ルールには、目的と定義が必要です。
目的が変われば、別のルールになのるので、それを変えるわけにはいきません。
ところが、定義はしっかり決められてなければ、うっかりするとそれぞれ別の解釈をして、私のはこうなのだと、常識では考えられないような自前の定義で押し通そうとする人が現れます。
たとえば、言論の自由などは、自前定義が活躍する格好の対象になります。
記者会見で、自分が目立ちたいというだけの浅薄な欲望から、記事にできもしない問答を延々と続ける始末の悪い人がいます。
そういう場に出される言葉のやり取りは、言論に値するものではありません。
しかも、ご当人は、ほかの人々の自由が奪われていることにはまったく無頓着なのです。
その人には、自分が言いたいことを時も場合もお構いなしに口から出せることが言論の自由であるという自前定理ができているのでしょう。
黙って聞いても見てもいない、ただそこにいるだけの他の記者は、自前の定義さえ持ち合わせがないのでしょうか。
新聞記者とは何かという再定義が必要なのかもしれません。