森林カーボンオフセットの話を続けよう。
森林がわからない人は、なぜ少ない順に林森ではいけないのかなどと疑問を抱く解析症しかいないが、カーボンオフセットは直感ではわからない。
ここで言うカーボンとは、元素に近い炭素のことかと思うが、炭のことではなかった。
むかしの炭を思い浮かべる。火鉢の炭を金火箸であっちへやったりこっちへやったりしていた祖母の手を思い出す。
汎用燃料だった炭は、ビンチョータンという「焼き売り」商売の広告材に変わった。
カーボント呼ぶのは炭ではなく、炭に火がついてそこから出るガス、炭酸ガスだった。
そのガスが増え過ぎて困るので、出なかったかのように御破算にしようというのがカーボンオフセットらしい。
植物は炭酸ガスを成長に利用する。大きな植物集団である森林は、炭酸ガスを吸い込んでくれる。森林を育てよう。それを森林カーボンオフセットと呼ぼう、ということになったようである。
それなら「林業」「営林」という言葉が昔からあるではないか。そう考えておしまいでは、事業が育たない。
林業は衰退産業という敗北感が先に立って、その呼び名のままではだめなのだ。
例の仕分けという名のオフセットマジックを巧く使えば、資金がうまい具合にオフセットされる。
そこで考え出されたのが、『人間の経済活動や生活などを通して「ある場所」で排出された二酸化炭素などの温室効果ガスを、植林・森林保護事業などによって「他の場所」で直接的、間接的に吸収しようとする考え方や活動の総称』としての森林カーボンオフセットだった。
所変われば品変わり、名前変わればカネ動くということ、天下を回らなければカネの価値はない。
貯めて腐らせずに、どんどんオフセットしよう。