毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「日本人も話してみたら普通ですね」 2013年5月2日(木)No.637

2013-05-02 20:05:02 | 日記
パーティーに来てくれたお客の言葉、
「日本人も話してみたら普通ですね。」
について考えている。
この発想は中国人だけの特別なものではない。
日本でも一般的によくある意識だ。
「日本人」を「中国人」「韓国人」「インド人」「アメリカ人」など、
どのよその国に置き換えても通用する。
日本人の多くは、自分をインターナショナルと信じ込んでいるフシがあるが、
実は、このグローバル・ヴィレッジと言われる時代にあっても、
他国の人と身近でずっと付き合う機会を持ってない。
(て言うか、近所の誰とも付き合っていない人も結構いるはず)
身近に外国人が住んでいても、積極的に親しくなることもあまりない。
かろうじて職場や学校などでは親しくなる可能性が増えるといったところか。

在日韓国・朝鮮人は、国籍を言えば、不利益を被ることがあまりに多かったため、
通名を名乗る人も多い。
在日中国人で通名の人は、あまり知らない。
大阪の学校教育は、
「隣国の文化に親しもう」といった教育実践を重ねてきたが、
ここ数年、私が教員を辞めてから教育現場はどうなっているのか、
国際理解教育や共生教育が、
教育活動の片隅に押しやられていると聞いたことがあり、
危惧している。
「愛国」という言葉が近年急にネットのカキコミ等で目立ってきたのも
気持ちが悪い。

国境という膜は、向こう側の人々の存在をぼやかしてしまう。
実際に付き合わないと、向こう側の人たちが「普通であること」が
見えてこない。
最近の日本国内には、国境という膜に覆われているどころか、
「愛国」というダンボール箱に入ってしまい、自ら蓋をして
箱の中で呪詛の言葉を吐き散らかしているような人たちがいる。
「井の中の蛙」ならぬ「ダンボール箱の中のヒキガエル」とでも言おうか。
コメント (2)
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