過小評価の代表格と言えば、かってはK・ドーハムでしたが、そのあとを継いだのが同じトランペッターのW・ショー。
デビュー以来、トレンドに流される事なく頑なにメインストリーマーとして自分のスタイルを磨き、貫き、フュージョンを演らずスノッブな人達からのバッシング対象にもならなかった。だから、過小と言うよりも不当評価といっていいだろう。その反動からディープなファンも少なくない。
こつこつと地力を蓄え、苦労の末、やっとメジャーのコロンビアに認められ(1977年)秀作、好作を連発し、晩年はプライベートな問題に悩まされ、悲惨な最期を迎える経緯は、本来ならば日本のもっと多くのジャズ・ファンに評価、好まれるタイプなのに、全く不可解です。マイルスという絶対的存在、評価の歪みの一つかもしれない。
本作はコロンビアとの契約が終了した後の最初の作品(Enja 1982年)で、成功のポイントはメンバーが当時のクィンテットそのまま、選曲もなまじっかスタンダードを入れず全てメンバーのオリジナルで固めた所です。A面にターレ(tb)、ミラー(p)、ジェームス(b)が其々1曲ずつ、ショーの2曲を敢えてB面に配したことで曲を取り上げられた3人の働きが見事に全体をボトム・アップし、バンドのエクスプレッションが格段に上がっている。そして強直もしていない。
録音エンジニア、D・ベイカーもソリッド感を持たせながらバンドから放たれるエネルギーを的確にキャッチしている。
余談を、
1981 or 1982年、来日したショー(多分、本作と同じメンバーで)を地元のライブ・ハウスで初めて観ました。残業が入り駆けつけた時は1stステージの終盤でショーのtpはほんの僅かしか聴けなかった。アルコールを飲み過ぎ、べろんべろんになりカウンターにもたれたまま動こうとしない(笑)。他のメンバーが一生懸命ボスの穴を埋めていました。恐らく2ndステージもショー抜きに近い形で行われたのだろう。後でギャラ?の問題で店側ともめたそうです。そりゃ、まずいですよね、自分は終盤だったので半額にしてもらったので・・・・・・・
J・ヘンダーソン(ts)も東京のライブハウスで、ポスターに自分の名がTOPでないとクレームを付け、ドタキャンした話等々もあります。
それはともかく、W・ショーは1989年5月10日死去、享年44。早過ぎます、好きなトランペッターでした。
また、噂話、或いは客観性の薄い人物像で音楽を測るのは禁物ですね。