職を辞するに当たり「やるだけのことはやった」と会見で述べたことが報じられる。
ずいぶんいい加減なことを言うものだと人は思う。
あとで録音放送を聞いてみれば、「やるべきことはやった」と言っている。
こんどは、ずいぶんいい加減なことを報じるものだと思う。
「べき」という口語体は報道記事向きではないから言葉を換えて書こうと、余計なことに知恵を回したつもりの記事が不信を濃くしてしまう。
「やるだけのこと」と「やるべきこと」と、何が違うのかとわざわざ説明するつもりもないが、書いた人は違わないつもりでも、読んだ者は違って受け取る。
報道記事は、一文字の入れ替わりや言葉の前後顛倒、空白のありなしで受け取る意味が違ってくる。
人の言ったことは、そのまま正確に伝えなければ、真実の報道にはならない。
そういう当たり前のことを守らない、奇妙な脚色慣習が、報道業界に根付いてしまっている気がする。危ないことである。