下校児と一時歩く清和かな
初夏の気候が清らかで穏やかなことをいう。
中国では陰暦四月朔日を清和節という。
古くは「和清の天」として詠まれている。
今日は久しぶりに晴れて、五月らしい気持ちのよい日となった。
歩いていて、一時下校児たちと一緒に歩くこととなった。
天清和橋の上にて深呼吸
下校児と一時歩く清和かな
初夏の気候が清らかで穏やかなことをいう。
中国では陰暦四月朔日を清和節という。
古くは「和清の天」として詠まれている。
今日は久しぶりに晴れて、五月らしい気持ちのよい日となった。
歩いていて、一時下校児たちと一緒に歩くこととなった。
天清和橋の上にて深呼吸
川中に釣り人のゐる立夏かな
二十四節気の一つで、新暦五月五日頃にあたる。
夏の初めの日であり、立秋の前日までが暦の上の夏である。
すでに若葉のそよぎ、日の光、温度や風の動きなどに夏が来たことが実感される。
立夏の今日、早くも川中に釣り人がいて、釣りをしていた。
夏来る親子散歩の川堤
初秋の雲を見上げて歩きけり
秋の初めで、立秋を過ぎた八月にあたる。
丁度残暑の頃で、日中はまだまだ暑い。
だが、日差しや朝夕に吹く風、空の色などに秋の気配を感じるようになる。
初秋の白雲が浮かんでいた。
その雲を見上げながら川堤を歩いた。
雲の影抜けし遊具や秋はじめ
雲の上(へ)に富士の頭を出し夏の果
夏の終りをいう。
厳しい暑さの続く立秋前後ではまだ実感が乏しい。
春秋と同様に夏もまた行動的な季節であり、海山のシーズンが去ることを惜しむ気持ちから、「夏惜しむ」という季語も生まれた。
夏が終わる今日、雲の上に富士山が頭を出しているのが望まれた。
夏惜しむ上流に立つ雲を見て
練馬区立牧野記念庭園
歩を入れば牧野庭園涼しかり
夏の暑さの中にあってこそ感じられる涼気をいう。
牧野富太郎博士胸像(手前は寿衛子笹)
暑いさなかに吹き渡って行く風や流れる水、木陰などに涼しさを覚える。
涼しさは皮膚で感じるだけでなく、風鈴や氷を削る音、金魚などから耳や目で感じる涼しさもある。
繇條書屋(ようじょうしょおく)
俳句では暑さの中のかすかな涼しさを捉えて夏を表現する。
暑い日に、練馬区にある牧野記念庭園を訪れた。
中に一歩入ると涼しさを感じた。
記念館
涼しさや植物図見て庭に出て