小出裕章さんは、原子力工学とかいう私が全く暗い分野の研究者である。
しかし、彼の講演は非常によく分かる。
「まず、科学ありき」ではなく、
「まず、人間の生活が第一」の姿勢があるので、
人間と科学の関係がすっきり見えてくるのだ。
ああ、科学はこういう人こそ担い手であるべきなのだ。
昨日は Ⅰ.歴史に学ぶ だった。
今日は Ⅱ.核の本質 について。
(講演はまだまだ続くが転載はここまでにする。
続きを読みたい方は最下段のHPを見てくださいね。)[太字はブルーはーと]
Ⅱ.核の本質
原爆の強烈な破壊力
1945年3月10日、東京は300機を超えるB29による空襲を受け、
下町を中心に市街地の40%が灰燼に帰し、
10万人の人々が焼き殺されました。
その時に雨あられと投下された焼夷弾の量は1665トンでした
(平凡社、世界大百科事典)。
その5か月後、広島、長崎に原爆が投下されました。
広島原爆の爆発力は火薬に換算して16キロトン、
すなわち1万6000トンで、長崎原爆のそれは21キロトン、2万1000トンでした。
そして、それぞれ10万人の人々が筆舌に尽くしがたい苦悶のうちに短期日に死亡し、
幸か不幸か生き延びた人々はヒバクシャとなって、その後の人生を奪われました。
ところが、原爆が示した強大な爆発力への恐れは、
次に、未来へのエネルギー源としての期待に転化しました。
化石燃料はいずれ枯渇するので、
未来のエネルギー源は原子力だと言われたのでした。
日本では、「核」と「原子力」は違うものであるかの様に宣伝され、
「反核」はいいが、「反原子力」は間違いであると考える人が多数います。
連鎖反応
今、ここに灯油1kg と火薬1kg があったとしましょう。
それぞれに火を点けたとして、
どちらがどれだけ多くのエネルギーを出すでしょう?
正解は、灯油1kg が出すエネルギーが約1万キロカロリー、
火薬1kg が出すエネルギーは約1000 キロカロリーです。
火薬といえば、莫大なエネルギーを出すように思われがちですが、
実際には火薬は灯油の10 分の1のエネルギーしか出しません。
灯油を含め普通、物が燃えるということは、
その物質が酸素と結びつく反応を意味します。
したがって、酸素がなければ物は燃えないし、
供給できる酸素の量に見合った形でしか反応は進みません。
しかし、火薬は爆発現象を引き起こさせたいのであり、
酸素の供給に見合ったスピードでしか燃えないというのでは話になりません。
そこで、酸素がなくても燃えるように工夫を重ね、
ようやくにして得られたのが火薬です。
しかし、そのために、反応で得られるエネルギーは
大幅に犠牲にされてしまいました。
1938 年暮、
ナチス・ドイツ政権下で化学者オットー・ハーンが
ウランの核分裂現象を発見しました。
この現象から莫大なエネルギーが放出されることが分かりましたし、
重要なことがもう一つありました。
すなわち、ウランは中性子と結合して燃える、
つまり核分裂という現象を起こしますが、この反応の場合、
1個の中性子を吸収して核分裂を起こすと、
2個あるいは3個の中性子が飛び出してくることです。
すなわち、初めの中性子さえ供給すれば、
後は反応が自立的に鼠算式に拡大していくのでした。
まさに、爆発現象を引き起こすための条件で、
核分裂反応はその反応で放出される莫大なエネルギーを一切犠牲にせずに
爆発現象を起こします。
この時代は第2次世界戦争前夜であり、
この物理現象は一気に原爆へと開花しました。
そのことを不幸なことであったと言う人々がいますが、
もともと核分裂反応はその本性からして爆弾向けなのでした。
唯一の被爆国
日本はよく「唯一の被爆国」と言われます。
たしかに新しく米国大統領になったオバマは2009 年5月にプラハで演説し、
米国が「唯一核兵器を使用した国」であると述べました。
もちろん紛れも無く、広島・長崎は被爆地で、日本は被爆国です。
しかし、米国は自国内のネバダ核実験場でたくさんの核実験を繰り返し、
周辺の住民が被曝しました。
それだけでは足りず、ビキニをはじめとするマーシャル諸島でも
たくさんの核実験を繰り返しました。
そのため、日本の第5福竜丸をはじめ、たくさんの漁船が被曝しましたし、
それ以前にマーシャル諸島の住民が被曝し、
挙句の果てに島を追われました。
同じことは旧ソ連セミパラチンスクでも起こりましたし、
フランスが核実験場にしたタヒチでも起こりました。
英国はオーストラリアを核実験場に使いましたが、
そこでも先住民が被曝しました。
中国は新疆ウィグル自治区を核実験場としました。
どこでも常に弱い立場の住民が被曝させられてきました。
その上、核兵器を作るためにはウラン鉱山でウランを掘らなければなりませんし、
長崎型の原爆を作るためには原子炉を動かし、
そこでできたプルトニウムを再処理して取り出す必要もありました、
それらの工程はすべて、厖大な環境汚染を引き起こし、
たくさんの被曝者を生み出してきました。
核兵器を廃絶するためには世界中の声なき声を集める必要があります。
そのためには、「唯一の被爆国」という考えを捨て、
世界中の被曝者たちと手を繋ぐ必要があると私は思います。
しかし、たくさんの人々が生活していた街の頭上に原爆を落とされた国の人間として、
私たちにはやはり特別な役割があるでしょう。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/kouen.html
しかし、彼の講演は非常によく分かる。
「まず、科学ありき」ではなく、
「まず、人間の生活が第一」の姿勢があるので、
人間と科学の関係がすっきり見えてくるのだ。
ああ、科学はこういう人こそ担い手であるべきなのだ。
昨日は Ⅰ.歴史に学ぶ だった。
今日は Ⅱ.核の本質 について。
(講演はまだまだ続くが転載はここまでにする。
続きを読みたい方は最下段のHPを見てくださいね。)[太字はブルーはーと]
Ⅱ.核の本質
原爆の強烈な破壊力
1945年3月10日、東京は300機を超えるB29による空襲を受け、
下町を中心に市街地の40%が灰燼に帰し、
10万人の人々が焼き殺されました。
その時に雨あられと投下された焼夷弾の量は1665トンでした
(平凡社、世界大百科事典)。
その5か月後、広島、長崎に原爆が投下されました。
広島原爆の爆発力は火薬に換算して16キロトン、
すなわち1万6000トンで、長崎原爆のそれは21キロトン、2万1000トンでした。
そして、それぞれ10万人の人々が筆舌に尽くしがたい苦悶のうちに短期日に死亡し、
幸か不幸か生き延びた人々はヒバクシャとなって、その後の人生を奪われました。
ところが、原爆が示した強大な爆発力への恐れは、
次に、未来へのエネルギー源としての期待に転化しました。
化石燃料はいずれ枯渇するので、
未来のエネルギー源は原子力だと言われたのでした。
日本では、「核」と「原子力」は違うものであるかの様に宣伝され、
「反核」はいいが、「反原子力」は間違いであると考える人が多数います。
連鎖反応
今、ここに灯油1kg と火薬1kg があったとしましょう。
それぞれに火を点けたとして、
どちらがどれだけ多くのエネルギーを出すでしょう?
正解は、灯油1kg が出すエネルギーが約1万キロカロリー、
火薬1kg が出すエネルギーは約1000 キロカロリーです。
火薬といえば、莫大なエネルギーを出すように思われがちですが、
実際には火薬は灯油の10 分の1のエネルギーしか出しません。
灯油を含め普通、物が燃えるということは、
その物質が酸素と結びつく反応を意味します。
したがって、酸素がなければ物は燃えないし、
供給できる酸素の量に見合った形でしか反応は進みません。
しかし、火薬は爆発現象を引き起こさせたいのであり、
酸素の供給に見合ったスピードでしか燃えないというのでは話になりません。
そこで、酸素がなくても燃えるように工夫を重ね、
ようやくにして得られたのが火薬です。
しかし、そのために、反応で得られるエネルギーは
大幅に犠牲にされてしまいました。
1938 年暮、
ナチス・ドイツ政権下で化学者オットー・ハーンが
ウランの核分裂現象を発見しました。
この現象から莫大なエネルギーが放出されることが分かりましたし、
重要なことがもう一つありました。
すなわち、ウランは中性子と結合して燃える、
つまり核分裂という現象を起こしますが、この反応の場合、
1個の中性子を吸収して核分裂を起こすと、
2個あるいは3個の中性子が飛び出してくることです。
すなわち、初めの中性子さえ供給すれば、
後は反応が自立的に鼠算式に拡大していくのでした。
まさに、爆発現象を引き起こすための条件で、
核分裂反応はその反応で放出される莫大なエネルギーを一切犠牲にせずに
爆発現象を起こします。
この時代は第2次世界戦争前夜であり、
この物理現象は一気に原爆へと開花しました。
そのことを不幸なことであったと言う人々がいますが、
もともと核分裂反応はその本性からして爆弾向けなのでした。
唯一の被爆国
日本はよく「唯一の被爆国」と言われます。
たしかに新しく米国大統領になったオバマは2009 年5月にプラハで演説し、
米国が「唯一核兵器を使用した国」であると述べました。
もちろん紛れも無く、広島・長崎は被爆地で、日本は被爆国です。
しかし、米国は自国内のネバダ核実験場でたくさんの核実験を繰り返し、
周辺の住民が被曝しました。
それだけでは足りず、ビキニをはじめとするマーシャル諸島でも
たくさんの核実験を繰り返しました。
そのため、日本の第5福竜丸をはじめ、たくさんの漁船が被曝しましたし、
それ以前にマーシャル諸島の住民が被曝し、
挙句の果てに島を追われました。
同じことは旧ソ連セミパラチンスクでも起こりましたし、
フランスが核実験場にしたタヒチでも起こりました。
英国はオーストラリアを核実験場に使いましたが、
そこでも先住民が被曝しました。
中国は新疆ウィグル自治区を核実験場としました。
どこでも常に弱い立場の住民が被曝させられてきました。
その上、核兵器を作るためにはウラン鉱山でウランを掘らなければなりませんし、
長崎型の原爆を作るためには原子炉を動かし、
そこでできたプルトニウムを再処理して取り出す必要もありました、
それらの工程はすべて、厖大な環境汚染を引き起こし、
たくさんの被曝者を生み出してきました。
核兵器を廃絶するためには世界中の声なき声を集める必要があります。
そのためには、「唯一の被爆国」という考えを捨て、
世界中の被曝者たちと手を繋ぐ必要があると私は思います。
しかし、たくさんの人々が生活していた街の頭上に原爆を落とされた国の人間として、
私たちにはやはり特別な役割があるでしょう。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/kouen.html