画面の外へ向かって飛ぶ鳥。
大空には外も内もないのに、切り取った画面では、なぜか外に向かうように見える。
外だ内だと騒がしくすれば、お役目ご苦労とされる仕事がある。
人間が考えてつくってしまった仕切りを、しきりに気にしていなければ役目怠慢とされる。
人びとは、仕切りや限界値などという、実際にはそれ自体何の役にもたたないもので、とかく決まりをつけようとしたがる。
安心と心配のさかい目がだいじとされても、計測値の限界を飛び出した値からは、心配の程度を想定することはできない。想定できない心配は、さしあたり「ない」と報道される。
安心領域の宣言には、仕切り線がついて回る。
その引き方が間違っていて影響が明きらかになり、実は心配領域とされていなければならなかったと気付くのは、不安がうすれ忘れ去られた20年後30年後という困ったものもある。
そのころには、宣言者は一人もいなくなっている。
大空の目に見える部分は、ごくごく一部でしかないのだ。