有言実行などと亜呆なことを、ことさらに宣言した要人もいたが、言ったこととしていることを、事あるごとに比べて、あれこれ言ってみても、世の中が急によくなるわけでもない。コトコト。
ここに引きずり出そうと考えているのは、そんなことではなく、著作物で知る限りの人が、どういう話をどんな声でするか、どんな字を書くか、また、もの書きが歌を歌うとどんな歌が聞こえてくるか、そんなこんなの意外さに気付くことがあるという話である。
はっきりは名前を上げにくいから書かないが、Kという著名人が、書いたものの割に甲高い声で叫ぶように話したり、Oという名作者の話が何を言っているのか聞き取れなかったり、聞かなきゃよかったその声を、というのがある。
ひょいとものを書いて名を知られかけた新進のK女史の、歌う姿を見る機会もあったが、あまり上等ではなかった。話し声も聞いたが、これがまたしゃべり方と書き方が同じ。言行一致の妙な見本のようで、やや気の毒になった。
何でも見え、何でも聞けるようになった、陽のさす向こう側には、影がつきもの。
もうひと月で秋が来るが、奥山に、のあの歌を思い出す。
声聞くときぞ秋は悲しき。