(ヤフーニュース配信スポニチANNEX2024年4月3日付「元NHKアナ・鈴木健二さん死去 名セリフ残す『私に1分ください』『知るは楽しみなりと申しまして』」)
オヤジの親父の世代の方なので、活躍されたのはオヤジが若い頃でした。
今からほぼ40年前です。
まず風貌が特徴的でした。
少なくともオヤジは髪の毛ふさふさの鈴木健二さんの記憶はありません。
オヤジの記憶ではこの「クイズ面白ゼミナール」に登場する風貌でしたし、それを売りにすらしておられました。
そして鈴木健二さんの話し方はまさに「話芸」だったように思います。
あの頃はNHKにしろ民放にしろ名物アナウンサーの話し方は独特で個性豊かな「話芸」でした。
声と話し方を聴くだけで誰かが判ったように思います。
享年95歳の大往生。
人生の大先輩のご冥福をお祈りして、合掌。
そして・・・
同じ日に大学時代のゼミの恩師の訃報が入りました。
享年93歳。
入ゼミ面接の時には経済学の話しは皆無、音楽の話ししかしませんでした。
オヤジはオーケストラで活動していましたが、恩師はオペラ愛好家でした。
ゼミ生としては至って出来が悪かったのですが、恩師との会話は学問ではなく専ら音楽でした。
今から10年前の1年間だけの東京勤務時代に久しぶりにゼミのOB会に出席して恩師にご挨拶し、やはり音楽の話しになったことだけ、かろうじて印象に残っています。
同じく経済学者だった同志を昨年の夏に亡くされたばかりでした。
年齢的には大往生とはいえ、やはり同志を亡くされて気落ちされたのかなと感じました。
恩師のご冥福をお祈りして、合掌。
オヤジの親父の世代の方なので、活躍されたのはオヤジが若い頃でした。
今からほぼ40年前です。
まず風貌が特徴的でした。
少なくともオヤジは髪の毛ふさふさの鈴木健二さんの記憶はありません。
オヤジの記憶ではこの「クイズ面白ゼミナール」に登場する風貌でしたし、それを売りにすらしておられました。
そして鈴木健二さんの話し方はまさに「話芸」だったように思います。
あの頃はNHKにしろ民放にしろ名物アナウンサーの話し方は独特で個性豊かな「話芸」でした。
声と話し方を聴くだけで誰かが判ったように思います。
享年95歳の大往生。
人生の大先輩のご冥福をお祈りして、合掌。
そして・・・
同じ日に大学時代のゼミの恩師の訃報が入りました。
享年93歳。
入ゼミ面接の時には経済学の話しは皆無、音楽の話ししかしませんでした。
オヤジはオーケストラで活動していましたが、恩師はオペラ愛好家でした。
ゼミ生としては至って出来が悪かったのですが、恩師との会話は学問ではなく専ら音楽でした。
今から10年前の1年間だけの東京勤務時代に久しぶりにゼミのOB会に出席して恩師にご挨拶し、やはり音楽の話しになったことだけ、かろうじて印象に残っています。
同じく経済学者だった同志を昨年の夏に亡くされたばかりでした。
年齢的には大往生とはいえ、やはり同志を亡くされて気落ちされたのかなと感じました。
恩師のご冥福をお祈りして、合掌。