小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

5月連休、京都・奈良 <真春物語> その9

2011-05-02 20:55:33 | 旅行
5月連休、京都・奈良 <真春物語> その9


50-135mm x1.4(rear converter)


50-135mm x1.4(rear converter)


50-135mm x1.4(rear converter)

東から見た竹生島です。


50-135mm x1.4(rear converter)


50-135mm x1.4(rear converter)
遠くに鳥が隊列を作って飛んでいるので、この写真をのせているのです。見落とさないでください。


50-135mm x1.4(rear converter)

長浜に近づく。


50-135mm x1.4(rear converter)

去りゆく竹生島。


50-135mm x1.4(rear converter)

さらに、去りゆく竹生島


50-135mm x1.4(rear converter)

長浜から、北陸本線にのって、2つ目、高月でおりて、渡岸寺観音堂(向源寺)(ドウガンジカンノンドウ、コウゲンジ)へ歩きます。お寺への道はきれいに整備され、道端には花壇が作られたり、皆で町おこしという感じです。長浜で昼食をとらないで、高月まできましたが、食事をするところが見当たりません。駅の案内所に聞くと、渡岸寺の前に茶屋があるからやっているかもしれない。かもしれないとは、なさけない。家内を食べさせないで、歩かせると、どこかが壊れるので、ひやひやです。

50-135mm x1.4(rear converter)

<渡岸寺庵>が開いていました。よかった、よかった。早速、当方は名物、鮎寿司なるものを注文、日本酒と楽しくお食事。


15mm limited

ここの御主人がいろいろとこのあたりの歴史を説明してくれました。比叡山の僧(最澄)が山の中にお寺を立て多くの仏像が安置されていたのが、織田信長などによって焼かれて、いまはまったくそのお寺は消え失せてしまいました。印象的なのは、住職や農民が仏像を避難させ、土のなかに隠して難をのがれ、その後、この地のあちこちで、仏像が住民に守られながら、今日に至っているのです。いまでもこの地の人達が、細々と守っているという感じで、お堂もぼろぼろになって、県も貧乏で、補助金も出ない、もう守りきれないという声が起こっているそうです。本当に、この後、うかがった赤後寺では、地元のボランティアが交代で、仏像の世話をしており、観光客の相手もしているのでした。(電話予約で仏様を拝むことができるのです。寺の住職はいないそうです。)
 ところで、ここの御主人はテレビに料理関係で出たことがあるといっていました。さすがに、料理が好きでしょうがないといった方のようで、食べたアユ寿司といい、今日の夕飯のおかずにと買った、子アユの甘露煮、川エビと大豆の煮つけ(つくだに)、(いろいろおかずを売っているのです)といい、この土地の味を十分出していました。


15mm limited

この本堂の向かって左の慈雲閣(収納庫)に十一面観音様と何体かの仏像が安置されています。


<渡岸寺、十一面観音:渡岸寺観音堂絵葉書のコピー>


<渡岸寺、十一面観音:渡岸寺観音堂絵葉書のコピー>


<渡岸寺、十一面観音:OFF20076月号のコピー>

右手が異様に長いので、全身像を写真でみると、足が寸つまりの印象を受けます。決して寸つまりではないのですが、錯覚です。皆を救うために右手が長いのです。これだけ綺麗な顔をしていると、ついつい、下方をカットした写真を載せてしまいます。


<渡岸寺、十一面観音:渡岸寺観音堂絵葉書のコピー>


<渡岸寺、十一面観音後頭部暴悪大笑面:渡岸寺観音堂絵葉書のコピー>


<渡岸寺、十一面観音、背面、腰をひねって色っぽいのです:渡岸寺観音堂絵葉書のコピー>

この渡岸寺の十一面観世音菩薩は驚くべき魅力を秘めた観音様でした。国宝です。本当にすごいですよ。


<渡岸寺、阿弥陀如来坐像:渡岸寺観音堂絵葉書のコピー>


<渡岸寺、胎蔵界大日如来坐像:渡岸寺観音堂絵葉書のコピー>

この地域はこんなにいいものをいっぱい持っていながら、それをずっとみんなで守って来ていながら、どうしてその存続すらあやぶまれる状態になってしまっているのでしょうか。
交通手段は定常的バスすらなく、この奥琵琶湖地域のあちこちに点在する仏像を見て回ることは何日もかかる旅になります。今日はほんの少ししか垣間見ることができませんでした。あつい地元の信仰心の上にある仏様を見てあるく旅は、またトライしてみたいと思います。当方にはこの、観光に犯されていない素朴さがとても魅力ではありますが、それを守る地元の方々からすれば、とっても大変なことで、大変すぎると思わざろうえません。
提案です。比叡山の僧が建てたという山奥のお寺(なんと言う名か定かでありません)がこれら、奥琵琶湖に点在する仏像の原点だとすると、もう一度、そのお寺を再興しようではないですか。維持できなくなった各地の仏像をそこに集め、しだいに、そこに仏像を集約して、きっちりとした観光産業としてこの地域の発展を促すのです。もちろん、最初の資金をどうするか、手放すのが嫌だという住民の意向、観光地化してしまうことへの反発などなど、障害は多々あります。もともいたところへ戻してあげるのですから、いろいろな思いは我慢して、正しい観光地の運営を行えば、決して悪い方向にはすすみません。タクシーの運ちゃんは、ここは住みやすいところだといっていました。決して、行詰まっている地域ではなさそうです。このままである方がいいのか。当方は正しい観光地運営(その土地の美点を発揮するための)は、放置より勝ると思っています。日本中が、楽しい観光地で埋まるべきでしょう。
高月駅までもどって、他のお寺に行こうとおもいましたが、バスもありません。しかたなく、タクシーに案内をたのみました。タクシーで観光などという贅沢はついぞしたことがないのですが、他に手段はありません。(本当は自転車をかりてまわればいいのですが、家内は自転車にのれません)。あとで、木ノ本駅や長浜駅から観音めぐりの観光バスが出ていることがわかりました。ただし、冬場以外の日曜だけです。



15mm limited
<石道寺>


<石道寺、十一面観音菩薩>

石道寺、鶏足寺、赤後寺と案内していただきました。どのお寺にも、立派な仏像がゾロゾロあって、おどろきの連発です。


<戸岩寺、魚藍観音菩薩:現在は隣に建てられた世代閣という収納庫に納められています。鶏足寺絵葉書よりコピー>


<鶏足寺、十二神将:現在は隣に建てられた己高閣という収納庫に納められています。鶏足寺絵葉書よりコピー>


<鶏足寺、毘沙門天:現在は隣に建てられた己高閣という収納庫に納められています。鶏足寺絵葉書よりコピー>


<鶏足寺、不動明:現在は隣に建てられた己高閣という収納庫に納められています。鶏足寺絵葉書よりコピー>


<鶏足寺、兜跋毘沙門天:現在は隣に建てられた己高閣という収納庫に納められています。鶏足寺絵葉書よりコピー>


<鶏足寺、十一面観音菩薩:現在は隣に建てられた己高閣という収納庫に納められています:奥びわ湖観音路よりコピー。>


15mm limited
<赤後寺、シャクゴジ、別名:転利観音、コロリカンノン>

厄を転じて利となす。私利を転じて衆利となす。


<赤後寺、聖観音菩薩:奥びわ湖観音路よりコピー>


<赤後寺、千手観音菩薩:奥びわ湖観音路よりコピー>

迫力ある、立派な仏像さんです。驚きばかりです。


15mm limited


50-135mmx1.4(rear converter)

日の高い内に帰路につきました。帰りはどういうルートでかえったか、すっかり忘れてしまいました。高月の隣駅、木ノ本から琵琶湖東岸をJRで大津を過ぎて山科まで、後は地下鉄東西線で東山というルートでしたか? おそらく、奥琵琶湖の仏様の魅力に心を奪われてしまっていたのでしょう。


当方が琵琶湖周辺を少しずつ訪れるときに受ける点と点の印象を体系づけて、琵琶湖周辺をとらえたいと思っています。琵琶湖周辺の歴史・文化を紹介してくれる本や情報はとても少ない。先日(2011-4)おとずれた、白洲正子生誕100年記念展、そこで買った白洲正子の本を勉強しています。白洲正子の書いたものには琵琶湖周辺の歴史・文化が満載しています。しかし、当方にはとても難しい。古典文学、歴史、能、茶道、仏像などよくわかっていないと彼女の著書は1割も理解できない。ただ、当方が琵琶湖周辺で受ける印象と、白洲正子が受ける印象とは驚くほど一致している。当方が、名古屋と京都の中間地帯を夢の地域と言っていたことをおぼえていますか。白洲正子も同じようなことをいっているのです。彼女の近海山河抄と十一面観音巡礼を読んでいます。渡来人(白洲は帰化人といっています)が重要な要素であることも語られています。まだ皆さんに語れるレベルにありません。当方の頭の中に、琵琶湖周辺のイメージが出来上がるにはまだ1年以上かかるかもしれません。白洲正子が琵琶湖周辺は日本文化の裏舞台と言っているように、ここを理解することは、日本文化全体を理解することに等しいのです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする