先週、地元新聞の夕刊に「GMという夢」と題した記事が掲載されていた。ある女子大学の教授が書かれており、なかなか興味深い内容でした。
ご承知の通り、GMが経営破綻したが、中国の新華社通信がこのニュースに「タイタニックの悲劇」と報じたそうです。イャー、驚きですよね。一昔前では、到底、考えられませんね。それだけ、世界情勢が大きく変わっている何よりの証拠なのでしょう。
フォードが生産現場の効率化を徹底する「大量生産方式」で車の大衆化に貢献したのに対し、GMは庶民に富と豊かさの幻影をふりまく「大量消費戦略」で市場を維持、消費文明の象徴的なリーダーとなった、と解説している。
詳しい事はよく知らないが、一つの例が「キャデラック」、キャデラックのイメージって、確かにステータス・シンボルの一つで、代名詞でしたよね。新聞には、1958年、NYで撮影された「エルドラド」、スペイン語で「黄金郷」の意味を持つ煌びやかなキャデラックがUPされている。見るからに凄い車だ。でも、僕はこうしたギンギラで欲望の塊のようなな車に対し、不思議に嫌悪感を持たない。それどころか、素直にカッコ、いい、と思う。成金趣味と陰口を叩かれても、どおってことない。
小さい時から、家の前を通るアメ車をよく眺めていた。キャデラックはもとより、うろ覚えですが、リンカーン・コンチネンタル、シボレー等、大きく、派手な車を見ては、一度、乗ってみたいなぁ、と子供心に思ったものです。
だから、今でも、出来ればキャデラックに乗ってみたい、という欲望は、心のどこかに残っている。
記事の最後をこう締めくくっている。
初めての「黒人」大統領のもとで公的救済されたGM。その向こうに人々が何を見出すか、アメリカ文化のゆくえをしかと見届けたい、と。
GMが再生、復活の道を歩むのか、それとも、平家物語の冒頭の一節の様に、「勝者の悲劇」、そして「敗者の美学」として語り継がれるようになるのか、予断を許さない。
ただ、かって、今世紀初頭のデトロイト・モーター・ショーを見たある日本のジャーナリストは「このままでは、地球が滅びる」と感想を述べていますが、地球が滅びる前に、BIG3の内、二角が崩れ、残りの一つの前途も決して明るくない。これも自然の摂理とでも言うのでしょうか。
でも、こいつは魅力的だぜ!