「ひかく」という言葉を、いまポンと出されたとき、「くらべる」「比較」や「かわるい」「皮革」のことかと思う人の割合はごく少ないでしょう。
「ひかくこうげんがく」と聞けば「非核公言学」という無理やりな連想さえできそうです。
74年前に人類の最大愚行の実験が行われた「核」は、エネルギー源に使っても失敗を重ね、処置のしようもなく、偏りの甚だしいあまり上等でない経済効果と、言葉に注目を集めながらズルズルと時を過ごさせる政略効果しか得るものはありません。
あって始末に負えないようなモノに「非」の文字をかぶせてみたところで、どれほどの意味があるのか、実質的な効果の見込みも真実味もなければ、尻尾に「化」をつけてごまかすしか方法がなくなりました。
非核化、いかにも白々しい、罪深い三文字です。
温暖化のほうがいくらか罪は軽いでしょう。
どういうことになるのかだれにも見通すことができずに、時だけは間違いなく過ぎて行きます。