にわか成金という、お金儲けの上手な人への嫉妬半分の蔑称が流行ったことがありました。
"にわか"は博多俄、俄狂言などにも見られるように、軽いものであるようです。
先生と呼ばれる人にも、デモシカ先生という蔑称があり、良い仕事が見つからずに先生でもやるしかないかと先生になっていた人もいます。
そのころは、教育改革と名付けられた国力漸減策の初期段階で、先生の数だけは増えていきました。
初等中等教育では、国の将来よりも、生活を支える労働の場を得ることに教職の目的をおいた先生方は、労働組合まで作ってしまいました。
大学と呼ばれる高等教育の場では、社会の中枢に送り出して権力の操縦にあたらせる人を育成すること、権力機構との連携を強めながら学術研究という名の権威機構を造り上げその維持に努めることが、先生の仕事にされてきました。
もともと図式が決まっていれば、その仕事は、にわか先生でも要領次第で十分こなすことができます。
教育の場のすべてがそうとは言えませんが、にわか先生の「権」への執着は、地球のどこかでにんまりしている人の意にかない、文化の重みの衰退に大いに貢献しているところです。