、アワビなどは市価よりも
リーズナブルと聞いてもちょっと手を出しにくく、
売店で海藻類などを購入しました。







レストランは和食処、回転寿司、
カフェ&バーガーショップがあります。
普段なら迷わず市場の食堂に
入るところなのですが・・・。







魚介類中心のホテルの食事が続くと
ランチは、パスタを食べたいと思った私は、
近くのファミレスへと向かったのです。

「お好みで柚子胡椒を」と言われたのですが、
カルボナーラと柚子胡椒の相性が
こんなに良いとは驚きました。







セットサラダにドリンクバーを付けると1,378円

「不二家レストラン」なども以前はありましたが、
今では下田のファミレスはこちらだけのようで、
下田港にも面したこの店は繫盛店のようです。







月曜日の日替わりランチ 798円

日本シリーズ期間中でスポーツ新聞やネットに
目を通したりしていいると
観光中だと忘れているかのような二人、
ジョナサン下田店を出たのは15時を過ぎていました。

道の駅 開国下田みなと
静岡県下田市外ヶ岡1ー1

2022.10.31

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世界遺産 富岡製糸場と絹産業遺産群

2022-11-26 16:13:23 | 訪問した世界遺産



1872年、明治政府が日本の近代化のために設置した
富岡製糸場は、それまで欧米に限定されていた
産業革命を非西欧圏で初めて達成した証で、
ほぼ完全な形で現代まで残る貴重な近代産業遺産です。

上の写真は、1872年に建てられた富岡製糸場の東置繭所、
創建当時の状態のままで保存されています。







近代化の過程で生み出された鉄道や倉庫、
原料の繭を供給する養蚕農家などが、
桑畑とともに独特の産業文化景観として保存されています。







先進的な技術は国内各地に広まり、
日本は1920年代に世界一の生糸輸出国となりました。

そこで得た外貨は産業革命を軽工業から重工業へと
進展させる原動力となり、安価で上質な生糸は、
20世紀の世界的服飾文化にも貢献しました。

世界文化遺産 2014年登録 

日本

訪問日 2020.2.10

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「黒船サスケハナ」下田港めぐり遊覧船

2022-11-25 23:54:18 | 遊覧船・レストラン船・その他



幕末開港の舞台、下田港を遊覧船に乗船、
南伊豆の遠景などを楽しみながら
下田港内を一周するコースです。







下田港を出航、約20分で歴史名所を巡ります。
乗船するのは定員240名の黒船「サスケハナ」
乗船料は大人1400円、小人700円です。







秋から春にかけては船から「カモメの餌付け」を
体験でき、餌は100円で販売しています。
(餌はかっぱえびせんです)







「カモメの餌付け」より、
航跡波を眺めたいのですが・・・。







餌をあげる人が少ないので、
カモメもさっさと飛んでいきました。







こちらは1階席になりますが、
2階席は別途大人500円、
小人250円かかります。







伊豆半島南端の石廊崎の東側に位置する下田港。
1854年の日米和親条約で函館港とともに
日本最初の開港場となりました。

貿易港としての役割は、江戸から遠く、
天城山を越えなければならない地理的条件から、
まもなく横浜港に移っていきました。

今回は天城越えドライブをしましたが、
これはもう横浜に移るしかないを実感しました。







下田港周辺は地形が複雑で、気象や海象の条件が
変わりやすく海難事故が多いことから、
1951年に避難港に指定されました。

遊覧船から見るとこの複雑な地形が魅力的で、
乗船する価値は高いと思います。







下田港の港内にある弁天島は、静岡県の天然記念物、
下田市の史跡の指定を受けています。
かつては湾内に浮かぶ島でしたが、
防波堤によって接続されて、地続きになっています。







幕末の志士吉田松陰は、黒船に密航して
渡米しようと企て金子重之輔を伴ってこの地へ、
弁天島の祠に隠れて夜を待ち、
暗くなると小舟で黒船へ接近を試みました。

2度めの挑戦でペリーのポーハタン号に接触するも
ペリーは江戸幕府との外交交渉に差し障ると考え、
松蔭らには面会もせず追い返し、部下に命じて
艦隊のボートで送り返させ、密航は失敗するのです。







江戸時代から江戸に向かう船舶の寄港地として
繁栄した下田港には、毎年、3000隻の
千石船の入港があったのだとか。

日本開国の舞台を黒船でひとめぐり、
下田の旅の思い出に。

静岡県下田市外ヶ岡19

2022.10.31


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黒船で下田の海を遊覧したい!

2022-11-24 23:52:57 | お出かけ 中部



日米和親条約(神奈川条約)を締結したペリー艦隊が、
下田に順次来航したのは、1854年3月18日。

浦賀に来たペリー艦隊9隻のうち、
サスケハナ号は中国へ、
サラトガ号は本国へ条約を携えて行ったため、
下田には7隻が来航したそうです。

幕末開港歴史の下田港を遊覧船
黒船「サスケハナ」にて
下田港巡りをしたいと思っていました。







こちらで乗船受付をしているようです。

全国旅行支援の地域クーポンも使用できます。
静岡県の地域クーポン「ふじのくに」は、
「region PAYアプリ」アプリをダウンロード、
チャージして使用します。







次の出航時間は12時半。
チケットを購入、出航を待ちます。

2022.10.31


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下田プリンスホテル 朝食

2022-11-23 23:47:18 | ホテル・旅館



眼下に美しい青い海と空を眺めながら
メインダイニングルームかもめで
朝食をいただきます。







伊豆大島が見えています。
三原山が噴火したのは1986年11月21日、
山腹から流れ出た溶岩が住宅地に迫り、
すべての住民およそ1万人が島外へ避難。

ここから噴火する三原山が見えたことでしょう。
あの時の映像は衝撃的で、自然災害の怖さを
まざまざと見せつけられました。







今は穏やかに見える海や島も豹変するかもしれません。
チェックインの際に避難誘導のご案内を
渡されたのは安心材料であると同時に
地震・津波の危険性も感じます。







朝食は7時~と8時半からの予約制。
8時半にお願いしたので
2度寝もできました。







和洋ビュッフェ。
小柱の入ったお粥、干物、お刺身など
海の幸の美味しさはさすがです。







青い空が一面に広がり、海からの心地良い
潮風を受けるのも良いでしょう。







朝食をいただいた後は、
クルマで観光に出かけます。

静岡県下田市白浜1547-1

2022.10.31

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下田プリンスホテル 洋上から昇る朝日を客室にて

2022-11-22 23:41:29 | ホテル・旅館



全ての客室と展望温泉浴場からは、
雄大な太平洋の眺望が楽しめる
下田プリンスホテル。

晴れた日には早起きして洋上から昇る朝日を
見なければと早めに就寝した甲斐もあり、
客室のカーテンを開けました。







あの人は何をしているのかしら







カメラを携えて浜に出ている人もいるようですが、
ベランダから朝日を眺めることにしましょう。
隣の部屋のベランダを見ることはできない設計なので、
安心してベランダに出ることができうれしいです。







水平線から昇る朝日の美しさをしばし堪能。







温かいベッドからも日の出を見られる贅沢。
年末年始をこちらで過ごし、初日の出に
近くの白浜神社に初詣、海の幸を堪能する
そんな年があっても良いかもしれない。







浜辺も明るくなり、サーフィンや釣りなどを
楽しむ人の姿もはっきりと見えてきました。
温泉に浸かりたいところですが、
私は二度寝を選択しました。

静岡県下田市白浜1547-1

2022.10.30
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下田プリンスホテル 客室

2022-11-21 23:42:08 | ホテル・旅館



全室オーシャンビューの客室からは、
雄大な太平洋や伊豆七島の島々、
よく晴れた朝は洋上より登る日の出が見られる
シーサイドリゾートの下田プリンスホテル。







幅97センチのシングルベッド2台、
ソファーベッド2台で最大収容人員4名の
ツインルームBの朝食付きを予約したのは、
全国旅行支援が発表される前のことです。







この客室が最も多いスタンダードなものですが、
広さは35.6㎡あり、二人で過ごすなら充分。
古めかしい感じはありますが、許容範囲。







太平洋を望む展望温泉浴場があり、
バスタブを使うことはありませんでした。
大浴場のみ浴衣&スリッパが可能です。







冷蔵庫は空になっています。
館内に売店はありますが、コンビニはないです。







どこまでも続く大海原から昇る朝日や
移りゆく景色を楽しめるのが魅力。
のんびりと過ごそうと思います。

静岡県下田市白浜1547-1

2022.10.30

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下田プリンスホテル メインダイニングルーム かもめ

2022-11-20 01:00:16 | ホテル・旅館



雄大な太平洋の眺望も楽しめる下田プリンスホテル。
「 メインダイニングルーム かもめ」の入口は、
外国客船のメインダイニングへの入口を思わせて、
私のテンションは、高くなるのでした。







予約していたのは彩(いろどり)というコース料理。
創作小鉢の数々はカフェテラス形式で、
料理ボードより好みのものをいただけます。

これがどれも美味しくて幸せ。







お造りの盛り合わせ

漁港を有する下田で水揚げされた新鮮な魚介、
お造りは外せませんね。







金目鯛の煮付け

下田港は金目鯛の水揚げ日本一。
そこで揚がった新鮮な金目鯛は刺身、姿煮、鍋、
粕漬け、干物など色々な食べ方ができる美味しい魚。
醤油の量を控えめにして欲しいかなと思います。







旬感沸騰石焼桶鍋

地元の漁師料理「いけんだ煮味噌」をアレンジ。
高温に焼いた石を仕上げに入れると瞬間的に沸き立ち、
味噌の香りと湯気が立ち昇り食欲をかき立てます。







魚介の旨味タップリの出汁と味噌が相まって美味。







肉料理

野菜と一緒に肉料理も楽しみましょう。







ピザもいただいてしまいましょう。
どれも美味しいので、食べ過ぎに注意







デザートも選び放題です。
コーヒーやソフトドリンクも込みで6,500円、
90分制となります。

静岡県下田市白浜1547-1

2022.10.30

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世界遺産 富岡製糸場

2022-11-19 20:49:21 | お出かけ 関東



2014年にユネスコの世界遺産に登録された富岡製糸場。
群馬県では古くから養蚕、製糸、織物など
絹産業が盛んで、数多くの文化遺産が残っています。







1階は事務所・作業所、2階に乾燥させた繭を
貯蔵した国宝の東置繭所は、
1872年に建築された「木骨煉瓦造」で、
日本の瓦職人が窯を築いて作ったのだとか。







場内はこのようになっており、音声ガイドは200円。
自身のスマホ等で、QRコードを読み取って
情報を聞くのは無料ですが、通信料は自己負担。
解説員によるガイドツアーは1回200円。







1873年築の検査人館は重要文化財、外観見学のみです。
生糸の検査などを担当したフランス人男性技術者の住居で、
後に改修され、現在は事務所として使用されています。

ほぼ当時の状態で残されている
大理石のマントルピースが見たい!







はとバスの一行は、解説員のガイドツアーです。







国宝の繰糸所も1872年の建築で、
繭から糸を取る作業が行われていた場所。
創業当初はフランス式の繰糸器300釜が設置され、
世界最大規模の製糸工場でした。







内部も一部見学が可能です。
「トラス構造」という従来の日本にはない
建築工法のため内部は中央に柱のない
空間が保たれています。

採光のため多くのガラス窓や、
屋根の上に蒸気抜きの越屋根が
取り付けられています。







技術伝習工女として15歳~25歳の女性を募集、
技術習得後、それぞれの地元で
指導者として活躍しました。

当時の工女の日常を記した『富岡日記』の著者で
左の写真の女性、横田(和田)英さんをはじめとする
工女の活躍が、絹産業に大きく貢献したのです。







1985年頃の工場内の製糸行程がわかる写真です。







製糸工と言いますと、『あゝ野麦峠』を思い出しますが、
時代は同じでも、こちら富岡製糸場は官立で、
待遇はとても良かったのだとか。
写真は診療所ですが、敷地内に寄宿舎もあります。







指導者として雇われたフランス人・ポール・ブリュナが
家族として暮らしていた住居の重要文化財の首長館。
320坪、地下室も残る1873年の建築物で外観のみの見学。

後に建物は、工女に読み書きや裁縫などを
教える学校として利用されるようになりましたが、
これは、企業内教育の先駆けとか。







こちらも1873年の建築物で外観のみの見学の
重要文化財の女工館です。
フランス人女性教師の住居として建設。

ベランダの天井には板が格子状に組まれ、
当時の日本建築にはない特徴が見られます。

官営工場として創業され、やがて民間に払い下げ、
1987年まで115年間にわたり休むことなく
製糸工場として稼働し続けた製紙場、
日本がバブル経済に沸いた頃に操業停止したのですね。

群馬県富岡市富岡1-1

2020.2.10

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ダガヤサンドウ ふじもと とんかつ店

2022-11-18 00:30:14 | お出かけ 東京



昨日記事にした『ふじもと うなぎ店』の
向かいにあるのが、とんかつの『ふじもと』です。
こちらは『ふじもとビル』の中にあります。

1階と2階に分かれていますが、
スペースを有効利用するために奥様は
大忙しといった印象を受けました。

うなぎ店は、弟さんが経営しているそうですが、
こちらも将棋会館が近いので出前もあるようです。

さて、まるみがいただいたのは、親子丼と素麵のランチ、
味噌汁と漬物もついて確か1000円弱だったと思います。
ボリューム満点にビックリでした。
(たぶん家賃がかからないからできる







2020年6月8日に東京・将棋会館で行われた
第91期棋聖戦五番勝負の第1局藤井聡太七段が、
カツカレーを注文したニュースが
流れた時に思い出したのが、
こちら『ふじもと』のカツカレーでした。

写真を探し出して違うということが分かったのですが、
これもブログの記事にしてしまおうと思ったのです。

かつて藤井聡太七段もこちらで注文されたことがあったものの
“負け飯”になり、テレビ局の取材を受けられたとか。

ダガヤサンドウには、オシャレなお店も多いですが、
下町の雰囲気を醸し出す様なお店も残っています。

東京都渋谷区千駄ヶ谷3-14-2

2018.9.1
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ダガヤサンドウ 将棋メシ ふじもと うなぎ店

2022-11-17 00:16:35 | お出かけ 東京



将棋の街の千駄ヶ谷で開業して50年以上、
いまやこの界隈で唯一となった
うなぎ屋の「ふじもと」は、
松本渚氏の漫画『将棋めし』にも登場します。







引き戸を開けて中に入れば、昭和の香り漂います。
カウンター5席とテーブル席が2セット、
奥に小上がり、2代目店主が
お一人で切り盛りされていました。







11時半~のお昼の時間に限りのオトクなメニューから
うな丼(当時1800円)を注文しました。

皮はパリッと、身はふっくら、ふわっふわ、
醤油の味が引き立つタレが香ばしく、
うなぎと毎朝精米したての白飯にしみます。







うなぎ屋さんに行ったら鰻重でしょうと思いましたが、
うな玉丼というのが珍しく思い注文しました。
うなぎが高騰する中で、これもありかなと思います。
食べやすくて美味しかったです。







どちらも吸い物と漬物付きです。

ひふみんの現役時代の定番は、「うな重の竹」で、
漫画『将棋めし』でも紹介されているようです。
ひふみん現役最後の対局でも注文されたとか。
小上がりの碁盤にひふみんのサインと言葉があります。

東京都渋谷区千駄ヶ谷3-15-12

2018.8.25
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世界遺産 韮山反射炉

2022-11-16 00:13:32 | お出かけ 中部



幕末期における近代製鉄技術導入への
挑戦を物語る韮山反射炉の現在に至るまでの
保存の取り組みなどについてガイダンスセンターで、
映像や展示物で学ぶことができます。







1922年3月には国の史跡に指定されています。

伊豆長岡には何度か訪れており、
20代の時にはその存在を認識していたのに
興味がわかなかった場所に世界遺産に認定されると
見ておかなくては思うようになりました。







観覧料500円を支払いガイダンスセンターへ。
建築空間を活かした迫力ある映像で、
歴史や価値を知ることができます。







1840年のアヘン戦争を契機に、日本では列強諸国に
対抗するため軍事力の強化が大きな課題となり、
薩摩や佐賀などの各藩では、
西洋の先進的な技術を導入しました。

幕府は、韮山代官江川英龍をはじめとする
蘭学に通じた官僚たちにより、
近代的な軍事技術や制度の導入が図られ始め、
反射炉は、鉄製大砲を鋳造するために必要でした。







韮山反射炉は、稼働を終えたのち
150年以上にわたり、地域住民の理解や協力の下、
適切な補修・修理工事を重ねながら
今日まで保存されてきました。







2015年7月8日、世界遺産に登録。







反射炉は、17世紀から18世紀にかけて
ヨーロッパで発達した金属を溶かし、
大砲などを鋳造するための溶解炉。

反射炉本体は、連双2基(4炉)、
高さは約15.7m。







石炭などを燃料として発生させた熱や炎を
炉内の天井で反射し、一点に集中させることにより、
鋳物鉄を溶かすことが可能な千数百度の高温に。

その高温に耐えられる良質の煉瓦は現在の
静岡県河津町で生産されました。







韮山反射炉は、現存する反射炉本体のみで
完結したのではなく、関連する様々な建物群や
隣接する河川からなる大砲製造工場としての
産業システムを形成していました。







当初は下田港近くに着工、基礎工事が行われていたものの
1854年3月、下田に入港していたペリー艦隊の水平が
敷地内に侵入する事件が起きたために、
急遽韮山の地に建設が変更となったそうです。

なぜ韮山にという長年の私の疑問も明らかに。
銅像は韮山代官江川英龍氏。

静岡県伊豆の国市中268

2022.10.30

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