平泉は、11世紀~12世紀の日本列島北部領域において、
仏教に基づく理想世界の実現を目指して
造営された政治・行政上の拠点です。
平泉文化の中心をなす名刹中尊寺。
奥州藤原氏によって再興し、滅亡後、
仏堂の多くが失われましたが、金色堂、経蔵など
全盛期の遺構が良好な状態で保存されています。
二代基衡、三代秀衡によって造営された毛越寺。
浄土を表したという庭園が見もので、
往時の姿に復元されています。
全盛期の伽藍遺構が良好な状態で残されています。
三代秀衡が建立した寺院の無量光院跡は、
平等院鳳凰堂を模して建立された阿弥陀堂と
その周囲を取り巻く池を中心に伽藍が
構成されていましたが、伽藍は全て焼失。
現在は発掘調査の成果に基づいた
浄土庭園の復元整備が行われています。
二代基衡の妻が造営した寺院の跡である
観自在王院跡は、伽藍は全て失われましたが、
発掘調査の成果に基づき復元整備され、
境内全体が史跡公園として開放されています。
奥州藤原氏によって山頂に大規模な経塚が営まれた
信仰の山である金鶏山も世界遺産に構成されています。
世界文化遺産 2001年登録
日本(岩手県平泉町)
訪問日 2023.11.1他
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