まるみのあっちこっち巡り

ー33,000枚を超える写真とともに綴るお出かけブログー

世界遺産 平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―

2024-10-16 00:14:08 | 訪問した世界遺産



平泉は、11世紀~12世紀の日本列島北部領域において、
仏教に基づく理想世界の実現を目指して
造営された政治・行政上の拠点です。

平泉文化の中心をなす名刹中尊寺。
奥州藤原氏によって再興し、滅亡後、
仏堂の多くが失われましたが、金色堂、経蔵など
全盛期の遺構が良好な状態で保存されています。







二代基衡、三代秀衡によって造営された毛越寺。
浄土を表したという庭園が見もので、
往時の姿に復元されています。
全盛期の伽藍遺構が良好な状態で残されています。







三代秀衡が建立した寺院の無量光院跡は、
平等院鳳凰堂を模して建立された阿弥陀堂と
その周囲を取り巻く池を中心に伽藍が
構成されていましたが、伽藍は全て焼失。

現在は発掘調査の成果に基づいた
浄土庭園の復元整備が行われています。







二代基衡の妻が造営した寺院の跡である
観自在王院跡は、伽藍は全て失われましたが、
発掘調査の成果に基づき復元整備され、
境内全体が史跡公園として開放されています。

奥州藤原氏によって山頂に大規模な経塚が営まれた
信仰の山である金鶏山も世界遺産に構成されています。

世界文化遺産 2001年登録

日本(岩手県平泉町)

訪問日 2023.11.1他


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世界遺産 小笠原諸島

2024-07-15 00:23:04 | 訪問した世界遺産



東京都特別区の南南東約1,000kmの
太平洋上に点在する30余の
島々からなる小笠原諸島。







独自の進化を遂げた生態系の価値が認められ、
2011年6月25日に世界自然遺産に登録。
大陸と一度も陸続きになったことがない海洋島。
紺碧の海に守られた東洋のガラパゴス。







小さい島でありながら、生物に独自の種分化が
起こったため、多くの貴重な固有種、貴重種、
小笠原でしか見ることのできない
固有種の割合が高いです。







ザトウクジラやイルカ、アオウミガメやサンゴ礁など
美しい海中景観としてこの島を魅力的にしています。
多様な起源の植物も生息、島の環境にあったもの、
適したものが生き残り、共存しています。







特に陸産貝類(カタツムリの仲間)や植物において、
進化の過程がわかる貴重な証拠が
残されていることが高く評価されています。

世界自然遺産 2011年登録

日本(東京都小笠原村)

訪問日 2023.3.19


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世界遺産 屋久島

2024-05-21 00:16:22 | 訪問した世界遺産



険峻な山々が海岸から一気にそそり立ち、
海岸付近ではウミガメが産卵し、
サンゴ礁に熱帯魚が遊ぶ島。

九州最高峰の標高1936mの宮之浦岳をはじめ、
1000m級の山が30以上峰を連ねて、
別名「洋上のアルプス」とも呼ばれています。







屋久島は面積504.88 km²、周囲130km、
円形に近い五角形をしており、
九州本土の南端、鹿児島県佐田岬の南
約60㎞の洋上に浮かぶ屋久島。







標高1000m~1500mに分布する屋久島のシンボル
「屋久杉」は、樹齢1000年以上の杉をさします。
樹齢7200年とも推定されていた「縄文杉」、
唯一、車窓から見学できる「紀元杉」があります。







ハイビスカスやブーケンビリアが彩る亜熱帯から、
屋久杉や高山植物しか育たない冷温帯までの植物や
約40種の固有種も見られ、貴重な自然の宝庫。







「猿2万、鹿2万、人2万」という言葉が、
屋久島には古くからあるほど猿と鹿が多く、
「ヤクザル」「ヤクジカ」と呼ばれる固有で、
ニホンザルやニホンジカより小型です。







作家の林芙美子が
「屋久島はひと月に35日雨が降る」と
表現したように、降水日数が多く、
出港時には怪しげな雲に覆われました。

世界自然遺産 1993年登録

日本(鹿児島県熊毛郡屋久島町)

訪問日 2021.11.5


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世界遺産 コトルの自然と文化歴史地域<モンテネグロ>

2024-01-07 22:58:37 | 訪問した世界遺産



アドリア海東岸の複雑に入り組んだ湾の最奥部、
背後を山に守られた天然の良港コトルは、
古くから交易都市として、また険しい山に囲まれた
要害都市として発展してきました。







全長4kmの防壁をめぐらせた市街には、
最盛期のヴェネツィアから影響を受け
建設された大聖堂や宮殿、
広場などの歴史的建造物が建ち並んでいます。







中でも見逃せないのが、12世紀のロマネスク様式で
創建された聖トリプン大聖堂です。
17世紀後半の地震で損壊しましたが、
のちにルネサンス様式で再建されています。







コトルはスラブ諸国で最初に航海士学校が設立、
アドリア海の海図が初めて作成されたのもここだとか。

世界文化遺産 1979年登録

モンテネグロ

訪問日 2018.7.10

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世界遺産 タージ・マハル<インド>

2023-09-19 22:30:22 | 訪問した世界遺産



ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、
1631年に亡くなった王妃ムムターズ・マハルのため
ヤムナー川の畔に建てた白大理石の霊廟で、
世界で最も美しい霊廟といわれています。

世界各地から最高の材料と、一流の職人を招き、
莫大な経費と22年の歳月をかけ1654年に完成しました。







皇帝は最晩年に、息子によってアグラ城に幽閉され、
望楼から見えるタージ・マハルを眺めて過ごされたとか。
(写真はアグラ城から撮りました)

皇帝の死後は王妃の棺の隣りに
並んで安置されました。

世界文化遺産 1983年登録 

インド

訪問日 2014.3.22

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世界遺産 石見銀山遺跡とその文化的景観

2023-03-21 00:39:17 | 訪問した世界遺産



自然との共生で栄えたアジア初の産業遺産として
ユネスコの世界遺産に認定された石見銀山は、
島根県のほぼ中央にあり、
その面積は529.17 ha。

石見銀山の開発は、1527年に本格的に始められ、
日本のシルバーラッシュが実現。
フランシスコ・ザビエルは、日本を「銀の島」と紹介。
世界も認める産銀国に成長していきました。







鉱山を地中深く掘るには、高度な知識と技術が不可欠で、
多岐にわたる学問と優れた技術が開発を支え、
17世紀には、世界の算出銀の3分の1を占めましたが、
17世紀後半には産出量が激減、1923年に閉山。







かつて鉱山町は、柵で囲まれて、
出入りする人や物質を管理していました。

銀の生産活動、生活や流通、信仰にまつわる
遺跡や遺物が、完全な形で残されており、
「間歩」と呼ばれる坑道もその一つ。







羅漢寺五百羅漢は、
銀山で亡くなった人を供養するため、
岩盤斜面の3つの石窟に
羅漢像を安置しています。







石見銀山に隣接する大森地区、川沿いの谷間に連なる
全長2.8㎞の街並みは、代官所、武家屋敷、町家、
社寺が混在、重要伝統的建造物群保存地区でもあり、
江戸の名残をとどめています。

世界文化遺産 2007年登録

日本

訪問日 2009.5.3
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世界遺産 ヴィリニュス歴史地区<リトアニア>

2023-03-19 19:57:04 | 訪問した世界遺産



13世紀に成立したリトアニア大公国は、
14世紀末にポーランドと連合国を樹立して
国力を高めていきました。

1323年、ヴィリニュスが首都と定められ、
16世紀には繁栄の頂点を迎えましたが、
18世紀にロシアに併合されて以降、
ナチス・ドイツからも侵略されたり、
1990年に独立するまで大国に翻弄され続けました。







18世紀に新古典主義で再建された大聖堂が建つ
カテドゥロス広場を中心に広がったヴィリニュス。

複雑な歴史を物語る街には、カトリック、ロシア正教、
プロテスタント、ユダヤ教、イスラム教など
多彩な宗教施設が残る街です。







多くの聖堂はバロック様式で
「バロックの街」の印象の強い街です。

世界文化遺産 1994年登録 

リトアニア

訪問日 2016.9.21

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世界遺産 日光の社寺

2023-03-18 01:34:54 | 訪問した世界遺産



日光は古くから神仏習合の聖地で霊場、
開山は奈良時代後期の766年、
勝道上人によります。

江戸時代には初代将軍徳川家康を祀る
東照宮が建てられ、代々の将軍や全国の藩主による
参拝など江戸幕府の幕藩体制を支える
重要な役割を果たしました。







世界遺産における「日光の社寺」とは、
日光山内にある東照宮、二荒山神社、輪王寺の
二社一寺の建造物群および、これらの建造物群を
取り巻く自然環境をいい、面積は約51万㎡。







東日本最大の木造建造物である輪王寺本堂の三仏堂は、
東照宮の威光を妨げないようにと家光の意向で、
簡素に建てられた三代将軍家光の霊廟ですが、
目立たない部分に技巧が凝らされています。







日光山内最古の建造物である二荒山神社の本堂は、
八棟造りと呼ばれる建築様式です。
朱塗りの神橋をはじめ23棟の建造物が
世界遺産に登録されています。

栃木県日光市山内

世界文化遺産 1999年登録 

日本

訪問日 2018.11.17他

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世界遺産 アウシュヴィッツとビルケナウナチス ドイツの強制絶滅収容所<ポーランド>

2023-03-17 23:52:40 | 訪問した世界遺産



アウシュヴィッツとビルケナウの両強制収容所は、
人類の狂気と悲劇の象徴として
永久に伝えられるべき負の遺産です。







第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが国家を挙げて推進した
人種差別による絶滅政策(ホロコースト)および強制労働により、
最大級の犠牲者を出した強制収容所が建設されました。

高さ4mの有刺鉄線が2重に張り巡らされ、
6000ボルトの高圧電流が流されていた収容所には、
収容棟、銃殺場、絞首台、ガス室、
焼却場などがありました。







収容されたのは、ユダヤ人、政治犯、ロマ・シンティ、
精神障害者、身体障害者、同性愛者など出身国は28に及び、
90%がユダヤ人であったといわれます。

ドイツ統治下の各地より貨車などで運ばれてきた
被収容者は、貨車駅で降ろされ、
「収容理由」などの情報をもとに「労働者」
「人体実験の検体」「価値なし」などに分けられたのです。







労働力確保の一方で、労働に適さない女性・子ども・老人など
価値なしと判断された被収容者はガス室などで処分。

「労働者」も劣悪な食料事情や蔓延する伝染病などにより
命を脅かされ、絶望のあまり自ら高圧電流が流れる
鉄条網に触れて自殺する人もいたそうです。







多くの被収容者がこの壁の前で銃殺刑に処された「死の壁」、
90cm×90cmの狭いスペースに人を押し込む「立ち牢」、
一切の水・食料を与えない「飢餓牢」があります。

その場に立つと吐き気に襲われた
気が狂いそうになる施設が残されています。







訪問した当時は、登録名称は「アウシュヴィッツ強制収容所」、
「ポーランド人が作ったかのような印象を与える」として
ポーランド政府は登録名称の変更を要請し、
ユネスコ世界遺産委員会は2007年6月27日に変更しています。







広大な敷地に300余りの施設が建設されています。
1993年の映画『シンドラーのリスト』には、
ユダヤ人を虐殺するシーンが克明に描かれています。

内部での撮影が許可されたものの、犠牲者の敬意から
門の外側にセットを組んで撮影が行われたとか。
そのシーンがまざまざと蘇り、
最後まで涙で目が曇ったままでした。

世界文化遺産 1979年登録

ポーランド

訪問日 2002.9.23

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世界遺産 ロワール渓谷<フランス>

2023-02-28 15:08:50 | 訪問した世界遺産



フランス中部を流れ大西洋に注ぐ全長1,020㎞の
ロワール川の流域に広がるロワール渓谷。
シュリー・シュル・ロワールからシャロンヌまでの
約200㎞が世界遺産に登録されています。

流域は豊穣で、16世紀に王侯貴族が建てた
城館が多く残ることから「フランスの庭」とも呼ばれ、
川と城館が織り成す美しい景観が印象に残ります。







ロワール川の支流シェール川沿いには、
アンリ2世が愛妾のために建てた
シュノンソー城があり、城主が代々女性であり
「6人の女の城」とも言われます。

白亜の建物に青の屋根をかぶりる優美な姿、
城館の前にはいくつかの美しい庭園が広がります。







フランソワ1世の命で建造されたシャンボール城は、
ロワール渓谷に点在する城のうち、
最大の広さを持ち、城には部屋が440あります。

建物と庭園、周辺の自然が一体となった
フランス・ルネサンス建築の代表作品です。







300を超えるロワールの古城のうち初期のものは、
元来中世に城砦として建造され始めたのですが、
王侯貴族が私的生活を
楽しむためのものになりました。

ロワール渓谷には、魅力に富んだ
多彩な城館が景観を彩っているのです。

世界文化遺産 2000年登録

フランス

2007.12.31

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世界遺産 古都奈良の文化財

2023-02-21 15:34:27 | 訪問した世界遺産



「あをによし奈良の都は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」
万葉集にも詠まれた平城京は、710年から74年間、
古代日本の政治、経済、文化の中心として栄えました。

中国の唐の都長安をモデルに、都市計画に基づいて
道路、宮殿、寺院などがつくられ、
律令による諸制度が整備された都だったのです。







平城京は、平安遷都後には田畑となりますが、
地下の遺構は良好な状態で保存されており、
1955年から本格的な発掘調査を開始、
一部復元されています。

現在の奈良市に点在する東大寺、興福寺、春日大社、
春日山原始林、元興寺、薬師寺、唐招提寺、
平城京跡の8ヵ所が世界遺産に登録されています。








平城京は、朱雀門を正門に、東西1.3㎞、南北1㎞に
公式の儀式や政務執行を行う大極殿、役人が執務する朝堂院、
天皇の住居である内裏などが配置されていました。







平城遷都に際し、藤原不比等が氏神として崇めた
鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の武甕槌大神を
春日山の山頂に迎えたのが起源とされる春日大社。







春日大社の背後にそびえる春日山の原始林は、
約3㎢の天然林があり、多くの植物や鳥類など
手つかずの自然が残る、国の天然記念物です。

世界文化遺産 1998年登録

日本(奈良県奈良市)

訪問日 2007.5.3他

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世界遺産 シャルトル大聖堂<フランス>

2023-02-20 11:39:11 | 訪問した世界遺産



パリからおよそ南西87kmほど離れた
都市シャルトルに位置し、
フランス屈指のゴシック建築である
シャルトル大聖堂の創建は4世紀といいます。







対照的な二つの尖塔は、片方が1140年以来立ち続ける
105mの質素な角錐のロマネスク様式、
113mの高さのゴシック・フランボワイアン様式、
非対称の塔が印象的な大聖堂の西正面。







何度も火災に遭い、再建と修復が繰り返され、
現在のゴシック様式の建物の完成は1219年です。
外を飛梁の複合棟で囲まれる中、
淡い緑色の屋根を突き抜けて塔が高く聳え立ちます。







シャルトル大聖堂はステンドグラスの宝庫、
総面積は2000㎡を超えます。
バラ窓のステンドグラスは「この世に存在する
最も美しいもの」とたたえられています。

フランス革命期で破壊や略奪に遭わず、
度々の修復もその華麗な美しさを
作り変えてしまうことはなかったのだとか。

世界文化遺産 1978年登録

フランス

訪問日 2008.1.2

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世界遺産 フォンテーヌブローの宮殿と庭園<フランス>

2023-02-19 14:20:46 | 訪問した世界遺産



パリの南東70kmに位置するフォンテーヌブローに
フランスで最も大きな宮殿でがあり、
フォンテーヌブロー城(城館) とも呼ばれます。

1528年に始まった新宮殿の建設は、
建築家ル・ブルトンが設計、内部の装飾には、
イタリアから画家や彫刻家が招聘されています。

晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチも招かれています。







古くからフランス王家の狩猟場であった
フォンテーヌブローの森に16世紀前半、
ルネサンス文化をフランスに導入することに熱心であった
フランソワ1世は、狩猟用の館を取り壊し、
新しくルネサンス様式の宮殿を建てることにしたのです。







建物は中庭を囲むように広がっています。
宮殿は増改築が繰り返されましたが、
正面の階段は17世紀のルイ13世の時代に造られました。

ブルボン王家の客人はフォンテーヌブロー宮殿に
滞在することが多かったそうです。

フランス革命のため、調度品が売り払われるなど宮殿は
荒廃しましたが、皇帝にまで登りつめたナポレオン1世も
ここを愛し、よく逗留したのだとか。

「玉座の間」や「退位の間」などのナポレオンゆかりの
いくつかの部屋も見所となっています。

世界文化遺産 1981年登録 

フランス

訪問日 2007.12.29

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世界遺産 ヴェルサイユの宮殿と庭園<フランス>

2023-01-05 14:37:26 | 訪問した世界遺産



外国特使と接見、式典や舞踏会の会場として使われた
「鏡の間」は、全長73mの長大な部屋で、
庭園を見渡せる大きなアーチ形の窓が並び、
反対側の壁には窓と同じ大きさの鏡が並んでいます。

第一次世界大戦後の対ドイツとの講和条約である
ヴェルサイユ条約が調印された場所でもありました。







宮殿の建設よりも労力を費やされている噴水庭園には、
宮殿建設の25,000人に対し、36,000人が投入されています。
左右対称で直線的な構図を基本に、運河や池、泉水、
植え込みを巧みに配したフランス式庭園です。







フランスの王権を誇示する壮大なベルサイユ宮殿は、
「朕は国家なり」と豪語した太陽王ルイ14世が
1682年に20年の歳月を要して建造した宮殿です。

パリの南西22㎞に位置する
イヴリーヌ県ヴェルサイユにある宮殿は、
その後も増改築は続けられ、宮殿の内外部の
工事が全て完了したのは19世紀に入ってからです。







ル・ヴォー、マンサール、ル・ブラン、
アンドレ・ル・ノートルといった当代一流の建築家、
装飾家、造園家が建設にあたったバロック建築の代表作で、
豪華な建物と広大な美しい庭園で有名です。







ルイ14世は庭園をことのほか愛し、
自ら庭園鑑賞の案内書まで執筆したそうです。
1,070 haもの広大な敷地があるので、二度訪問するも
ほんの一部分しか見学できていません。

世界文化遺産 1979年登録 

フランス

訪問日 2008.1.2他

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世界遺産 モン・サン・ミシェルとその湾<フランス>

2023-01-04 15:14:07 | 訪問した世界遺産



フランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ
周囲約900mの花崗岩の小島にそびえ建つ大修道院。

708年、司教オベールの夢に大天使ミカエルのお告げで、
当時陸続きであった岩山にお告げに従い礼拝堂を建てると
一夜にして岩山は海に沈み孤島になったとか。







以来、島は聖地となり、巡礼者が訪れるようになりました。
966年にはノルマンディー公リシャール1世が
ベネディクト会の修道院を島に建て、
これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形に。

島の周辺は潮の干満の差が激しく、
干潮時には対岸と陸続きになりますが、
満潮時には海水に覆われ、島は海中に孤立します。







1877年に堤防道路が築かれると潮流が変化し、
100年の間に2mもの砂が堆積してしまい、
急速な陸地化が島の周囲で進行して、
海中に孤立する姿が見られることが少なくなりました。

かつての姿を取り戻すべく訪問後の2009年には、
この地続きの道路が取り壊され、
2014年に新たな橋が完成したのです。
(もう見ることができないので貴重な写真ともいえます)







14世紀の百年戦争では城塞として使われ、
フランス革命後は監獄ともなりました。
堅牢な城壁が島を囲み、中世の面影が残り、
崇高で神聖な雰囲気が漂います。







主要部はゴシック様式ですが、内部は様々な
中世の建築方式が混ざり合って構成されています。

カトリックの巡礼地のひとつであり「西洋の驚異」と称され、
1979年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録、
1994年10月にはラムサール条約登録地となっています。

世界文化遺産 1979年登録 

フランス

訪問日 2007.12.29

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