小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

Newアート考察その2 色立体-2  

2019-08-09 14:03:33 | 日記
Newアート考察その2 色立体-2  

ガラスの森美術館を出て、直接エクシブ(XIV)、箱根離宮に入ります。なにやらとってもバブルチックな会員制ホテル。インテリアは豪華にはみせているが万人向けの地味基調。泊り客はいかにもエクシブと保養所提携している企業に勤めている方が家族づれで訪れているといった雰囲気。しかし、大浴場と食事はさすがにしっかりしていました。


左手、夕食会場に続くイックステリア


美味しい夕食にご満悦の家内


さっそく、この宿で特別に推薦された日本酒を注文


この時飲んだ日本酒、神奈川県足柄、瀬戸酒造の純米吟醸酒<いざ>が超うまかった。とっても心のこもったお酒でした。1866年創業、1980年中断、2018年醸造再開の酒造店。ネットに出てます。今ネットで注文してしまいました。この時の味がまた味わえるか、楽しみ。(届いた<いざ>はやっぱりうまかった。)




次の日、またもや和食の朝食、これまた結構でした。


箱根登山電車で宮ノ下から彫刻の森へ向かいます。我々の旅はいつも一切マイカー無しです。


我が色立体の先生、ニキ・ド・サンファル。立体界の既存概念をいとも簡単にぶっ壊して色立体の世界を作り上げた、フランスのジャンヌダルク。




フェルナン・レジェ 歩く花

何故か、ピカソ館の前にあるフェルナン・レジェの立体。みんなピカソの作と勘違いするのではないかと心配だ。ピカソの大きな色立体がないから、フェルナン・レジェの色立体で間に合わせようと考えたのか? 何か、この美術館のセンスを疑ってしまう。


カルダーのモビール 
彫刻の森にはもっと大きなのを飾りましょうよ。モビールは彫刻ではないとおもっているのかな?




ヘンリー・ムーア


彫刻の森美術館には色立体が殆ど無い。彫刻とはこうあるべきという、なにか超保守的な方が企画した美術館のような気がする。子供たちはアトラクション的立体であそんでいるが、よたよた訪ねてきた高齢の方々はこの広い敷地で本当に楽しんでいるのかな? 色はピカソ館が受け持つからいいとでも思っているのかな?

彫刻の森美術館のピカソ館は7月の終わりごろからリニューアルが終わって開館されるようです。現在は別棟でピカソのセラミックや金属の作品が一部展示されていました。彫刻の森美術館所蔵のピカソ作品のカタログを購入、これをたよりにピカソの広範囲の作品を手法別に考察してみました。
以下の写真は引用として彫刻の森美術館所蔵のピカソ作品のカタログからコピーしました。
(記載の作成年齢はアバウトです。)

ピカソ(1881年10月25日 - 1973年4月8日)は
当然油彩、水彩は晩年までずっと書き続けていますが、銅版による版画、エッチングも若いころから晩年にいたるまで作り続けています。印刷による多量生産の為に必然であったのでしょうか?


油彩 83才

ガラス片を重ね合わせるステンドグラスの一手法、ジェマイユや版画の一手法と石版画リトグラフを手掛けています。64才ころからリトグラフ刷り師フェルナンド・ムルローの工房に入り浸っていたそうです。これ等の作品は70才ころまでぽつぽつとあるようですが実際の作成時期に関する詳しい情報が見当たらなく、よく分かりません。


ジェマイユ 42才(原画)


リトグラフ 72才

セラミックに関しては65~80才あたりまで比較的長期手掛けています。ちょうど当方と同じ年齢の時に興味を持っていたということになります。




67才


67才


68才


71才


74才

ベネチアのアートディレクター、エディジオ・コンスタンティーノのプロジェクトに参加して、ガラスの色立体を作っていたのも73~79才の丁度この時期です。
金属(ブロンズ、金など)も69-87才あたり晩年近くまで作っています。壊れないものへの執着があったのかもしれません。


86才

ピカソのセラミックに関しては、比較的気に入ったものだけを載せました。しかし、正直、ピカソはセラミックより油彩の方がずっといい。セラミックの立体を生かしきっていない、キャンバスが陶器になっただけ、その上、色彩に関して、油彩のように自由に彩色が出来ないだけに放埓さが半減している。後半には子供の絵のように書くことを目指して到達したと言っているが、それがヒトを楽しませているかどうかは疑問である。ピカソだからなんでも素晴らしいと思い込む必要は無い。(あくまで、このカタログに載っている作品からの印象です。)

そうなんだ、セラミックの色付けは油彩と違うのです。セラミックは一発勝負であり、書いた時と焼きあがった時は色も雰囲気もちがってしまうのです。油彩のように書きながら変化させてゆくことが出来ないのです。
ピカソ自体が、自分の絵は書いているうちに色と形が互いに触発しながらダイナミックに変化してゆくのだといっています。当方も昔のブログでピカソの絵は色と形がどちらが先にきまるとは言えない、双方が互いを作って成長してゆくと書いたことがあります。セラミックではこのダイナミックスが大きく阻害されてしまうのです。

このように技術的問題が、油彩と色立体の間には存在しています。これが、当方が、色立体と陶板の2本立てにならざるを得ない理由なのです。この障害は越えられないものなのか? 
そんなことはないと思います。セラミックには自由な立体形成と、焼成による偶然の美がある。この偶然も予測しながら作ることが出来るようになるのです。いかにピカソといえどもたかだか15年くらいのセラミック歴ではこれらを手に入れることは出来なかったのです。セラミックでも上絵具やアクリルや当方のようにガラスまで使って種々の彩色手段を組み合わせれば、次々に色を変化させることが出来ます。無論油彩のように自由には出来ないが、もっと自由度を上げる方法を見つけることが出来ると思っています。色立体と陶板の2本立てはいつか一本化できると思っています。自由な立体と自由な彩色を組み合わせることが出来るに違いない。

ちなみに、ニキ・ド・サンファルはセラミック、ガラス、金属ありとあらゆる材料を使っていますが、主軸はプラスチック系で立体を作って、ラッカー系で彩色してますから、出来上がりを見ながら作成できるし、変化させることも出来るにちがいない。色の制限もほとんど無い。油彩と色立体の間の技術的問題を一挙に解決してしまったわけです。
その気になれば、技術的問題はとび越えられるのだ、既存概念だけが障害なのだ。

それにしても、彫刻の森にある彫刻における色彩の無さはいったい何なんだ!ニキ・ド・サンファルとフェルナン・レジェ以外は当方にとってどうでもいい。なにやら小難しい理屈を書き並べるのが、彫刻なのか? もっと楽しく、生き生きとした生命力は出せないのか。頭で作っているとしか思えない。彫刻界の色彩否定の潮流などクソクラエだ。

シャガールのガラスはよかった。シャガールの絵の神髄がガラスでも貫かれている。画家が立体に入り込むことが出来ている。
シャガールの色立体を見て、当方の色立体への挑戦に希望が見える。

最後に、ピカソ展会場に書いてあったピカソの言葉で心にのこった3つを書きます。この正確な記述がほしくて、ピカソのカタログを買ったのですが、書いてありませんでした。
1、ピカソは≪自分の絵の原点は自然で、現実である。これ無しには何も描けない。>と言っています。
当方も<自然を原点とするのだ>と同じことを何度もブログに書いています。当方の作品にたいして、その技術の無さを非難する意見は皆受け入れます。しかし、当方のなかの自然を、自然をよく見ない人から非難されてもなんとも感じません。言葉を変えれば、当方の中にある自然に対する愛情を見てくれない方の言葉は意味がない。同じ位置に立って、自然を見つめて、もっと見つめよという言葉ならとても励ましになります。

2、ピカソは自分では抽象画を描いているつもりは全くないと主張しています。ピカソの上の言葉とリンクしています。
抽象と具象のクロスオーバーをクロスオーバー展で書きました。現実では抽象と具象はクロスオーバーしているのです。批評家がかってに抽象画とか具象画とかいっているのだと思います。
当方は、自然を原点とした色や形が尾ひれがそぎ落とされて、エッセンスとなり、その人固有の原風景(原図形)となることが目標であると思っています。ジョルジュ・ブラックのメタモルフォーゼ展のときに彼の原図形がいろいろな工芸とリンクしてゆくメタモルフォーゼのさまを書きました。晩年のマティスの切り紙画のようなエッセンス原図形が目標です。

3、ピカソは偉大な画家xxxのようなデッサンを書くことはとうに達成できた。子供の描く絵が描けるようになるまで長い年月を必要とした。と書いています。ピカソにとって、エッセンス原図形は子供の絵だったのかもしれません。当方はピカソの子供の絵風の作品を子供の絵より魅力的とは思えません。残念ながら今のところは、自分のエッセンス原図形の目標を子供の絵にする気はありません。



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